6日前の午後 半分引き返す
「エルフの王のお通りである。この先ヒトは遠慮せよ。」
木立の上から笛の音のような声が聞こえてきて、マーシェの口の両端が下がった。
エルフがいる。あれと揉めるとロクなことがない。
しかしファーツェに向かう道はこれしかない。一体いつまで遠慮しろと言うのだろう。
アティスを促して、いつ通れるか聞いてみた。
「明日の昼には通ってよい。」
明日の昼!ほぼ丸一日こんな所で足止めか。
「この先、馬車を停められる場所まで進んでも?」
アティスが叫んだが、「叶わぬ!」と遠去かる声が返ってきた。
「くそ。もう少し行けば、峠を越えられるのに。」
うんざりした表情でマーシェが他の者を見回した。
「ここで野宿?ちょっと狭いなぁ。」
さすがにアティスがこぼす。
「確かにな。」
「さっきの空き地に戻る?」
「でも、エルフが止めてるってことは、向こうから誰も来ないってことでしょ。戻らなくても。」
リズベルの言葉に、ファラが周りを見渡してかぶりを振る。
「せめて馬がゆっくり草食える所がいいな。」
「じゃあ戻るしかないじゃない。」
「うーん。あの距離を戻るのか・・」
マーシェがハァ、とため息。その肩をファラがポンと叩いた。
「しかたない。馬に草食わせて水やったら、戻ろう。」
何とか馬車の方向を変えて、進み始めるが、足取りは重い。
「弱ったな。今日レケトに着くつもりの用意しかしてない。」
マーシェがぶつぶつ文句を言っている。
「明日には着くだろう。」
ファラは楽観的である。
「あのさー、それで何回もひでぇ目にあったの、覚えてないのかよ。」
「何とかなっただろうよ。」
「当たり前だ。でなかったら死んでる。」
「まあ、明日早めに出て、さっさと峠を越えちまおう。」
「エルフの言ってた時間より早くなるぞ。」
「明日の昼頃って言っただろう。そんなざっくりした時間指定、どう守れって言うんだ。」
ファラは意に介さない。
「エルフと揉めたら最悪森から出してもらえないぞ。」
「こっちは一回引いた。向こうだって多少は妥協するべきだろう。」
だらだらと続く下り道を、本気とも冗談ともつかない会話を続けながら歩いて行く。
サラはふと思いついた事をリズベルと相談していた。
「つまりあの翻訳の魔法って、二重仕立てなんだ。」
「そう。だから、私が唱えただけじゃ、私の言葉を変換して伝えるって風にしか働かないみたい。おまけに、体力使う割に効力短いのよねー。ファーツェに着けば、もう少しマシな魔法が見つかるかもだけど。」
サラは長い睫毛を上下させて、提案する。
「あれを木霊で二重にしたら、ヒロキの言葉を翻訳する方に働かないかな。」
「ああー。なるほどね。うまくいくかしら。」
「精神力が倍必要かも。」
「野営地に着いたら、どうせ早めに寝るだけだし、やってみましょ。」
昼に休憩した空き地まで戻ると、とりあえず野宿の準備を始める。水汲みと狩りの組に分かれ、さっき崩した石を積み、小枝を拾ってくる段取りをする。
ファラが、ヒロキに火打ち石を渡した。火起こしに再挑戦というわけだ。
時間はかかったが何とか成功すると、サラは手で印を結んで木霊の精霊を呼んだ。
「じゃ、やってみる。」
リズベルは詠唱を始めたが、半拍遅れて同じ言葉が聞こえてくるのが、想像以上にキツい。
実際に唱えているリズベルが一番大変だろうが、聞こえる範囲にいる全員が気持ち悪くなって、顔をしかめた。
やっと詠唱が終わると、リズベルは聞いた。
「どう?ヒロキ。何か話せる?」
急に訊かれて、ヒロキは口をパクパクさせる。
「しょうがないわね!じゃあさっきの続き。勘違いしてるかもだけど、そのいやらしい感じでサラを見るのやめて。サラは男だし。男色でもないし。」
「え!・・えええっ!男!男か!本当に?」
ヒロキの声が出た。
リズベルはやっぱりね、という顔になった。後ろでマーシェとファラが爆笑している。
「あれは多分、倍以上の魔力使ったと思う。」
サラが言った。
リズベルが魔力を使い過ぎて、倒れている。
「だろうな。俺らにも、ヒロキの話してる事が分かったからな。」
「まあ、すごいけど当分使用禁止だ。あの翻訳に倒れるほどの価値は、今のところないだろ。」
結局、そんなに大したことは話せなかった。
ヒロキの魔法に関する質問にいくつか答えただけで、こちらから聞きたいことまでリズベルの力が保てなかった。
その後、アティスを含めた四人でウサギと鳥を捌いて、口から尻に向かって串を刺し、焚き火に掛けた。
当のヒロキは、ウサギの首の骨を折る所で、真っ青になっていた。動物を捌くのを見たことがないらしい。
「都会っ子てことかな。」
「異世界の、都会っ子。」
「何かちょっと腹立つな。」
「いいじゃない。帰れるかも分かんないのに。」
当のヒロキは、そんな噂をされているとも知らず、心配そうにリズベルの額の布を水で濯いでいた。
「おーいヒロキ、出来たぞ。」
声を掛けられてやってきたヒロキに、器に入れたスープを渡す。肉は食べないかと思ったが、調理されたものは平気らしい。ただまじまじと肉を見ながら食べていた。
やがてリズベルが目を覚ますと、側についていたヒロキが、伝言を伝えに来た。
「アノー私おにゃかが空きました、リズベルガ」
「おう、リズベルが腹減ったってか。」
スープを持って行って、彼女がそれを平らげるのを何となく見守る。やがて器を返してきたヒロキが、彼女の言葉を伝える。
「リズベルガありぎゃとテ」
「ああ、ありがとうってことは満足って事だな。」
しかしヒロキはどうやら分かって言っている訳でもないらしい。
おもむろにバッグからペンと紙の束を出して何やら書き付け始めた。
異世界の言葉のようだが、驚くのはペンだった。インクも無しで、色が出る。書き色は薄い。試しに触らせてもらう。ペンの尻をカチカチ押すと、先が押した分伸びる。インクを固めたもののようだが、驚きの細さだ。マーシェが呟いた。
「たしかに、異世界の技術がここよりずっと進んでいる事は認める。」
「俺たちで、再現出来ないかねぇ。絶対儲かるって。」
「坊主が儲けてどーすんだよ?」
「アイリスにやる。」
ここから何百リーンも離れた場所にいる、ファラの片想いの相手の名前を挙げられて、マーシェは絶句する。
「あ、・・そう。」
現実味は薄そうだ。アティスとリズベルは、目で無理無理、と見かわしている。
「材質が謎なんだよな。木でも金属でもないし、陶器でもない。」
謎のペンをヒロキに返しながら、ファラはぶつぶつ呟いた。
「ペン型は金属で代用するとしても、あの細いインクは消耗品だろうしなぁ。」
「本気かよ。」
「魔法で作れるかも。」
「おいサラ、お前までそれ言うか。」
「そうよ。そんな魔法、聞いた事ないわ。」
五人で、本気とも冗談ともつかない話をぐだぐだ話すうちに、焚き火の火が落ちていく。
最後は
「テメェら、さっさと寝ろ!」
と怒鳴るマーシェの一言で、くだらない会議は終了した。