8日前 森のそばの街道で
細い川に沿って東へ向かう街道を、パッコパッコと馬車を走らせながら、マーシェは大きなあくびをした。とにかく当初の目的を達成したので、すっかり気が抜けている。
しかも最後リズベルを魔法協会に送っていくのに、馬車も用立ててもらって、楽勝の旅である。
まあ気になると言えば、サラが相変わらずの朝寝坊で、この調子だとどうやら最初の町へ行く途中で野宿になりそうだという事ぐらいだった。
「あのさー。一緒に来るんなら、もうちっと早起きしろよ~」
ぶつぶつ文句を言っているマーシェに、サラはちょっとだけ肩をすくめただけで、返事をしない。マーシェも言ってみただけで、どうせ治らないのはわかっているから、それ以上は突っ込まない。
いよいよ危ないときは起きられるんだから、ただのぐーたらだということは分かっていても。
ただそれにしても、普通に日の出前に出発していれば、日暮れには次の町についていただろうと思うと、何となく腹立たしい。野宿は慣れているとは言え、いろいろ面倒くさいのだ。
「途中でウサギか鳥が取れたら、煮込みにしようよ。」
馬車の荷台で、アティスが無邪気に言った。
「いいな。うまそう。」
ファラが頷いたがリズベルは「ダメよ」と手を振った。
「馬車の音で、みんな逃げちゃってムリムリ。」
だよなぁ、とマーシェは馬を操りながら思う。馭者台の上には彼とファラがいるが、結局馬車を扱えるのは、マーシェか弟のアティスだけで、他の三人はのんびり揺られているしかない。
やがて日が傾いてきた。どこか適当な野宿場所を探さなくてはならない。
「お、あの岩陰なんてどうだ。」
街道から少し外れたところにある大岩群をファラが指差した。もう少し先には森が広がっている。
「どうだ?」
一応リズベルにお伺いをたてる。彼女はまだ十二歳だが、十歳で魔法学校を卒業した優秀な魔女なのだ。その優秀さをやっかまれてど田舎に飛ばされたが、才能はますます磨きがかかっている。
「いいんじゃない?」
魔法的な罠だの精霊の禁足地だの、気をつけておくに越したことはない。
リズベルが頷いたので、マーシェはそちらに馬を向けた。
晴れているから天幕はなし、アティスとリズベルで食事の支度、ファラは薪拾い、マーシェとサラとで獲物探し。
何も取れないと、干し肉のみのスープにパンを浮かべて食べることになって、ちょっと寂しい。
しかしさっきリズベルが言ったように、馬車のガラガラいう車輪の音で、大抵の獲物は森の中に逃げたはずだ。
「アティス、馬、頼むな。」
岩陰に馬車を停めると、弟に馬の世話を頼んで、マーシェは弓を取った。
体力に不安のあるサラと、弓はイマイチのマーシェの組み合わせに、ファラは「俺も行こうか?」と気遣ったが、戦斧使いの彼が森の中で役に立つとは思えない。
夕焼けを背に、やれやれと二人で森に向かう。
そしてすぐにガッカリした。
木立の中に入って、ウサギでもいりゃ儲けもの、と辺りを見回したところで、どこからかオオカミの遠吠えが聞こえてきたからだ。これで声の聞こえた範囲の動物は、皆巣から出てこない。夕方だし鳥も絶望的だ。
こうなれば無駄に体力を使うより、さっさと寝てしまうに限る。
「オオカミっぽいなぁ。こんな時間に珍しい。」
柴を拾っていたファラが、あっという間にふた抱えほどの束にまとめながら、そう言った。
「こっち来たらイヤだな。」
「まぁ、火を落とさないようにするしかないだろう。」
「サラ、向こうからこっちが見えないようにする魔法とかないの?」
「面倒くさいからヤダ。」
サラの返事はつっけんどんだが、一応あるんだ、とマーシェは感心する。
火を起こすと、簡単な夕食を食べ、サラとリズベルは馬車の荷台へ、残りの三人は地べたで毛布にくるまる。くじ引きで、まずはアティスが火の番に決まると、年長二人はサッサと横になった。朝は早い。寝られる時に寝ておくに限る。
一刻ほどたった頃。
アティスは焚き火に薪を足して、少し火を大きくした。
荷台に乗っていたはずのサラが降りてきた。
「ざわついてる。」
「うん」
二人揃って森の奥に目を向ける。サラは弓を取った。アティスも立ち上がる。恐ろしく夜目のきくサラが、小首を傾げる。
「何か光ってる。」
「オオカミ?」
それに対する返事はない。
「来た。」
星灯りのおかげで、森の端から何かが飛び出してきたのが見えた。
「こっち来るよ。」
サラが弓を構える。アティスも弓を取った。気配でマーシェとファラも目を覚ました。
「オオカミか?」
「いや・・動きが。」
マーシェとファラも、それぞれ得物を手に取る。
最初の影を追いかけて、複数の影が飛び出してくる。後ろはオオカミっぽい。
「ヒトだな。」
「うーわ。足遅っ。」
「助ける?」
「・・面倒くせぇ〜。」
マーシェがそう言うのと同時ぐらいに、サラが矢を放った。獣の一頭がつんのめるように倒れた。
「お見事。」
ファラが感心する。
人影はよろめきながら近づいて来る。
アティスがもう一射矢を放つと、それは二頭目の獣の鼻先をかすめたらしい。獣の影は動きを止めた。サラの矢がそこに刺さると、キャン、という意外に可愛い悲鳴を上げて明らかに怯む。
人影との距離が開くと、オオカミたちは追うのをやめて、遠巻きにうろうろし始めた。
焚き火の灯りが届く距離に人影が入ってきた。若い男だ。マーシェとそう変わらない。
ゼエハアと肩で息をしている。手に何か四角い物を持っている。
マーシェは抜き身の剣を向けた。
「勝手に近づくんじゃねぇ。」
男は剣先を見てたじろいだものの、事情を説明しなくてはと思ったのだろう。口を開いて何か喋った。
マーシェは眉根を寄せる。
「ああ?そんな田舎訛りで喋られてもわかんねーよ!」
すると男は急にオロオロし始めて更に何か言った。恐ろしく訛っている。というよりも、むしろ別の言語であるらしい。
アティスが首をかしげる。
「この辺の人じゃないみたい。」
「当たり前だ。こんな野っ原のどの辺に住人がいるんだよ。」
「迷子かなぁ。」
「冗談じゃねぇ。怪しすぎる。」
「まあまあ、そう言わずに。そいつ丸腰みたいだしさ。助けてやろうぜ。」
ファラは呑気に言った。アティスも頷く。
「そうだよ。こんなとこで放り出したら、きっと死んじゃうよ。」
丸腰と聞いてマーシェは剣を下げたが、まだ警戒は解かない。
「あの手に持っているやつ、何だと思う?」
「ああ、さっき光ってた。」
今はただの黒い板のように見えるそれを、サラは不思議そうに見やった。
「魔道具なんじゃねぇ?」
「魔法の気配はないよ。」
「じゃあなんで光る。」
「さあ。」
マーシェは黒い板を指差した。
「お前、それをもう一回光らせろ。」
男は手に持った物を差し出した。何か説明しようと話しだしたが、まるっきり言葉が通じないので、仕方ない。
ファラが手をひらひらさせた。
「もういいだろう。害意はなさそうだ。明日も早いし、こいつの事は明日考えよう。」
リズベルに声を掛けて、毛布を出した。それを渡すと男は頭を下げて礼を言ったようだった。しかしその動作がよくなかったらしい、そのまま白目をむいてひっくり返った。
マーシェは口の中でケッと呟いた。
「怪我なんかしやがって。血の匂いが立つだろうよ。」
「まあまあ。俺が治してやるさ。」
「頼む。おいアティス、火の番俺が代わる。」
用心に越した事はない。森の中で丸腰で迷子になるなんて、普通じゃない。服も妙だし、薄過ぎだ。どう考えても怪しすぎる。