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そしてまた、この地へ  作者: 朱殷


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悪魔憑きの少女1


 帝国は内陸国である。即ち港は存在せずそれは交易においてかなりの不利で、船を出すには一度従属国を経由する必要があった。


 自然的な河川を伸ばし整備し作り上げた運河はそんな歴史を大きく変えたが、その国土全てを網羅するには到底届かなかった。そんな帝国を支え産業の発展に一役買った存在は何か。


「何あれ、見たことない――」


「それも仕方ない。あれは帝国が誇る門外不出の技術だからな」


 ノクターナの瞳を初めて空を見た子どものように輝かせ、無関係なルドルフをドヤらせる存在は何か。そう。


 飛行船である。


「あんな大きいのどうやって飛ばしてるの、魔法?科学?僕にもできる?」


「俺も詳しくは知らんが、その両方だな。軽い空気と燃料、魔法での増幅と制御で成り立ってるらしい」


「――それ、言っちゃって大丈夫なやつ?」


「だめだな」


 俺たちの会話なんか他の誰も聞いてはいまい。


 飛行船は人や物資を載せて遥か上空を飛来、そして遥か彼方へ。それは帝国の技術力の塊で、それは帝国民の日常でもあった。


「それに比べて僕たちは。あーあ、僕も乗りたいなあ」


「諦めろ。一般人には高すぎる」


「僕高いところ行けるよ」


「値段の話だ」


 ノクターナはちぇーっとわざとらしく不貞腐れる。


 技術を他国に盗まれないように、人が乗るときには莫大な税金をかけているのだ。確かに早くて便利だが、目がくらむ桁の数字を見せられたらその気も失せる。


 とはいっても帝国は広すぎる。都市と都市の間に小さな国がすっぽり入ることも珍しくない。徒歩での移動も不可能ではないが、足が欲しいところだ。


 まあ、今は徒歩だけれど。


「だって見てよ僕の脚、みるみる太くなる。可愛そうだとは思わないの?」


 ノクターナが脚を指差して、なんだか見てはいけない気がして目を逸らす。


「まあ何だ、次からは乗り合い馬車でも使うことにする。急がなきゃな理由もあるしな」


「雪?」


「ああ」


 冬がすぐ近くまで近付いている。それまでに、せめて大きな都市には行っておきたいのだ。


 冬が来れば当分、悪いと来年の冬まで一切の身動きが取れなくなる可能性がある。それを辺鄙な街でそれを過ごすのはごめんだ。


「何でもっと前から使わなかったのさ。まさか、筋肉質な脚が好きだったり?」


「遅いんだよ、金の割に」


 人が少なければ高くなり、多ければ遅く窮屈になる。多少の楽のために払うのは釣り合わない気がする。


「ふーん。何でも良いけどね」


 そんな実のない会話を交わしつつ俺たちは歩く。


 飛行船が去ってさえしまえば見どころなんて何もなく、開けた原っぱは寂しく鳴いた。


 風が吹く。匂いを運ぶ。嗅ぎ慣れた草の匂い、ずっと遠くから漂う工場の臭い。

 意識を集中させてやっとわかる程度の中、嫌に際立った匂いがあった。


 それは甘ったるく爽やかな果物の匂い。混じって、風情ある果物の匂いを潰す香水の匂い。


 ガラガラガラと背後から引きずような音がして、俺たちはぼぼ同時に振り返った。


「ノクターナ、あれが馬車だ。因みに乗り心地は最悪」


「気が滅入るようなこと言わないでよ」


 馬車と一口に言っても、馬以外が引いているものも少なくない。勿論馬が引くことが多いけれど、犬が引いたり人が引いたり。


 それは帝国でよく見る、魔法で動かすタイプの馬車だった。


「――おかしい」


「もしかして知らないのか?」


 先のご高設をしてやろうと意気込んだのだが、ノクターナに片手で止められた。


「知ってる。あの馬車の御者台が見える?」


「ああ」


 着実に近付きつつある馬車は後に大きな荷台を付け、御者台に男が不機嫌そうに座っていた。俺たちを睨んでいるようにも思える。


「あの男、魔法使いには見えないんだ。僕と同じタイプの人なのかもしれないけど――」


 続く言葉は何だったのか。それは馬車の男にかき消されることになった。


 道の真ん中を走っていた馬車は一度よろめき、急激に横へと舵を切った。ぐわんと揺れ、俺たちに衝動せんと接近してくる。


「おい!何してんだ、ちゃんと走れ!」


 焦った男の怒号が響く。うるさくて耳を塞げば馬車はもうすぐそばにあって。


「ノクターナ――っ!」


 残り数センチのところで動きを止めるのだった。


 ああ甘ったるい匂いの正体はこれかと、大きなシートで覆い隠された荷台を見遣る。


 シートの膨らみ具合から察するに男は行商人のようだ。果物は潰れていないと良いけど。


「危ねえだろ!商品に傷が付いたらどうしてくれるんだ!」


 男は御者台を降りて俺たちを怒鳴りつける。相当頭にきているらしい。顔は茹でダコのように赤く染まり、行き場のない怒りから地団駄を踏む。


 このくそ老害、どうしてやろうか。――いや、もっと良い方法がある。歩き詰めでちょっとお腹空いてたんだよな、俺。


 無言で杖を取り出すノクターナを他所に、じりじりと俺は馬車の後方へ。

 そんな俺の動向も露知らず、男の言い分はヒートアップしていた。ノクターナには悪いけれど、実に都合が良い。


 馬車の後方、荷台。男がこちらを振り向かないよう確認しつつシートの中へ手を入れる。


 暖かい果物、毛が生えた果物、チクチクして掌が痛くなる果物。さてはてどれにしようか。今だけは手触りだけで果物の種類がわかる魔法をかけてほしい。


「ノクターナ」


「うん?ああ、ちょっと待って。多分そろそろ終わるよ」


 果物を掌に掴めるだけ掴んで、自分の後でそれを隠す。


 ノクターナならばもっと数を拾えたのではなかろうか。役回りを間違えたかもしれない。


 そうこうしているうちに男の熱気も和らぎを見せ、ここを去ろうかとしている頃だった。下手に刺激して再点火しないよう俺は明後日の方向に視線を向ける。


「もう二度とすんなよ」


「それは僕たちの台詞なんだけどな」


 ノクターナの呟きは届かず、ガラガラとうるさく音を立てていた。


「犯罪は良くないよ、ルドルフ」


「迷惑料だと考えれば安い方だ」


 くすねた果物を一つノクターナに投げる。皮を剥いて食べればそれ特有の酸味があり、久々の甘味が頬を溶かす。


 皮のゴミ、どうしようか。


「手に持ってるの、それ何?」


「ああ、これか?多分蜜柑だが、すまんな。柑橘類は見分けが付かなくて――」


「そっちじゃない。逆」


 生憎果物には精通しておらず、果物の種類を知ってどうするんだという疑問もあって、執拗と呼べるくらいまじまじと眺め気付く。


 五つほどある、指の長さほどの果物の隙間に細長いものが挟まっていた。


「動物の毛?いつの間にこんなものが」


 長い一本の毛。果物と指の間をするすると通り、風に吹かれ飛んでいく。


 それを目で追って視界が青でいっぱいになったとき。掲げられたノクターナの杖は道の向こう進行方向へと向けられて、その先では氷柱に貫かれ破損した馬車があった。


 何故、何があった?見ていなくとも状況証拠が教えてくれる。


「ノクターナ、いくら苛ついてもそれはだめだ。越えちゃいけないラインってものがある。早く逃げるぞ」


 罪を決めつけたと反省しつつ、しかし問答をしている時間が惜しいと焦る。腕を引く。


 ノクターナはその手を拒み振り払った。一歩も動かずに焦らずに。


 ノクターナの瞳に浮かぶのは怒りでも諦めでもなかった。ただ冷静に俺を見つめる。


「ごめん、手が滑っちゃった」


 それはどこか確信めいた声色だった。


 視線を外して、道の先。壊された馬車にもぞもぞと動く影が一つ。


 頭から生えた胴体ほどの大きさがある二つの耳はてっぺんで折り曲がり垂れ下がっている。身体よりも長いと見える尻尾は器用にうねり、馬車の破片と果物をどかす。


「悪魔憑きだね」


 そう呼ばれる、人間と獣の両方の特徴を持った少女は、一糸纏わぬ姿で果汁を浴びていた。


 耳を含めてノクターナと同じくらいになる身長の少女は、尻尾で大事なところだけを隠して俺たちを睨んだ。


「その名、呼ぶな」


 口の動きから察するに、そういったのだろう。


「あ――」


「ルドルフは見ちゃだめ」


 再び開いた口を読み取ろうとすれば、突然の暗闇によってそれを遮られた。


 ノクターナの両手の指が目を覆い、隙間から入る光でその形を感じられる。


「天使かと思った」


「確かに天使ってよく裸で描かれてるけどね、その表現はどうかと思うの」


 少しばかり引かれたような声色だった。


 俺は振り返り少女を背にして、ようやく視界を返された。ああ、空が綺麗だ。


「大丈夫?怪我はない?ごめんね、乱暴しちゃって」


 悪魔憑きと呼ばれるようになったのは最近のことだ。何でも、世界最大の宗教がそう呼びはじめて、それが定着してしまったらしい。


 昔はむしろ神の遣いだとかいわれることもあったそうだ。一部の魔物や動物を神とする宗教もあるのだから、自然な流れだろう。けれども、近年淘汰されつつあるのも事実だ。


「そっか、良かった。僕はノクターナ、あっちはルドルフ。危害を加えるつもりはないから安心してくれると嬉しいな」


 薔薇の香りは名前が変わっても変わらないなんて言葉があるが、この場合はそうもいかず悪魔憑きは石を投げられる対象となった。俺が見てきた数少ない悪魔憑きの中でも、不自由ない生活を送っていたのは一人だけだったか。


「うん、はじめまして、ニクちゃん。取り敢えずこれ着てくれる?ぶかぶかだし寒いかもだけど」


 表立った差別は行われていないけれど、お金持ちと貧乏人は往々にして傲慢なのだ。身の丈にあった幸せを持たないから誰かを攻撃する。


 因みに、悪魔憑きはただの人間よりも能力において優れていることが多い。

 因みに、悪魔憑きになる原因はわかっていない。様々な憶測が飛び交ってはいるが、少なくとも科学的な根拠はない。


「ルドルフ、もう良いよ」


 呼ばれて振り返れば、上着だけを羽織ったニクが嬉しそうに耳と尻尾を動かしていた。小さな彼女には十分なのだろうが際どさも感じる。


 マフラーは俺とノクターナのものなので渡せず、これまたぶかぶかなキャップを被せた。ふむ、ちょっとマシになった。


 だというのにニクは不満らしく、かわいらしさの全くない表情で俺を睨みつける。


「えっと、果物食うか?」


「馬車、いっぱい、食べた」


「ま、当然だな」


「でも、もらう」


 ニクは駆け足で食べかけの果物を取って、ノクターナのそばへと戻っていった。去り際のニクは笑っていたように思う。

 ノクターナとは違いなぜかマイナスから始まった好感度は多少良くなったのだろうか。


「あいつ、生きてる、殺す?」


 何を物騒なことをと思えば、馬車の影を指されて忘れていた一人の男のことを思い出す。


 その男は丁度タイミング良く、全員の注目が集まった状態で馬車に体重をかけて起き上がった。


「ったく、それはなしじゃないっすか。チンピラみたいに運べって言ったのはそっちでしょうよ」


「知らない、存じない」


 ニクは盛大に目を逸らしていた。


「こっちも仕事だしお金貰ってるしである程度は許しますけど、殺すのは違うくないっすか?」


「ニクちゃん?説明してくれるかな?」


「ノクターナ、笑顔が怖い」


「被害者、都合良い」


 悪びれることもなく、サムズアップしてみせたのだった。結果を見れば強ち間違いではなかったのだから殊更たちが悪い。


「ああそうっすか。こっちは帰らして貰いますよ」


「馬車、運転、むり。できる」


 ニクは御者台に座った男と自分を順番に指さした。


「そうでした忘れるところでした。歩きますよ数日くらい」


 男は踵を返して俺たちがやって来た方へと、不満たらたらな様子で去っていくのだった。


 乗り合いになるつもりが不意に手に入った専用の馬車と運転手。ほんと、結果を見れば間違いどころか正解まであるのだから、殊更たちが悪い。


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