時間順行1
朝方、風強め。太陽が出て間もないこの頃は少々肌寒く、かといって厚くすると昼頃困る悩ましい気温。すれ違う者は慣れているのか薄着を決め込んでいるようだった。
前回の街から結構経った。交互に体調を崩したのだが無理して離れ、今は北上した別の国の別の街に居る。
この街はかなり栄えており、城では見かけなかったものがたくさんある。
高いビルが並んだ区画、レストランなど商業施設の集まる区画、国立公園などで緑溢れる区画など。芸術作品のように分けられたマップに、一見乱雑に引かれた路線。
美しく人気なのも頷けるのだが、祭りなどを除き原則屋台が禁止されているらしいところは寂しくもある。
「ねえルドルフ。僕たち結局祭り楽しめなかったじゃん」
「そうだな」
「ここ有名みたいだしさ、ちょっと遊んでこうよ。お金も大丈夫でしょ?」
まあ確かに、まだまだ旅路は長いんだしな。
「わかった、そうしよう」
やった、と子どものように跳ねて喜ぶ。
ノクターナからこんな言葉を聞けるとは思っていなかったので、驚くと同時に嬉しい。先を急いでいるものとばかり思っていた。城の心配も晴れてきたということだろうか。
街に入ったときに貰った観光案内の紙を開く。読み易くわかり易いのだが本当に知りたい部分が省かれていて、頼りにせずぶらりとした方が良いのではというクオリティだ。
「お二人、危ない!」
手元を見ながら歩いていると背後から叫び声がして、既のところを二輪の魔道具が走り抜けていった。
この街にはあんなのもあるのかと驚けば、パンフレットの端にも注視しろとしっかり記入されていた。
「すまない、助かった」
「いや、いいんだ。それより、似たようなのがあと三台来るから、気を付けろ。絶対に轢かれるなよ。じゃあな」
忠告してくれた優しい青年は嵐のように去っていった。青年の行き先を見ればもうそこには居なくて、感謝が届いていたのか怪しい。
忠告通りしっかりと前後を見たのだが、三台どころか一台も走っておらず、同じようにパンフレットを注視する旅人らしき者が数組居るだけだった。
「ないな」
「ないね。何だったんだろあの人」
彼の見間違いだろうか。急いでいるっぽかったし多分そうだろう。
「この店美味しそう」
俺の手元にあったはずのパンフレットがいつの間にかノクターナに奪われていて、読み難くなった文字を目で追う。
スイーツのお店のようだ。甘いのは好きなのだが中々口にできないので楽しみだ。
「あとこの店と、ここと、これも見たい!今日中に回れるかな――」
「何日か掛けても大丈夫だろ」
事前に決めていたように迷いなくマップを指差して、当分の予定が決まっていく。時間はあるので気にしなくて良いが、お金は散財すれば尽きる程度なので守らなければ。
きっと偶には――とかいって許すんだろうなと思いつつ、今だけは心に決める。
ふと忠告を思い出し手元に集中し過ぎていることに気付いて、顔を上げると二輪と四輪の魔道具が計三台、隣を通り過ぎるところだった。
「ノクターナ」
呼びかけて静止を促し、魔道具を見送る。あのまま直進していれば衝突していただろうか。
「偶然――だよね?」
「たぶん」
一度青年の顔を思い浮かべ、俺たちにとっては珍しくてもこの街では普通のことなのだろうと納得しておいた。
◇◆◇
ノクターナが決めた予定の一つ、小洒落たスイーツ店前。見慣れないフォントで描かれたフォントはそれだけで心惹かれ、ガラス窓から覗くサンプルは他店を凌駕する。
近くにも美味しそうなお店はたくさんあるのだが、パンフレットで見たからか一際輝いていた。
それだけに、こうなるのは仕方のないことといえる。
「ね、ルドルフ。これ頼んでよ。半分こしよ」
「ちゃんと食べ切れる?」
「多分――?でもこれだけ待たされてちょっとしか食べないのは勿体ないと思うの」
俺たちのようにパンフレットに釣られた人々が行列を作っていた。人気店はイートインスペースを広く設けることを義務付けて欲しい。
行列が行列を呼んで、前には進んでいるのだが人は増えるばかり。人が増えればノクターナのように考える者も増える。
十分ほどお待ち下さいと聞いたのは十五分以上も前のことだ。
「僕のも一口あげるからさ、ね?」
ノクターナは待ち時間をどうとも思っていないらしい。先程からメニューやサンプルを見て瞳をキラキラさせている。まあ、待つ価値はあると信じているのは俺も同じことだが。
「あの、貴方魔法使いだよね。僕は違うけど、ちょっと頼まれて下さい」
息を切らした青年がノクターナの肩を叩く。
「あ、さっきぶりだね」
頼み事と聞いて、少し前の嫌な記憶が蘇る。生憎、今はお金にも困ってないのだ。
「あの、俺たちは便利屋じゃあ――」
「あの建物を見とくだけで良いんだ」
俺がいい切る前に言葉を遮って、少し遠くの集合住宅を指差す。ベランダをこちらに向けるその建物はちょうど障害物なく見渡せた。
「あの建物から花瓶が落ちるんで、ああ、拾えって意味じゃなくて。見とくだけで良いから、頼む!」
俺たちの返事も聞かずに青年は走り去った。見て欲しい意味もわからないしノクターナに頼む意味もわからないのだが、先程の出来事が頭に残っていたのだろうか。
「忙しない人だね」
「だな」
まあ、面倒事にならなそうなら良いか。魔道具に轢かれかけたのを助けて貰ったのもあるし、それくらい聞いてやることにしよう。
「次のお客様ー」
カランと鈴の音を鳴らし、店員がドアから身体を覗かせて呼ぶ。ようやく俺たちの番が来たらしい。昼食の分までスイーツで賄おうと意気込んで、半開きのドアに手を挟む。
店内から胃袋を刺激する甘い香りが冷たい風に乗って流れ出る。
店内はやはり狭くて、テーブルとチェアのセットが何組かあるだけだった。俺たちは事前に決めていたものと紅茶を頼み、唯一空いている窓際の席に座る。
身体が温まる紅茶とやっぱり甘さ控えめなスイーツを交互に口に運ぶ。雰囲気故か紅茶と合わせたからか、城で食べていたクッキーよりずっと美味しい。いや、ケーキとクッキーを比べるべきではないのかもしれないけれど。
「美味しいね、96点」
「残りは何」
「もう二度と食べられないこと」
「――また寄れば良いよ。すぐには街を出ないし、俺たちはまた戻って来るんだ。その時にでも」
少し重くなってしまった空気を、紅茶でゆすいで取り除く。
意図せずじっくりと味わった紅茶の鼻に抜ける香りが心地良い。茶葉は売ってないのだろうか。
「ルドルフ、はい一口。あーん」
一品目を食べてしまったノクターナはパフェを掬ったスプーンを差し出す。甘いイベント――ではない。よく見ればそれはホイップクリームしか乗っていなくて、パフェをパフェたらしめているアイスや果物が乗っていなかった。
「大丈夫、自分で食べるから」
「――もしかして恥ずかしいの?」
「違う。ほら、俺のブリュレ半分あげるから」
俺の近くにあったお皿をノクターナに渡して、スプーンの突き刺さったパフェを回収する。
ホイップはパフェの頂上に飾り、スプーンを奥の方まで突き刺して一口。
「あ」
うん、美味しい。目論見が外れて残念そうな声を出すノクターナは無視だ。
残しておいたケーキの苺が取られていたり、食べかけのカヌレを奪ったりして十分ほど。
ざわざわと店内が騒がしくなった。
店員も落ち着きをなくして、行列を含め全員が同じ方向を見る。俺も釣られて視線を動かせば、青年が花瓶が落ちるといっていた集合住宅だった。
「危ない」
誰かが叫ぶ。
ベランダの、上から数えた方が早い階に人影が二つ。距離があって表情はわからないがあれは確実に人影だ。ベランダで足を滑らせたのか落ちそうになっている一人を、もう一人が支えている。
「花瓶――?」
気にするべきはそこじゃないのだが、どうしても引っ掛かった。ノクターナにジト目で見られる。
そうじゃないんだ、俺はあの人が大丈夫だと確信しているからであって。
「ノクターナ、届く?」
「もちろん。ちょっとお洒落にもできるよ」
甘いもので気分が良くなっているノクターナは微笑む。
一応といった具合で杖を取り出し、今にも落ちそうな人影に狙いをつける。両者の力が重力に逆らえなくなって、空中に放り出されたら杖を一振り。
人影の真下に大量の花が包み込むように咲き乱れて、それがクッションの代わりになった。
おおっと店内から歓声が上がる。ノクターナは気持ち良さそうにむふんと威張った。
「葉っぱ痛そう」
「事前に速度落としたから大丈夫だよ。花はただの演出」
それもそうか。お洒落とかいって怪我させたら本末転倒だからな。
「僕たちがここに居て良かったね」
「本当に」
微妙に残った紅茶を飲み干し、ノクターナが食べ終わるのを待つ。アクシデントがあったとはいえ、俺たちよりも後に入った人がついさっき席を立った。
本音は追加で頼みたいところだがまだ待っている人もいるのだ。そろそろお暇すべきだろう。
ノクターナは名残惜しそうに最後の一口を飲み込んで、軽く手を合わせる。
「ごちそうさま。お会計は頼んだよ」
片し易いよう食器類をいくつか重ね、ノクターナは一足先に店を出た。
意図的に見ないようにしていた伝票。人気ぶりや店構えを鑑みるに相当を覚悟していたのだが、殊の外高くなくて安堵する。
とはいえ安くもなく、以前なら尻込みしただろう金額だ。二人の財布から色を付けて店員に渡す。チップ文化の有無は知らない。
店員は幾度か瞬きをして、俺が頷けば優しく微笑む。
「ありがとうごさいました」
カランと鈴の音が鳴って、俺と入れ替わりに新しいお客さんが入る。
昼食は入らないくらいお腹いっぱいだ。夜まで飲食店の予定は入ってないと良いのだけれど。
贅沢いうなら濃いものの後に食べたかったと思って、俺は外で待つノクターナに手を振った。
スイーツ店を離れ、休憩がてら近くの公園に寄った。
公園といっても遊具などはなく、狩り揃えられた芝生に数本の木とベンチが置かれた簡素なものだ。そのためか公園に一歩入れば人影はほとんどなく、心なしか遠くなった足音が早まるのを聞き届けるだけだ。
お世辞にも静かとはいえないが人工物が溢れる中での少ない緑は心地良く、背もたれのないベンチが残念に思う。
「ね、次はどこ行く?」
まるでデートようだなと、今一度開かれたパンフレットに目を通しながら思う。
何度も見直したこの街の地図だ。めぼしいものは既に回ったか回る予定のあるものばかりで、新しい発見というのは中々ない。食事がメインのスケジュールでは少々無理があるようだ。
そもそも大した娯楽がないというのもあるのだろう。歌劇でも見ようと思ったら当日用のチケットはないらしかった。
「俺としては早めに宿を見つけておきたいかな」
「まだお昼だよ?」
「昨日大変な思いしただろ」
どこもいっぱいで、というよりは見つけること自体に苦労したのを思い出す。大体の宿は外からわかり易くなっているのだが、他の店も豪華なだけに目立たないのだ。
1軒目に断られた時は街に居るのに野宿を覚悟したくらいだ。
「まだ大丈夫だって。僕たち野宿慣れしてるし」
「俺野宿慣れとか嫌なんだけど」
曖昧な返答をしておく。
特に良いアイデアも思い付かず、ぐでーっとベンチに反るように倒れる。老若男女、喜怒哀楽、様々に行き交う人々が逆さまに映る。
隣ではノクターナも同じように倒れていて、それがひどく可笑しい。
「なあ、明日の予定前倒しにしたら?どうせ厳密な予定なんてないんだし」
「それしかないよね、やっぱり」
ノクターナがひっくり返ったまま頷く。
元々滞在期間も決めていなかったんだ。十分楽しめたし、そろそろ出立するに良い頃かもしれない。明日、明後日くらいには出られるだろうか。
あ、やばい。スイーツ口から出て来そう。




