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第13話 ルイス・キャロル

大丈夫だよ、と貴方は言った。

終焉がこの世界を包んでも、自分は絶対に離れはしないと。

どんな手を使ってでも「君」を探し出すと。


だから笑って私は返した。

彼に、一言だけ小さく。


「待ってる」


と。



アリスは緩慢な動作で起き上がった。

彼女は光の中にいた。

虹色に輝く飛沫の中で、アリスは顔面がモザイクの男性が、黒いスーツを着て自分を見下ろしているのを見上げた。


モザイクにかき消された顔は見えない。

見えないが、彼はとても悲しそうな顔をしていた。

アリスは立ち上がると、モザイクの男性の前に一歩、足を進めた。

そしてしばらく見つめ合う。


「ラフィ」


アリスはそう言って、そっとモザイク顔の男性を抱きしめた。

ラフィと呼ばれた彼は、しばらく戸惑っていたが、やがて長い腕を伸ばして、アリスをそっと抱いた。


しばらく、二人はそうやって抱き合っていた。

アリスは体を離し、モザイクで隠れたラフィの顔を見上げた。


「さようなら。ラフィングキャット。『私』が一番愛した人……」


モザイクの奥の顔が、少しだけ笑った気がした。

その体が足元から光の飛沫になって、アリスを取り巻く虹色の光に同化していく。


「一緒に行こう」


アリスの右目から、ボボ……と青白い炎が吹き上がった。


「アポカリクファの終焉を、止めるんだ」



殴られたジャバウォックは、しばらくの間呆然としていた。

ジャックが手を離し、彼は力なく膝をついた。

そして体を震わせる。


「これが……恐怖……? これが……生きているという証……? 何を……何を馬鹿な……」


引きつった顔でジャックを見上げ、彼は叫んだ。


「そんなものが存在の証明であってたまるか!」

「…………」

「そんな……そんなもので、俺は自分が生きていると! 思えない! 思いたくない!」

「だから……!」


ジャックは、小さく掠れた声で、彼に言った。


「だからみんな……戦っているんじゃないか……」

「…………」


言葉を失ったジャバウォックが、膝をついたまま愕然と停止する。


そこでジャックは、ジャバウォックの背後に人影があるのを見て、数歩下がった。

そして地面に刺したダーインスレイブを抜き放ち、その人影……ルイスに向ける。


空間を歪めて現れたルイスは、完全にジャバウォックを無視して、ジャックの前に進み出た。

そして興味深そうに彼を見回す。


「ふむ……そんなに強化したつもりはなかったんだがな……」

「貴様……!」


ジャックは折れたダーインスレイブを下段に構えた。

それを見てルイスは、うんざりしたように手をひらひらと振ってみせた。


「ああ、そういうのはもういい。お前達のバグり方にはつくづく感嘆したよ。プログラムもこんなエラーを吐き出すものなんだな。データ生命体と言った方がいいかな。だが、一定値における自己進化の先は見えた。お前達はもう終わりでいい」

「逃さんぞ……ルイス・キャロル……いや、シャルロ・マーヴェルス! 貴様を捕まえ、警察に引き渡す!」


その言葉を聞いて、ルイスは眼鏡の奥の瞳を大きく見開いてキョトンとした顔をした。

そして、数秒後合点が行ったように舌打ちをする。


「……まさか、現実の『私』がまだ生きている……と?」

「…………」

「答えろよホワイトナイト。お前は私が造ったんだぞ」

「それがどうした……何に造られようと、何に変えられようと、私は私だ! この心も、魂も、私だけのものだ!」


ルイスの背後のジャバウォックが目を見開く。

初老の老人は、呆れたように首を振って、肩をすくめてみせた。


「それは全部プログラムだよ。もっと端的に言えば、数字の羅列だ。突き詰めればゼロと1で表すことさえも出来る。感情など、心など、魂など、そんなものはゴミだ。造れる。いくらでも」

「…………」

「自分だけのもの? 何を言う……そんなものは存在しない。私が造れる範疇のものに価値などない」

「…………」

「私が見たいのは、アリスの姿だけだ。ベコベコにヘコんだ汚らしいデータではない。どけ」


ジャックは無言でダーインスレイブを強く握りしめ、構えた。

ルイスはそれを面白くなさそうに見て、投げやりに言った。


「この世界は一度リセットすることにした。シミュレーション自体は成功したからな。アリスという完成体が『創り出せる』ことが分かれば、こんなラビリンスなど、もうどうでもいい。私の体がまだ生きているとなれば、更に急がねばな……」

「……何をするつもりだ……?」

「言ったろ? リセットするんだ。全部」


ルイスの頭上……。

その虚無が浮いた空がうずまき始め、黒い空間……ひずみがあたりを覆い始めた。


「そして内部から外部干渉のロックをかけて、もう一度シミュレーションを繰り返す。次は私の手でアリスを創り出さなければな」

「この世界と共に消えて無くなることが狙いではなかったのか……!」

「は?」


それを鼻で笑い、ルイスは小さく喉を鳴らした。


「どうして? ここは、私が、私の思い通りに造り上げた私だけの『世界』だ。私のユートピアだ。何故私が、私のユートピアから退場しなければいけないんだい? それでは『話』が終わってしまう」


ルイスは面倒くさそうにジャックに向けて右手を伸ばした。


「消えるのは、『お前達バグ』の方だ」


ルイスの周囲に真っ黒い虚無が出現した。

それは光さえも発しない、まるで宇宙を連想させる「何もない」空間だった。

それらは意思を持つようにぐるぐると回転すると、アリスのバンダースナッチのように蠢き始めた。


そしてルイスの頭上から、ハッタとヘイヤが行ったような虚無の侵食が広がっていく。

壊れたデータの断片がパラパラと雪のように降り注ぎ始めた。


「リセット……? 何を言っている……?」

「そのままの意味だよ。最初から、アリスシリーズとかいうバグと、ナイトメアを戦わせていたのは、ただのシミュレーションだ。私はそれをずっと……ずうっと、観測していた」

「…………」


絶句したジャックに、ニタリと厭らしく笑いながら、ルイスは続けた。


「私が手を下してはダメだ。果たして人間の感情を、魂を、データは超えることが出来るのか。システムが、それらを創り出すことが出来るのか。私はそれが見たかった」


ルイスは虚無と共に、ゆっくりとジャックに向けて歩き出した。


「結果、アリスシリーズは完成を迎えた。人間以上の干渉能力を持ち、人間を遥かに超える仮想生命体。本来それは、システムでは創り出せないものなのだよ」


ハッタとヘイヤの時の比ではなかった。

次々に空や地面が消失していく。


「『創れる』それが分かっただけで、私の観測は目的を終えた。次のステージに進みたい。だから、このシミュレーションをもう一度最適化してやり直さなければいけないんだ。それが『リセット』だよ。最初からアポカリクファウィルスは、そうなるように組んでいた。終焉は、間違いなく、必ず、絶対に訪れる」

「そんなことは絶対にさせない……」


ジャックは押し殺した声を張り上げた。


「お前は必ず捕まえる……神にでもなったつもりか? 人間の身で!」

「神……神!」


ルイスはまた足を進めて叫んだ。

そして両手を天に向けて伸ばし、大きく笑う。


「そうだよ! 私は神だ。私はこの世界を創った! すべてを構築した神だ! 私が、私のシミュレーションの為に用意した舞台だ。どうしようが私の勝手だろう!」

「貴様……!」


怒りに震える手で、ジャックはダーインスレイブを中段に構え直した。


「おっと……」


ルイスはそう呟いて、どうでも良さそうにジャックに言った。


「お前のような塵の相手をする気分ではない。その折れた剣で私と戦うつもりかね? 一応言っておくが、『データ』が『消えたら』、もう二度と復活はできないよ? 一度だけ忠告しよう。やめておきたまえ」


ジャックはダーインスレイブを構えたまま、歯ぎしりをするように怒りで体を震わせていた。

その脇を、黒い虚無をまといながら、悠々とルイスが通過していく。


「があああああああああ!」


しかし、そこでジャックが咆哮し、ルイスの首に向けてダーインスレイブを振り抜こうとして……。

ルイスに背後から踊りかかったジャバウォックを見て、すんでのところで剣を止めた。


彼もまた、咆哮していた。

ジャバウォックの動きは予想外だったらしく、ルイスは一瞬だけポカンとして獅子頭のナイトメアを見上げた。


ジャバウォックは腕を振り上げ、渾身の力を込めて振り下ろした。

その腕が虚無を斬り裂き、ルイスの右腕を肩口から薙ぐ。


老人の絶叫が響き渡った。

次の瞬間、ルイスがまとっていた虚無の渦が、大きく横に振るわれて、ジャバウォックの胴体を薙ぎ払った。

下半身を吹き飛ばされたジャバウォックが、ジャックの方に放物線を描いて飛んできて、地面に叩きつけられる。

 

「魔獣!」


ジャックはそう叫んで、ダーインスレイブを地面に突き刺して、徐々に消えていくジャバウォックを抱き上げた。


「お前……」

「…………」


ジャバウォックは、虚無に侵食されながら、虚空を見上げていた。

その口が緩慢に動く。


「……アリス様はなぁ……優しかったんだ……」

「…………」

「俺は好きだったんだなぁ……アリス様のことが……」


その顔が苦悶に歪んだ。

獅子の瞳から、一筋の涙が流れて、砂漠に落ちる。


「癒やして……差し上げたかった……」


完全にデータの欠片となり消え去ったジャバウォックがいた場所を、ジャックはしばらくの間、抱いた姿勢のまま呆然と見ていた。


ルイスは千切れた右腕を左腕で持ち、歯を食いしばって喚いていた。


「畜生……! 渡した管理権限を行使したな……私の腕が……腕が消える……!」


右腕が塵になり消えていく。

ジャックは、真っ赤な血液を右肩から流しているルイスを見て立ち上がった。

そしてダーインスレイブを地面から抜き放ち……。


背後の空間が歪んで、姿を現した少女に向けて口を開いた。


「……行こう、アリス。終わりにしよう」

「うん、ジャックさん。そうだね」


アリスは、虹色のバンダースナッチを体中にまとわりつかせながら、炎の右目でルイスを睨んだ。


「私達は、お前の創ったこの悪夢から出ていく。すべての人は、お前の支配から解放される……そしてお前は……」


アリスは凛とした声で叫んだ。


「惨たらしく現実世界で裁かれろ!」


ヒー……ヒー……と掠れた息を吐きながら、ルイスは左手で右肩を押さえ、振り返った。

その目は血走っており、憤怒の形相だった。


「データごときが……それも、人間をベースにしていないプログラムごときが……私の、私の腕を……!」


ルイスは足を踏み出したアリスを見て叫んだ。


「データの屑が、神の私を笑うか!」

「神……?」


アリスは口元を歪めて笑うと、また一歩足を踏み出した。


「私達がデータの断片だとしたら、今の貴方は何かしら……?」


そう言われ、ルイスは目を見開いた。

アリスはクスクスと笑うと、ジャックと同時に、またルイスに向けて歩き出した。


「データの『神様』って、いや……『データの集合体』って。別に、ただのダストであって。私達と同じじゃない?」

「……やかましい……」

「ダストがダストに何かをほざいても、何も変わらない。変えられない。変えようとするのは自分の意志。変えられるのは自分の行動。そして、それは他の何者にも支配されない。それが『生きる』ということ」

「やかましいいいい!」


ルイスが怒鳴ると、彼が纏っていた虚無が渦を巻いてアリスに殺到した。


「消えろ! 私の邪魔をするならば! すべてリセットされろ!」


虚無の渦に向けてアリスは右手を伸ばした。

そして銃の形を作る。


「幾百、幾千、幾万の虚無を広げても、私達は消えない。この想いは、この心は、私達が生きた証、生きていることの証明なのだから!」


アリスが纏っていたバンダースナッチが円錐状になり、虚無に向かって撃ち出された。

そして衝突し、激しい対消滅反応を引き起こす。

しかし虚無が広がる……と思った瞬間、アリスのバンダースナッチが大きく広がり、ルイスの虚無を飲み込んだ。

そして猛獣の顎のような形になり、力を込めて『噛み砕い』た。


バラバラと、雪のようにデータの断片が降り注ぐ。

ルイスは呆然とすると、吠えるように叫んだ。


「な……何だ……? 何をした!」

「……虚無はマイナス方向のデータ……このバンダースナッチはプラス方向のデータよ。貴方が創り出した虚無以上の容量をぶつけただけよ」

「…………」


愕然として、ルイスは右肩を押さえながら後ずさった。


「嘘だ……嘘だああああ!」


老人が絶叫し、その周りの虚無が一気に広がった。

それを見てから、アリスは残った左目を閉じて、そっと呟いた。


「フィルレイン……ラフィ……ありがとう。あいつは、私を増悪の塊だと言ったけれど、確かにそうかもしれない……」

「…………」


ジャックがダーインスレイブを構えながら、アリスの脇に立つ。


「でも、増悪の塊でも……それは『力』であることに変わりはない」


ジャックが虚無に包まれる周囲の中、そっとアリスに言う。


「そして、それを使うのはアリス……君自身の『意思』だ!」


アリスはまた右手を伸ばし、左手でそれを支えた。

彼女とジャックは連れ立つように立った。

アリスの銃の形にした指の周りに高密度のバンダースナッチが集まっていく。


それらは反響し、増幅し、無限に膨れ上がっていく。

どこまでも虹色の光が広がっていく。

そしてアリスは、ルイスに。

シャルロ・マーヴェルスに向けてそのバンダースナッチを放った。



「夢から覚める?」


アリスは、顔がモザイクの男性に向かってそう言った。

一面の花畑に座って、花の冠を編んでいた彼は、アリスの方を向いて小さく頷いた。


「ああ。これは夢なんだ、アリス。残念なことにね……だから、もうすぐ君は目覚めなくてはいけない」

「嫌だよ……そんなの……!」


アリスは引きつった声を上げて、モザイクの男性にしがみついた。

彼が編んでいた花の冠が手から離れ、パサリと地面に落ちる。


「私、ラフィと……みんなと離れたくない……! ここにずっといたい。ここで、みんなとずっといたい……!」


いつの間にか、アリスとラフィは沢山の人影に囲まれていた。

彼らは一様に顔にモザイクがかかっていた。


「アリス、僕達はデータだ。プログラムで動いている。でも君は違う。魂が……」


ラフィがそう言うと、アリスは泣きじゃくりながら叫んだ。


「どうして? みんなだって生きているじゃない! どうしてそんな悲しいことを言うの? みんなだって、私と同じように生きてる!」

「アリス」


モザイクの男性は、アリスをそっと抱きしめた。

そして頭を撫でる。


「君はもうすぐ治癒する。心の傷も、膿も殆どもう見られない。君は、君として新しい人生を歩き出すんだ。僕達と一緒に」

「一緒……? 一緒に……?」


意味が分からない、という顔をしたアリスに、ラフィは微笑んだように見えた。


「君の心の中にいる限り、僕達は永遠に『生き』続ける。僕達はこれから、君の心の中で生きるんだ。だからアリス。君はもう独りじゃないよ。ずっと、ずっと一緒だ」

「それって……」


アリスは泣き笑いのような顔でラフィを見上げた。


「これからも、しあわせが続くってこと?」

「そうだよ。HAPPY DAYだ!」


彼らを取り囲んでいた者達が手を叩き、嬉しそうにアリスの名を呼ぶ。



HAPPY DAY。

そうだ。

私は……。


アリスは、広がったバンダースナッチの光の中。

シャルロに、泣き笑いのような顔を向けた。

老人の体が光に包まれる。


そして、光は爆ぜた。



国際指名手配犯、シャルロ・マーヴェルス。

彼は史上最悪のシリアルキラーとして、後世まで名を残すことになる。


裁判は長く続いた。

数百の罪状を一つ一つ紐解いて裁くために、シャルロは幾度も延命治療を受け続けた。


そして、彼は獄中でその生を終えた。

裁判の途中で、判決も全て出ないまま、シャルロは独りで、独房内で死んだ。

一説によると、延命治療に体が耐えきれなかったとも言われる。


しかし、彼をシリアルキラーと言わしめるのはそこではない。

死の直前、シャルロは笑っていたと、後の史実に記載されている。

楽しそうに、歌を歌いながら笑っていたそうだ。


それが何を意味するのか。

何故、シャルロはここまでの大犯罪を犯したのか。

何一つとして、明らかにはならなかった。


そして最期まで彼が開示しなかった、「閉鎖された」M.O.R.Sの病棟サーバーの解除キーは、闇に葬られることになった。



シャルロ・マーヴェルスの「意識」が現実世界に転送されてから、数年が経過していた。

M.O.R.Sの病棟サーバーは、崩壊を免れていた。

そして、現在もまだ稼働を続けている。


そう。

M.O.R.S内からまだ帰還していない患者が、いまだに多数接続されているからだった。

警察の捜査は、引き続き行われている。


定期的に、患者達は目を覚ましていく。

ゆっくりと。

仮想現実の世界から、目を覚ましていく。


全員が「救出」されるまで、M.O.R.Sは稼働を止めない。



シャルロは、現実世界に転送される寸前に、ラビリンス内に外部からの干渉不能の権限を行使した。

彼は、自分と引き換えに、M.O.R.Sを閉鎖していったのだ。


それが何故なのか。

もはや観測されることはない仮想空間の中で、まだ「シミュレーション」は続く。


広大なラビリンスの中で生きる、記憶を失くした人間達。

そして、アポカリクファウィルスは消えなかった。

世界の崩壊はまた緩やかに進行を続け、歪みは新しいナイトメアを生み出していく。



どう、と巨大な影が倒れる。

それはゆっくりとデータの断片になって空中に霧散していった。


「この辺りのナイトメアはほぼ駆除し終わったわね」


バンダースナッチの足で地面を踏みしめたイベリスが口を開く。

折れたダーインスレイブを鞘に収め、ジャックは頷いた。


「ああ。安全は確保されただろう。管理権限を使って、できるだけ早くシェルターの中の人達を、『外』に送ろう」

「ええ」


イベリスとジャックが歩き出す。


「アリスは?」


問いかけられ、ジャックはくぐもった声で応えた。


「シェルターの中だ。入り込んだナイトメアの駆除をすると言っていた」

「そう。じゃあ……」


ポン、と白騎士の肩を叩いて、イベリスはそっと笑った。


「行ってあげて。私はもう、大丈夫だから。患者さん達の転送は、私がやっておくわ。心配しないで」

「…………ありがとう」


ジャックは少し考えて、ダーインスレイブを抜き放ち、空間を斬り裂いた。



アリスは、シェルターの外……その天辺に、両足を抱えてぼんやりと座っていた。

黒い森。

黒い夜が周囲を包んでいる。


「ここにいたか」


ジャックが後ろから声をかける。

アリスは眼帯をつけた顔で振り返り、ジャックを見た。


「あ……ごめん。何も言ってなかったね」

「いいんだ。おいで」


アリスは立ち上がって、座り込んだジャックの上にそっと腰を降ろした。

白騎士が彼女の体をそっと抱きしめる。


「あと何個シェルターってあるのかな……」

「さぁな……」


ジャックは息をついて、白い月が煌々と輝く黒い空を見上げた。


「外部との通信が全くつけられない状況が続いているからな……」

「ねぇ、ジャックさん」


アリスはジャックの腕を抱いて、呟くように言った。


「もしも……もしもね」

「…………」

「このM.O.R.S内にいる患者さんたち全員を助け出したら、ラビリンスは止まっちゃうのかな」

「…………」


アリスの問いかけに、しばらくジャックは答えなかった。

しかし彼は、静かに、アリスに言った。


「止まるだろうな」

「そう……」

「でも、アリス」


兜の奥のジャックが、少し笑ったような気がした。


「それが、私達が生きていることの証だろう?」

「…………」


アリスはジャックの顔を見上げ、その腕と自分の膝を引き寄せた。

そしてフッ、と年頃の少女のように気の抜けた笑顔になる。


「そうだねえ……」

「大丈夫だ。もしここが停止しても、私がいる。そして、この剣も」

「うん」

「アリスとイベリスを連れて、何処までだって行ける。私達は、生きていくんだ」


風が吹いた。

さやさやと凪ぐ、その汚染された空気を受けて、アリスは残った左目で眼下の森を眺めた。


「ジャックさん」

「どうした?」


アリスは少し沈黙していたが、やがてそっと、一言発した。


「次のシェルターに、行こう」


ジャックはそれを聞いて、アリスを抱き上げて立ち上がった。

シェルターの天辺で、真っ白い鎧が月の光を受けて煌めく。

同じ方向をまっすぐ見ながら、ジャックは言った。


「……ああ、行こう」


【屍の国のアリス 終】


すべての不条理に抵抗を。

それを支える光に力を。

あなたの進む道に、明日がありますように。

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