初雪と不老不死の呪い1
木々が色付く、所謂紅葉の季節は真っ只中の頃。紅や黄に染まった葉はひらりと舞って、見惚れるような景色と否応なく清掃の必要を人々に押し付ける。
美しく面倒なのはこの小さな村であれ変わらず、腰を折って箒を動かすおじさんにそっと同情する。
かなり北上してきたのだが、流石に肌寒さを感じる。しかし身体を震わせるほどでもなく、買ったばかりの毛皮のマフラーはまだ役目はなさそうだった。
「んっ――と」
風に吹かれた木の葉をジャンプして掴み、ノクターナは満足気に微笑む。粉々に引き裂かれた木の葉は次の風に合わせて舞い、枝の部分だけが足元に落ちた。
そんな地にぽつぽつと、初雪が降った。
量は決して多くなく、しかし城では一度も見なかった雪にノクターナは紅葉への興味をなくす。
「雪、雪だよルドルフ」
「ああ、そうだな」
「――もしかして、あんまり興味ない?」
「俺の故郷は雪の多い地域だったからな。久々だが珍しくはない」
この世の全てが覆われてしまったのではと思うほどの銀世界も、それに苦しむ者も他人事のように見てきた。
季節外れの降雪だ、紅葉と同居している。これが異常気象というやつか。それとも、もうそんな場所まで来てしまったのか。着実に旅の終わりが見えてくる。
「屋根を探そう。風邪を引く」
おそらく、風邪を引いても当分は医者にありつけないだろうから。
適当な民家の軒先を借りて、取り敢えずは止むのを待つばかりだ。軒の長い屋根は寒さまでは防いでくれず、時折強く吹く風で足元には雪が積もっていった。
十分ほど待てば収まるだろうと高を括っていたのだが、嘲笑うように雪は勢いを増す。合わせるように風も強くなる。
無理に移動できないほどの強さではないにしろ、止む気配はとうに消えていた。
「どうする?」
ノクターナは鞄から毛皮のマフラーを取り出して俺と一緒くたに首に巻く。南国産まれにこの雪は堪えるか。つい先程まで喜んでいた瞳も不安そうに俺を見つめる。近くなった手も僅かに震えていた。
仕方ない。俺は駄目元で戸を叩く。
「すみませーん」
返事はない。
「入るぞー」
返事はない。
不用心にも鍵はかけられておらず、力を入れれば戸は簡単に開いた。
寝ているか出払っているかの二つに一つだと思っていたのだが、その古臭い民家は外観の綺麗さに反して放棄された後のようだった。
室内は埃臭く、倒れた家具はそのままに放置されている。よく見れば窓と壁の間に隙間があり暖を取るには向かない。
「あの、動き辛いんだけど」
「僕は寒いの。我慢して」
首の動きが制限されたままでは靴を脱ぐのも一苦労で、俺は諦めて土足で上がる。人の家に土足は憚られるが無人なら文句もいわれないだろう。
幸い暖炉には乾いた木が放置されてあって、ノクターナが魔法を使えばその周辺くらいは暖まる。小さな火種は枯れ葉や枝を介することなくパチパチと音を立て始めた。
木の床の埃を軽く払い座る。手足を炎に向け、熱くないギリギリの距離を探す。
首だけを動かして窓を見れば外は一層白くなっていた。民家はカタカタと音を立てて、吹き飛びはしないだろうがかといって安心もできない。
収まるまでは移動できそうにない。時間帯としてはまだ余裕はあるが、中途半端になるよりかはここで一日を過ごすのも考えるべきかもしれない。
「初めての雪がこんなのだとはね。ちょっと残念」
「安心しろ。こっから先、嫌というほど見ることになる」
俺たちの目的地はまだ北にあるのだから。
「それもそっか」
少しは寒さの和らいだ部屋でマフラーを緩めて、各々の腕を枕に寝転がる。
徐々に傾きを増す降雪、はじける炎。残る薪の量を見るにあと数時間くらいは新たに焚べる必要もなさそうだ。
足元から伝わる暖かさに身を委ね、瞳を瞑る。ああ、あわよくば良い夢が見られますように。
◇◆◇
カランと、乾いた薪の小気味よい音で俺は目を覚ました。
寒いと思ったらマフラーが俺の首から抜き取られていて、部屋の中も真っ暗だ。
「あ、起きた?僕も今起きたとこ」
軽く手足を伸ばして脳を覚醒させる。腕を振り子のようにして身体を起こせば、空は闇に染まっていた。
「寒っ」
夜ともなれば肌を刺すような寒さは日中とは比べられない。何かに包まろうにもそれらしいものは見当たらず身体を抱いた。
結構な時間眠っていたようだが降雪は留まるところを知らない。音だけでは弱まったことも確認できず、せめて祈ることしかできなかった。
ボウッと待ち望んだ音とともに部屋がほのかに照らされた。暖炉の木々は勢いよく燃えて、けれど冷え切った部屋を暖め直すには到底足りない。
「雪、止むと思う?」
「さあな。でも時期的にそう長くは続かないだろ」
そもそもこの時期に雪が降ること自体が異常なのだ。故郷かそれ以上北に行けばまだしも、この辺りでは冬支度も済んでいない頃だ。
紅葉を眺めるのも密かに楽しみにしていたのだが、来年に賭けるしかなくなった。
――来年、俺たちは共に居るのだろうか。楽観的な展望は持てない。
城に帰って、俺は用無しにならないだろうか。そもそも偽の身分は手に入れられるだろうか。あまりに脆弱な計画は着実に破綻の刻に近付いていた。
「おーい」
「――?」
「ルドルフも食べる?」
ノクターナは少し前に買った携帯食を開いていた。携帯食なだけに美味しそうだとはいえないが、慣れたように口に運ぶ。
お腹は――、空いていない。数も多くは買っていない。
「はい、あーん」
でもまあ、この村でも食料は買い足せるはずだ。良くない方向にばかり向かう思考をリフレッシュするため、俺は差し出された一欠片を食べる。
「どう、美味しい?」
「いつもと同じ。微妙」
所変われど携帯食にはあまり変化はなく、パサついて唾液を奪い取るそれを水で強引に流し込んだ。
「まだ食べる?」
「いや、大丈夫」
「そう?今なら僕が直々に食べさせてあげるけど――」
ノクターナは一度俺の顔を覗き込んで、思い出したようにマフラーを首に巻いた。
「なんか、今日のノクターナ優しいな。風邪でも引いた?」
掌をおでこに当ててみるが悴んでいては判別できず、目視では火照った様子もない。
「ルドルフが悩んでるみたいだったから」
一通りの検査を受け入れてから、ノクターナは小さくそういった。
確かに悩みというか、不安なことはいくつもあった。これからのこと、ノクターナが俺に抱く感情。どれも大切で、どれも今打ち明けたり答えを求めたりすべきものではなかった。丁度良いタイミングが存在するはずだ。
だから俺はそっと蓋をして、気付かれていないと思っていたものを気付かれていないことにするのだ。
「いや、何でもない。ちょっと考え事してただけ」
「――そっか」
ノクターナは許してくれると知っているから。
「あっ」
それはどちらの声だったのか。
一晩で積もった雪が層になり、未だ重なり続ける。一面の銀世界と遠くに少しだけ残った紅葉のアンマッチな景色。それらを美しく照らすために、朝日が昇った。
それから、雪が止むのを望んで二時間ほど。朝日はとうに朝日と呼べないくらいの高さにまで昇って、けれど雪は未だ振り続いていた。
潮時だ。これ以上待っていれば、そう遠くないにしろ今日中に次の街に辿り着けない可能性がでてくる。少なくとも強まらないことを祈るばかりだ。
パチパチと燃える暖炉を、ノクターナは名残惜しそうに見る。当分は寒いのを堪えてもらうしかない。
「そろそろ行くか」
一晩の宿に別れを告げて戸を開ける。案の定そこは一面の銀世界だった。
遥か遠くまで広がる純白と、申し訳程度の紅葉。昨日の様子とはまるで違っている。別世界にでも迷い込んだようだった。
昨晩ほどではないにしろ外出が憚られるくらいの雪は降っていて、そんなの知るもんかと村の子どもたちは跳ね回る。
「ノクターナ、魔法でなんとかできたりしない?」
「ん?無理」
願望はさも当然のように切り捨てられた。
急激に指先が冷たくなるのを感じる。吐いた息は白く広がり風に吹かれ消えていった。
「おや、もう行かれるのですかな?」
民家を出てふかふかの雪を踏みしめていると、雪かきをする見知らぬおじさんに話しかけられた。
「ああ。そろそろ出ないと街に着けるかわからないからな」
「そうですか――」
おじさんは一度顔を伏せて悩む。
「差し出がましいようですが、今は止めておくことをおすすめしますぞ」
曰く、雪の日に村を出た者は別世界に誘われて二度と帰らないらしい。
おじさんは敢えて声を低くして脅かすようにいう。しかし表情は真剣そのもので、嘘や冗談には思えない。本気で心配してくれているのだろう。
「なら、おじさんは何時頃雪が止むと思うんだ?」
「今冬は難しいでしょうな。なにせ、何時降って何時止むなど誰にもわからない故」
「それは――」
「待てないね」
数ヶ月も、いい方は悪いが辺鄙な村で暮らしてはいられない。いずれは何処かしらで冬を越す必要はあるが、それは今ではない。何ならこの雪は異常で普段ならまだ秋の最中なのだ。
「――では、是非ともお気をつけて」
俺はノクターナと顔を合わせて、小さく頷く。
村に伝わる伝承の大体は事実の捻じれたものであると結論付けて、その村を後にした。




