妹と最強の
薄暗い宿、薄ら明るい時間。山際から僅かに顔を見せる太陽の、軽微ながら直視するには眩しい光がカーテンに反射する。
時の流れを知らずただ夢中な者が三人。左からルドルフ、ノクターナ、ニクである。戻って早々に侵入者を検知する罠を仕掛けたノクターナだったが、その甲斐知らず平和な夜だったことは三人の表情が示していた。昨晩のこともあって活動を再会するのはもう少し後のこと。
そんな宿に隣接した通りは、決して広くないけれどそこそこの人通りがあった。とはいえ今は早朝、ただ二人の若い女性が歩いているだけだ。
「グリモワール様、公務の途中ですっ!」
「公務公務って、そんなにお仕事が大事なんですか?」
「当然です。なにせ、怪しい悪魔憑きと男女二人がこの街に侵入してきたと情報があったのですから。悪魔憑きへの差別はどうにかすべき事柄ですが、それを理由に暴力をして良いことにはならないのですから」
「高尚な心掛けですね」
グリモワールと呼ばれた女性とその部下と思しき女性は、機密に抵触しかねない掛け合いをしていた。
「話を逸らさないで下さいっ!グリモワール様、何度も言いますが今は公務中です。早く巡回路に戻りますよ」
「――件の悪魔憑きと共に居た男、兄さんにそっくりでした」
グリモワールは神妙な面持ちで、昔を思い出すように空を見上げる。彼女の瞳にはどれほどの昔が映っているのだろうか。
その姿は初対面ですら見惚れてしまう雰囲気を纏っていて、隣に居ることの多い部下も一瞬の間呆けていた。
「――出鱈目言わないで下さい。グリモワール様にお兄様はいらっしゃらないはずです」
「ええ、私は一人っ子です」
「もう何が何だかわかりませんっ」
頭を抱えてみせるその部下に、グリモワールは哀愁とも取れる表情を浮かべる。
そんな何でもないふとしたときのこと。大したきっかけも理由もない、最早天啓に近しいものだったのかもしれない。グリモワールはすぐそこにあった宿を見上げて呟いた。
「兄さんを見つけました」
「はああっ?見つけましたって、グリモワール様にお兄様はいらっしゃらないんですよね!?」
「ええ、私は一人っ子です」
コントのようなことをしつつ二人は宿に押し入った。
時間も時間で鍵のかかっていた扉は、しかし何の抵抗もなしに開かれた。カウンターの奥で仕事をしていた家主はまごつき、護身用の拳銃を握った。
「なら何を見つけたって言うんですかっ!あと何なんですか急にっ!あ、すみません、我々はこう言う者です」
グリモワールの部下はその身分を表す紋章を掲げ拳銃を押さえつけた。不用意に発砲されないくらいにはその存在は認知されており、そして紋章は権力の証でもあった。
「あの、特殊警察がわたくしどもが何か?」
「言えません、機密事項です。知る権利はありますので後程本部にお問い合わせ下さい。それとも、困ることでもありますか?」
「滅相もありません、わたくしどもは真っ当な商売を営んでおります。どうぞご自由に――」
「痛み入ります」
紋章を片し二人は階段を上っていく。
その後で家主は、一瞬のことながら疲れたように、カウンターにぐったりと倒れ込んだ。
「――。なら何を見つけたと言うんですかあと何なんですか急に」
「勘です」
「そりゃあグリモワール様の勘はよく当たりますけど、今回ばかりは本当に意味がわかりませんからね」
階段を二階分ほど上った先、最奥の部屋。扉の下を見るに光は漏れておらず物音もしない。
「グリモワール様、入らないんですか?」
「ちょっと待って下さい。兄さんに会うんです、深呼吸しませんと」
すーはーすーはー。
大袈裟にそれを繰り返して、けれど目立った効果は出ないままだった。
ドアノブを握る。鍵はかかっているが破壊と同時に突入することは可能だ。
「そうだ、忘れていました。杖は片付けて下さいね」
「てすが――」
警戒のために杖を握ったのをグリモワールは咎める。
「いいえ、命令です。杖を片付けて下さい」
「了解しました」
「絶対に杖を出さないで下さい、何があっても攻撃しないで下さい。何なら防御もしないで下さい。兄さんに何かあったら、私は怒りますから」
「了解――しました」
不満気に、けれどそう強くいわれては立場の違いもあって拒否できず無抵抗になる。
「行きます」
扉はその役目を忘れゆっくりと開かれる。微笑みと緊張を浮かべた二人を出迎えたのは、銃口と杖、両手の人差し指だった。そして二人はようやく何らかの魔法の存在を認識するのだ。
俺ことルドルフは、揺蕩うような眠りを耳障りな音によって覚まされた。
それは俺とノクターナとニクにだけ聞こえる魔法、誰かが引っ掛かったことを知らせる音。三人は各々の武器を手に扉を睨む。悪魔憑きなら無力化、他は時々で考える。そしてゆっくりと開かれたその先には。
「っ――」
多分、その制服に反応したのだと思う。似ているけれどどの制服とも違うそれは特殊警察のもの、帝国の軍事組織。だから悪魔憑きであるニクが反応するのもおかしな話ではない。
放たれるニクの魔法不可視の刃は確かに二人を狙って、しかし片方は覚悟を決めたように目を瞑って片方は悠々自適に、防御しようとすらしない。俺は急いで枕を投げ、狙われているだろう箇所をニクから隠す。
ぶわっと裂けた枕から溢れた綿は広がり、しかし赤く染まることはなかった。
「ニクちゃんっ!」
「し、死ぬかと思いました」
「兄さん。私は信じていましたよ」
兄さん?
聞き覚えのある声だ。綿が散らばって見えて来る顔も、記憶にあるのは幼いながら、面影は感じられる。
「リリーか?」
「はい。お久しぶりです、兄さん」
唖然とする他三人と惨事になった床を無視して二人は再会を祝い合う。
ルドルフ・グリモワールとリリー・グリモワールは血の繋がった実の兄妹である。そして。
「グリモワール様は一人っ子ではなかったのですかっ!」
ルドルフ・グリモワールの存在はリリーとその家族、その他近しい人しか知らない特大の秘密である。
◇◆◇
「ごめんなさい。怪我がなくて良かったよ」
「ごめん、ニク、早とちり」
「いえ、こちらこそ急な訪問失礼しました。死ぬかと思いましたけど無事です」
グリモワール家とは帝国における有力貴族の一つだ。魔法については類稀なる才能を有し、リリーのように軍関係の職についていることも少なくない。
軍関係でなくとも貴族は国に仕える仕事をするのが常識であり、それ故俺のようなものは珍しい。だから秘密にされているのだろうが、いかんせん俺もそのあたりの記憶が曖昧だ。何故俺は自由にできているのだろう。
「昔、良くない、思い出」
「それは、申し訳ごさいませんでした。ニク様、ルドルフ様、ノクターナ様、当事者に変わってお詫び申し上げます」
「ルドルフ妹、下っ端、悪くない」
リリーの働く特殊警察とは、警察とついているもののその実性質の全く違うもので、これは国民に威圧感を与えないためのネーミングでしかない。
特殊警察は警察の手に負えない物事の際に動く国防組織だ。戦争紛争テロ災害諜報、その仕事は多岐にわたる。
「それにしても大きくなったな、リリー」
「兄さんこそ、もう会えないのかと思ってました。帰郷ですか?」
「ちょっと野暮用でな。北に用があるんだ」
「それは――そこの二人に関係ありますか?」
「まあ、後々説明する」
因みに、特殊警察の管轄はあくまで国防で戦争の際他国に攻撃するのはまた別の機関だ。
さらに因みに、国防組織なだけあって特殊警察はエリートの集まりで、単純な武力としては現在帝国トップである。情勢によってNo.2になることはある。
「グリモワール様、説明して下さい。随分と仲良しみたいですけど、どういった関係なんですか?先程から兄さん兄さんって、頭がパンクしそうになります」
「――私は一人っ子です」
「俺とリリーは初対面。それで良いだろ」
「下っ端、くどい」
助けを求めて縋るような視線を俺は一蹴する。
リリーがこうも支離滅裂な嘘をつく理由はわからないが、きっと相応の理由がある。ならわざわざ暴露する必要はないはずだ。それがこの女性のためにもなる。
項垂れた女性とその真似をするニク。そんな微妙な空気に俺はパンっと手を叩いて、話題を変えるべく動く。
「それじゃ、ひとまず自己紹介とするか。ま、そっちは俺たちを知ってるみたいだったけど」
「はい。入国されてからの動向は存じております、ルドルフ様、ノクターナ様。ニク様に関しましては――すみません。情勢のこともあり探らせて頂いておりました」
「下っ端、ゆうしゅう?」
「なんで疑問形なんですかっ!」
思えば、城を離れてから初対面でも自己紹介らしきものをやってこなかった。今までは深く関わることもなかったからそれで済んでいたが、今回ばかりはそうもいかないかもしれない。
まあ、自ら名乗る機会はたった今失ったのだけれど。
「こほん。では、次はこちらですね。この方はグリモワール様。私はその部下です。下っ端とでも何でもお呼び下さい」
自虐に走るらしい。抗議のつもりかもしれないけれど、それはニクには伝わらないぞ。
「グリモワール様は天才です。容姿もさることながら魔法の扱いがピカイチでして、私も魔法には自信があったのですが、まあ自信のない人が特殊警察なんて選ばないと思うんですけど、そんなのが霞むくらいグリモワール様の魔法は美しく壮大で、大学では魔法学を専攻していたんですけどそこにグリモワール様が急に飛び級で入ってきまして、当時首席だった最優くんを打ちのめしまして、最優くんのキザな告白になんて言ったと思います?私には心に決めた方がいるからって、きゃーって感じですよね、グリモワール様は勉強こそいまいちでしたが、グリモワール様は、グリモワール様は、――」
それはそれは長い演説だった。リリーが取り出したトランプで大富豪が始まってノクターナが勝ってしまうくらいには長かった。
「つまり纏めますと、グリモワール様は最強なんです。これは私だけでなく皆が思っていることです。私的にアンケートを取りましたから」
「そう、私は最強なんです。兄さん、私は最強なんです」
帝国最強、風の噂だが聞いたことがある。
彼女の視界は魔法の射程、見られるは死を覚悟せよ。彼女の戦いは正に蹂躙、生きるは死を覚悟せよ。
盛られがちな吟遊詩人によって詠われていた。どこまでリアルを含んでいるかは定かでないが、恐ろしさを感じたのは覚えている。
「誇らしいよ」
そんなのは見たくないと望みながら、はにかんだリリーの頭に手を伸ばした。
「兄さん兄さん、家には帰りますか?帰りますよね?」
「そのつもりだ。ノクターナには言ったよな?」
「うん。確か、暖かくなるまでそこで待つんだよね」
いつの間にか宿の一室は談話室のような扱いになっていて、随分と長いこと話しているように感じる。
そろそろ家主に怒られそうな頃合いだ。五人で居座るには部屋も狭いし場所を帰るのも良いかもしれない。
――そういえば、リリーたちは仕事に戻らなくて大丈夫なのだろうか。
「良かったです。兄さんも偶には顔を出してあげて下さい」
「善処する」
俺は家を出てからというもの一度も帰っていない。北上してから南下する間、一度は帝国を通ったはずなのだが帰らなかった。
なぜか帰ってはならない気がしていたのだ。今は全くそう思わないのに。
何かとても大きな何かを忘れている。そう思えて仕方がなかった。
「それはそうとして、ですよ兄さん。家で越冬するつもりなら、まだ余裕はありますよね。雪はまだ降りませんし、今年は暖冬ですし」
「降雪の時期を正確に推測することはできませんが、例年通りですと二週間後には大雪の可能性が高いです」
帝国は、この辺りの緯度なら当然なのだけれど、雪国だ。毎年変わらず吹雪が訪れて毎年少なくない人数の命を奪っていく。
二週間後か。感覚以外に何も目安がない状況だったので、それっぽい時間を知れるのはありがたい。
余裕だとリリーはいったが、あまり道草を食っている時間はなさそうだった。
「なら大丈夫そうですね。――兄さん、ノクターナさん、ニクさん。お願いがあります」
「グリモワール様!まさか巻き込むおつもりですかっ!」
「ええ、その方が楽そうですから」
俺たちに何をさせたいのかは全く想像がつかなかったがリリーの頼みだ。拒否だけのする理由もなく、俺たちは承諾したのだった。




