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そしてまた、この地へ  作者: 朱殷


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悪魔憑きの少女3


 一つ、二つ、三つ。大した出来事もない時間は、その当時は長い長いと感じれど、思い返せば瞬く間に過ぎ行くものだ。そうして見送ってきた街を国を、俺は数えてすらいない。


 そんな街の数を、役割のない俺は曇天を見上げながら、珍しく数える。三つ、三つだ。ニクと出会ってから共に過ごした街、時間。


 それは、こうして旅をしている俺たちにとって多すぎた。悪いことだとは思わない。良いことだとは思えない。


 時が流れるにつれ情が生まれる。ずっといっしょなどという世迷言を実現させたくなってくる。そして必ず訪れる別れに傷を作る。


 わからない。俺はニクをどうしたいのだろうか。


「はぁ――」


「ルドルフ、疲れてるの?」


「なにもしない、不思議」


 大きくため息をつく。そうこうしている間にも別れを恐れるようになっていく。


 俺にできることはない。しない。せめて、そうなったときの対応策くらい考えておかなければ。


 時が流れる、馬車は進む。四つ目になろう街が近付く。俺は――


「すみませーん、そこの馬車の方あ?」


 その息遣いすら聞こえていることをようやく知るのだった。


「止まって下さいよお、検問ですう。悪魔憑きの方は進入禁止ですよお」


「それをお前が言うんだな」


「乙女の秘密をバラさないで下さいよお、隠してるんですからあ」


「気にしないでくれ、ただの嫌がらせだ」


「まさか、あの時のこのを根に持ってるんですかあ」


 妙に間延びした声、乙女と称するに正しい見た目と相反する実年齢。いつぞやの夜と違い耳のない――ここだけを聞けば化け物のようだけれど――女性がそこに立っていた。


「メルシュちゃん?」


「お久しぶりですう、ノクターナさん。あ、進入禁止は冗談ですからあ、ご自由にお通り下さいねえ」


 ノクターナが一度止めた馬車の制御を、ニクは奪い走り出す。それは普段よりもずっと早いもので、それはメルシュを拒絶しているようだった。


「ニクと、同じ、危ない」


「ちょっと、ニクちゃん!メルシュちゃんは僕の友達だよ!」


 聞く耳を持たずより強く拒絶するように、馬車とメルシュとの距離は広がっていく。


「ずっと、いっしょ。帰らない」


 我儘な呟きでノクターナは口を閉ざし、尚も馬車は加速する。


 メルシュはそんな馬車を追おうともせず、その場で大きく手を振っていた。「またね」と、口が動いたような気がした。


◇◆◇


 夜。光の灯る夜景はそう美しいものでもなく、ただ心の中の喧騒を冷静にと窘める。


 先を急ぐには遅い、雨が振りそうな天気。それらしいことをいくつか並べて、先を急ぐニクをこの街に留まらせた。もっと正確に表すなら、無駄に速度を上げて疲れたニクを落ち着かせたという形になる。


 事の正誤はすぐにでもわかるだろう。


 急遽取った宿、二人は俺の葛藤も知らずに寝息を立てている。都合良くはあるが、同じくらいやるせなさもある。


 いつの間にかポケットに入れられていた紙切れを握る。それには解読には些か時間のかかる文字で時間と住所が記されてあった。恐らくというかほぼ確実にメルシュが忍ばせたものだろう。


「眠れないの?」


 そろそろかと時計を注視していると、囁くような小声でノクターナが起きた。


「ごめん、起こすつもりはなかった」


「ううん。それより、どっか行くの?」


「ああ、ちょっと近くを散歩でもと思ったんだ。寝てて良いぞ」


 紙切れに書かれた時間にはまだ早かったけれど、まあそんなに厳密にしなくてもと外出の準備をする。


 マフラーを巻いて住所を確認して。ああそうだ、忘れるところだった。


「いってきます」


「――ルドルフは、ルドルフはさ。また一人でどっか行っちゃうんだね」


 多分、ノクターナは寝ぼけていたのだろう。けれどその言葉は確かに深くまで突き刺さって抜けてくれやしなかった。


「一緒に行くか」


「うん」


 俺たちはマフラーを巻き直して、白くなった吐息と共に夜の街へと出掛けるのだった。


 ニクの説得に時間がかかったせいもあり所定の住所は宿からそこそこ歩いた距離にあった。街に降りれば辺りは当然のように明るく、飲兵衛たちの声が聞こえる。


「すいません、これ一つ下さい」


「まいど。いやあ、それにしても寒いねえ兄ちゃん。これから宿かい?」


「あはは――。どうも」


 適当な店で買った肉まんを半分こして、それで暖を取る。値段の割に大きな肉まんは餡もきっちり入っていて、しかし手のことを考えると食べるのが惜しく思えた。


 はらりと降った小粒の雪は地面で一瞬形を留め後に溶ける。冬がすぐ傍まで来ている。もう少し待ってくれれば良いが、次善の策も考えておくべきだろうか。


 重苦しいというつもりはないけれど、俺たち二人の間に会話はなかった。聞こえる息遣いとたまに当たる手だけが存在を教えてくれる。


 しばらくして。辿り着いたそこは間違っていなければ小さなアパートの一室だった。そこそこ綺麗でそこそこボロく住むには満足だが人を呼ぶには不十分な印象を受ける。


 コンコンコンと三度ノックすれば家主は顔を見せた。


「遅かったですねえ、待ちくたびれましたよお」


「言われた時間よりは早く来たつもりだ」


「そうですかあ?では。早かったですねえ、もう少しかかるのかと思ってましたよお」


 気ままな振る舞いのメルシュは俺たちを迎え入れた。


「久しぶり。ここはメルシュちゃんの家?」


「はい、朝ぶりですねえ、ノクターナさん。実はここあんまり使ってないんですよお」


 外観通り中は広くなく、そして生活感もない部屋だった。家具はあるのだが物置だという印象が否めない。


「罠とか考えなかったんですかあ?特にルドルフさんはあ」


「考えたから一人で来るつもりだったんだけどな」


「そうですかあ。ジュース要りますう?」


 売り物らしきジュースを口に含む。いっぱいに冷たさが広がる。


 メルシュは何処からか引っ張ってきた椅子に座り、俺たちは相対するように置かれたソファに腰掛けた。

 ソファはボロくて汚くて、メルシュ相手なら良いかというのもあって、苦い顔をしてしまう。


「メルシュちゃん、教えて欲しいの。あの日なんでルドルフがいなかったの?急に帰ってきたの?」


「その話からしますかあ別にいいですよお。でもお、もっと適任がいるとも思いますけどねえ」


「聞いたし、知ってる。でもやっぱり当人の口からも聞いておきたいから」


「これが情報リテラシーですかあいいですよお。――ルドルフさんは私が拉致したんですよお。返したのはただ、ノクターナさんが余りに可哀想でしたからあ」


「どうして?」

 

 何度か聞かされた話を抑揚がなく台本でも読み上げるように、メルシュは続ける。


「拉致した理由ですかあ?魔力的に使えそうだったから以外にありますう?」


 それは、わざと嫌味ったらしい言葉選びをしているように思えた。


 よくよく考えれば、面倒事の多くは俺を原因としていることが多いような気がする。巻き込まれるなり首を突っ込むなりしたしわ寄せは、全てノクターナへと向かっていった。だから何という訳でもないのだけれど。


「もちろん悪魔憑きの方が優れているのは理解してますけどお、何事にもイレギュラーは存在しますからあ」


 そんな言葉を盾にして、メルシュは語り始める。何時の出来事なのかも何処まで本気なのかもわからないそれは、しかし妙に迫真めいているのだった。


 ただ遠い場所とだけ称されたとある喫茶店にて、秘密裏に組織の結集が成された。掲げるは悪魔憑きへの差別の撤廃。言葉通りメンバーは悪魔憑きばかりで、しかしごく小さな組織であり実現しない目標のはずだった。


 殊の外人里に紛れて暮らしている悪魔憑きは多く、殊の外悪魔憑きたちは恨みを持っていた。それ故叶うはずなかった、叶えるつもりもなかった目標へと歩を進めるのだ。


 ただ昔とだけ称されたある日。組織は一つの犯罪組織を壊滅させた。それは随分と容易かったらしい。被害はごく少数、事の最中に助けた悪魔憑きによって強化まであった。


 そんな経験が重なれば増長していくのも自然の道理。今もまた戦力を集め続け、新たな標的を定めているらしい。さすがにそこまでは教えてくれなかったけれど。


 それで、とメルシュは一呼吸置いて俺たちの方を向き直る。


「本題なんですけどお、ルドルフさん。ルドルフさんのところに29番――ええとそちらで何と呼んでるかは知らないんですけどお、悪魔憑きの女の子がいるじゃあないですかあ」


「ああ」


「私に、と言うか私たちに返すつもりはありませんかあ?私たちのところに来るはずか逃げ出しちゃったみたいでえ」


「嫌だよ」


 俺がメルシュの言葉を理解し切る前に、ノクターナがそう答えた。


「ノクターナさんには聞いてないんですけどお」


「嫌だよ。彼女は僕たちが連れて行く。彼女も僕たちと居たいって言ってたから。ね、ルドルフ」


 考えるまでもなく、頷く。


 受け取るつもりのなかった落とし物だったが一度拾ってしまったのだ。投げ捨てることはできない。少なくともノクターナがこう言っている限りは、ノクターナが危険に晒されない限りは。


「――そうですかあ、なら無理にとは言いませんよお。円満に終わらさないのなら方法はいくらでもありますからあ」


「嘘だな」


 急いで部屋を出ようとしたノクターナを止める。


 要求に対価も出さず大した説得もせず、拒否をすればすぐに諦める。そもそも円満に終わらせるつもりがないのは確かだ。そしてメルシュが言うように方法だけならいくらでもある。


「さあどうでしょう。戻った方が良いと思いますけどねえ、ノクターナさん」


 俺たちをニクから離れさせるためならこうして帰るよう催促はしないはず。それに紙切れを渡された朝の時点で計画が完成していたとも考え難い。


 決めつけるには薄い根拠だ。薄いけれど、そう考えた方があり得るくらいには思っている。


「ノクターナ、お願いがある。周りに音が聞こえなくなる魔法を使って欲しい」


「ルドルフ、殺しはだめだと思うの」


「安心しろ、んな物騒なこと考えてない。メルシュと話をするだけだ」


「――それは僕が聞いちゃだめなこと?」


「大丈夫そうなら共有する」


「別に良いよ、僕は」


 ノクターナは何度か杖を振って、そっと背を向けた。


「――信用されてるんですねえ」


「月日が違うからな。それで、何の用だ?」


 メルシュの言動を、ああも執拗に繰り返されれば馬鹿でもわかる。メルシュはノクターナを邪魔に思っている。ノクターナだけを帰らせようとしたり、口が強くなったり。


 それが本心からなのかはわからないけど、ノクターナが気付いているのかはわからないけれど。


「今後、少なくとも帝国を出るまで悪魔憑きには気を付けることをおすすめしますよお。――ノクターナさんには傷付いて欲しくないですからあ」


「同感だ」


 わからないことだらけ。だけどその一言くらいは本当であって欲しいと願う。


「悪魔憑きを見たら速攻で倒すか殺すかをしてくださいねえ。特に私はあ」


「話を聞く余裕くらいある」


「――かっこいいこと言わないで下さいよお」


 そうして、メルシュは口を閉ざす。


 共有すべきなのだろう、共有はしないでおこう。無駄な傷のきっかけにはしたくない。

 ノクターナはメルシュを嫌うべきだ。そして時間が経って三人が笑っていたのなら、その時に伝えられたら。


「ノクターナ、帰るぞ」


 その声に振り返らずただ、何を思っていたのだろうか。


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