悪魔憑きの少女2
多少欠損の目立つ馬車は、やはり乗り心地の悪さを伝えるのだった。石を踏む旅お尻が跳ねて痛い。
気を抜いた状態で大きめの石を踏めば、首は自動的に空を見て思う。ああ、飛行船に乗りたい。
二人がかりによる操縦は魔力切れの心配が少なく、寝る時間を少し長引かせれば成り立つというとても順調なものだった。
「何もしない、ずるい」
反面、そういわれればどうにもできず肩身の狭い思いをしていた。
「そう言えば適当に進んでるけど、ニクは良いのか?金払ってたって話だし、目的地があるはずだろ?」
「ルドルフ、何もしない」
ニクは妙にいじけていた。俺が何をしたというのか。何もしていないのが問題なのだろうけれど。
「僕たちにも目的地はあるけど、寄る余裕くらいはあるよ。ね?」
「お、おう」
「――あった、でもない」
馬車があれば、回り道しすぎなければ本格的な冬の前にたどり着けるだろう。
その曖昧な返事は短い言葉ながら尻すぼみしていて、罪悪感を感じさせる言い方だった。
原因を想像するのは難い話でもないがわからない。何故誰が金を出したか、何故それを蹴ったのか。結論を出すにはまだ早すぎる。
「じゃあ僕たちと来る?途中下車はいつでもできる、無料の馬車だよ」
「――馬車、お姉ちゃんの、違う」
それは彼女なりの答えだったのではなかろうか。
◇◆◇
ガラガラガラ。馬車は進む。和気藹々とした空気を載せて、甘ったるい匂いを載せて。
ガラガラガラ。景色は流れる。みょうちきりんな形をした木を見送ったかと思えば、再び前方から流れ来る。空の傾きがなければループしているのではと見紛う景色を、一抹の不安も知らない連中を載せて。
ガラガラガラ、ガラガラガラ。
そんなのを数日ほど続けていたある日のこと。平穏だった馬車にアクシデントが訪れた。魔法使いが二人もいるこの馬車には無縁のことだけど。
「てい」
「やっ」
「とう」
遠く、少し道を外れた場所。当人たちは至って真面目なのだろうが、そのような気の抜ける掛け声がしそうな動きをしている三人組を見つけた。
剣士二人、銃士一人の三人組は、馬車守るように陣取っている。今度はれっきとした馬車だ、馬も居る。
相対するのは野犬の群れ。いや、狼か?内何匹かは魔物であることが見て取れる。三人組には少々力不足に思えるのだが、殊の外善戦していた。
「怖い、隠れる」
「僕は別に大丈夫だと思うんだけど」
「お姉ちゃん、ルドルフ、知らない」
這うようにしてニクは荷台へと移動する。御者がいなくなったせいで馬車は一瞬制御を失い、ぐらりと揺れた。
「ノクターナ、何とかできる?」
「無理じゃない。でも、馬車と人が邪魔だね。外したら大変なことになる」
「だよなあ――」
俺もこの状況で銃を抜けといわれたら躊躇する。
善戦しているといってもだんだんと距離は詰められているし不利にもなっている。見たところ大きな怪我はなさそうだけれど、その均衡もいつ崩れるか。
「おい、そこの商人!護衛はつけてるか?」
「つけてるなら手伝ってくれ!つけてないなら、こいつらはこっちでどうにかするから早く離れろ!」
「商人?」
「僕たちのことでしょ」
ある程度近付いたあたりで三人組もこちらに気付いたようだ。いや、どうにもできなさそうなんだけど。プロの矜持とやらなのだろうか。
「取り敢えず、外しても大丈夫そうなやつから間引くか」
「だね」
俺たちは銃と杖をそれぞれ取り出す。
近付きすぎてヘイトがこちらに向いても面倒だ。一定の距離を保てる範囲で馬車を止め、狙いを定める。
なまじ数が多いせいで馬車から距離のある個体も少なくない。
呼吸を整える。距離のある標的を狙うのは苦手だ。どうか外れませんように。弾代勿体ないし。
「ばーん」
ヒット。今日は調子が良い、八割くらい当たる。
なんて喜んでいる間にもノクターナは両手で狼を処理して、その数二倍以上。ちょっと哀しくなる。
「んなっ」
三人組の内一人が盛大に驚いていた。そうだろうそうだろう。ノクターナはすごいんだ。
こちらを見た狼は優先的に、外から順番に効率良く。
「あんまり良くないね」
「だな。前線の狼が気にしていない。厄介な魔物は殺し難い場所にいるし――っぶね」
「大丈夫、僕が防ぐから」
定期的に俺たちに向けて魔法を放ってくるし。
数が減って怖気付いてくれればと思っていたのだが、残念ながらそうはならなかった。ともすれば戦闘に参加していないのを倒しただけで、それは何もしていないのと同義だ。
「せめて距離を取ってくれればね」
いざとなればどうにでもできるが、リスクは極力取りたくない。三人組が怪我をするリスク、ノクターナが怪我をするリスク。
狼が囲むど真ん中に飛び込めば三人組を無傷で救出することも可能だ。けれどそれをするくらいなら俺はここから撃って三人組には怪我を覚悟してもらう方を選ぶ。
なんて考えながら間引いている間に、一匹の狼が痺れを切らして剣士の背中へと飛び付いた。
「あっ――」
誰も反応できない。あの距離では自分の攻撃が剣士の心臓を穿つ可能性を考えて撃てない。
狼の爪が届いて、けれど辺りに悲鳴が轟くことはなかった。
「ニク、やる」
狼の頭はストンと呆気なく落ちて、悲鳴の代わりに血飛沫が轟いた。
シートから顔だけを出したニクは、キャップをぎゅっと握って深く被って、不可視の刃で狼を片っ端から倒していく。抵抗の暇も与えず。
「僕の杖使う?」
「いらない」
そうだ、ニクはこれを杖による補助なしでやってのけてるんだ。
「悪魔憑きが人より優れているとは聞いていたが、まさかこれまでとは」
「その名、呼ぶな」
狙ったものは絶対に外さず、狙ったもの以外は傷付けない緻密な魔法。それは、魔法使いでない俺でも美しさを感じる代物だった。
「お、おい、あれ」
「悪魔憑き――」
「だ、だよね。食べられたりしないよね?」
「大丈夫、なはず」
「でも、じいちゃんが危ないから関わるなって」
「でもほら、俺たちを助けてくれただろ?」
「助けた後に食べるためなのかも」
「だ、大丈夫だって。それに、お礼しない方が失礼じゃん」
「でも――」
「悪魔憑きじゃない普通の人も居るみたいだし、な?」
ひそひそと、三人が内緒話をしているのがわかる。あの会話もニクには聞こえているのだろうか。
「あ、あの!商人さん、ありがとうごさいました」
「うん、どういたしまして」
「商人さんたち、強いんですね」
「あの、因みにその子って――」
「おい、やめろ!すいませんね、あはは」
ぺこりと今一度お礼を告げて、三人組は馬車へと戻った。
僅かに震えた手、腫れ物に触るような表現、奇っ怪なものを見る目。昔からあった悪魔憑きへの差別は、今も形を変えて存在しているらしかった。
「これ、嫌い」
再び荷台に隠れて縮こまるニクの、俺は頭に手を置いていった。
「――そうだな」
◇◆◇
季節が進むにつれて昼の時間が短くなり、手が薄っすらとかじかむ時間がやってくる。俺たちは吐息で掌を暖め、擦り合わせるを繰り返していた。
焚火の前、マフラーで繋がれたノクターナとの間にニクが座り、加わる。マフラーが引っ張られて苦しいのだが、ノクターナが満足顔なのだからやるせない。
「ニク、そんな服で寒くないか?」
寒いといわれても渡せるものは多くないけれど。
「尻尾、あったかい」
そういって、抱きしめた尻尾の先をちらちらと動かして見せる。
ふと気になってニクの耳を触ってみるが、もふもふなだけで暖かくはなかった。そんな俺の手をニクは不自由そうに見遣る。
「ルドルフ、寒い?尻尾、いる?」
「いいのか?尻尾って結構デリケートなイメージがあるんだけど」
「ルドルフ、わがまま」
ふわりと動いた尻尾が膝に置かれ、それから暖かさが伝わる。抱きしめられるほどの長さはくれなかったけれど、撫でているだけでも十分にかじかみは和らいでいく。
「ルドルフ、手つき、卑猥」
「そんな訳ないだろ。変なこと言ってないで野菜も食え」
野菜とは良くいったもので、食べられる野草を適当にむしってきたものが大半だ。正直、美味しくない。美味しくないが、ニクを見ていればそういわなくちゃだめな気がしてくるのだから、不思議だ。
「ニク、肉好き。それ、まずい」
「もしかして、ニクの名前の由来ってそれだったり――はないか」
「ちがう、秘密」
数少ないれっきとした野菜をニクに渡す。不満といった様子で食べ進めていた。
仕方ない、尻尾のお礼だ。俺の分の肉も、こっそり渡しておくとしよう。
「なんだか、僕とルドルフの子どもみたい」
「それこそ、そんな訳ないだろ」
「ふふっ。そうだね」
焚火の音を聞きながら、漠然と空を見上げる。俺たちの関係は何でもなく、ただそれが心地良い。だからこそなのだろうか。馬車を二つ挟んだ先、二つ目の焚火から聞こえる声が煩わしく感じるのは。
噂話。俺とノクターナがどうとか、悪魔憑きがどうとか。悪口ではない、差別でもない、ただの好奇心による発言。けれどそれが煩わしい。
「お姉ちゃん、ルドルフ、質問」
「ん?」
「どうしたの?」
「あいつら、いつまで居る?」
思考を読まれたようなタイミングでどきっとする。
「明日までだな。馬を休ませる必要がない分こっちの方が早い。今日が特別なんだ」
「ニクちゃんは嫌なの?」
「いや。きらい」
「どうして?」
「ニクと、ちがう。差別する」
当然というべきか、ニクにも聞こえてしまっていたらしい。差別なんて言葉は知らなくて良いのに。
「僕もルドルフもニクちゃんとは違うよ。尻尾も、大きな耳もない」
「お姉ちゃん、差別しない。ルドルフ、悪魔憑き、言うでも、差別、ちがう。ニク、助けた」
「助けたって、あれはニクの自演だったんだろ?」
「関係ない。昔、家、なくなった」
話の前後関係が見えてこないけれど、いわんとしていることはわかる。家がなくなったのは差別されていたからだと言いたいのだろう。
出会ってたったの数日ではその言葉の重みを理解できない。どんなことがあったのか、その全てを俺たちは知らない。
「ニクは僕たちに助けられて、彼らは僕たちに助けられた。一緒なんだよ」
「いっしょ?」
「そう。僕たちに助けられたから、僕たちと一緒に居たいの。ニクちゃんもそうでしょ?だからそんなこと言わないで」
「――そうかも」
同じだというには余りに暴論だけれど、これで良いとも思う。せめて今くらいは楽に過ごして欲しいと思うのは、ノクターナに影響されでもしたのだろうか。
「じゃあ、ずっと、いっしょ!」
その無邪気な言葉に、応えられるとは思えなかったけれど。




