流転する運命 2/断罪
「――燃え尽きろ――――――!」
「ギャアアアア――――!」
ラウラは決死の覚悟を持って、アンダーサージを道連れに自身の炎で身を包んだ。
自分の死を持ってアンダーサージを屠る!
――はずだった。
突然、最大出力まで上げたはずの熱量が逆に落ちていく。
(何故? まだ少しは魔力も残っていたはず―― マズい――)
いきなりのガス欠、出力低下は熱量を急速に落とす。
このままでは…… 頭の中で警鐘が鳴った。
「グァアア――――!」
「ギャ!」
アンダーサージがこの隙を見逃すはずがなかった。
燃え盛る炎の熱が弱くなった瞬間、器用に足をたたんでラウラの腹部を足場にして蹴り上げ、後方へ勢いよく自分の体を剥がしたのだ。
貼り付けられていた柱はとうの昔に燃え落ち、ラウラを支えるものは何もなかった。
アンダーサージに蹴られた勢いのままラウラも後方へ吹き飛ばされた。
「はぁ…… はぁ…… はぁ……」
「ううぅ……」
二十メートルほど離れて、お互いがダメージによって動くことができずにいた。
(危なかった…… あのまま温度を上げられたらこの身は焼け落ちていただろう…… デルグレーネの魔力切れで助かったのか? だとしたら幸運だったな)
アンダーサージは息を整えながら、窮地から離脱できたことを素直に喜んでいた。そして自分の体を確認する。
(もはや、この身体…… 修復は不可能か……)
ほぼ動かぬ体を必死に操り、頭を持ち上げる。蹴り飛ばした相手、ラウラを探すと爪先の方向に横たわる姿があった。
姿を見つけるとラウラの様子を慎重に観察する。
今の自分の状態と相手の余力を推し量り、逃げることも考えていた。
モゾモゾと動いているようだが、すぐに立ち上がらないところを見るとかなりのダメージがあるようだ。それに先ほどの急激な温度の下がり方…… やはり魔力が枯渇したと見るべきなのか。
アンダーサージは三日月のように口の端を釣り上げ、ゆっくりと立ち上がった。
「ゲホッ、ゴホッ……」
息をするのも吐き出すのも辛い。
蹴られたダメージだけでは無く、高温の炎を纏うことで自分の肺まで焼いてしまっているからだ。
アンダーサージから受けた毒も未だ体に残り続け、ラウラの体の自由を奪っている。
毒、ダメージ、疲労、そして最愛の人たちの死を受けて、意識が混濁しそうなのを必死で正気を保てていることは奇跡に近かった。いや情念がそうさせるのか。
「あいつは…… どこに…… トドメを刺さないと……」
もはや立ち上がる力など残ってはいないが、気力だけで体を起こそうとする。
突っ伏していた体制から肘を突っ張り、顔を上げると、ぼやけた視界に入ってきたのは眼前に二本の足。さらに目を上に移すと自分を見下ろすアンダーサージの姿があった。
「――ぐはっ⁈」
野良犬でも蹴るようにラウラの体を蹴り上げ、仰向けにさせる。
蹴った方もふらつきながら、しかし顔は先ほどまでの嘲笑した意地の悪いものではなく、安堵が刻まれた純粋なものであった。
「残念だったな……」
「…………」
「安心しろ。すぐに殺してやる。私も余裕はないんでな」
「くっ…………」
(悔しい、悔しい、悔しい…… ヴィトを、お父さんを、皆んなを殺したこいつを逃すなんて。ヴィト…… ごめんね。また生まれ変わったら会いたいな……)
もう指先すら動かない。流石に諦めるしかなかった。
走馬灯とはこういったものか。
ヴィートや皆との楽しかった思い出がまるで数百倍のスピードで巻き戻っていくようであった。
楽しかった、幸せだったことを感謝して死への覚悟を決めたが、一つだけ心残りができてしまった。
(生まれ変わって…… なんて、それは無理か。私は魔物、ヴィトは人間。交わってはいけなかったの)
生まれ変わっても一緒になれない。
そんなことを考えると白金色の瞳から大粒の涙がこぼれた。
「死を前にして涙だと…… やはりお前はデルグレーネではないようだな。まあどうでも良いか。さて……」
死を前にして命がなくなることの恐怖という感情と勘違いをしたアンダーサージ。
しかし、想い人のために涙を流すことを彼に伝えても、きっと理解できないし、興味を感じることもないだろう。
ラウラはただ黙って瞳を閉じた。
この戦闘の勝敗は決した。アンダーサージが勝ったのだ。
勝者は敗者を喰らう。
魔物特有のトロフィーとして。
アンダーサージは自分の権利として、敗者となったラウラへ喰らいつくために腰を落とし……。
――――‼︎
とてつもなく大きな一筋の雷光が目の前を走った。
辺りが真っ白になる程の光が天空から落ちて来ると、少し遅れて大地が揺れるほどの轟音とビリビリとした空気の振動が走った。
驚く二人は、空を見上げると歪な光景に息が止まる。
いまだ稲妻が走る光の中から、全てを飲み込むような漆黒の亀裂が走る。
やがて空間が軋むように亀裂は枝分かれをしていき、大きな裂け目が広がった。
「――この感じ⁈ まさか……」
裂け目から膨大な量の魔力が溢れ、辺り一帯の重圧が増したように重苦しくなる。
やがて大柄な人物の影が最初に裂け目から現れ、それに続いて二人の男女が現れた。
それはラウラにとって決して忘れることの出来なかったこの世界の管理者と呼ばれる者たち。
ザイオン、フォルセティ、アフロディアの三名の管理者であった。
「あ、あああ――」
亀裂から現れた三人を目にし、ラウラの体は過去の思い出から自分の意思とは無関係に震えだし固まっている。
アンダーサージは何が起こっているのか全く理解できないでいた。
生死を賭けた戦闘がやっと終わり、勝者の権利を楽しもうとした矢先に空間を割って三名もの人物が目の前に現れたのだ。
しかもアンダーサージは初めて感じる三人の放つ濃密な魔力から尋常ではないプレッシャーを感じており、混乱するのも無理はないだろう。
(……なんだ? 一体何が起こっている? 突然現れた三人は誰なんだ? それにこの馬鹿げた重圧はどう言うことだ…… これでは下手に動けん)
二人が各々の理由で固まっていると、ザイオン、フォルセティ、アフロディアの三名が周囲を気にすることもしないで躊躇なく近づいてきた。
そして先頭を歩いていた大柄な男が口を開く。
「我々はこの世界を管理する者。我々が介入するべき案件として判断したために下界へ降りてきた」
黄金の鎧を身につけ、大きな両刃斧を肩に担ぎながらラウラとアンダーサージ両名へ説明するように話す。そして視線をラウラに移すと静かに続けた。
「まさか…… このような所で生きていたとはな…… 人間の村か」
ラウラは心の中で『ああ、やっぱり』と納得した。
なぜこの三名が突如として現れたのか、その理由が自分を滅ぼすためだと悟って。
未だ雷鳴が鳴り響き、大気を揺らす振動が弱った身体に響く。
黄金の鎧を纏った大男が自分を見下ろしながら話しかけてくるのを、ラウラはどこか遠くのことのように聞いていた。
「時空の狭間に挟まって消滅したものと思っていたが…… まさかオートピアに落ちて、このような辺境の村で生きていたとはな」
ザイオンがため息混じりに呟いた。
それは独り言なのか、ラウラへ向かって話しかけたのか分からなかった。
(やはり私を滅しにきたんだ…… でもあなたたちが来なくても直ぐに殺されていたというのに。なぜ……?)
ラウラの心の声が聞こえたわけではないだろうが、ふいと視線をラウラから外すと、ザイオンは肩に担いでいた両刃斧をアンダーサージへ向けて突き立てた。
「マリウス・ブラード。いや、アンダーサージというべきか。貴様はこの世界の破壊者と断定され、排除することが決まった」
ザイオンが言い放つと、彼の後ろから細身の優男フォルセティが鈍色の銀髪を揺らし後を引き継いだ。
「いきなりで理解できないと思いますので私から。我々は三つの世界〈魔世界 デーモニア〉〈死世界 タナトピア〉〈人間界 オートピア〉を管理し調和を保つ者です。いわば管理者と呼ばれる存在です」
二人というよりアンダーサージにだけ語りかける。その柔和な表情で理解しやすいように丁寧な話し方で。
「我々管理者はこの世界の崩壊に近づくような危険な存在を排除して、世界の調和を保ちます。アンダーサージ、あなたはこの世界において予定せぬ脅威と断定されましたので、排除対象となったのですよ。本来であれば世界に直接の干渉は避けるんです。今回のようなケースがあれば調律者と呼ばれる者を派遣し、問題を解消するのですが、いささか緊急を要したので我々が直接手を下すこととなりました。それに……」
チラリとラウラを一瞥するとすぐにその視線を外した。
「まあ、そういったことですので大人しく討伐されてください」
先ほどと変わらぬ柔和な表情ではあるが、その視線は凍てつくように冷たく張り付いた笑顔は人工的であった。
「ふ、ふざけるな! 何が管理者だ! 何が調和をもたらすだ! そんな理由で私を殺すだと! 随分と舐めたことを言ってくれるじゃないか!」
アンダーサージは激昂する。
立っているのがやっとの状態でも、圧倒的な魔力を持つ三名に向かって牙をむく姿は、生粋の魔物本来の姿と言っていいだろう。
感情が一気に爆発し、心の中にある真実なる衝動が爆発する。
「私はそこに転がっているデルグレーネを喰らい、さらに力を入れる! 回復したらこの一帯、いやこの国全てを喰らいつくし殺戮と恐怖に染め上げるのだ! 私はそのために生まれたのだ。邪魔をするな!」
ボロボロの体で言い放つアンダーサージは、己が生まれた意味を、そしてその願望を圧倒的な強者三名を前にして言い放つ。
彼の中にあるのは、マリウスが切り捨てたこの世への悪意と裏切られた恨みが肥大した純然なる悪意だけしかなかった。
しかし、そんなアンダーサージを見てラウラはショックを受けていた。
(生まれてきた意味…… 私はそれが欲しくて知りたくてずっと考えていた…… それなのにあんな奴にはそれがあるっていうの? ……いや、違う。それは――)
先ほどから興味がなさそうに自分の細く綺麗な指の爪を眺めていた管理者の最後の一人、アフロディアが突然話に入ってきた。
それはまるでラウラの心情を代弁するかのようであった。
「醜い者は、口から出る言葉も汚らしいわね。もう黙りなさい。貴方のはただの願望。貴方がそのために生まれたなんて、そんな大層な理由ではないわ」
「ぐっ! 戯言を……」
「あら、気を悪くしたのかしら。ごめんなさいね。でも真実を教えてあげただけだから」
「キサマ……」
アンダーサージを煽るだけ煽ると、また自分の指先へ視線を戻す。
もう話すことはないと一方的な拒絶をした。
チラリとラウラへ視線を投げかけ、一瞬だけ微笑が口の端に現れたようであったが、それは見間違いだろうか。すぐに興味のない詰まらなそうな顔に戻っていた。
「もうよいだろう。覚悟を決めよ」
ザイオンが両刃斧を上段に構え、アンダーサージへ最後通告をする。
大柄なザイオンが目の前に立ちはだかり、その太い腕でアンダーサージの体より大きな両刃斧を今にも振り下ろさんとすると、アンダーサージはワナワナと震え、目は血走り、牙は剥き出しとなり口の端に大量の泡立つ唾液が溢れる。
「ゆ、許さん! 私は…… 私は――」
「――ふーん!」
振り下ろされた両刃斧により大気が切り裂かれ、真空の刃となった風圧が大地を深く抉った。
一拍遅れてアンダーサージの体は脳天から股下にかけて焼け焦げたような一筋の黒い線が浮かび上がる。
ズルリとその線を境に体が左右に分かれていくと、その内から大量の稲光が発せられた。
ゆっくりと左右それぞれが地面へと倒れながら雷撃によりその身は燃え上がった。
アンダーサージは最後の叫び声もあげられず一刀の元斬り伏せられ、ザイオンの両刃斧が持つ能力『裁きの雷』により肉体だけではなく魂まで焼かれて消滅した。