帝国
コツコツと、俺一人の足音が真っ暗闇に響く。
だだっ広い大地には目を引くものの一つもなく、木々が無表情に乱立している。家屋どころか人や獣の気配すら全くしない静かや道。けれど歩き易いよう整備はされていて、何ともアンマッチな光景である。
前後左右どこを見ても代わり映えしない景色を、俺はノクターナが残した光を頼りに、風に揺れる葉を背景音楽に雑草を踏みしめていた。
「ルドルフ――」
ノクターナが耳元で吐息混じりに呟く。
これに反応して、眠るノクターナを起こしてしまったのがつい先程。俺はずり落ちそうになるノクターナを背負いなおした。
両腕を首に回し背後から抱きつかれ、全体重を預けられる。そんな状況が嬉しくて心地良くて、俺はずるずると休憩までの時間を伸ばすのだ。
ノクターナの眠りにも悪いとわかって、けれどもう少しだけと思う。先程からずっと、これからも。多分、ノクターナが起きて叱られるまでは。
しばらくすると、小屋のようなものが見えてくる。検問所のようなものだ。
辺りを山で囲まれている訳でも高い壁がある訳でもなく、平地にポツンと存在するそれ。素通りするのは簡単で実際に素通りしても問題はないのだが、街での手続き易化のため大体の人が通る特殊な小屋だ。
「こんばんは、夜分遅くにお疲れ様です」
そちらこそと口パクで伝えれば、その意図に気付いたようで男性は小さく会釈をした。
小屋に入ると男性は折りたたみ式の椅子を二つ出してくれる。小屋の中で寝ていたもう一人の男性を起こしてしまって、そういうシステムだとは知っていても申し訳なくなる。
「ほらノクターナ、起きて。一瞬で終わるから」
「――ん?あー、おはよ。一瞬ならやってくれれば良いのに」
「そう言う訳にはいかないの。知ってるだろ?」
「ちぇーっ」
ノクターナを椅子に座らせて、もう何度目かの書類に目を通す。
これから入る国を自由に歩くために必要な書類だが、どこの国も似たり寄ったりだ。何枚にも及ぶくせして書くべきところは少なく、ノクターナはすぐ机に突っ伏した。
「文字、読めるんですね」
「読み書きができる奴なんて珍しくないだろ?こんな仕事してるんだったら殊更」
「それはそうですけど、大体旅一座とか大人数の団体とかで、お二人みたいな旅人には珍しいんですよ」
適当に読み進め、適当に書く。本来こういう名前の残るものにはしっかりすべきなのだが、早く国境を越えたかったのだろうと思う。
「ノクターナさんとルドルフさん――ですね。了解です。因みに帝国は初めてですか?」
「いや、大丈夫だ。昔住んでいた」
「でしたらもっと楽な方法もありましたのに――」
「まあ色々あるんだ。旅人として処理しておいてくれ」
男性は書類を確認して棚へ片す。
自分で歩くつもりのなさそうなノクターナに、また背負わなければならないのかと見かけばかりの落胆を示して、両手を広げるノクターナをおぶう。
「俺、最近中央から配属されて来たんですよ」
小屋を後にしようとすれば突然、男性が左遷を告白してきた。
「その、違ったらごめんなさいなんですけど。ルドルフさんってお金持ちだったりしません?例えばご家族が貴族の方だとか――」
「――別に同じ名前の奴は珍しいことじゃない」
「そうですよね、すいません。では、良い旅を」
小さく会釈と感謝を告げて、俺たちは小屋を出る。
この夜、俺たちは帝国への国境線を越えた。
国境を越えたからといって景色が変わる訳じゃない。暗闇は暗闇で同じ草木が繁殖している。
けれど確かに、俺の心には大きな何かを与えるのだ。
「ただいま」
意図せず言葉は溢れる。故郷まではまだ遠い。
「ね、ルドルフって貴族だったの?」
「昔な。今はどこにでも居る旅人だ」
◇◆◇
帝国。それは俺が知るかぎりでは最も多い人口を有し、それを囲えるだけの土地を持つ、誰もが認める大国である。
魔法技術はさることながら、科学技術にも優れ多くの銃火器はこの国で生産されている。それに対抗できなかった国々は、帝国含む大国の傘下か被食かの二択を迫られ、多くは礎となっていった。
そんな大食漢も近頃は鳴りを潜め、自国の制御のため東奔西走しているのだった。
「ルドルフ、あれ見て」
「ん?ああ、警官だな。どっかに治安強化ウィークだかセンチュリーだかのポスターがあった」
「イヤーだよ、ルドルフ。――にしても期間長すぎない?」
「まあ、治安がな」
絶望的に悪いというほどじゃない。ただ周りの国々と比べて悪いのは確かだ。
大量の人口、それがあっても賄いきれない広さの土地。あくせくしていれば増える移民に観光客。彼ら彼女らはまた新たな問題を持ち込んでくる。
そんな訳で、とにかく大変なのが帝国の現状なのだ。
「理由なんてどうでも良いの。大丈夫?僕たち捕まらない?」
何がそんなに恐ろしいのか、ノクターナは俺を盾のように警官との間にしてぎこちない振る舞いをする。
「逆に何で捕まるのさ。俺たち犯罪してないだろ」
「へ?僕たち密入国じゃなかったの?」
「はあ?」
ノクターナのそんな突飛なささやきに声が大きくなってしまって、睨みを効かせてきた警官に仕草だけで謝った。
「先週入国のときに書類書いただろ。もう忘れたのか?」
「や、だっていつもならすぐ休んでたのにあんな夜逃げみたいな時間だよ?てっきり非正規なのかと――」
「それでも良かったが、この国は長居する予定だからな」
「え――、それほんと?僕嘘書いちゃったんだけど。もしかしてまずい?」
「なんで嘘を――」
ノクターナは頬を引き攣らせて挙動不審になった。怪しまれるからそれやめてくれ。
嘘の理由を聞いてみたけれど、理解できなくもない。ノクターナもこの生活に慣れてきたということで、それは良くない傾向だった。
嘘を続けていればだんだんと嘘を吐くことを何とも思わなくなり、そして嘘を吐かないことが恐ろしくなってくる。俺がそうだ。ノクターナをそうしたくない。
「長居と言っても数ヶ月だ。デカいことやらかさなきゃ大丈夫だろうよ」
「よかった――」
「でも、嘘は辞めような」
極力。
そうでないと、ノクターナが戻れなくなってしまう。
「うん」
素直なノクターナのことだ。これで当分は大丈夫だと思うが、何か対策を考えておかなくては。
嘘を咎める魔法とか、嘘を吐かなくて良いように俺が全ての受け答えをするとか。――どちらも、今の俺では手に余る。
やっぱり早く帰してやるべきなのかもしれない。ノクターナは急かしてこないけれど、帰るときを待ち望んでいるはずなのだ。俺がそれに甘えて色々と理由をつけて、長引かせているだけで。
城に帰れるか否か。着実に運命のときは近付いている。断られたら方法は考えるが、一番確実な手段が距離にしてそう遠くない場所にある。
最低限の準備はもう済ませておくべきだ。
「ノクターナ――」
「すみません、観光客の方ですか。こちら治安強化イヤーと言うことでお話を聞いて回っていまして。少々お時間頂けますか」
二名の警官が警察手帳を開きながら詰めてくる。二人の目には俺たちが不審者に見えていることだろう。笑顔が怖い。
下手打って嘘を書いたことがバレるのはまずい。調べられるのはもっとまずい。
「ノクターナ、前言撤回」
何でもいってこの場をやり過ごそう。今より嘘を解禁する。




