流転する運命 3/旅の始まり
アンダーサージが何の抵抗もできず、まるで蝋燭の火を消すかの如く簡単に、呆気なく滅ぼされた。
その肉体は崩れ、最後には魔素となりこの世に霧散する。
無慈悲にその生を終える姿は、まさに自業自得だとラウラはぼんやりと考えていた。
(……次は私の番か…… ――っ!)
管理者の三名が時空の割れ目から出てきた時から、すでに心の準備はできていた。
なのでアンダーサージが簡単に滅せられたところを見せつけられても特段に思うことはなかった。
ただ自分も簡単に始末されるのだと。
しかし、そんなことを考えていた時に、胸の奥で強い願いが沸き起こる。
ほんの少しだけ回復した体を起こし、自分の太腿を支えるように両腕を突っ張る。
歯を食いしばり立ち上がるが、そのまま後ろ向きに倒れてしまう。
しかし、諦めることなく、もう一度立とうとするその姿を三名の管理者は黙って眺めていた。
何とか立ち上がり、まるで幽鬼のように足を引きずりフラフラとよろけながら歩くと、ヴィートの亡骸の前まで来てドサリとその膝を地面へとつける。
ヴィートの顔を優しく撫でる。やはり息はもうしていなかった。
「ねえ……」
ヴィートから視線を外し、一番近くにいるフォルセティへ声をかける。
ザイオン、アフロディアも声をかけられた仲間の元へ近寄り、ラウラが何をいうのか耳を欹てた。
「はい、何でしょう?」
物腰柔らかく柔和な笑顔でラウラへ返答しながら、少しだけ近寄り自らも片膝をついて視線の高さを揃えた。
「貴方たちは人間がいう神様なんでしょ? だったら…… だったらヴィートを、皆を生き返らせて!」
ラウラの思いもよらない願いを聞き、三名は目を丸くしてお互いの顔を見やった。
ザイオンとアフロディアは口々に『ほう』『へぇ』などと呟いている。
そして三名の代表としてフォルセティが答える。
「なるほど。皆を生き返らせて…… ですか。しかし何故そのような事を願うのですか? 私たちがここに来た理由は分かっていますよね?」
「……分かってる、私を滅ぼすんでしょ」
「では、なぜ自分の命乞いをせず皆を生き返らせろなどと願うのでしょう?」
「それは…… 本来であれば死ぬ必要がなかったから…… 私たち魔物のせいで皆は殺された。人間の村に魔物がいたから」
「なるほど。自分の所為だと、だから生き返らせて欲しいという事ですね」
「ええ」
コクリと頷くラウラを真正面から穴が開くほど凝視をする。
まるで心の奥底を見極め、品定めをするように。
「では、皆が生きかえるとして、その後の貴女自身はどうなっているか想像できているという事ですね」
「……私は生きていないわね」
「そうですか。貴女は自分の命と引き換えに皆を生き返らせて欲しいと言っているのですね」
「……そうは言っていない。私の命はすでに無いものだと考えている。ただ無関係な人たちに救いを――」
フォルセティは一言でラウラの言葉を遮り、その考えを否定した。
「それは傲慢というものです」
「――な⁈」
フォルセティの言葉に二の句が出ないラウラ。
あまりにも冷酷で容赦のない言葉に凍りつく。
彼の優しげな表情からの落差もあり大きなショックを受けた。
「傲慢、エゴといったのです」
追い討ちをかけるように二度同じ事をラウラへ突き立てる。
そしてラウラが何かを言う前にフォルセティは続けた。
「この世に無関係な事などないのですよ。そして、起こってしまった事は無かった事になどならない。そんな都合の良い事はありえないのです」
ふっと息を吐き、今までよりもさらに温かな声色でラウラへ諭す。
「貴女は自分の命や他者の命が平等だと考えたのでしょう。確かにそうかもしれません。なので理不尽に殺された民の命は救済されるべきだと。しかし違うのです。命の重さは平等であり不平等なのですよ。なので命を引き換えに、他の誰かを生き返らせるなどできないのです。そして何より私たちは神と呼ばれる創造主ではありません。ただの管理者です。……残念ながら裁く事はできても命を与える事はできません」
黙って聞いていたラウラは何も言い返すことができずに、ただポツリと呟いた。
「……そんなの悲しすぎる」
「ええ、そうね」
いつの間にかアフロディアがラウラの真横に片膝をついて横顔を舐めるようにその手を動かしていた。
驚きのため声を出そうとする口を人差し指で蓋をすると、撫でるのを再開して話を続けた。
「理不尽に殺される。これはどこの世界でも珍しくはないの。でも、〈人間界/オートピア〉では本来いるはずのない魔物などにより他二つの世界よりそういった事が多いの。貴女やマリウス、アンダーサージのようにデーモニアから落ちてきた魔物たちやタナトピアの霊的存在によってね」
アフロディアの言うとおり、三世界は繋がっており、ラウラが時空の狭間に落ちてデーモニアからこの人間界オートピアに落ちてきたのも珍しいことでは無かった。
なので逆もまた同じように起こるのだが、人間がデーモニアやタナトピアに落ちたとしても直ぐにその命を散らすことだろう。
なので人間界オートピアのみ他世界の者の干渉が多く見られるのだ。
「だから私たちは『調律者』という者たちを使い、この理不尽な世界を少しでも救おうとしているのよ」
耳元で何やら熱い吐息と舌舐めずりしたような音が聞こえ、ゾワリと背中を震わせる。
話を途中で取られた形のフォルセティは、毎度のことながらと苦笑いをしながらアフロディアの話を補足する。
「ええ、貴女のような魔物や人、間でも力を持っている聖人や仙人たちを調律者として、この世界に調和をもたらすよう協力してもらっているのです。そして貴女にも調律者として協力して欲しいのです」
フォルセティの言葉に思わず双眸を丸くする。
調律者? 協力? 私を殺しにきたのじゃない?
何やら話の方向が変わっている事に理解が追いつかないラウラは、ただ黙って聞いている他なかった。
「まあ驚くのは無理もありません。我々にしても貴女はつい先ほどまで討伐の対象だったのですから」
「それが何で……」
「……貴様、デルグレーネの事は我々も忘れた事はなかった。何せ我々が世界に介入して逃げられてしまったのだからな。なので貴様の魔力を感知するよう世界に網を張っていた。以前のように魔力を増大させて暴れ出す前にな」
ザイオンが無愛想というか素っ気なく話に加わると、フォルセティがにこりと笑いさらに説明を続けた。
「貴女の魔力が解放された時、我々は直ぐに討伐するつもりでした。しかし、貴女の変わりように我々三人は見入ってしまったのです。そしてその真意を見極めました。……貴女を調律者としてスカウトします」
あまりの展開に思考がついていけないラウラであったが答えは出ていた。
「……私には理由がない」
いまさら、もう皆が死んでしまった後に、どうしてそのような事をしなければならないのか。
ラウラにとって、これからの世界の調和を考え、理不尽をなくす理由などないはずであった。
しかし、フォルセティはラウラがそう言うだろうと先んじて答えを用意していたように告げる。
「理由ですが? 貴女は言っていたではないですか。『自分が生まれた意味、生きている意味を知りたい』と。それを知らずに終えるという選択をするのですか? 調律者となれば我々の庇護のもと自由に活動できるのですよ」
「……それは ……でも私はヴィトと出会った。それが意味…… かも」
フォルセティは返ってきた答えに『なるほど』と思わず感心してしまった。
そうしてラウラにそこまで言わせた人間の青年ヴィートを初めてしっかりと見ると何かに気がついたのか、懐から何やら眼鏡のようなものを取り出し、観察するかのように凝視する。
「この青年が貴女の言っているヴィトという男性ですね?」
「? ええそうだけど……」
「これは……」
フォルセティはさらに屈み込んで ヴィートの亡骸から観察する視線を外さずにラウラへ確認の質問をする。
「彼の両親は知っていますか?」
「……いえ、ヴィトもお父さんに拾われて命を助けられたと言っていたから。お父さんもヴィトの親のことは話さなかったし」
「なるほど。それと何故か貴女の魔力を彼の中から感じるのですが?」
「ヴィトが傷を負って…… 傷を治そうとして私の魔力を注ぎ込んだから…… かな」
「……ふむ」
覗き込んでいた体制から、ラウラの正面へ体を移動してフォルセティは管理者の能力を増大させるアイテム『慧眼鏡』をしまいながら驚くべき事を伝えた。
「この青年、ヴィトは元々が人間と魔物、もしくは精霊の類の血が混ざった混血ですね。あまり血は濃くないですが。純粋な人間ではないですね」
ヴィートが人間ではない?
余りのことに心臓が止まるかと思うほど、ラウラにとっては驚くべきことであった。
しかし、まだその驚きは続く。
「そんな彼に貴女は自分の魔力を、つまりは自分の体の一部を分け与えた訳です。そのお陰で彼の魂に貴女の魂の一部が混入したようですね。これはもう分つことが出来ないほど混じり合っています」
ポカンとして事実を飲み込められていないラウラへ、最後のそして最大の衝撃が走った。
「魂の一部が混入したことで、彼の生まれ変わり、そう転生して別人となっても彼だと貴女は分かるはずですよ」
三つの世界〈魔世界/デーモニア〉〈人間界/オートピア〉〈死世界/タナトピア〉は繋がり、魂は転生を繰り返している事をフォルセティは掻い摘んでラウラに説明する。
しかし、転生し生まれ変われば前世の記憶はなくなり、全くの別人となり発見することは困難である。
いくら魂の色や波長を知っていても、世界中の一人一人を確認するわけにもいかず通常なら見つけ出すことなど不可能に近い。
だが今回のように『魂』にマーカーがついているなら話は別だ。
それが自分の魔力となれば更に発見できる確率は格段に上がる。
しかし、どの世界に転生するかわからない上に、人間であれば寿命もある。
やはり確率は上がったと言えど、砂漠の中で針を探すのが、小石を探すくらいなものだ。
だがラウラにとっては信じられないほどの吉報であり、断る理由など一ミリもなかった。ヴィートの最後の言葉『生まれ変わっても一緒に……』を思い出し、胸の奥から熱いものが込み上げてきた。
膝枕のように自身の膝の上に乗せていたヴィートの顔へ視線を落とすと、その頬に手を当てて優しく包み込んだ。
ラウラは愛おしむように撫でながら、慈しむような悲しげな笑顔を向ける。
ヴィートの寝ている様に無防備な顔へ、ぱたぱたと真珠のような涙が降り注いだ。
「ねえ……、ヴィトは知らないよね。私はデーモニアにいた時、太陽の涙って呼ばれてたんだよ…… だからかな、いつも泣いてばかりいるのは」
背中を丸め、ヴィートの顔へ覆いかぶさる様にして語りかける。
「でも……、ヴィトはいつも笑っていたね。私に言葉を教えてくれてた時も、火祭りの時に名前を与えてくれた時も…… いつも明るく私に笑いかけてくれてたよね。 ……そうか、貴方は」
鼻を啜り上げながら空へ双眸を向けると、蕾がほころび花が咲いた様に微笑む。
「ヴィト、貴方は太陽なんだね、周りを…… そして私を明るく照らしてくれる。暖かく包んでくれる…… 私…… もう一度、ヴィトに会いたい」
地面へ額をつけるほど体を折り、ヴィートの頭を抱き締めた。
暫く嗚咽と涙を流して落ち着くと、ラウラは三名の管理者、フォルセティ、アフロディア、ザイオンの顔を1人づつ見上げながら決意のこもった熱い視線を投げる。
「私を…… 私を調律者にしてください」
そう口にするとラウラは三名に頭を下げ、己を調律者とするよう懇願した。
(ヴィート…… 必ず会いに行くから……)
愛する人との再会を夢を見て、ラウラの時空を超えた永い旅路が始まった。