胡乱の樹海3
「この樹海に化け物が住んでるって話、聞いたことありますか」
ノクサスというらしい青年は、ふとそんなことを口走った。
瞳は揺らいではいないだろうか。少なくとも、ノクターナはこういうの得意そうだ。机の下で足を摘まれる。
「知らないですか?最近この辺りで広まってる噂らしいですが」
「――ああ、初耳だ」
「僕たち、この辺には最近来たばっかりなの」
「そうですか、まあ気をつけて下さい。あくまで噂ですけど、わからないので」
「うん、ご忠告痛み入るよ」
ノクターナが代わりに応答してくれて助かった。取り敢えず追及は逃れられたということだろうか。それとも目的の集落はここじゃない?
――わからない。人間そっくりと聞いたせいで全てが怪しく見える。
「あーあ」
小声で、ノクターナが耳打つようにいう。
「バレちゃった」
「何が――」
ノクターナの方に首を動かせば、まあ待てと視線で窘められる。
ノクサスは徐ろに席を立ち、まだ明るいというのにカーテンを閉め始めた。シャーっと、カーテンがレールを走る軽快な音が鳴って、部屋は真っ暗とまではいかなくともノクサスの表情が見えないくらいになる。
「ルドルフ、動かないでね」
そういって、ノクターナは魔法で明かりを灯す。
「あんたも魔法使だったんですね」
ノクサスはわざとらしく驚いて俺たちから距離を取る。何が起こっているのかわからずわたわたする俺に、ノクターナは小さく微笑みかけた。
「俺はこの集落が好きなんですよ」
「僕は嫌いだよ。こんな陰気臭い場所」
「正直に答えて下さい。ここへは何しにきたんですか」
二人は互いに杖を向け合って、俺はバッグに隠してあった拳銃を手に取る。
「妙な真似はしないで下さい。さっき外へ行ったでしょう、人に包囲させてあります」
「それ嘘でしょ、それ。確信したのは今さっきのはず。カーテン開けてみて」
「合図なんですよこれは」
ピリピリとした空気が流れる。俺はバッグから手を出して机の上へ置いた。
ノクサスは俺たちが調査のために来たと気付いている、若しくはそれに近いところまで、といった様子か。不味いな。一般人相手にノクターナが負けるとは思えないが、如何せん人数差がある。
この集落に魔法使いが何人居るのか、銃火器はあるのか、化け物と呼ばれる所以が戦闘力にあるのか。どれか一つでも向こうに傾けば、お荷物である俺を抱えていては危うい。拳銃じゃ、相手出来て二三が限界だ。
「もしそれに答えたら、俺たちをどうするつもりだ?」
「処分するか否か決めるだけです。俺は、この集落の長なんで」
俺が調査のために来たといったら、言葉通り処分されるだろう。ではもし違うといったら?おそらく、はい自由ですさようならとはならないだろうな。これは己が化け物だと自白しているも同然の行為だ。
「黙秘権はあるのか?」
「――あんた方がそこまで馬鹿だとは思わなかったです」
「言ってみただけだ」
つまり、何しにきたんですかという問いに意味はない。ならば何故問うのか。知りたいことがあるからだ。協会がどこまで知っているのかは、俺たちがここに調査で来たとわかった時点である程度読めるはず。
ああ、理解した。どう立ち回るべきなのか。大丈夫、分の悪い賭けじゃない。
俺は両肘を背もたれに置き、足を組み、なるたけ尊大な態度を作る。ノクサスの眉がぴくりと動き、ノクターナは驚いて俺を止めようとするが一先ず無視だ。
「化かし合いは一旦ストップだ。落ち着いて座ろうぜ、ノクサス」
「どういうつもりですか――」
「確かに俺たちは化け物の調査で来た。ここが例の集落だと思っているし、実際そうだ」
うろ覚え交渉術その一、誠意を見せるはこちらから。
ぎゅっと、ノクサスの杖を握る手に力が入る。
「傲っている訳ではないが、二対一で負けるほど俺たちは弱くもない」
魔法使いとそれ以外では、仮に銃火器があっても結構な差がある。副団長リナ曰く俺は他人より多くの魔力を纏っているらしいし、ノクサス目線は魔法使いが二人に見えているはずだ。
「だから包囲させていると」
「化かし合いは止めようぜ、ノクサス」
「っ――」
うろ覚え交渉術その二、発破をかけよう。この様子じゃ当たりだったようで助かる。
何も当て推量ではない。俺なら目に見える形で突入させると思ったからだ。知りたいことがないなら殺してしまえば良い。
「俺は雇われただけの人間だ。化け物が何なのかは全くの無知だ」
「でしょうね。知っていれば、金を積まれてもこんな場所へは来たがらないですから」
すっかり毒気が抜かれたように、ノクサスは椅子を引いて座る。ここまでくれば大丈夫だろう。俺は自分でも嫌になる格好を崩す。
「俺はこの集落が好きです」
「――」
「でも、化け物と呼ばたままじゃ、いずれあんた方のような奴らがまた来ていずれ壊される。だから化け物なんていなかったということにして移住したいんです。あの街に、建国祭に乗じて」
そう来るとは思ってなかったが、ナナのいっていたことは当たっていたらしい。
さて、どうしたものか。ナナに伝えれば依頼は完了しそうだが、そうすればノクターナに何といわれることやら。それに、聞くかぎりでは化け物というのも差別でしかないように思う。
「手助けをして下さい。報酬は、胡乱の樹海から迷うことなく出られるよう案内します」
「いいよ」
「ただし、条件がある。――協会に虚偽の報告をしたい。適当に作っておいてくれ」
うろ覚え交渉術その三、提案は相手から。
「感謝します」
今はこれが最善のはずだ。状況を脱するには。そしてノクターナに他人を傷付けさせないためには。
「少し、外に出ましょうか」
そうノクサスに促され、俺たちは家を出る。
当初あった静けさはどこへやら。閉ざされていた戸は一つ残らず全開で、小さい集落らしい賑やかさだった。
誰かは畑仕事を魔法で楽し、誰かは暇潰しがてら空に魔法をぶっ放す。派手ではないものの気に留めるには十分で、けれど俺たち二人以外は気付いてすらいない様子だった。
「知ってたかもですけど、皆魔法使いなんです」
普通あり得ないことだ。魔法使い自体珍しいし、遺伝にも無理はある。
正誤が知りたくてノクターナを見たのだが、小さく頷くだけだった。不可思議である。俺もここに生まれれば魔法使いになれたのだろうか。いや、化け物と呼ばれるのは嫌か。
「だからまあ、何とかなると思ってるんですけど」
そう前置きして、ノクサスは街に入るための計画を話し始めた。行き当たりばったりで稚拙な計画を。認識されなくなる魔法に頼った、相手の目が悪いこと前提の計画を。自身満々に。
「ノクターナ」
「うん。失敗するね」
ある程度の規模を持つ都市に魔法対策が何も無いはずがない。街へ入った瞬間か、それ以前に気付かれてお縄につくだけだ。
ふむ、どうしたものか。ノクサスたちが本当に化け物なのならば、それで報酬を受け取れば良いのだが、そうは思えない。彼らはただの人間だ。化け物というのは蔑称でしかないのだろう。
だとすれば、だ。お縄についた彼らはどうなる?少なくとも丁重なおもてなしは期待できないだろう。
――さすがに、後味が悪すぎる。
「ああ、大丈夫ですよ。気付かれないのが一番ですけど、捕まったならそれで。どっちにしろ街には入れますし、刑期を終えれば自由の身ですし」
一度捕まった方が現状維持より良かったりするんですよと、あっけらかんという。
何を考えているのか本当にわからない。
「忠告はしたから」
「ええ、どうも」
他人は他人、生まれも育ちも全く違う。深入りして良い価値観ではなくて、俺はどうなっても良いよう大まかな立ち回りをノクターナと詰めていた。




