5日前 飛ばされる
朝、時間を取って支度し、昼食の為の獲物も下処理した後、かなりのんびり出発した。それでも多分、エルフが言った「昼頃」よりはかなり早く昨日の場所に着くだろう。
無視してくれればいいんだけどな、と思いながらマーシェはヒロキをちらりと見る。
何かあればこいつは馬車に乗せて走るしかない。男であんな足弱、見たことない。たった半日歩いて豆が潰れるなんて、どこの深窓のお姫様かと疑う。
しかしそれより心配なのは、サラの存在がエルフに知られる事だ。いつも淡々としているサラだが、だからといって傷つかない訳ではない。
出来ればもう少しゆっくりの出立の方が安全だろうが、それだと明日にはファーツェ到着の予定が大幅に狂う。それも困る。
「そろそろフード被っとけ。」
マーシェの指摘にサラは頷いてすっぽりと頭を隠した。
「このまま行けそうだな。」
ファラが声を掛けてくる。
「なんでそんな楽観的なんだ。やめろ。」
「はいはい。」
後はほぼ無言で歩を進める。
昨日引き返した所を通り過ぎた。特に何もない。内心ホッとしつつ、警戒は解かない。
峠まで後少しという所まで来て、気が緩みかけた時だった。
急にアティスがパッと振り向いた。
「兄さん、急ごう。」
やっぱりか。
ヒロキに馬車に乗れと合図して、馬を急がせる。峠を越えればすぐレケトの村だ。そこまでは追って来ないだろう。
「ヒトども。昼までは通れぬと言っただろう。」
鳥のような声が上から降ってきた。
「だから昼まで待っただろうよ。」
ファラが負けじと言い返す。
「昼にはまだ早い。」
「時計を持ち合わせてなくてすまんね。」
「引き返せ。」
「お宅の王様は、そんなに足が遅いのかい?」
エルフは枝から枝へ、ふわりふわりと飛び移りながら着いて来る。
どうせエルフの王とやらは、もうとっくに通り過ぎたに違いないのに、ただ昼まで通るなと禁じたのを破られた事に対して、言い掛かりを付けているだけなのだろう。
「下らぬ事を。わきまえよ。」
「こっちは引き返したせいで、怪我人が出たんだ。もう十分だろ。」
怪我人ってヒロキの足のマメのことか?と思うと、マーシェは馬車を押しながらつい笑いそうになる。そこをぐっと堪えて、しかつめらしい顔で頷いて見せる。
「それがどうした。ヒトはいつも争って怪我をしておるではないか。」
「エルフのせいで怪我をすることもその勘定に入れといてくれ。」
馬車を押しながら全力で山道を急ぐ。エルフはしつこくついてくる。
アティスが振り向いて、その不毛なやり取りに口を挟んだ。
「君、王様と大分離れちゃったんじゃない?」
エルフが動きを止めた。みるみる馬車と距離が開く。
「今のうちに。」
サラが言った。
峠に差し掛かる。傾斜が緩くなって、馬車の速度が上がる。車輪が石を跳ねてガタガタ揺れる。
荷台でヒロキがギャッとかウッとか言っているが、仕方ない。
やがてゆっくり下り坂になってきた。不意に押していた馬車が軽くなる。
下り坂ががきついのかと、前を見てびっくりする。
マーシェはいつの間にか、一人で森の中を走っていた。
やられた。あのエルフに吹っ飛ばされたらしい。
他の仲間の気配を探るが、鳥の鳴き声しか聞こえない。
「おーい!誰がいるか!」
叫んだが、返事がない。どうもバラバラに飛ばされたようだ。
空を見上げる。木の枝が茂って、ほとんど空が見えない。
しかし幸運なことに、ちらっと天山山脈が見えた。やれやれ。この感じだと元居た場所から三十レルは西に飛ばされたらしい。
アティスはどうしただろう。
少し迷ったが、背に腹は代えられない。力を込めて、空に向かって叫んだ。
「アティス!どこだ!」
これをやると、兄にも声が届いてしまう。自分がアティスを見失ったことがばれてしまう。
後で相当叱られるだろうが、仕方ない。
しばらく待つ。遠い。
マーシェの声に驚いた鳥が、また戻ってきてさえずり始めた頃、声が聞こえた。
「ここにいるよ!」
遠い。方角からすると、尾根をはさんで向こう側に飛ばされたらしい。しかしそれならむしろ目的地に近い。
「ファーツェに向かえ!」
もう一回叫ぶ。
装備を一通り確認し終わった後、返事が聞こえた。
「わかった!」
峠を越える道は、天山山脈は限られている。人が通れるのは、さっきの中央街道しかない。エルフやドワーフの領域と境を接しているので、往来には気を遣うが、そこしかないから仕方ない。
ぶちぶち愚痴りながら、森を進む。
歩きやすいし、見通しもいい。ヒトが薪を取りに来られる範囲なのだろう。大きく外さなければ人里に出るはずだ。
思った通り、すぐ林道に出た。急いで駆け降りる。
まずは場所の確認。そしてなるべく早くアティスと合流する。
ただ、場所によっては兄が待ち構えているだろう。少し気が重い。
しばらく行くと、小さい村にいた。
井戸端でおしゃべり中のおばちゃんを見かけ、リアムの町に向かう街道はどこかと尋ねる。
この道を南へまっすぐ2レルほどで合流する、と聞いてホッとする。
今日中には無理だが、なんとかなりそうだ。
そうなると、他の仲間がどうなったか気になる。まあ、ファラは平気だろう。サラもおそらく。
やっぱりリズベルが心配だな。女の子だし。
あー、あとヒロキがいた。どーすんだ、あれ。
歩きながら少し考えたが、すぐやめた。あれを助ける義理はない。
そもそも天山山脈のどの辺に飛ばされたか全然分からないし、自分が他の仲間と合流できるかも分からない。運が良かったら、誰かに助けられているだろう。
そこまで考えて、何か引っかかる。
あー、あいつ兄貴の毛布持ってたな。
げんなりする。
まあ、無くしたと言えば、兄には深く詮索されないだろう。
むしろヒロキがやばい。
鞄にでも隠していてくれればいいのだが。