帰る日の朝 龍神様の気まぐれ
朝いつものように起きて、アティスに声をかける。
「風呂入るか?」
「はーい。」
半分寝てる声が返ってくる。
別に風呂好きでもないが、気兼ねなく入れる時は、入っておきたい。
厨房の親父に一声かけて、熱湯を運ぶ。これが冬だとか、雨降りだったりすると、かなり辛い。
風呂から上がると、ヒロキが食堂でオロオロしていた。
「なんで起きてんだよ。」
思わず呟く。
今さら仕方ないので、そのまま食堂に入るが、どうやらヒロキは二人連れがマーシェとアティスだと認識してなかったらしい。
アティスが
「今日は早いね!ヒロキ!」
と声を掛けたら、やっと分かったらしい。そして半口を開けて固まった。
だから、顔を汚していないときに会いたくはなかった。
さっさと朝飯食えよ、と手振りで示して席に着く。
しかし、無言で食べ続けるのも気まずいので、とりあえず話しかける。
「おはよう。」
ヒロキは怪訝そうにする。
「今日は早いね、じゃなくて、おはようございます、だ。挨拶ぐらいできるだろ。」
ヒロキは頭をひねりつつ、応じた。
「キョウハハヤイネ。」
「違う。」
「オハヨウゴザイマス。」
そうそう。マーシェが頷くと、ヒロキは嬉しそうに笑顔になる。
しかし会話は続かない。また気まずい雰囲気になりそうだったが、リズベルが降りて来て、翻訳魔法を使ってくれた。やれやれ。
出掛ける打ち合わせと龍神と話すときの注意をしていると、ファラとサラが降りて来た。
そこで一度魔法陣を消してしまったが、その後急にヒロキが言い出した。
「この魔法陣と同じ魔法陣を、首飾りにしている人に会ったんだ。」
え?
魔法陣を彫り込むのは、かなり高度な技術がいる。
というか、それは魔道具で、誰でもが持っているというわけではない。
「あの、ほら山の中から、どこか町のそばに飛ばされただろ? どうしようかと思ってたら、『ニーサン』って人が俺を送ってってくれるって言ってくれてさ。その人が、その首飾りを持ってたんだよ。」
マーシェは、もう少しで持っていたスプーンを落としそうになった。
「兄さん?」
「そうそう。」
ヒロキはぶんぶんとうなずいた。
「これってどこかで買えないのかな?」
食堂の中がしんとした。
「どんな感じの人だった?」
「ファラよりすこし背が高くて、すこしやせてて、髪が茶色で目が青くて、抜群に男前。」
なるほど。
やっぱりあれを兄に聞かれていたのだ。そして、毛布をもってうろうろしているヒロキを見つけた。
おそらく兄の事だ、それだけで大体の事情を察したのだろう。
「こっちに剣を二本下げてて、こっちに短剣を一本持ってた。」
「分かった。その人に何か言われたか?」
「え、何も。いい人だったよ。近くまで送ってもらった。あ、毛布を持ち主に返しておけ、て言われたっけ。」
マーシェは思わずため息をついた。
なんだかな。
さすがは兄だ。まあ、あれを聞き逃されるとも思わなかったけど。
てことは、兄貴がこの近くまで来ていたという事だ。うわ。もう本当につらい。
ファラが励ますように、その肩を叩いた。
「まあまあ、いいじゃん。ヒロキがどこかで死んでいるよりマシだろうよ。」
「お前らは気楽でいいよ。だからリオンが来たんだな。あー腹立つ。」
龍神は、長兄のケニフと友人だ。
兄はリオンの事をふざけて師匠と呼んでいるが、たぶんリオンは頼まれて、異世界から来たというヒロキを何とかしに来たんだろう。
魔法学校までデリク先生に断りを入れに行くが、向かっ腹を立てていたので、話はファラに任せた。
女の子がどうとか、くだらない話をヒロキがしていたが、それも腹が立つ。
どの町でも、全力で女子供を守っている。いなくなればあっというまに町が消滅するからだ。
ヒトの領域の内側にあたる場所では、普通に街中を歩いている所もあるし、農作業で町の外にでることもあるが、こんな他種族と遭遇する確率の高い辺境では、女はほぼ姿さえ見えない。
ファーツェで割に女を見かけるのは、みな魔法使いだからだ。
女にお酌をしてほしい?それなら、金貨10枚払って娼館でも行くがいい。
魔法学校を出て、リオンとの待ち合わせ場所に向かう。
龍神は、うきうきと待っていた。
「相変わらず仲良いねー。別に全員で来なくったっていいのに。」
「仲良くなんかねえよ。ロープで引っ張るって言うから、人手がいるだろうと思って呼んだんだろうよ。」
ずっと腹が立っているから、言葉もつっけんどんになる。
マーシェ以外の四人は、顔を見合わせてふふっと笑う。
「兄貴に頼まれてここに?」
「おもしろそうだったからだよ。」
なんだそりゃ。
勝手に来たのか。まあ、ありそうな話だ。
「おもしろそうだったら、何でもいいのかよ。」
「何でもいいんだよ。」
リオンはけろりとしている。
勝手に龍神と呼んではいるが、リオンは正確には竜司祭だ。
これも勝手な推測だが、たぶん古代魔法王国がまだあった頃から生きているんだろうと思う。
誰よりも魔力と知識があり、誰よりも強くて長生き。そんな人間が、すべてやりつくした後はこうなるんだろう、という見本みたいな。
面白い事が大好きな、怠け者。
途中、金物屋で短剣の研ぎを頼む。
待っている間に、リオンがピッとマーシェの頰をつついてきた。
なんだ?と思っていると
「あらーいい男じゃない。」
金物屋のおばちゃんが、急に声を上げた。
「よかったら、他の物も研いであげるよ。なんかないの?」
マーシェはたじろぐ。なんだ、急に。
「いや、他は別に。」
「なんだ、てめえ。ガキのくせに人ん家の女房に色目使ってんのか!」
奥から出て来た金物屋の亭主が、研ぎ終わった短剣を片手に凄む。
顔に触ったら、いつも塗っている炭入りの油が、消えているのに気が付いた。
またリオンのいたずらか、とマーシェはうんざりする。
「どうでもいいから、その短剣を渡してくれ。金は払った。」
「どうでもいいとは何だ!」
詰め寄る亭主に、再度リオンがピッとマーシェの頰をつついた。
「だから。短剣受け取ったら出て行くから。」
すると、今度は金物屋は夢から覚めたような顔をして、おう、と頷いた。
「面倒臭いから、ああいうのは本当にやめてくれ。」
ナイフを受け取った後、マーシェがぶつくさ言うと、リオンはニコニコしながら「ね?」とヒロキを見た。
ね?、て何だ。ヒロキが何か言ったのか。
「お前か!ヒロキ。」
「え~!いや、俺?」
「その口、閉じてろ!」
まったく、だから余計なことを言うなと釘を刺したのに。
「それで?世界の穴はどこなんだよ。」
「歩いてはいけないから、ちょっとアレに乗って。」
リオンが指差したのは、上空を旋回しながら飛ぶ飛竜だった。
「・・もっとマシなのに乗りたい。」
思わず呟くが、その横でヒロキが
「ウォー!すげぇ!竜だ!あれに乗れんの?すげぇー!」
と騒いでいる。
こいつはホントに・・・バカだ。