失うはずの矜持1
「ふんふふーん」
某日、朝。
出たばかりの太陽は白銀を照らし、溶ける気配のない積雪が人々を世間から切り離す。
踏み固められていない地面は歩き難く、しかしノクターナは鼻歌混じりスキップ混じりに歩く。
「機嫌か良いな」
「当たり前。だってプレゼントだよ、プレゼント。この国のサンタクロースは僕みたいな旅人にもくれるんだね」
「クリスマスはまだだけどな」
「ルドルフ、夢がないよ」
勿論サンタクロースと言うのは喩え話で、ノクターナにプレゼントを贈ったのはリリーだ。仕事があるとかで離れるとき、小箱を置いて行った。
曰く、お詫びと友好の証らしい。
因みに、小箱は一つだけだった。無論中身も。
友好の証だと言うのはさておいて、お詫びと言うのならもう一つあっても良いのではないのだろうか。そう思わざるを得ない。
「そんなにいじけてないで、僕たちも持って行くもの選ばないと。手ぶらでは行けないよ」
この辺りが賑わうにはまだまだ時間があると言うのに、ノクターナは新しい杖を指先で転がしながら話題を変えた。
「貰った杖には見合わなくても、そこそこの品は必要でしょ。ルドルフの家、お金持ちっぽいし」
その言動は、普段はそう思わなくても、その身分を再確認させられる。
杖の良し悪しを判別できる目を持っていなくても、その高級感を感じ取ることはできる。シンプルながら美しいフォルム、より原初に近い木材。
そんな杖を通して放たれる魔法はどれだけ――
「ルドルフ、言っておくけどこれは僕のだよ」
「――わかってる。そもそも俺は魔法使いじゃない」
「居るみたいだけどね。杖のコレクター」
よりより杖は魔法の精度と発動までの時間を短くしてくれる。そう聞いたことがある。
それを身を持って体験したことがある記憶と、そんなはずはないと理性がせめぎ合う。
身体中の魔力が一点に集まって、思い描いたとおりの魔法を実現するため働く感覚。
脳内でカウントダウン。ゼロと同時に全身に僅かな痺れと快感が走って、夜空に巨大な花を咲かせる。
押し寄せる疲労と高揚感の余韻、続く大小の音。それはとびっきりに綺麗で美しい。それでもやっぱり自分のが一番だと真っ先に宣言する。負けていると知りながら、優劣など気にしていないとしても。
「あ、あの、その杖――」
ルドルフの思考を邪魔するように、女の子がひょっこり現れた。
高めで一つに結ったポニーテール、華美すぎない程度のお洒落。肩から大きめのトートバッグを提げている。
「誰――」
「あ、もしかしてわかる?珍しいね、小さいのに。試しに使ってみたい?でもだめ。僕だってまだなんだから」
「落ち着けノクターナ」
警戒虚しく、上機嫌なノクターナは距離を詰める。嫌味とも取れる言葉だが表情と声色を見れば、そうでないことは相手にも伝わっていた。
「えと、その、違くて……」
女の子は両手をぎゅっと握り、遠慮がちにと言うよりかはおどおどした様子で俯く。
どうにも尋常でない様子に態度を改め、ノクターナは軽く腰を曲げて視線を合わせる。
「こほん――。どうしたの。僕たちに何か用?」
「――――」
何かを発そうと開かれた口は、しかし一瞬のためらいのあと噤んでしまう。
女の子の指先は白く変色し、瞳が潤んでいくのがわかる。
「大丈夫だよ。怖くないから。ね?ゆっくりで良いから、何があったのか教えて」
女の子は小さく首を振る。
そして、すぐ近くのノクターナではなく俺の元へとゆっくりと近付いて来た。
「あれ――?」
「お、お兄さんって、強い?」
ぎゅっと、服の裾を掴まれる。
「――強いよ。俺も、そこに居るお姉さんも」
そう言う他なかった。
「あの、ね」
「うん」
「た、すけて」
心臓の音色よりも、小鳥の囀りよりも、聞き漏らしそうなくらい小さく。けれど確かに女の子はそう言った。
「わかった。まかせろ」
頷く。潰れた服が少し元に戻った。
だが、何から助けろと言うのか。何を助けろと言うのか。
力押しが通用する相手なら手の打ちようもあるが、そうでないなら難しい。例えば妄想の産物だとか。
そう決めつけるのはこの女の子に失礼か。
ふとそのとき、視界の端に動くものを捉えた。
通りを数個戻った先の曲がり角の影。気配は確信できないほど薄く、距離はそれが人か犬かすら暈す。
「ノクターナ、あれ――」
腰を軽く曲げたままフリーズしていたノクターナに視線で伝えると、それは気の所為でないらしい。
確かに、じっとこちらを観察していた。
確認するべきか。
「ど、どこ行く、の?助けてくれるって」
「ああ。だから――」
「早く行かないと学校、遅れちゃう」
「――わかった。行こう」
捕まえるのは後回しにしよう。
踵を返して女の子を先頭に止めていた足を動かす。振り返ることはできないが、耳を澄ますと俺たちのものでない足音が聞こえた。
「ノクターナ」
「うん、任せて」
そんな魔法があるのかは知らないが、あとで追跡しやすいような手立てを頼む。意図が伝わっていれば良いけど。
「学校までは遠いのか?」
「ううん、十分くらい」
そう言えば、地図に書かれていた記憶がある。
この辺りでは有名な、様々な年齢の人が在籍している学校。魔法に関することを教える専門的な学部もあって、リリーの母校らしい。
寄るつもりはなかったが興味はあった。良い機会かもしれない。
しばらくして、十分もかからず、その学校は見えてきた。
「着いた、ここ」
近付くにつれ生徒や先生らしき人が増えてきて、吸い込まれるようにその校舎へと入っていく。
無数の窓がこちらを眺めている。お前には相応しくないと言われているような気分になる。
「ここまでだな」
門の手前、人の流れを邪魔しない場所で振り返る。
ここまで来れば安全だろう。それに、この先は部外者が入って良い場所じゃない。足を踏み入れた瞬間に警備員が飛んで来て、あるいは問答無用で魔法の一発でも当てられそうだ。
「あのね、今日は学校昼までで――」
「わかった。その頃にまた迎えに来よう。待っててくれるか?」
「――うん」
一度は和らいできたように見えた不安だが、ここに来て尚振り切れていないようだった。
「先生に相談したらどうだ?きっと力になってくれる」
「ううん。先生、は、信じてくれない、から」
女の子は首を振った。
それもそうか。先生も証拠なしでは大々的に動けまい。
俺たちのような部外者に頼っている時点でもう相談したあとなのだろう。
「それじゃあ、またあとで」
「待っててね、名も知らぬ女の子」
手を振る。これからは俺たちの仕事だ。警備員に目を付けられる前に離れるとしよう。
尤も、彼女を完全に信用した訳ではないが。
「あ、あの!」
離れゆく二人を女の子は呼び止める。
「学校、図書室は、街の人にも公開されてるから――」
「わかった。用事が終わったら行ってみるよ」
さて、先の気配はまだ近くに居るだろうか。探すのに手間取らなければ良いけど。
「――ぁ」
それ以降、女の子の口から言葉が発せられることはなく、校舎の中へと消えて行った。




