神隠しに接吻と抱擁を3
顔を背けて僕らは確かに目を瞑る。暗闇が眠るには早いことを忘れさせる。
今僕の瞼の裏には誰が映っているのだろうか。ルドルフ、家族、城の使用人、旅路で会った一期一会の彼ら彼女ら。今背中を暖めている少女か、それとも誰も映っていないのか。
僕にしかわからず僕にもわからない。
ルドルフであればいいなと思う。僕はそれほど薄情じゃなかったことになるから。
ルドルフでなければいいなと思う。忘れてしまえるのは何よりも楽だから。
「ノクターナさんってどこから来たんですかあ?」
曖昧に巡る僕の思考を遮るように、メルシュちゃんが呟く。妙に間延びした話し方はおちゃらけた印象を与え、けれど今ばかりはその鳴りを潜めていた。
返答しようかと一拍悩んで、存外眠たくないことに気付いた僕は口を開く。
「メルシュちゃんは僕に興味があるの?」
「興味とは少し違いますけどお、知りたくはありますよお」
それを興味といわずして何と呼ぶのか。上手く言語化はできないけれどわかるような気がした。
「――ずっと南の小さな国。実は僕お姫様だったんだよ?」
「かわいいので納得はできますう。冗談でしょうけどお」
この辺りで僕の国を知っている者はほとんどいないだろうという油断が僕の口を滑らせる。過去の栄光をひけらかして良いことなんて一つもないのに。
幸いメルシュちゃんは変わらないトーンで語尾を伸ばすだけだった。
「面白いものなんて何もない、つまらない国だったよ」
だから自主的に出たのだと思われたかったのだろう。けれど返答は沈黙で、僕は郷愁に傷付けられる。
「――そうでもないと、私は思いますけどねえ」
「うん。僕もそう思う」
帰りたかったなあ、帰れないなあ。なんて。
「南からってことは、北に何か見たいものでもお?」
「あったけど、行き方がわからなくなっちゃった」
人任せになりすぎていたことを今更ながら後悔してみる。
城を出てからの全ての選択をルドルフに任せて、僕は右に倣えで。状況が状況だったけど、だからこそ、僕はルドルフを手放さないようにしなければならなかったのだ。
「二度目があっても同じ過ちを犯すと思うけど」
多分、きっと。
それほどまでに僕はルドルフを盲目的に信じていた。そして期待していた。薄っぺらく感じるそんな言葉を。
今でさえ僕はこんなどうしようもない僕を、突発的にやって来て連れ去ってはくれないかと願ってさえいる。
そして僕はいうんだ。おかえりって。何度も。
「それがあの男だと言うことですかあ、私も悪いことをしましたねえ」
「うん?メルシュちゃんルドルフのこと知ってるの?」
「あー、お二人で居るのを見かけましてえ」
「ルドルフを見かけるのがあと一日遅かったらなあ」
「――」
たらればだからいえることだ。ルドルフが出て行くのを知っていた時、僕は彼を止めていたか怪しい。多分止めないだろう。僕は何かと理由をつけて知らなかったフリをするんだ。
「ところで、悪いことをしたって言うのは?」
「聞こえてましたかあ、仕事の話ですよお」
「仕事?」
「人には言えない仕事なんですよお」
あまり言及するなと告げられる。メルシュちゃんの隠し事。それがルドルフと何の関係があるのか――いや、今の僕が気にすべきことではない。
関係があったからといって何なのか。僕がメルシュちゃんを懲らしめるだけだ。それ以外何も変わりはしない。ならば知らなくて良い。知りたくはない。
「もしその男が今ここに現れたらどうしますかあ?」
「――質問の意図がわからないかな」
「深く考えないで下さいよお。ただの雑談なんですからあ」
もしもルドルフがここに現れたら。それは一度通ったことのある思考の道で答えは考えるまでもなかった。
「僕はそのまま連れ去られて、時を見て事情を聞く。それが――」
「その男の行動なんかどうでも良くて、私はノクターナさんのしたいことを聞いてるんですよお」
言葉に詰まる。
僕はその問いに対する答えを持っていなかった。僕がどうしたいのかなんて。
僕は城に帰りたい。だからルドルフに頼るのが一番で、今までもそうしてきた。次もそうする。
――ああ、人はこうして同じ過ちを繰り返すんだなと。
「僕はルドルフが来たことに喜んで、そして、逃がさないように――」
「抱き着いて、接吻でもするんですかあ」
苦し紛れに吐いた言葉の先を綴られれば、きっと僕はその通りにする。大切にしなければという一心で。
けれどそれは先の回答と本質的に何も変わっていなくて。
「わかっていると思いますけどお、その感情は恋でも何でもなあですよお」
適切な言葉を見つける前に、そう切り捨てられた。
そのくらいわかっている。
「依存でしかないんですよお」
依存。ただの依存。好きとか恋とか、そんな美しい言葉ではないのだ。
必要だから求める醜い依存。なくなれば喚くことしかできない醜い依存。喚いて他を探す醜い依存。
「まあ、理解した上で利用するなら別に良いと思いますけどお」
それは、一瞬の拒絶だったのではなかろうか。
◇◆◇
夜が始まろうかという頃。すーすーと寝息をたてるノクターナに不用心だなあと思いつつ、メルシュはその髪を撫でる。
夜空のような髪は見た目ほど綺麗ではなく、良くいえば旅人らしいベタつきがあった。風呂くらい入れてから眠らせれば良かっただろうか。
とても勿体ないことをしたと思う。同時にそれが解消されるべきは今ではないとも思う。ノクターナにはまだ旅をしなければならない理由がある。それを阻むのは本懐ではない。
せめてものというやつでメルシュはノクターナの髪を梳る。さらさらと素直に解かれ、その様はどこぞのお嬢様のよう。穢したさと守りたさが混在していた。
ああ、どうしてこうも不用心なのか。むしろそう振る舞っていると考えた方が妥当なほどに。
余程周りのガードか硬い生活を送ってきたのだろうとメルシュは推測する。ルドルフとかいう男のせいか、忌々しい。羨ましい。まあ今更何を思えど返すのは確定しているのだけれど。
「彼を取るつもりはなかったんですよお、ノクターナさん」
ノクターナの頭をふとももに置いて、メルシュは呟く。あわよくば空寝であることを願って、聞かれていないことを願って。これは自己満足の贖罪だ。
ごめんなさい、ごめんなさい。また会えますように。次はもっと健全な関係で。そうはならないのだろうけれど。
「ルドルフ――」
寝言のようにうわ言のように、ノクターナの口が動く。先程からこればっかりだ。何度もとなれば申し訳なさよりも嫉妬心が勝つ。このまま奪い去ってしまおうか。
メルシュはノクターナの頬をそっと撫でる。表情を溶かす。
これが本当の最後。どうか彼女の旅が順調なものでありますように。メルシュはさよならを告げる。再会を祝う。
メルシュは無防備に晒されたノクターナの寝顔を満足がいくまで眺め、部屋を出た。
ただ独り寒くなったベッドでノクターナは寝返りを打つ。暖かさを求めて代わりに布団を抱く。
そうしてノクターナの知らぬ間に一つの物語が終わった。一日にも満たない物語は何のエンディングを迎えることもなく、水面下のまま。
時が流れた。月が回った。身体に刻まれた目覚まし時計は睡眠時間に忠実で、夜の真っ只中にノクターナは目覚めた。
「ねぼすけさんですねえ」
妙に間延びした話し方を下手くそに真似した男の声で。
「ルドルフ――?」
「おはよう、ただいま」
一滴の涙がメルシュの枕を濡らした。




