胡乱の樹海2
「胡乱の樹海には人ならざる者がいるんです」
開口一番、ナナはそういった。
昼時、ナナと出会した場所近くのファミレス。水を口に含めながら、俺は頭にハテナを浮かべた。
ただの野生動物をそう呼ぶとは思えないし、だが人ではないとはっきり明言されている。もしや幽霊を信じるタイプの人なのかと顔を上げれば、ナナは首を振ってそれを否定した。
「外見上は人そっくりですが、中身はそうではありません。化け物です」
ナナは汚物でも見るような視線になって、そう吐き捨てた。
人の皮を被った化け物、魔法で姿形を模倣している。ナナにその化け物について尋ねれば嫌悪感を妊んだ言葉ばかりが出てきて、少なくとも温厚な面しか知らない俺たちは驚く。
まるで親の敵かのようなそれ。ノクターナの耳を塞ぐべきかと本気で悩む。教育に悪い。
「――こほん。それで、僕たちは何をすれば良いの?」
「奴らが祭りに乗じて侵入してくるのを防いで欲しいのです」
提示された金額からどんな無理難題かと身構えていたのだが、案外簡単そうで安心した。俺は僅かな期待を寄せて悩むフリをする。
「何故俺たちのような部外者に頼むんだ?」
「例年通りならそれで大丈夫です。ただ、今年は人手が足りず――」
大規模な祭りというのも良いことばかりではないらしい。
人間そっくりの化け物がいて、化け物が住んでいる場所も知っている。普通なら殲滅されて終わりだが、そうはなっていない理由を察するに、化け物が尋常でなく強いか見分ける方法を確立できていないかだ。俺は後者だと踏んだ。
人が大勢出入りする中、見分けのつかない化け物だけを追い返す。不可能に思える。いや、不可能だ。
「わかった、受けよう」
「本当ですか!?」
無理ならしなければ良い。どうせこの街の誰も見分けられないのだから。謂わばポーズだけの仕事だ。
化け物が何を企んで何を仕出かそうが、早々にずらかる俺たちには関係ない。それでいて報酬をゲットできる。
「ふふふ」
「ルドルフ?」
いけない、変な笑いが溢れてしまった。
「それじゃ、頼みましたよ」
「ああ、こちらこそよろしく頼む」
「この地図を見て下さい。ここが私たちの今居る街で、隣にあるのがこれから行ってもらう胡乱の樹海です」
「――は?」
◇◆◇
胡乱の樹海。この辺では最も広く最も深い森。ただの雑草ですら膝下あたりまであって、背の高い樹木に蔦が這う。少し先も見えないような霧が立ち込め、目印を刻み忘れでもすれば一瞬で迷ってしまえる胡乱の樹海。
そんな場所に俺たちは居た。
「はあ――」
ナナとかいう女に嵌められたと嘆くべきか、そんなに上手い話などないと教訓にすべきか。
だいたい、読める訳がないのだ。化け物たちの集落に行って調べてこいだなんて。
――まあ良いか。迷わない方法は十分教わったし、もし迷ったならノクターナに頼んで一直線上の樹を全部切り倒してもらえば良い。
何より急ぎたくない、かといってそれを悟られてはいけない旅路だ。目的地に着くまでに最低限心を癒してもらうためにも、こんなイベントには感謝すべきなのかもしれない。
「ねぇ、ルドルフ」
ノクターナが服を引っ張って俺を引き止める。視線を落とせばその手は僅かに震えていた。
「あれ――っ」
空いている方の手で、恐る恐るといった様子で視線の先を指差す。
霧でシルエットだけが見える人の形。足元は数センチ浮いていて、ぴくりとも動かない。
まるで俺たちを見ているように、何処も見ていないように。
自殺者だ。樹海ともあれば、そう珍しいくないのかもしれない。
「なんだ、気にするな。行くぞ」
「あれ、驚かないんだね。幽霊」
無意識に掴んだノクターナの手は、演技だったとでもいうように震えは収まっていた。
「せっかく作ったのに」
ノクターナはぷくぅと不貞腐れ、虫を追い払うときのように空いている手を動かせば、あったはずの人影が消えて再び何もない白だけが残った。
「――悪趣味だ」
「何、もしかして怖かった?」
まあ、態々いってやる必要もないか。
「――いつまで僕の手を握ってるの?」
肩が跳ねて、急いで手を離す。バクバクと心臓が高鳴る。
無意識とはいえ握っていたことを思えば手汗が滲んできて、俺はそれを悟られぬよう気を払いながらパンツのポケットで拭った。
「ごめん、僕が脅かしたせいだよね」
一瞬落ち込んだような素振りを見せて、ノクターナは両手を差し出す。
「落ち着くまで握ってて良いよ。もう脅かさないって約束する」
「違う、本当に違うから」
そうも純粋な瞳で見つめられれば、揶揄われているのかわからなくなる。
しつこく尋ねてくるノクターナを説得してもう少し。忘れかけていた本来の目的はようやく姿を表した。
胡乱の樹海。その一本一本が御神木に届きうる大樹の切り開かれた場所。結界でもあるかのように霧が薄まって、目を凝らせばその全貌が、ようやく。
「ここが――」
ごくりと、唾を呑む。
胡乱の樹海、化け物が住まう集落がそこにはあった。
立地さえ無視すれはありふれた集落なのに、先入観故だろうか。人影が見えないのが酷く不気味で、足を踏み入れるのが躊躇われた。
「取り敢えず外から様子見を――」
「もしかして、旅のお人ですか?」
おーい、と集落から通りの良い青年の声がする。
「ようこそ、我が集落へ」
「――これが」
化け物には到底思えなかった。
姿、声、立ち振舞い。その全てが何処にでも居る人間で、強いていえばこんな樹海に住んでいるにしては美しいくらい。所作も顔の作りも。
いやいや、信用してはならない。ナナもいっていただろう、人間そっくりの化け物だと。何をされるかわかった物じゃない。
「――どうしました?」
「いや、大丈夫だ。旅人で会ってる」
「そうですか、ゆっくりしてって下さい。うちの集落は、まあ、こんな所にありますから、来る者拒まず去る者追わずってスタンスなんですが。あんた方は違いそうですね」
死にたがりのことだろうか、ノクターナは首を傾げている。言葉を濁してくれて助かった。
「道に迷ったんだ」
「うちに案内しますよ」
そんな言葉でしか言い訳できなくて、集落の中へ連れられてしまった。
木造の家屋が十軒ほどある集落は、まるで無人のような静けさだった。
「ねぇ」
「わかってる」
否、無人ではない。警戒されているのだろう。家屋の戸を閉め、中でじっと縮こまっている。数人が怖いもの見たさでチラチラとこちらに視線をやる。
閉鎖的な集落だ。まあ当然か。俺たちも警戒は怠らないようにしないと。
「ここです。お気が済むまで、まあゆっくりしてって下さい」
「ああ――助かる」
「喉渇いたらそこから適当に飲んで下さい。ああ、奥の部屋には行っちゃ駄目ですよ、困るんで。すぐ戻ります」
リビングと思しき場所に座らせて、青年は家を出た。
逃げ出すことはできる。いや、予定とは違うがこうなれば堂々と調査すべきか?祭りには興味があるし、早めに終わらすに越したことはない。
「――見に行く?」
「いや、辞めとこう」
青年のいった奥の部屋を指差すノクターナを留める。リスクがあるのは後回し、まずは当たり障りのない部分からだ。
暇潰しがてら探るべきことを考えながら、俺はノクターナが魔法で作った冷水を口に含んだ。




