初雪と不老不死の呪い4
二百年前、国で不審死を遂げた者がいた。それは反逆を企てていた大臣で、誰かは陰謀論を声高々に叫ぶ。
その中の一人が演説中に倒れた。多くの民衆の前で泡を吹いて。
自宅の庭で、出掛け先で、民衆は死んだ。苦しそうに、自らを引っ掻いてナイフを突き立て。様相は違えど皆平等に死んでいった。
そんな話が当時の上層部に届いたのは、一人目が死んでから半日が過ぎようとしていた頃だった。
「王よ!民が正体不明の病に伏せっております。早急に対処しないと手遅れに――」
「わかっとる。今対処させておるところだ」
王の言葉が民の心を安らげた頃には、すでに人口の一割は命を落としていた。
神に祈る者は祭壇の前で死んだ。
国を捨てようとする者は志半ばで死んだ。
家に籠もって惨事を知らない者は二度寝から目覚めることはなかった。
一日が経過した。時間が解決してくれることもなく命は儚く消えていって、一人また一人と名簿にバツが増えていく。
一定数の情報が集まったことでわかったこともある。それは無差別に人を殺していると思われた疫病は、魔法に耐性のない者を選んでいることだった。
魔法使いもしくはそれに準ずる者、魔物などが死んだという報告は上がってきていない。上層部はとても安堵したそうな。なにせ上層部のほとんどは魔法への適正が高かったから。自分たちは大丈夫なのだと。
とはいえ、国民が死んでいくのを黙って見ていることはできない。国民がいなければ国として立ち行かなくなる。魔法使いだけが生き残ったとてそれは一割もいないのだ。
二日目。気にすべき事柄が一つ減った上層部は対策を考えることに集中できていた。
「国民全員を一人一人隔離して感染が広がるのを止められないだろうか」
――無駄だった。その病は接触感染や飛沫感染ではなく、全く離れた場所で誰とも触れ合っていない者も死んでいった。まるで空気そのものに毒が混ざっているように。
「感染を媒介しそうな生物を皆殺しにするのはどうだろうか」
――無駄だった。有事とあって街が破壊されるのも厭わず大規模な魔法による清掃が実施されたが、人が死ぬ速度は変わらなかった。むしろ魔力切れで魔法使いの数人が亡くなる始末となった。
「他国に助けを求めるのはどうだろうか」
――当時、雪の国よりも技術的に優れた国は多数あった。が、それらの国が大事な研究者を死地に送るはずがない。
友好を結んでいた国はメンツもあり数人の派遣はしてくれた。しかし現状を報告する度研究者は夜逃げをして減っていった。恐怖から自殺する者もいてついには研究者は誰もいなくなり、友好国も第二弾を送ってくれることはなかった。
三日目。国王は一部の大臣と優秀な研究者を数人連れて、地下にある秘密の研究室にいた。
そこは禍々しい雰囲気が流れていて、研究資料と思しき書類が机に何センチも積み重ねられている。
その部屋の中心には大人が数人すっぽりと入るほど大きなガラスの入れ物があり、中には小さな女の子が一人入っていた。満杯まで入った培養液の海に浮いている。
「彼女が――」
「はい。国王様のご息女、ショール様です」
ショールは瞳を閉ざしたまま、外の惨状を知ることもなく眠る。
国民はもちろん一部を除いたほとんどの大臣にも秘密で進められた計画。現代よりも魔法が重要視されていた時代故の危険な実験。
人の身に魔物由来の魔力を馴染ませて最強の人間を作るという計画は、国でも一番魔力に適応されると考えられた国王の娘に行われた。
実験の是非はまだ出ておらず、膨大に振り巻き続ける魔力が疫病と姿を変えて国民を蝕んでいたのだ。
それを理解していない国王ではなかったが、彼は実験を優先した。
「ショールはあと何日持つ?」
「二日が関の山かと」
二日、それがショールと実験に残されたタイムリミットだった。タイムリミットが来ればショールの体力は尽き死ぬ。疫病の根源たるショールが死ねば疫病は収まっていくだろう。
今から二日も経てば、恐らく国民は半分を切るかどうかという人数になるだろう。立ち直せるかギリギリのラインだ。
ショールが魔物の力を支配下に置いてくれれば良いのだが。そうすれば疫病は収まり、国は絶大な戦力を得ることとなる。
四日目。死にゆく国民の最中、上層部に訃報が入った。曰く、初めて魔法使いの死者が出たとのこと。
おそらく長時間病に晒され続けたせいだろう。自分は大丈夫だと思っていた者たちだ。忘れていた恐怖が帰ってきたこともあって、上層部は統率力を失った。
縋るような思いで国を信じていた国民にも波紋は広がって、国は悪化の一途を辿る。
正義感の強い若者によって辛うじて保たれていた治安が崩壊、外は暴動の嵐と化する。今殴り合っていたばかりの人が倒れて、そのどよめきによりまた別の人に殴り掛かる。終わりなき闘争の始まりだった。
「自分が何とかしないと」
無能たちが喚き散らす中、勘のよい一部の者たちは気付いた。これがただの疫病でないことを、そして原因が王宮内にあるのではということを。
彼ら彼女らは自力で同士を探し出し、そして集まった。
警備システムの崩壊した王宮への侵入は容易く行われた。国民を守るという正義を分不相応に掲げて。
五日目。彼ら彼女らは例の地下研究室にまで辿り着いた。厳重な物理ロックを力を合わせて無理矢理突破し、その少女と出会う。
「これは――」
「ようやく見つけたわ。これが諸悪の根源ね」
培養液の中で眠るショールを、幼気な少女だと思う者はいなかった。ショールに近付くほど若者の身体を蝕んでいく。
重くなる手足、痛む心臓。誰もが自分はもう長くないことを悟った。
けれど原因は見つけたのだ。ショールを殺せば、機械を壊せば皆は救われる。そう信じて、盲信して。皆が一斉にショールへと狙いを定める。
「お前たち何をしている!」
物理ロックを破壊するための轟音は、崩壊した警備システムであれど人を呼んだ。地下を常に意識している者、国王だ。
「国王様、これは貴方の仕業なのですか――?」
「問答は必要か?」
国王は時間稼ぎに応じるつもりもなく、若者を順番に殺していった。不意打ち、さらには万全の国王と虫の息な若者だ。人数差は何の意味も成すことなく、彼ら彼女らは目標を目前にして命を散らす。
「実験は失敗だろうな」
もうショールに時間は残されていないというのに、魔物の力を掌握する気配もなかったから。
国王は小さく呟いて、死体の処理もせず研究室を出る。
それがいけなかったのだ。若者たちはしぶとく耐えていた。腕がなくとも足がなくとも、普通失血多量で死んでいるはずだとしても。思う、願う、呪う。
「王族は腐っている」
「国民は王族に殺されたのだ」
「信じたのに」
「信じていたのに」
身体が重い。意識が遠のく。苦しい、辛い。気絶すれば死ぬとわかって、死ねば開放されるとわかって、それでも意識をなんとか保つ。まだ死ねない。恨みが、憤怒が、嫌悪が、痛みが、意識を繋ぎ止める。
「奴らには制裁が必要だ」
「奴らもいずれ疫病で死ぬ」
「疫病は痛く辛く苦しい」
「奴らも味わうべきだ。一週間、一ヶ月、一年、一生」
「足りない。永遠に、死ぬことのない命と終わることのない苦しみを奴ら王族に」
死に際の叫びは、声にならない叫びは、誰も聞くことのなかった叫びは――。極一部、限定的に、最悪の形で叶った。
ただ一人、何も知らない無垢な少女へと。今も眠りあと数時間で尽きようとしているショールへと。その時、呪いは完成した。
六日目。死ぬはずだったショールは生き残り、生き残るはずだった者たちは死んでいった。
尽きることのない体力は尽きることのない疫病となり、勢いを増して人々を蝕む。国王ですらまともに身体を動かせなくなっていて、もうショールは止められるものはいなかった。
死んでいく、死んでいく。
消えていく、消えていく。
夕刻を過ぎる頃には完璧な静寂が出来上がっていた。誰もいない寂しい国で、ショールは一人呼吸する。
五年後。ショールは培養液の中で目を覚ました。長い睡眠の影響で脳の起動に時間がかかり、瞬きだけを繰り返して一週間。
ショールは少なくなっていた培養液を飲み干して外に出た。
疫病は生物の死骸すらも消し去っていて、そこに人がいた証拠は何一つ残っていない。散らかった証拠、誰かが書き留めた日記を読み漁ってショールは知らない記憶を呼び覚ましていった。
「うっ――」
ふと、身体が破裂しそうなほど痛くなった。原因は知っている。膨大な魔力を身体に留めておけなくなったのだ。
このまま放置すればまた疫病は再来する。ショールはそれを回避するため、一番都合の良い魔力の発散方法を長い時間をかけて探し続けていた。
◇◆◇
はらはらと、主を失った建物が崩壊を始める。とっくに限界はきていたはずなのだ。砂のように朽ちて、大地に吸収されていった。
「なんだか、たったの一日でも寂しいね」
「ああ、本当に」
ショールは今、俺の腕の中で眠っている。あわよくば、誰も彼女を起こすことがありませんように。
小さくて柔らかかった肌は、大きさそのままにしわがれていった。顔だけを見ればよぼよぼのおばあちゃんだが、彼女の笑った顔を思い出せばそれすらも美しく思える。
街の端、大木の元。この木はショールの時代から生えていたのだろうか。ノクターナに魔法で根本を掘って貰う。
ショールが眠ってからというもの、国の外で吹き荒れていた豪雪はパタリと止んだ。深くまで積もっていた雪も夢のように消え失せて、俺たちに寂しさをもたらした。
「ショールちゃん、ありがとね」
穴の中にショールを置いて、上から土をかける。顔にはかけないようにと意識しても土は重力に従って落ちて、ショールの身体をすっぽりと隠してしまった。
不老不死の呪いに限らず、土壇場で作られた呪いは解呪方法が明確にわからない場合が多い。二百年前ともなれび尚更だ。だから俺たちは別の呪いで上書きをした。
「永遠に目覚めることのない呪い」
「うん。せめて地獄のような過去は忘れて、幸せな夢を見ていますように」
穴を完全に埋めて上から魔法で隠してやれば、そこは他の地面と遜色なくなる。もう二度とショールと会うことはないのだ。
雪の国から雪の壁が消失した。この土地はいずれ戦争になって、どこかの国の領土になるのだろう。多分、そう遠くない。
「だから、どうか」
彼女くらいは、この場所くらいは、その戦火に巻き込まれることなく安らかでありますように。
そう心から願って、俺たちは国を離れた。




