初雪と不老不死の呪い2
一つ、夢を見た。
それは懐かしい記憶、子どもの頃の記憶。年中冷える国にも微弱な夏はあり、雪が溶け切る短い期間でもあった。普段は静かな通りもこの期間だけは賑わって、ハウスキーパーさんも暇を多く貰う。
「お母さん、お父さん、今日も仕事?」
「いいえ、休みを取ってきたわ」
「やったあ!何して遊ぶ?」
幸せな家庭だったと思う。両親は国の重鎮に付いていて裕福で、あまり多くない休みでも愛されているという実感はあった。それは今も変わっていないだろう。
「今日は花火でもしましょうか」
両親は二人共凄腕の魔法使いだった。もう一軒建てられそうなほど広い庭から空に向かって魔法の花火を打ち上げる。二人の打ち上げる花火は形も色合いも違っていて、けれどどちらも都心の光に負けないほど大きくてカラフルで綺麗だったのを覚えている。
両親の真似をして打ち上げた花火は誰よりも大きく壮大で、単色で綺麗ではなかった。両親は褒めてくれたけれど悔しくて何度も練習を重ねたら最高二色はいけたっけ。
あれ、でも俺は呪いで魔法は使えないはず――。
いっとき、帰ってきた両親の顔色が良くない時期があった。昨日も今日も、明くる日も。家では元気に振る舞っているけれど時折見える疲れを子どもながらに憂う。
そんな日々が数日続いた頃の事。帰省していたはずのハウスキーパーさんが予定よりも数週間早く帰ってきた。かなり急いだようで馬は可哀想なほど疲れ果てている。
「ご主人様、奥様!」
あんなにも慌てた彼女は初めて見た。強盗が出ても平気で追い返していそうな彼女が、「どうしたの?」と尋ねる前に俺を自室へ押し込んだ。子守のメイドさんを一人置いて。
ハウスキーパーさんと両親はあと数人を連れて秘密の部屋に入った。
そのメイドさんは優しくて面倒見が良く、けれど家に使えているには珍しく魔法を使ないことを知っていた。
「さて坊っちゃん、今日は何して遊びます?ボードゲーム、それとも絵本の読み聞かせ?」
「みんなどうしたんだろ」
「――――」
メイドさんは気不味そうに口を噤む。隠し事を確信した俺はバレないのを良いことに盗み聞きを試みた。
聴覚を弄ってみたり、小さな虫を使役して忍び込ませようとしたり。けれど秘密の部屋は盗聴対策がしっかりしていて、その全てが失敗に終わる。
「坊っちゃん、聞いていますか?」
「うーんとねぇ――今日は私が絵本の読み聞かせをするね!」
だから俺は、メイドさんから情報を得ることにした。言葉の節々に魔力を帯びさせ、相手を自由に操る魔法。初めて使うタイプの魔法は、メイドさんが無警戒なことや魔法が使えないこともあってすんなりと機能した。
メイドさんは背もたれに身体を預けてぼんやりと天井を見る。いけないことをしているという罪悪感を、成功の興奮が塗り潰す。
「お母さんたちは今何をしていますか」
「坊っちゃんの話を――」
「――?私の何について話してますか」
「坊っちゃんの今後の話を、徴兵についての話をしています」
意味がわからなかった。何故徴兵する必要があるのかも、俺のような子どもにまで話が来ることも。
推測はできた。それが貴族の責務であることも、俺の類稀なる魔法の才能のせいなことも。
それから俺はどうしたのだったか。ショックで倒れかけた俺を、魔法の解けたメイドさんが起こす。
「大丈夫ですか――」
ぐらぐらと、乱暴に肩を揺すって。
「起きて――い」
ぎりぎりと、頬を抓って。
「起きて、ルドルフ!」
「――っ!」
そこは、小さな洞穴だった。風向きが都合よく、空を真っ白に染め上げる豪雪は入ってこない。
大きな熊型の魔物が白目を剥いて倒れている。ノクターナがこいつから強引に洞穴を奪ったのだ。
短い杖の先についた炎で温まっていると、ようやく現実を理解し始める。
「この寒さで寝るなんて、死ぬつもり?」
「いいや。少なくとも俺が貴方を帰すまでは」
瞼を擦って壁を背に座る。
雪が弱まった隙を狙ったはずが、急激にぶり返してそれ所じゃなくなったのだったか。村に引き返そうにも道がわからず、偶然にもこの洞穴を見つけられてなければ危うかっただろう。
「俺はどのくらい寝ていた?」
「数分くらいだと思う。気付いてからすぐに起こしたから――」
数分にしては長い夢だったように思う。
段々と曖昧になっていく懐かしい記憶は棚に上げて、俺は現実を直視する。
どこまでも広がる純白。早朝から歩いて時刻はお昼過ぎくらいだろうか。雪というアクシデントがなければそろそろ次の街に到着していてもおかしくない頃合い。
体感、その半分もいっていないように思う。今すぐにここを出たとして到着は夜中、この雪ではそれも難しいか。
鞄を漁って食料を探す。買い溜めた食料が余裕を持って数日分、魔物の肉を食べればもっと余裕ができる。数日を過ごして雪が弱まるのは分の悪い賭けではない――と思いたい。
「取り敢えず、もっと奥に行こう。この辺りはまだ寒い」
重そうな魔物はノクターナが魔法で簡単に浮かばせて運ぶ。見たところ魔物に外傷はなく、血が滴って何かを呼ぶこともなさそうだ。
洞穴は存外広く、最奥には辿り着けそうもなかった。ある程度進んで寒さの和らいできた辺りで一時休憩する。これ以上奥に行く必要はない。
一本道を真っ直ぐ進んできたつもりだったが微妙に湾曲していたらしく、入口からの光が一切届かない。小さな魔法の光だけが洞穴を照らす。
――わけではなさそうだった。
「ルドルフ、あれ何だと思う?」
そっと、ノクターナが来た道を指差した。
そこには人魂のような明かりが二つ、ゆったりと左右に揺らぐ。この暗闇では距離感を測れず近付いているのか遠ざかっているのかもわからない。
「誰だ」
返事はない。
人――なのだろうか。こんなところに人がいるとは思えないが、それは俺たちも同じこと。
はたまた魔物か動物か。それほど大きくはないようだが、数が多いと困る。崩落の可能性も考えれば戦闘は避けたいのだが。
「ノクターナ、明かりを頼む」
「りょーかい」
前方の一定間隔に光が灯され視界の確保に成功する。魔物や動物なら倒して終わり、人なら助けを求めるのだが、その姿を視認することはできない。
ただはっきりと、人魂が二つ浮遊していた。
魔物とはあくまで魔法を使う動物の俗称であり、このような奇っ怪な見た目をした動物は聞いたことがない。つまりこれは――
「ある種の隠蔽魔法だね」
新種でなければそうだろう。これでは相手が何者かわからない。
俺は拳銃を握り、ノクターナは隠蔽魔法の解除を試みる。こちらの動向を探るように人魂はゆっくりと向かって来る。
戦闘になったとて負けるとは思えない。思えないがそれとこれとは別だ。こんなところで崩落が起これば危ういし、また豪雪の中に放り出されるのはごめんだ。
「駄目、時間が足りない」
それ即ち失敗したということ。俺は拳銃を、恐らく足があるだろう位置へ撃つ。
外したとしても威嚇にはなり当たっても人であれば死なない場所だ。怪我くらいは、魔法を解かなかった責任ということで。
銃口を離れた弾は真っ直ぐと標的を目掛けて、そして半ばで凍てついた。透明な氷に覆われた銃弾は急激に速度を失い、カランと甲高い音を響かせてその場に落ちた。
それが魔法であるのは確実だ。だが冷気を振り撒いているのではなく、知能ある者の振る舞いに警戒を一層強化する。
「――ぃされとると思うたら妾のせいじゃったか。耳が遠いのかと勘違いしたのじゃ」
隠蔽魔法のせいで前半は聞き取れなかったのだが、何やら喋りながら人魂は人の形を成していく。
「にしてもいきなり発砲は酷いと思うのじゃがの。ぬしよ、いづれ人を殺めるぞ」
両手を頭の高さまで上げ、無害を表明したポーズで。それは口調の割に背の低い少女――否、女の子だった。少々大き過ぎるパーカーを雑に着た女の子。
「子ども――?」
「黒い方のぬしよ、それは失礼なのじゃ」
女の子は深くまで被ったフードを取って、不貞腐れながらそういった。




