神隠しに接吻と抱擁を1
某日、朝。初雪が去って本格的な秋が訪れようとしている頃のこと。硬いとも柔らかいともいえない微妙なベッドの上で僕は目を覚ました。
一人用の狭いベッドに二人詰めて寝るのは最近になって慣れてきた手法なのだが、今日はベッドか広く思えた。
今日は早起きだね、と体内時計がいう。季節外れの暑さのせいもあるのかも。
ルドルフはそんな僕よりも先に起きていたようで部屋にはいなかった。
「ちぇーっ」
誰に宛てるでもない文句を溢す。
昨日の疲れがまだ取れていないらしい。伸びと欠伸を同時にして、布団から出る。カーテンと小窓を開け狭い部屋に光と風を入れると、鬱々とした空気が流れるのを感じる。
まだ太陽は昇り切っておらず、薄暗い光では眠気覚ましに不十分だ。
この辺りは雪の影響が少なかったようで、溢れんばかりの紅葉が広がっていた。赤や黄に色付いた葉が舞って絨毯を作っている。
もう何日も見ている景色だとはいえ、城は常緑樹ばかりだったこともあって、当分は新鮮さが消えそうにない。
僕はこの感動をルドルフと分かち合えなかったことを思い出す。そういえば、ルドルフの故郷がこの辺りにあるといっていた。きっと見慣れた景色だったのだ。
――ルドルフは何故城にやって来たのだろうか。もうかれこれ半年以上、一周年も見えてくる頃合いだというのに、僕は彼の何も知らない。
僕はベッドの隅に座って、あわてて乱れていた寝間着を正す。
独り、暇な時間。二人でいることが多くなってそれが心地良いと思っていた僕は、独りの過ごし方を忘れてしまった。城では一人でいることの方が多かったのに。
僕はどうしていたんだっけ。
暇を誤魔化すように、僕は荷物の整理を始める。
とはいっても朝が早いのはいつもわかっていることで、態々荷物を開かない僕らにはほとんど不必要なことだった。
申し訳程度に残っていたお菓子を口に放り込んで、僕は枕に頭を預ける。
「あーあ」
ルドルフはいつ戻ってきてくれるのかと意図せず思ってしまう。
時刻は朝。出立の時間は決めていないけれど昨日はもう外を歩いていた頃だ。
「もし――」
何故だろうか。さよならはいったはずなのに脳裏にはショールの顔が浮かぶ。
二百年の月日とたったの数十分。おこがましいけれど比べてしまう。もしもルドルフが帰らなかったら、なんて。
あり得ない話でもない。僕は城に帰らなきゃで、そこにしか居場所はなくて。お母様に何かの間違いだといって、また元通りの毎日で。僕にはそれしかない。
けれどルドルフは違う。彼はこの先に故郷があって居場所もある。城にだって自分のツテで帰れて、帰る理由もない。
根本的に立場が違うのだ。僕にはルドルフが必要で、でも彼には僕は必要ない。捨てられても不思議じゃないし、文句だっていえない。
「はは――」
乾いた笑いと湿った涙が一緒に流れる。
知らなかったな、僕ってこんなに重い女だったんだ。
たかが数十分、捨てられたと決まった訳じゃない。ルドルフが何もいわずに出ていかないと信じている。信じているはずなのに。
「駄目だな」
笑わないと。涙を拭う。
「僕は」
ルドルフが戻ったら、何泣いてんだって笑われてしまう。
「本当に」
赤く腫れただろう目を隠すために化粧道具を取って、けれどそんな気分にもなれなくてベッドに身体を埋めた。
時間は刻々と進む。秒針が頭の中を反響する。そんな現実から逃れるように僕は耳を塞いだ。
「あの、すみません。そろそろ――」
扉の向こうから声がした。僕は身体を起こして鞄を持つ。
チェックアウトの時が来た。僕は独りになったのだ。
◇◆◇
某日、未明。それは動物的な勘だったように思う。俺は不意に目が覚めた。悪夢でも見たように身体をうねらせて上半身が持ち上がる。息は荒く途切れ、額を流れた一滴の汗を拭う。
昨晩は窓も閉めずに眠っていたらしい。窓から入る冷えた空気が火照った身体を冷やし、夢の中身を忘れさせた。
俺が派手な起床を演じたというのに、幸いノクターナに影響はなかったようだ。隣ですーすーと呑気に寝息を立てていた。枕に広がる髪を触りたくなるが抑え、ベッドを揺らさぬよう静かに降りる。
不用心にも開いたままの窓から外を眺める。道は街灯で多少明るいが家々に灯りはなく、恐ろしいくらいの無音だ。
二度寝――はできそうにない。時間を考えればそうすべきなのだろうが、すっかり目は冴えてしまった。
窓を閉めてベッドを背もたれに座る。そういえば、いつか旅の途中で本を買った気がする。何でも各地のちょっとした伝説を集めたらしい。表紙の秀美なイラストとセールストークに押された懐かしい記憶が蘇る。
本を探して鞄を漁ると、奥の方に追い遣られていた。買ったは良いものの読む機会がなかったのだ。偶にはこうしてみるのも良いかもしれない。
ノクターナを驚かすだろうか。それを見てみたいと思うのは性格が歪んでいるのだろうか。
いくつか見聞きしたことのある話もありながら読み進めていると、窓に物が当たる衝撃があった。コンコンと何度も何度も、窓に当たったのは一回きりだったが、その周辺を狙っているのは確実だった。
子どもの悪戯にしては時間が遅く、大人のすることでもない。ノクターナが起きてしまうだろと思いつつ念の為窓辺から外を眺める。
「いっ――」
眺めようとしたのだが、暗闇で本を読んでいたのが仇となって足裏に激痛が走る。誰だよこんなとこに物置いた奴は。
足元のそれを拾い上げる。月明かりを頼りに確認するとそれは小石だった。それもご丁寧に紙に包まれた小石。
乱雑に紙を剥がすと、案の定文章が書かれてある。慣れていないのだろう拙い文字で。識字率なんかそう高くないだろうに。
『午前三時頃外に来て下さい。待っています。』
それは誰かからのメッセージだった。
この部屋を取った頃にはなかったはずだから、多分これは俺たちが眠っている間に投げ込まれたもの。察するに先程のは時間を知らせる合図とやら。
はぁ、暇だし行ってやるか。何もなければそれで良い。面倒事の気配はするが、それも誰かさんの影響ということにしておこう。
投げ疲れたのか物音は既になくなっていて、俺は合図がてら窓から小石を木に投げておいた。
書き置きを残そうとして、まあ良いかと部屋を出る。そう長くするつもりはない。
この時間ともなれば受付も眠っているらしい。静かに出ていくのは、こっそり夜遊びに出掛けるような背徳感があった。
視界の大部分を黒が占める夜の街は、俺を闇に誘う存在が一つ。ひょっこりとあざとく身体を揺らして、存在感のある――が動きに合わせてなびく。
「あー、来てくれたんですかあ。待ってましたよお」
妙に間延びした話し方の少女は、それ自体が意思を持っているように――を動かす。
「何ですかあそんなにじっと見て。そんなに私の――が気になりますかあ?セクハラですよおそれ」
「そうじゃないが、それは別にどうでも良い。俺を待ってたって言ったな。何の用だ?あれじゃ俺以外が来る可能性もあったろ」
「誰が来るかくらいわかってましたよお。もし違っても隠れれば良いだけですからあ。要件はそうですねえ、これ見てわかりません?」
そういって、少女は自分の――に指を差してそれを動してみせる。
少女の意図がいまいちわからない。何故俺を呼んだのか、そもそも本当に俺を呼んたのか。
「これを見ても驚かない君に、ちょっと頼みたいことがあるんですよお」
緊張した俺を他所に、少女は何でもないようにいう。
「私と一緒に来てくれますかあ?」
頭にひんやりとした銃口を押し当てられて。拒否権はないようだった。




