29話【遅れて震える】
階段部屋に戻ると、保護した人たちの中でも、ご近所トークが静かに始まっていた。
どうやら彼らもご近所さんだったらしい。
さっき、死んだ男もそうだったのだ。
元々僕らの住む近隣周辺は土地柄、犯罪は少なく、一番近い警察署も忙しさがない。
それを思うと、彼は、ここでなければ、あんなふうになることはなかったのではないかと、どうしても思ってしまう。
守るべき相手がいれば、自分に絶望をしていなければ、ご近所話をするこの輪の中に彼もいたかもしれない。
そんな考え方は、甘いだろうか。
「迎えに行こうかと思っていたところだよ。何があった」
原国さんが森脇さんに訊く。2人が小声で話すのを見ながら、繋ぎっぱなしだった有坂さんの手を離す。
有坂さんと、目が合う。
少し照れて、お互いに微笑む。
何か言おうと思うけれど、つい有坂さんに見とれてしまった。
少しの無言の時間。
なんだかそれがお互いおかしくて、少し笑った。
ああやっぱり、有坂さんは、笑っている方が、いいな。
*
「いい雰囲気のとこ悪いんだがな。お前さんら、探索続けられそうか?」
有坂さんと少し会話をしていると武藤さんが僕らに訊ねる。
「行きます。あの男のスキル構成……スキル封印なかったら、下手したら全滅してましたよね。次に人を見かけたらもう問答無用でスキル封印します」
「真瀬くんが行くなら私も行きます」
武藤さんは頷きながら「OK、OKありがとよ」と僕らの背をぽんぽんと叩く。
「正直そう言ってくれて助かったぜ。真瀬の坊主のスキル封印も有坂の嬢ちゃんの回復魔術もないとなると、ここまで来たようなソロ相手の対人は厳しすぎるからな」
そう言って、真剣な目をする。
僕も、武藤さんも死にかけた。スキル封印が出来てなかったら、間違いなく、1度は、殺されていた。
僕や葉山さん以外にも特殊スキルを持つ人や、強力なスキルを道中で得た人もいたのだろう。宝箱の中身は階層リセットごとに変わるらしい。
それをひとりで全て得たのなら。
それをなんとなく危険だとしか、理解出来てなかった。
油断はしていなかったし、僕たちが完全に下手を打ったわけでもない。
想定より相手が上回っていた。
次は相手が誰であれ、躊躇わずにスキル封印を打つ。
スキル封印であれば殺傷性はなく、無力化が出来る。
突然現れたパーティーにスキルを封印されて心穏やかでいられる人間はいないだろうから、話をするのに時間を必要とするだろう、という気持ちが勝っていた。
けれど最初からそうすべきだったのだ。
絶対的な安全策は必要不可欠だと、強く感じた。
「で、9階の攻略再開についてだが、9階に罠はなさそうだから宗次郎たちは置いていく。さっき木村さんところの回復師さんに預けたとこだ」
木村さんパーティーの回復師の田村さんは精神回復のスキルを持っている。
彼らのショックを和らげてくれるだろう。2人が田村さんのところにいて、話をしているのが見えて、少しほっとする。
「お前さんたちがいちゃついてる間にな!」
僕たちにそう言って、武藤さんはわははと笑う。
そんなのではないとわかっていて、わざと茶化して空気を軽くしようとしている。
この人は、いつもそうだ。
いつだって、こうして僕らに優しい。死にかけても、そうだった。
だからそれに応えたい。僕と有坂さんの拳が同時に武藤さんの腹にやさしくツッコミを入れる。そのくらい元気だよと、そのくらいには、仲良くなったと、僕たちはそう思っていると。
僕のやわらかく握った拳は、武藤さんの腹の、風穴の開いた部分に当たり皮膚に触れた。
武藤さんはここを、刺されて、死にかけたんだ。
急に強い実感が湧いた。喉が詰まるように痛み、背筋が急激に温度を失ったように感じる。
僕は思わず、拳を開いてその皮膚に触れる。温かい、傷一つない、肌。それでも、後ろにいた僕が見えるほど、深く刃物を突き立てられた。
指が震える。
恐怖が、今更、遅れてやってきた。
蘇生も回復も、ある。
身代わりの護符も。
だけど
だけど
この人が、死にかけたんだ。
ずっと僕らを支え続けてくれた、みんなの兄のような人が、殺されかけたのは事実だ。
触れる肌の温かさに、心臓が冷える。呼吸が、上手く出来ない。
「坊主、そういうのはちょっと」
武藤さんがまた茶化して言う。
からかうようなその言葉が止まり、真剣な声音が僕の頭上に落ちた。
「怖かったよな、ごめんな」
僕の目を見た武藤さんは、緩めていた表情を少し歪めて言うと、僕の肩を掴んで抱き寄せた。
怖かった。
そうだ……僕は怖かったのだ。
強い力と体温。有坂さんに抱きしめられた時を思い出す。
有坂さんも、こんなふうに怖かったんだ。
僕は何もわかってなかった。
ごめん、有坂さん。こんな気持ちにさせて。
怖くて、辛くて、息が止まるような、こんなひどい気持ちにさせたんだ。
「生きてる、大丈夫だ。俺にはお前がついてる。嬢ちゃんもいる。大丈夫だよ」
優しい声と、体温に泣きそうな僕の背を、ゆっくりと有坂さんが撫でてくれた。
だからこそ、怖がってる場合じゃない。
クリアしなければ、このあたたかさ全てを、失うことになる。
僕に出来ることは、全部、やろう。
怖いからこそ、やるんだ。
「ありがとう、もう大丈夫」
そういうと、武藤さんが肩を叩いて離してくれた。有坂さんの手はまだ僕の背に触れてくれている。
「みんながいるから、大丈夫。あと少し、もう誰も怪我しないようにできる方法を考えるよ」
温かい手。優しい手が背中に、触れている。
「有坂さんの気持ちがわかった。本当に怖くて、辛い気持ち」
「……うん」
僕が言うと、僕の背の方で有坂さんが頷くのを感じた。
「だから、もうそんな辛い気持ちにさせないようにするね。大事に思ってくれてありがとう」
「うん」
僕の背に頭をそっと預けた有坂さんを、僕は守れるように。
大事なものを全部守りきって、みんなで帰るんだ。