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小国の城、甘くないクッキー



 長い廊下を犬のように走る。背丈よりもずっと高い窓硝子を、二段重ねにした不安定に揺れる椅子に立って拭く。汚れたお皿をひたすらに洗い、クソの臭いが充満したトイレを掃除する。


 嫌がらせとも取れる仕事を俺は淡々とこなしていた。割り振られるがままに。

 俺はそんな生活を、別に良いと思っていた。故郷を離れ、身寄りもコネもない俺の働き口だと考えれば。


 某日、晴れ。城を出て真っ直ぐ、広い庭園を挟んで反対側。人気のないトイレで俺はサボっていた。閉じた便器に座り何をするでもなく。

 このトイレは俺のお気に入りだ。人気がないのは勿論のこと、使う人も少ないのであまり臭いが気にならない。そして何より、このトイレでサボっているのがバレたことはこれまで一度もない。


「今回でここも終わりか――」


 メイド長より全使用人に通達される、今週の仕事場所を確認してため息をつく。残りの数日はサボれなかったりリスクが高かったりするものばかりだ。今日は多めに休憩していくことにしよう。


 ポケットに忍ばせていた包を足の上で開く。中には小さなクッキーが入っていて、一つ口へ放り込む。

 これは料理長が配っていたものだ。曰く、作り過ぎたらしいのだが定期的に配っているのであえて多く作り過ぎているのではと思っている。有り難い限りだ。


「金髪の人、一つ貰うね」


 どこからともなく伸びてきた手はクッキーを二枚くすねる。急いで阻止しようとするが間に合わず、クッキーは口の中へと消えていった。


「甘くないね。45点」


「辛口だな」


「辛くはないよ」


 料理長が甘くないのは紅茶に合わせると――とか言っていたのを思い出した。確かに水では物足りなさがある。


「――誰?」


 クッキーの恨みと顔を上げれば、そこには一人の少女がいた。


 俺よりも少し低い背が座った俺を見下ろす。

 見惚れるほど艷やかな長い黒髪、同じく黒い瞳は何かの宝石のよう。文句を言っていた割に上がった口角には、二枚重ねにかじったクッキーの粉が付着している。

 鮮やかな衣装を身に纏い、けれど少女の雰囲気とは似合わない。


「ここは男女トイレだ」


「うん、知ってるよ」


 身なりを見て貴賓かと思ったのだが、その少女は危ない人だった。あっけらかんと言われ俺は戸惑う。

 知っていて入るとは何が目的なんだ?覗きか、それとも実は男だったり?


「何か失礼なこと考えてない?」


「いいや。このトイレに個室はまだありますよと」


 ドアの先を指差し、出ていけと言ってみる。別の個室も空いているだろう。俺のクッキーを食べるの辞めてほしいし。


「トイレしにここまで来る人はいないよ」


「まあ、確かに」


 困ったことに納得できてしまった。


 負けじとクッキーを三枚口に入れて、俺はどうにかこの少女を追い出せないものかと考えていた。


「なら、どうしてここに?」


「――かくれんぼ。そう、僕はかくれんぼをしてるんだ」


「はぁ」


 つまり、誰かから逃げている途中と言うことらしい。つまりサボり。俺と何ら変わらない。つまり同胞。


「仕事は辛いからな」


「うん」


 少女はあっさりと吐露した。俺はそれを追い出す気もすっかり失せて、クッキーの最後と包に残った粉を流し込んだ。少女が羨ましそうに眺めても、俺は空っぽになった包をポケットにしまう。


「ノクターナ様ー出てきて下さいー」


「まずい、セバスだ。もっと奥に寄って」


 俺は無抵抗のままに個室の端へ追いやられる。あまり使われないこともあり個室は狭い。二人で、しかも端に寄るとなれば幾分か窮屈だ。少女を見捨てて突き出すことも考えたのだが後が怖く、半ば強制的にかくれんぼに参加させられる。


「絶対に動かないこと、絶対に音を立てないこと。わかった?」


 こくりと頷く。俺だってこんなところは見られたくない。

 すると少女は俺に手をかざして、ふりふりと動かす。挨拶しているように見えて俺も真似しておいた。


「あれ、君もしかして――」


 少女は俺の耳元で小さく話す。何をしたいのかわからず首を傾げていると、徐々に足音が近付いていることがわかった。


「まあ良い。僕も本気を出すとしよう」


 少女はどこからか短い杖を取り出し、呪文を唱える。所々で聞き取れたそれは、知っているいかなる言語とも違った。唯一わかったのは昔の言葉に似ていることだけ。


 少女はぶつぶつと小声で唱え、息継ぎの隙間からは足音が聞こえる。


「まさかこんな所には隠れていまい――」


 いくつかある個室のドアを開ける音のあと、空間がぐにゃりと歪んだ感覚があった。


 ゆっくりと開けられるドアだが、その先に居る執事セバスチャンと俺たちの目が会うことはなかった。喋れぬよう少女の柔らかい手で押さえ付けられた口から吐息が漏れる。

 随分と長い一瞬を過ごし、彼はこのトイレを離れていった。 


「今の何!?」


 足音が聞こえなくなって少し、ようやく解放された口から出た言葉は思っていたよりもずっと興奮したものだった。

 少女は人差し指を口元に立て俺を嗜め、答え合わせをしてくれる。


「簡単に説明すると僕たちが認識されなくなる魔法。もしかして、魔法を見るのは初めて?」


 こくりと、勢い良く俺は頷く。

 昔から魔法に興味があって、けれど使えないことを説明する。そっかそっかと何度も言う少女は、勘違いかもしれないけれど哀しげで、とても可愛いかった。


「じゃあ、また次会ったときには別の魔法見せてあげるよ」


 そしてようやく気付く。と言うより脳が追い付く。


 かの執事、セバスチャンはうちの者だ。彼が仕えるのは女皇陛下で、ノクターナというどこかで聞いた名前。


「姫、様――?」


「の妹だよ僕は。だからあまり気にしないで」


 姫様の妹、ノクターナ。

 何か粗相はしなかっただろうか。クビは飛ばされないだろうか。俺にはここ以外に行く場所なんてない。冷や汗が滝のように流れる。


「――やっぱりか。僕がここにいたことは秘密にしてね。じゃなきゃ君がトイレでサボってたこともバラすから」


「――ぁ」


 そう言ってノクターナはここを去っていった。

 俺は力なく便器の上に座り込む。休憩のつもりが余計に疲れた。もう二度とこんなことは。いや、冷めやらぬ興奮が偶にはあっても良いのかもしれないと思わせる。


 俺はノクターナの言葉を反芻する。それは二人だけの秘密だと言っているように思えて、それはクッキーの数倍も甘美なものだった。


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