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第5話 双子

美しい世界だった。

太陽は優しく地面を照らし、緑は生い茂り、鳥は歌い虫は鳴く。

空気には甘い香りが漂い、気温はとても心地よかった。


「ラフィはどうして私に、こんなに優しくしてくれるの?」


アリスは、森の外れ……木の根元に腰を降ろして、隣に座ったラフィに問いかけた。

モザイク顔の青年は、背負っていたリュックサックを降ろしてからアリスの方に顔を向けた。


「どうしてって?」

「うん」

「一つは、僕がこのラビリンスシステムのナビゲーターだから」


それを聞いてアリスは、ラフィから視線を離して膝を抱えた。


「そう……そうだよね」

「そしてもう一つは……」


ラフィはリュックサックからリンゴを取り出し、それをアリスに差し出した。


「僕が君のことを好きだからだよ」

「…………」


リンゴを受け取ったアリスが、耳まで真っ赤になる。

自分の分のリンゴも取り出し、シャク、とラフィはそれを噛んだ。

二人でしばらくリンゴを咀嚼し、アリスは木漏れ日が差し込む森を見上げた。


「私はいつまでここにいていいの?」


少し経って、ポツリと問いかける。

ラフィは小さく笑って答えた。


「ここにいたくなくなるまで」

「……そうなんだ」

「ここは、君が望む世界。君を癒やし、君を満たし、君の心の傷を治す世界。だから、いたい時はいていいし、いたくなければ出ればいい。その自由は君にある」

「…………」


リンゴの表面をしばらく見つめていたアリスだったが、やがて小さく、またそれを噛んだ。

甘い匂いと味が口の中に広がる。

リンゴの欠片を飲み込み、アリスは呟くように言った。


「お母さんは私をひどくぶつの」

「…………」


ラフィはリンゴを噛みながら、静かにアリスの言葉に耳を傾けた。


「鞭を使うこともあるわ。顔を叩かれたこともある。お前は私の子供じゃないって。そう言って叩くの」


リンゴを持ちながら膝を引き寄せ、アリスはそこに顔を埋めた。


「……お父さんは、私を毎晩ベッドに押し倒すわ。泣いても、頼んでもやめてくれない。周りの人には言うなって、言ったら酷いことになるって、必ず最後に言うの」

「…………」

「誰も助けてくれないわ。誰も優しくしてくれない。あっちの世界には、私はいてはいけない存在なのよ」

「そうか……」


ラフィはそう言って、手を伸ばしてアリスの頭を撫でた。


「つらかったね」


その一言を聞いて、アリスの目に涙が盛り上がった。


「……あの日の晩、お母さんはベッドにいる私とお父さんにナイフを向けたわ……」

「…………」

「その日だけ早く帰ってきたの。私は、助けてくれると思った。だって、私のお母さんだもの」

「…………」

「でも、お母さんは私にナイフを振り上げた」


アリスの手からリンゴが落ちる。

彼女は両手で顔を覆い、ボロボロと涙をこぼした。

その肩が震えている。


「あんなに離れてくれなかったお父さんは、すぐ逃げて行ったわ……痛くて、怖くて、どうしようもなかった。そして……」

「…………」

「気づいたらラフィがいた……」


ラフィは静かにアリスの話を聞いていた。

シャクッ、とリンゴをまた齧り、落ちたアリスのリンゴを拾い上げて、服の袖で汚れを落とす。


「それが真実だよ。君の隣には僕がいる。僕の隣には君がいる。それが今、アリスを取り囲む『本当のこと』さ」


アリスにリンゴを渡し、ラフィは彼女の小さな体を抱き寄せた。

ラフィの胸に頭を預け、アリスは泣きながら、彼の服を掴んだ。


「あっちの世界には帰りたくない。私、ずっと、死ぬまでラフィと一緒にいたい」


ラフィはモザイクの顔でアリスを見下ろした。

表情は読めない。

しかし、彼は微笑むように首を傾げてから答えた。


「そうだね。じゃあ、ずっとここにいればいい」

「……いていいの?」

「それを決めるのは君自身だ。誰もその権利を脅かすことはできないし、君にはそれが赦されている」

「ラフィは、私とずっと一緒にいて疲れない? 私といて大変じゃない?」


すがるように問いかけられ、モザイクの青年は肩をすくめた。


「どうしてそんなことを聞くんだい?」

「お願い……」


ラフィの服に頭をうずめて、アリスは震える声で言った。


「私を嫌いにならないで……お願い、ラフィ……私を必要として……もう一度、私の事を好きと言って……」

「…………」


ラフィは少し黙り込んだ。

そして手を伸ばし、アリスの小さな体を引き寄せて、その背中をゆっくりと撫でる。


「僕には君がいないと。君がいることで、僕は存在することが許される。自分を必要のない人間だなんて思わないでくれ。アリス。君がいないと、僕はここに存在してさえいられない」

「…………」

「愛してるよ、アリス。だから泣くのはもうやめよう。何より、君が泣いていると……僕も悲しいから」


嗚咽を漏らしながら、アリスはラフィの胸に顔を埋めて小さく首を振った。


鳥の鳴き声が聞こえる。

蝶々が辺りを舞っていた。


しばらくそのまま、二人の周りを時間が流れる。

ゆっくりと、静かに。


そして、アリスは泣き疲れたのか、スゥスゥと寝息を立て始めた。

ラフィはリンゴの残りカスを地面に置くと、リュックサックを肩に引っ掛けて、アリスをそっと抱き上げた。

彼女の涙が残った寝顔を見下ろし、モザイクの奥の顔でしばらくそのまま立ち尽くす。


「アリス……」


小さな声でラフィは言った。


「いつか、君は治らなければならない。その時は……」


風が吹いた。

ラフィの小さな呟きは、それにかき消され、そして消えた。



「ジャックさんと……フィルが……?」


目覚めたアリスは医師に説明され、呆然と口元を押さえた。

目を覚ましたのは、白騎士を倒してから三日が経過した後のことだった。

ナイトメアの襲撃はないようだったが、ジャックとフィルレインが敵を撃退……そしてそのまま昏倒し、いまだ目を覚まさないと聞いたのだ。


「…………」


毛布を掴んで、歯を噛みしめる。

自分が眠っている間に、そんなことになっているなんて夢にも思わなかったことだった。


「イベリス様も少し前に目を覚ましています。アリス様、少ししましたら、ご案内しますので僧正のところにご同行願えませんでしょうか?」


そう言われ、アリスは顔を上げた。


「僧正様が……?」

「イベリス様共々、お話したいことがあるそうです」

「……分かりました。向かいます」


頷いて、アリスは息をついた。

数点また説明され、しばらくしたら迎えに来ます、と言って医師が部屋を出て行く。

足元にいたラフィが体を起こして口を開いた。


「大丈夫かい? 体におかしなところは?」


問いかけられ、アリスは首を振って頭を押さえた。

体中がダルく、縫われた胸の傷がジクジクと痛むくらいで、他には何ともないようだ。

アリスの様子を見て、ラフィは息をついてから続けた。


「……ジャックとフィルレインは、白騎士の剣……ダーインスレイブを使ったことで、一時的に生命力がなくなり、昏倒しているだけだよ。もう少し休養すれば目を覚ます。死にはしない。安心していい」

「ラフィ……教えて」


アリスは黒猫を見て、しっかりした言葉で言った。


「私の中にいるバンダースナッチを制御する方法を。どうすれば戦えるのかを。私は、それを知りたい」


か細い声だった。

しかし、それは圧倒的な芯を含んだ、強い言葉だった。

ラフィは少し考え込んでから、やがてため息をついた。


「分かった。教えよう。ただし、おそらく君は『番外個体』だ。だから僕の説明が、どこまで適用されるのかは分からない」

「番外個体……?」


聞きなれない単語を聞いて、アリスが怪訝そうに問いかける。

ラフィがそれに答えようと口を開きかけ……そして目を細め、部屋の隅を睨みつけた。


「ラフィ……?」

「…………」


豹変した黒猫の様子を見て、アリスは口を開いて……そして硬直した。


部屋の隅に、いつの間にか人影があったのだった。

暗がりに「何か」が立っている。


帽子屋を思い出させる、いびつな形をしたシルエット。

頭が異様に大きく、醜いヒキガエルのようなコブだらけだ。

帽子とシャツ、そしてジーンズ。


同様の格好をした二人の「少年」は、同じような猫背の姿勢で、飛び出しそうに爛々と輝く瞳を光らせてアリスを見ていた。

片方はクチャクチャとガムを噛んでいるのか、口を動かしている。

もう片方は口に棒付きキャンディーを入れてしゃぶっている。


茶色の髪をした、醜い双子だった。


「……誰!」


思わずベッドから腰を浮かせて叫ぶ。

それをラフィが静止した。


「待つんだ、アリス。気配を感じない」

「気配……?」

「あれは、トゥイードルディーとトゥイードルダム。オリジナルナイトメアだ。おそらく、セブンスを使って霊体だけをこっちに飛ばしているんだと思う」


トゥイードルディー、そしてトゥイードルダムと呼ばれた醜男達は、アリスに対して口を開いてケタケタと笑ってみせた。


「アリスだ」

「アリスだ」

「もう一匹いたね」

「そうだね、もう一匹いたね」

「どうしよう、トゥイードルディー」

「どうしようね、トゥイードルダム」


キンキンと耳に刺さる声で二人が喋り出す。

呆然としているアリスに対し、近づいてくるでもなく、二人は舐め回すように彼女を見つめていた。

悪寒を感じて、毛布を掴んで体に引き寄せる。

その怯えた様子を見てニヤニヤと笑い、二人はポケットに手を入れ、挑発するように言った。


「こっちのアリスは僕の好みだ」

「そうだね、こっちのアリスの方が色気がある」

「それに帽子屋と白騎士達を殺したのは、多分こっちだね」

「強い方か……得体の知れない方だね」


片方……トゥイードルディーと呼ばれたガムを噛んでいる方が、うやうやしくアリスにお辞儀をした。

そして上目遣いでいやらしい笑みを浮かべながら続ける。


「アリス……あなたをご招待したい」

「招待……?」


意味不明なことを言われてアリスが硬直する。

彼女の口から、ゆっくりとバンダースナッチの虹色のゆらぎが流れ出した。


「本日の夕刻、十七時に、このシェルターの外……外れの遺跡に、一人で来るんだ」

「北北東の五キロ先の森の中さ」

「……そんな見え見えの脅しに乗ると思うのか?」


ラフィが緊迫した声を挟むと、二人はケタケタと笑った。


「来るさ、この子は」


トゥイードルディーがそう断言した。


「なにせ、この子は自分のことを知らない」

「…………」


歯を噛んだラフィを無視し、トゥイードルダムが続けた。


「教えてあげよう、君のすべてを。君が忘れていることを思い出させてあげよう。約束は守る。しかし来なかったら……」



「なんてこと……一人で行かせたの!」


僧正室でイベリスに大声を上げられ、ラフィは歯噛みしてそれに答えた。


「違う。アリスが自分の意志で壁を破って出ていってしまった。バンダースナッチもある程度はセブンスで制御できるようにはなっていたが……」

「…………」


イベリスは舌打ちをして、車椅子の上から簡易容器の中の僧正を見上げた。


「後を追うわ。殺されてしまう」

「いけません、イベリス」


僧正は静かにそう言った。

イベリスが目を見開いて怒鳴る。


「何を言うの! 助けないと!」

「冷静になりなさい。現在、このシェルターを守れるのはあなた一人です。二人の天使が出ていってしまっては、ただでさえ狙われているここは、ナイトメアの餌場と化します」

「…………」


僧正に諭され、イベリスは苛立ったように爪を噛んだ。


「それでも……」

「気持ちはわかりますが、罠だとわかっているところに飛び込むのも得策ではありません」


静かな調子で僧正が続ける。

ラフィは少し考え込んでから言った。


「少し前に説明したとおり、アリスには自分がドッペルゲンガーであるという記憶さえない。何も分からないまま、ラビリンスに製造されて、座標軸を間違って転送されたようなんだ」

「番外個体だったのね……」


イベリスは頭を押さえてため息をついた。


「どうしてそれを最初に説明しなかったの? あの子にも教えてあげるべきだった」

「それは違う」


ラフィはイベリスの言葉を否定して、首を振った。


「あの子はアーキに近い存在だと踏んでいる。いわゆるバグのようなものだ。つまり……」

「アーキの記憶も、何らかの拍子に蘇ってしまう可能性がある……」

「そうだ。もし顛末を彼女が思い出したら、地獄に変わる。だから僕はアリスについていた」

「…………」


イベリスは少し考え込んでから、もう一度僧正を見た。


「……移動用のエアバイクがまだ残っていたはずね」

「イベリス」


咎めるように僧正に声を投げかけられ、しかしイベリスは語気を強くして返した。


「だとしたら、なおさら助けないといけないわ。敵の狙いは分からないけれど、単純にあの子を殺すために呼び出したとは考えづらい。何か別の意図がある」

「……その過程で、アーキの記憶を思い出してしまったらコトだ。僕としても、君に救援を要請したい」


ラフィが珍しく切羽詰った声で言う。

イベリスは壁の時計を見上げ、車椅子に手をかけた。


「二時間だけ時間を頂戴。ナイトメアが現れたら、私にすぐ連絡を」

「…………」


僧正は少し黙り込むと、やがて息をついて答えた。


「分かりました。ジャック様が振るっていたナイトメアの剣を持っていきなさい。何かの役に立つことがあるかもしれません」

「急ぐわよ」


僧正には答えず、イベリスは意識を足に集中させた。

バンダースナッチのゆらぎが浮かび上がり、彼女は車椅子から立ち上がった。

その肩にラフィが駆け上がって張り付く。


「傷は大丈夫なのか?」

「これしき問題ないわ」


端的にラフィに答え、イベリスは半透明の足を踏みしめて走り出した。



体中からゆらゆらと虹色のもやを漂わせながら、アリスは血走った目で周りを見回し、足を止めた。

バンダースナッチが、うるさい。

先程からすべての「声」がざわざわ、ざわざわと怒りに震えている。


それはアリスも同様だった。

ナイトメア。

あいつらは自分を襲ってくる。

自分を守ろうとしてくれる大切な人も壊そうとする。

沢山の人を殺す。


敵だ、敵なんだ。

敵は殺さなければならない。

殺さなければ、殺される。


歯を噛み締め、アリスは森の中……ツタと巨大な樹木に絡みつかれるように半壊した、四角い建物の前にいた。

詳しい方角は分からなかったが、バンダースナッチがざわつく。

無数の「声」の感覚に頼って歩いてきたが、間違いはないはずだ……頭の中の何かがそう言っている。


「出てきなさい! 約束通りに一人で来たわ!」


声を張り上げて叫ぶ。

ウワンウワンと薄暗い森の中に声が反響した。


そこで、アリスは建物の屋上……そのヘリに、トゥイードルディーとトゥイードルダムが腰掛け、こちらを見下ろしているのに気づいた。

不思議と恐怖は沸かなかった。

アリスの心を支配していたのは、怒り。


殺意、憎悪。


どす黒い感情に胸の奥を煮えたぎらせながら、アリスは双子のナイトメアに向かって足を踏み出した。

その一瞬で周囲の空間に一気にバンダースナッチが広がった。

そして白騎士を叩き潰したときのような、巨大な空間のひずみが、双子ごと建物の一角を吹き飛ばした。

轟音と地鳴り、土煙がもうもうと上がる。


「まだだ」「まだだ」「まだだ」

「生きてる」「生きてる」

「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」


バンダースナッチがアリスに囁く。

その感覚に引きつけられるように、アリスは充血した目を横に向けた。

今度は少し離れた地面に、双子が立っていた。


『死ねえええええええ!』


アリスとバンダースナッチ達は絶叫した。

その「声」は幾重にも増幅を繰り返し、一気に水爆のように膨らんだ。

行き場がなくなった力が空間ごと反響し、バチバチと異様な音を立てる。


そして数秒後、双子の立っている地面が爆発した。

空気が炸裂し、天に白い光の柱が吹き上がる。


一拍遅れて空気がそこに流れ込み、辺りをドッと突風が襲った。

荒く息をつきながら、しかしアリスは歯を噛んで振り返った。

醜い双子が、背後の少し離れた場所……その樹の根元に腰を下ろし、こちらをいやらしそうな目で見つめていたのだ。


「やれやれ……とても話ができる状況じゃないな、トゥイードルディー」

「そうだね、トゥイードルダム。ちょっと思い知らせた方がいいかもしれないね」


トゥイードルダムは、右手を上げてパチン、と指を鳴らした。


「僕らのセブンスの力をさ」


アリスの耳元で、バンダースナッチ達がざわついた。


「何か来る」「何か来る」「何か来る」

「何だ」「何だ」「何だ」

「分からない」

「危険、危険だ」

「避ける」「避ける」「避ける」「避ける」


一斉に無数のゆらぎが力の方向を変えた。

途端、アリスの体は予備動作も何もなく後方に吹き飛んだ。

ゴムのように伸びたバンダースナッチが後ろの木の幹に張り付き、一気に伸縮したのだった。

真っ赤な目で前を見たアリスだったが、その目が見開かれた。


肉を破る嫌な音が響き渡った。

訳のわからないまま右足に激痛が走り、アリスは悲鳴を上げた。

バンダースナッチの動きが鈍り、そのまま地面に叩きつけられてゴロゴロと転がる。


「何……?」


押し殺した声で呟き、アリスは視線を足に向けて愕然と停止した。

右足が、膝から千切れてなくなっていた。

凄まじい勢いで血が噴出している。


「あ……ああ……」


震える声を発し、彼女は目を見開いて、千切れて転がっている足を見た。

何をされたのか。

全くわからなかった。


痛い、痛い、痛い、痛い。

激痛が頭を支配していて、何がなんだかさっぱり理解できない。

何をされた?


歪む視界で双子の方を見るが、双子は先ほどと同じ場所で同じ姿勢をとり、ニヤニヤとアリスを見つめているだけだった。

トゥイードルダムがまた右手を上げて、パチン、と指を鳴らした。

激痛のあまり耳鳴りがしているアリスの頭に、バンダースナッチ達の警告の声が響いた。

今度は左肩に激痛が走った。

情緒も何もなく絶叫し、地面をのたうち回る。


霞んだ視界に、爆発したように傷口が千切れ、肩口から左腕が切断されて転がっているのが見えた。

何だ……何だ、何だ。

訳がわからない。


そこで痛みのあまり動けないでいるアリスに、双子が立ち上がり、ゆっくりと近づいた。

そしてアリスの前で足を止め、ニヤニヤしながら顔を見合わせる。


「どうしよう、トゥイードルディー」

「どうしてくれようかな、トゥイードルダム」


必死に意識を前のナイトメアに向け、アリスはバンダースナッチ達に意識を送ろうとして……パチン、という指なりの音とともに、今度は右肩を吹き飛ばされ、濁った絶叫を上げた。

痛みのあまりに戦うことを考えるのもできなかった。

もう一度指なりが響きわたり、残った左足も、太ももの部分から爆裂して千切れ落ちる。


「ああ……あ……あああ……」


ガチガチと歯が鳴る。

噛み締めすぎた唇から血が流れ出し、鼻からは鼻血が流れ始めた。

パン、パン、パンと面白そうに手を叩いて拍手し、双子はぐるぐるとだるまにされたアリスの周りを回り始めた。


「さーてさて。これから君を、仲間達のところに連れて行って、そこで生きていることを後悔するくらい残虐な方法で、ゆっくりゆっくり嬲り殺すわけだけど」


トゥイードルディーが何でもないことのようにサラリと言う。

トゥイードルダムがそれに続いた。


「その前に、女として生まれてきたことを後悔させるくらいの楽しみはあるかな? どうかな?」


怖気のするセリフを言い放ち、笑う双子。

アリスは激痛で体を痙攣させながら、口の中に広がる血の味を感じながら、荒く息をついた。


言葉を発しようとするが、おかしな音が出ただけで何も言えない。

いやらしい笑みを浮かべながら、双子がアリスを覗き込む。


「そうだ、忘れていたよトゥイードルダム。そういえば僕達は約束を守らなければならない」


トゥイードルディーがそう言うと、アリスの服の胸をつかもうとしていたトゥイードルダムが振り返って肩をすくめた。


「真面目だな、トゥイードルディーは。早くしないと死んでしまうぞ」

「約束は約束だ。守らなきゃ」


醜い双子の片割れは、アリスに近づいて無造作に足を上げ、その頭を踏みつけた。


「真実を知りたいんだったね。約束だから教えてあげよう」

「…………」


血走った目を彼に向け、アリスは震える歯を噛み締めた。


「『視せ』てあげよう。君の心に干渉して、君の中に眠る真実の姿を」


トゥイードルディーは彼女の前に指を持っていき、そしてパチンッ、と鳴らした。


「死ぬ前に総てを知るといい。望むと、望まざるとに関わらず」


アリスの頭の中に、そこでノイズのような悪寒が走った。

悲鳴を上げて体をガクガクと揺らす。

脳みそをシェイクされるような異様な感覚。

発狂しそうな不快感の中、アリスは暗闇の中に意識を投げ込まれた。



「Oh, Happy Day...」


小さな歌が聞こえる。

暗闇の中で、背の高い、シャツにジーンズ姿の青年が歌っていた。


悲しそうな声だった。

やりきれない絶望の感情を歌に乗せて呟きながら、彼は何かを操作していた。

彼の顔にはモザイクがかかっていた。

表情はうかがい知ることができない。


「アリス……」


彼はそう言って、いじっていた機械から体を離した。


「ラビリンスシステムは腐ってしまった……」


呟いて、モザイク頭の青年は苦しそうに続けた。


「もう幸せな日は訪れない。ここは、君の望んだ楽園ではなくなってしまった。もうじきアポカリクファの終焉が訪れる。その時にこの世界は自壊する」


――ラフィ……?


その光景を、どこか離れた場所で見ながらアリスは心の中で呟いた。

なぜかは分からないが、その男性が黒猫のラフィに見えたのだった。


「僕も消えなければいけない。君の意思と共に。外部からの修正も、もはやこのシステムは受け付けない。僕にはもうどうすることもできない……」


モザイクの青年は、頭を押さえて機械に寄りかかった。


「アリス……教えてくれ。暴走したバグ達を、僕はどうすればいいんだ。君の愛したこの世界を、僕はどうすれば救える……?」


アリスは手を伸ばし、ラフィの名前を呼んだ。

しかし声は出なかった。

彼との距離も縮まらなかった。


ラフィ、どうしたの。

どうしてそんなに悲しそうなの。

私だよ、アリスだよ。

私は、ここにいるよ。


そこまで考えて、アリスはハッとした。


――アリス。


アリスって、誰なんだろう。


おそらくそれは。

……考えてはいけないことだった。

自覚してはいけないこと……。

それは、気付いてはいけないこと。


アリス。


それってもしかしたら、私ではない「別」の人の名前で……。


――脳裏に、「同じ顔」をしたイベリスのことが動かんだ。


アリスというのは別の人間の名前であって。

もしかして……「私ではない」……?


じゃあ……。

じゃあ、私は何なんだろう。


私は一体「誰」なんだろう。


ざわざわと髪が蠢いた。

動機が激しくなり、息が苦しくなってくる。


――私は……私は「アリス」ではない……?


気づいてしまった。

そして自覚してしまった。


目の前の「ラフィ」の様子を見て、察してしまったのだ。

そうだ、私は「アリス」ではない。

目の前のこの人は、私の名前を呼んでいるのではない。


別の「アリス」のことを呼んでいるのだ。


「僕にできるのは、今はもうこれしかない……」


彼は機械のボタンを叩いて、その場に膝をついた。

そして辛そうな声で続ける。


「ホスピタルからも、君の救援依頼が来ている。しかし少し前に通信は途絶されてしまった。もう、この世界にいる人間は自由にログアウトすることさえもできない。でも……」


ギリリ……と歯を噛みしめる音が聞こえた。


「どこかにいる『君』を助けるために、システムに干渉して少し弄ることができた。制御はできないけど……アポカリクファの終焉までに、ひょっとしたら何とかなるかもしれない」


そこまでラフィが言った時だった。

彼は弾かれたように振り返った。

そして後ずさる。

その顔の向いているところに視線をスライドさせる。


アリスは息を呑んだ。

身長二メートルは越える、巨体を伸ばした大男が立っていたのだ。


彼の頭は人間ではなかった。

猛獣……ライオンの顔をしている。

たてがみが背中まで美しく流れ、瞳は真っ赤に充血し、血走っていた。

筋骨隆々とした体には黒いスーツを纏っている。

ブーツのかかとを鳴らし、ライオン頭の大男はモザイク頭の青年に近づき始めた。


「ジャバウォック……どうしてここが……」


程なくして、ジャバウォックと呼ばれた男は青年の前に立ち、その頭を掴んだ。

そして奇妙な音を立てながら、人間一人の体を、頭を支点にして持ち上げる。

暴れている彼に、彼はくぐもった声を返した。


「ここにいたのか……ナビゲーター……」


脇にゴミのように青年を放り、地面に叩きつけてから、ジャバウォックは機械の方に体を向けた。


「や……やめろ……」


青年……「ラフィ」は必死に声を絞り出した。


「やめろ……! それを壊したら、もう元には戻れないぞ! 地獄が始まる!」

「地獄……か」


ジャバウォックはクック……と笑ってから、拳を振り上げた。


「望むところだ」



地面から少し浮いているエアバイクのアクセルを吹かし、イベリスは慣れた手つきでそれを操作した。

一人と一匹が、無骨なバイクに乗り、凄まじい勢いで森を駆けていた。

後部から圧縮された空気が噴出している。


「こっちでいいのか!」


ラフィが耳元で怒鳴ると、イベリスはハンドルを操作しながら声を張り上げた。


「あの子のバンダースナッチの波長は感知できてる。もうちょっとで着くわ!」


ラフィはイベリスの肩に貼り付いた姿勢のまま、歯噛みして言葉を飲み込んだ。


(無事でいてくれ……アリス……!)


そこから少し進んだところで、しかしイベリスは急にバイクを停止させた。

振り落とされそうになり、慌ててラフィが肩にしがみつき直す。


「どうした!」

「……しっ」


イベリスは小さく言ってラフィを黙らせると、バイクを停めて、ゆらぎの足で地面に降り立った。

そして気配を消すように息を潜めると、樹の陰に隠れながら進み始めた。

数歩歩いたところで足を止め、地面にしゃがみこんで、茂みの隙間から向こう側を覗く。

ラフィもそちらを見て、息を呑んだ。


地面に鼻血や吐血を撒き散らしたアリスが、仰向けに転がっているのが遠目に見えた。

目は開いているがようだが、反応が虚ろだ。

意識がここにないといった感じだった。


双子の一人、トゥイードルディーがアリスの頭を踏んでいる。

もう一人、トゥイードルダムはいやらしい笑みを浮かべてアリスの体を撫で回していた。


「何だ……? 」


小さな声でラフィが言う。


「何をされたんだ……? 意識がないように見えるが……」

「あの双子のセブンスは知らないの?」


イベリスに小声で問いかけられ、ラフィは首を振った。


「僕が知っているのは一部のナイトメアだけなんだ。トゥイードルディーとトゥイードルダムのことは殆ど分からない」

「なるほどね……」


彼女はそう返して考え込んだ。


「何してる。はやくアリスを助けてくれ」

「近づけない理由はいくらでも挙げられるけど、主にあの双子の能力にあるわ。見て」


イベリスは手を伸ばしてアリスを指差した。


「鼻血や血痰を吐いた形跡はあるけど、その他に外傷はない。でも、バンダースナッチの気配を感じない。意識を保っていないということになるわ」

「バンダースナッチの生存本能も発動してないのか?」

「そのようね。つまり、外傷をほぼつけられずに、致命傷を喰らったことになる」


イベリスは息をついた。


「厄介ね……わざわざ呼び出したと言うから、少しは懸念してたけど。双子のセブンスと、あの子の力はとても相性が悪いみたい。迂闊に近づけば、多分私達もやられるわ」

「どうすれば……」

「……大丈夫。私向きの相手かもしれない」


イベリスはそう言って、ポケットに手を突っ込んだ。


そして小さな銃弾のようなものを取り出す。

それを地面に突き刺し、彼女は足音を殺して少し離れた場所に移動した。


そしてバイクに近づき、後部座席に縄で結びつけてあったダーインスレイブを解いて、手に持つ。

バンダースナッチを腕にもまとわせているので、重くはないようだ。

それを片手で下段に構えて、彼女はもう片方の手でポケットから小さなスイッチを取り出した。


「行くわよ」


そう言って、カチッ、とスイッチをオンにする。

途端、イベリスが地面に刺したモノが爆裂し、辺りを真っ白な閃光が包んだ。

ラフィが思わず、目を閉じて硬直する。


――閃光弾。


それに気づいた時には、爆発の瞬間目を閉じていたイベリスは、既にゆらぎの足で地面を蹴り、空中高くに飛び上がっていた。

鳥のように小さな体が舞い、双子の頭上を飛び越えて反対側の建物の屋上に着地する。


「何だ! トゥイードルディー!」

「分からない! もう一人のアリスかもしれない!」


双子が喚きながら臨戦態勢をとる。

白い光で目がくらんでいるらしく、辺りにブンブンと手を突き出して威嚇している。


(やっぱりね……)


それを見て、イベリスは心の中で得心がいったように小さく笑った。

あの双子には、おそらく白の女王や白騎士などに備わっていた「戦闘力」はない。

あるなら無闇矢鱈に、自分達の身を守るために使うはずだ。

何の能力なのかは確証はないが、「今」は、「それ」でこちらに危害を加える事ができないようだ。


導き出される可能性はいくつかあるが……。

廃墟の建物の屋上にしゃがみこんで、イベリスは双子の視力が回復する十数秒の間に、閃光のように思考を巡らせた。


外傷をつけずに致命傷を与える力。

もしかしたら、それは対象に幻覚か何かを見せて精神に対して攻撃を加えるものなのではないだろうか。

そう考えれば、強力な攻撃を放つアリスが何もできずにやられたのも納得がいく。

物理的な防御は確かにものすごいかもしれないが、心は無防備だ。


それに、双子は挑発だったのかイベリスのところにも前もって現れていた。

精神に干渉し、自分達の意識を飛ばしてリンクさせてきたのだとしたら……。

今は自分の方には気づいていないようだが、何らかのトリガーで能力に堕ちてしまう可能性が高い。


(まだ攻撃を加えるのは早いわね……)


心の中で呟き、イベリスは屋上の陰に身を隠した。

そして顔だけそっと覗かせ、双子の動きを観察し始める。

目眩ましから復帰した二人のバケモノは、ギリギリと歯ぎしりをしながら背中を合わせ、周りを見回した。


「トゥイードルディー、見えるかい?」


トゥイードルダムが憤怒に歪んだ顔で言う。

問いかけられた双子の片割れは首を振った。


「分からない……しかし近くにいることは確かだ」

「気に入らない……気に入らないぞ! こっちを観察してやがる!」


喚きながら周りを見ている双子の様子に、イベリスは一つのことを確信していた。

まだ攻撃をくわえてこないということは、先の推論はほぼ確定と言ってもいい。

つまり、こちらが視界に入らない限り攻撃をすることができないのだ。


人差し指を立てて、イベリスは自分と双子の間の距離を測り始めた。

およそ二十メートル。

飛びかかって一人は殺れるかもしれないが、もう一人に返り討ちに遭う可能性がとても高い。


ならば、ダーインスレイブはどうだ?

手の中の剣を見て、しかしイベリスは歯噛みした。


……駄目だ。


この剣がどのくらい自分の生命力を吸うのかが分からない。

ここから振るえば殺れる……かもしれないが、あまりにも不確定だ。


もし一撃で仕留められず、自分が昏倒してしまったら全てが終わる。

アリスは殺され、自分も殺され、シェルターの人間達は虐殺されるだろう。

使うにしても追いつめられた瀬戸際だ。


そこで双子がニヤリと笑って顔を見合わせた。

そしてアリスの髪を掴んで引きずり起こす。


「もう一人のアリス!」


トゥイードルディーが大声を上げた。

そして背中合わせのトゥイードルダムがそれに続く。


「今からこのアリスの指を一本ずつ切り落としていくよ!」


イベリスの肩の上でラフィが息を呑んだ。

双子がそれぞれポケットから、ゾロリとサバイバルナイフを取り出してゆらゆらと振る。


トゥイードルダムがナイフをアリスの胸に当て、ツツー……と服を切り裂いた。

下着まで切断されたアリスの胸が、わずかに切り傷をつけられて血を流しながらあらわになる。

それでも意識はないようだ。


「指が終わったら足にしようかな。それが終わったら皮を剥ごう!」

「そうだね、そうしようトゥイードルディー!」


ケタケタと双子が笑う。


「猶予をあげるよ! もう一人のアリス。今から二分だけ待つよ!」

「その間に投降してね! そうしたら、お前がいたシェルターだけは『見逃してやる』と約束しよう!」

「約束は守るよ! だから約束を守ってね!」


えげつない笑みを浮かべた双子を見て、ラフィが飛び出しかける。

その口元を押さえてラフィを押しとどめ、イベリスは更に建物の陰に体を押し込んだ。


――幼稚な脅迫だ。


まずそう思った。

勿論、ナイトメアにこちらを痛めつけ拷問することに何の躊躇いもないことは知っていた。


アリスは本当に言われた通りにムゴいことをされる。

それは確実だ。


しかし、だからと言って自分が出ていくと考えているのは笑止だった。


イベリスは冷静だった。

出ていってあいつらが約束を守る保証なんてどこにもない。

それに、目的はアリスの救出だ。

それをさておいて投降しろ、なんて交渉にもなっていない。


(バカね……)


心の中で嗤う。

イベリスは確信した。


あの双子の視界に入ってはいけない。

おそらく、目。

背中合わせの戦闘態勢。

そして意地でも自分を引っ張り出そうとする言動、そこに焦りが見える。

どのくらい視力があるのかわからないが、二人に視られた瞬間に術にかかる……と、警戒した方がいいとイベリスは踏んだ。


厄介な能力だ。

視られたら負ける。

おそらく精神に作用し、強烈な痛みか何かを送り込まれるのだろう。


脳は不思議なもので、イメージだとしても過剰な干渉を受けると、それを現実のものだと認識する。

おそらくアリスは、今痛みか何かでピクリとも動けないはずだ。

もしかしたら、脳がそれに耐えきれずに虫の息なのかもしれない。


(さて……)


イベリスはそこまで考えて、ラフィを押さえつけながら呼吸を整えた。


(狩るか……)


心の中でそう呟き、歯を噛んで体に力を入れる。

イベリスの足……そのバンダースナッチが小さく蠢いた。

そして建物の屋上に突き刺さり、凄まじい速度で下に伸び始める。


何をする気だ、と目を剥いたラフィを一瞥し、彼女はしゃがんだ姿勢のまま、完全に屋上の陰に身を隠した。

辺りを見回しても何の反応もない状況に苛立ったのか、トゥイードルディーが金切り声で喚き始めた。


「気に入らないぞ! もう一人のアリス! 様子を伺ってるな!」


ギリギリと歯ぎしりをしてトゥイードルダムが続く。


「今からこのアリスを目覚めさせる! こいつが発狂する前に出てきた方が身のためだと思うぞ!」


ラフィが息を呑む。

イベリスは表情を変えず、息を殺してラフィを床に降ろした。

そして指を口の前に持っていって、黒猫を黙らせる。


「どうする? トゥイードルダム」

「胸が煮えたぎりそうだよ。少しだけ『解除』してやってもいいんじゃないかな?」

「そうしようか」


トゥイードルダムはそう言って、パチンと指を鳴らした。

途端、ビクンッと半裸に剥かれたアリスが体を跳ねさせた。

そしてトゥイードルディーに髪を掴まれながら、白目を剥いて絶叫する。


濁った絞り出すような悲鳴を聞いて、イベリスはそれでも動かなかった。

アリスにはもう明確な意識はないらしい。

死に物狂いで体をバタバタさせて暴れている。

狂気を感じさせる様子に、双子が目を細めて嗤う。


「さぁどうする! このままじゃ本当に死ぬぞ!」

「その前に脳の神経が焼き切れるかな? いいのかな? こいつを助けにきたんじゃないか?」


嘲るようにトゥイードルディーが言う。

そこで、二人の背後の地面から、コロン……と石が転がる音がした。

それに過敏に反応し、双子が一斉に振り返る。


その目が真っ赤なフラッシュのような光を発した。

一瞬をイベリスは見逃さなかった。


屋上の床を蹴り、ラフィを置いて空中に身を踊らせる。

そして双子の背中に向け、手にしていたダーインスレイブをパッ、と離し、落とした。

重力に引かれ、巨大な長剣がグルグルと回りながら落下する。

それを察知したのか、トゥイードルディーが慌てて振り返った。


「上だ! トゥイードルダム!」


彼がそう叫んで瞳を赤く光らせる。

しかし一瞬の差で、イベリスは足のバンダースナッチを伸ばして逆方向の樹に突き刺して、一気に伸縮させた。

彼女の体が凄まじい速度で動き、瞬差でトゥイードルディーの視線を回避する。


トゥイードルダムが、慌ててアリスを脇に投げ飛ばして、トゥイードルディーのことを突き飛ばした。

双子の今までいた場所に、ダーインスレイブが無造作に突き刺さった。

ナイトメア達の視線がそこに集中する。


「これは白騎士の……? セブンスは発動していないようだけど……」


目を赤く光らせながらトゥイードルダムが言う。

そして歯ぎしりしながらダーインスレイブに手を伸ばした。


「何のま……」


何の真似だ、と言おうとしたのだろうか。

そこで、突然剣が突き刺さった地面……その下から、ボコリと地表を突き破って虹色のゆらぎが噴出した。

それがダーインスレイブを絡むように包み込む。

そして一気に横薙ぎに、トゥイードルダムの顔面を両断した。


「トゥイードルダム!」


双子の片割れが絶叫する。

ゴドリと音を立てて、トゥイードルダムの頭部の半分が地面に落ちる。

あたりに噴水のように黒い血液が吹き荒れ、残った体がビクンビクンと跳ねてから倒れた。


「クッ……!」


歯ぎしりして、トゥイードルディーは地面から突き出しているイベイスのバンダースナッチを睨んだ。

瞳が赤く輝き、バンダースナッチが蛇のようにのたうち回ってから霧散する。

ガラン、と地面に剣が落ちた。


「……僕達の魔眼からは、たとえ体の一部だろうと逃れることはできない……」


歯ぎしりしながら、トゥイードルディーは足を踏み出した。


「地面を掘ってバンダースナッチで奇襲したな? 賢かったけど、もう終わりだ。痛くて痛くて動けないだろう? もっと干渉を強くして、脳みそ沸騰させてやるよ」


穴の方に進んでいく悪魔。

そして何か言葉を続けようと口を開け……。

ドッ、と胸を何かに貫かれ、停止した。

全くの逆方向……つまり背後から伸びたイベリスの足が、正確にトゥイードルディーの胸を貫いていた。


「え……ッ」


口から黒い血液を噴き出して、トゥイードルディーは振り返ろうと目を動かし……。

胸に突き刺さったバンダースナッチが、幾重にも分かれてその体を細切れに刻み込んだ。


あたりに爆発したように血肉の破片が散乱する。

少し離れた場所に立ったイベリスが、バンダースナッチを伸縮させて足に戻した。

そして息をついて髪をかきあげる。


「……タネが分かれば何てことはなかったわね。最も……あの子が単独行動してくれてなかったら、私も問答無用で殺られてただろうけど……」


双子の力の干渉が消えたのか、アリスが血の混じった泡を吹いて崩れ落ちる。

ラフィが建物から降りたのか、駆け寄ってきた。


「大丈夫か!」

「私よりあの子の様子を見てあげて。すぐにシェルターに戻るわよ」


冷静にそう言って、イベリスは双子の死体に近づいて、その頭の部分にあった二つの結晶のようなものを抜き出した。

そしてポケットに入れる。


単純なことだった。

建物の屋上から、足のバンダースナッチを伸ばして地面に突き刺す。

そして足元から切り離し、意思で操作して双子の背後に出現させる。


どうやらダーインスレイブは、力を込めて振らなければ生命を吸い取ることはなさそうだ。

だとすれば、「ただ落下させれば」生命は吸われない。

イベリスの体から切り離したバンダースナッチの一部を犠牲にし、あとは残りにとどめを刺す。


「……何て大胆なことを……」


ラフィは、アリスに息があることを確認して振り返り、イベリスに言った。

イベリスはエアバイクを手で引いてきて、ダーインスレイブを持ち上げた。


「相手はオリジナルナイトメアよ。命を賭けないと倒せない相手だったわ」


そして片手でアリスを服ごと掴み上げ、エアバイクの後部座席に乗せる。


「意識はないみたいね。私の体に縛り付けるから、手伝ってくれる?」


ラフィはそれを聞いて、慌てて頷き、彼女達に近づいた。

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