裏切りの代償 4/憤怒
「うぁあああああ――――――‼︎」
ラウラの中で最後の一線、理性を保つための箍が外れてしまった。
純粋な魔物として、その本来の力を取り戻そうと体は勝手に暴走する。
〈魔世界/デーモニア〉にいたときでも最後の一線を超えることは無く、死に直面した時でさえこのようなことにはならなかったというのに……。
何故こんな状態に陥ったのか? それは単純な話であった。
自分より大切な存在。
その存在の消失に直面して感情の箍が外れ暴走しているのだ。
デーモニアでは『自分が生まれた』その意味が知りたかっただけであった。
言い換えれば意味さえ分かれば、死にそれほどの恐怖も無かったのかもしれない。
何も分からないまま死ぬのが恐怖であり、今の生活や他者との関係などが終わろうとも何の感情も持ち合わせてはいなかった。
しかし人間界に落ち、いつしか他者との関係が壊れること、今の生活が無くなるのことを怖く感じるようになっていた。
それは愛する人たち。その中でも自分より大切な人ができたことで全てが変わったのだ。
大切な場所…… 大切な人たち…… 愛する人……。
全てを壊され、大いなる怒りと絶望的な悲しみが引き金となり、ラウラの中で隠されていた能力が覚醒し暴走を始める。
それは自分の大切なものを壊した許されざる者を滅するために。
「あああああああああ――⁈」
暴走するラウラは魔素を吸収するだけでなく、負のエネルギーと村の周りに自生する草木など生命力を強制的に取り込んだ。
やがて周辺の木々は枯れ果て、死の荒野と化すと、急激なエネルギーの奔流が天候まで変える。
先ほどまで明るい日差しが出ていた空も黒く染まり、ついには雷雲を運んできた。
雷の轟音が響き渡り、空気が振動する中、ついにラウラは魔界にいた時の力を取り戻した。
雷光のような力の波動を身に纏い、本来の姿に覚醒したラウラ。
先ほどまでより幾分成長した姿となり、ヴィートよりほんの少し年上のように見える。
光り輝くように力を溢れさせ、横たわるヴィートの頭を優しく持ち上げて膝枕をする。
「……それが…… 本当の…… すが…… た…… 綺麗だ……」
「……うん」
ラウラは照れたようにヴィートの頬を撫でる。
魔力が戻っても今の自分では彼の傷を癒して助けることができない。
苛立ちと無力感にさいなまれながら、何かできることがないか考える。しかし、いいアイデアが浮かばない。
――いや。
ラウラは自分の中に取り込んだ魔素を使えば、ヴィートの傷も治せるのではと思いついた。
双眸を閉じてヴィートへ口付けをすると、ゆっくりと慎重に魔素を流し込んでいく。
自分の体を循環する魔素をコントロールして、口から彼の体の奥深く、魂まで届けるように。
やがて名残惜しいように唇をゆっくりと離すと、ヴィートが嬉しそうに弓なりに双眸を細める。
ラウラは自分からキスをした事実に今更恥ずかしくなり、頬を染めた。
「ラウラ…… あり…… とう…… あいして…… る 生まれ…… かわっても…… 一緒に……」
「うん、私も愛しているよ。ヴィート」
分かっていた。
魔素で人間の傷が癒えるなどないということを。
魔素で体のほとんどを構成している魔物と違い、人間では根本的に違うということを。
軽く頷いたヴィートは笑顔を残し、ゆっくりとその呼吸を止めた。
空になった瞳を優しく手で閉じると、ゆっくりと自分の膝から頭を地面へごめんねと言って下ろす。
身体からは禍々しいほどの殺気を放ち立ち上がると、興味深そうにこちらを伺っていたアンダーサージへ向けて歩きだす。
ラウラは一歩一歩進みながらアンダーサージを上から下まで油断なく観察する。
ホーリーランスにて穿たれた傷口は未だ塞がられていない。ダメージも大きいのだろう。
完全にアンダーサージを滅ぼすことだけに集中し、様々な魔法を攻撃方法を考える。
いかにして殺してやろうかと自分でも驚くほどに冷静に冷酷に分析をしていた。
そんなラウラへアンダーサージの方から声が掛かった。
「まさか人間に後れを取るとはな…… ただの村人がマジックアイテムを持っているとは思わなかった…… しかも私にダメージを与えられるような希少なものを…… 侮っていた。なので多少の敬意を表して死ぬまで待ってやったぞ」
そして、引き攣った笑顔から眼を細めて無遠慮に上から下にラウラの姿を見つめる。
「……その姿、それが本来の姿だったということか。もしや……」
髪の毛も更に伸び、色も本来の発光する様なプラチナブロンドへ変化している。
体つきも幼さの残る少女の体から成熟した女性のそれと変わっていた。
そして何より顔つきが決定的に違っていた。
美しさは更に磨きがかかり何人も引きつける様な美貌であったが、深い湖の底の様な冷たい暗い色で一切の光がなかった。
何の感情も見えないその表情は、ゾクリと背筋に悪寒を走らせる。
「白金に輝く頭髪と漆黒の出で立ち…… 聞いたことがある。まさか魔物喰らいのデルグレーネと呼ばれていた魔物か?」
「…………」
「ははは。そうか、お前があのデルグレーネか! 更なる力を得るにはちょうど良い。凌辱し楽しんでから喰ってやるわ。私の糧となれることを光栄に思え」
「……ゲスが。……もう黙れ」
心底嫌気がさしたかのようにアンダーサージとの会話を一方的にやめる。そして、更にアンダーサージが話し出さない様に魔法を打ち込む。
「【ブラスト】――」
指向性の風魔法、風の弾丸。
聞くに絶えない言葉を吐き出す元凶、その喉元に風穴を開けた。
「かはっ――」
喉を抑え、苦しそうに舌をだらしなく垂れ下げる。
ギロリとラウラを睨むと、その凶悪な衝動が相手を殺せと湧き上がり狂気じみた笑顔を見せる。
背中から生やした蜘蛛の剛脚をゆらゆらと威嚇するように振りながら。
好戦的な姿を見せるアンダーサージへラウラは間髪入れず魔法を唱える。
「【フレイム・グレネード‼︎】」
ラウラが唱えると、小さな漆黒の球体が数個中空に浮かぶ。
風にも揺らがない球体は、ラウラが手首を振り下ろすと瞬時に鋭い形状となりアンダーサージへと襲いかかった。
灼熱の炎を極限まで圧縮し、いわばクナイのように鋭い形状へと変化させる。それを相手へ打ち込むラウラの得意魔法。
先ほど放った【フレイム・ニードル】と同系統の魔法。
こちらが上位版であり、突き刺さるとただ炎上するだけではなく、炸裂しその後に炎上する凶悪な魔法であった。
肉片が飛び散り燃えていく様は、あまりにも残忍だとラウラ自身が使用するのを躊躇うものであったが、目の前の敵へは一切の遠慮もなかった。
アンダーサージの喉を抉り先手をとったラウラは畳み込むように攻撃を続けていく。
一方、アンダーサージは体制を整えようと防御に徹しその隙をうかがっていた。
「……ちっ、厄介な攻撃だ」
喉の傷口を再生し、舌打ちをしながら防御魔法を展開する。
しかし、四方から襲いかかる炸裂弾が雨のように降り注ぎ、絶え間ない爆発で防御魔法を削っていく。
遂には耐えきれず、とうとうアンダーサージへダメージを与えた。
左肩口の肉片が吹き飛び、傷口が黒い炎で燃え上がる。
「――グオォ……」
追撃を嫌い、蜘蛛の粘糸を刃と化して二発三発と打ち出す。【フレイム・グレネード】を不可視の刃で爆発させると、その威力を利用し大きく後ろへ飛び距離をとった。
負傷した肩に手を当て、炎を消そうと叩くが炎は更に勢いを増す。
「チィイイイイ――⁈」
背中から生えている豪脚の鋭利な先端部分で傷口を切り落とす。
燃え盛る傷口を自ら抉ることで更なる延焼を防がなければ、全身を炎が覆い尽くしただろう。
ポッカリと開いた傷口を舌打ちしながら一瞥すると、内側から肉を盛り上げて傷口の修復をする。
「先ほどとは比べ物にならないほどの威力、そして炎の熱量…… これが本来の力ということか」
苦々しく笑いながら、回復した肩をぐるりと回す。
ふぅと息を漏らし、改めてラウラを観察した。
苛立たしいほど冷静にみえるが、その実は殺気に満ち溢れドス黒いオーラが身体に纏わり付き漂う。
ゆらゆらと立ち上るオーラ、更なる重圧を感じたアンダーサージは思わず口から笑いが溢れた。
「くはははっ」
突然笑い出したアンダーサージに思わず顔をしかめる。
「……なにが可笑しい」
「いやなに、今のお前からは魔物本来の殺戮への衝動、純粋な殺意がみてとれる。所詮は私と同じということだと思ってな」
くくっと笑い続けるアンダーサージへラウラは何も反応をしない。
「なんだ? 図星――」
話し続けるアンダーサージへ左手の掌を掲げて魔法を唱えると、先ほど撃ち込んだ数の倍ほど【フレイム・グレネード】をお見舞いする。
四方より降り注ぎ、濛々と爆炎が上がる中たまらず空中へ逃げるアンダーサージ。
しかし、その眼前には黒き炎の翼を生やしたラウラが待ち構えていた。
「チィィ――」
翼を羽ばたかせ一瞬のうちに近づくと、両腕にも黒き炎を纏いアンダーサージの頭部目掛けて抜き手を繰り出す。
残った蜘蛛の豪脚を眼前に重ね合わせて、丸まるように防御体勢を取るものの一本、二本と突き抜かれていく。
最後の一本で勢いは殺せたが、豪脚の隙間から勢いよく炎が吹き出してアンダーサージの顔面を焼いた。
「グァ――!」
ラウラは突き抜き折れた豪脚をガッチリと掴むと、その根本から引き抜こうと力を込める。
ブチブチと繊維が切れる音とともに、大量の血飛沫がラウラの顔に降り注いだ。
「ギャァ――」
悲鳴と共にラウラの腹部目掛けて全力で右足を蹴り込む。
無理やり引き離した代償は、ラウラの手の中でピクピクと動いている自身の豪脚であった。
「まだ足りない。お前の全てを引き裂いて燃やし尽くす……」
ラウラも無防備な腹部を蹴られたことでダメージを受け口から血を流す。
だが、表情は平然として蹴られた腹部を空いた手で摩りながら、右手に未だ動いている豪脚を興味なさげに後ろへ投げ捨てた。
(どうも相性が悪い…… デルグレーネは炎を得意とする魔人だったのか…… 私は炎耐性があまり強くない。このままでは押し切られてしまう。 ……何かないの――)
辺りを見回し何か逆転のきっかけを探す。
しかし、そんな暇は与えないとばかりに、ラウラが魔法を展開する。
とっさに魔法への防御姿勢をとるが目の前、いや前後左右にも魔法の兆候が見られない。
「――な⁈ 先ほどまでは――」
いつしか太陽は黒く厚い雲に覆われ、今にも泣き出しそうな空模様となっていた。
暗く深い悲しみの色。その空へ溶け込むように青白く光る巨大な魔法陣がアンダーサージの頭上に展開されていた。
魔法陣に気がついた時には、すでに魔法が解放される直前であった。
「魂をも焼き尽くせ‼︎――【デス・フレア・ダウン】」
直径十メートルほどの黒炎が柱のように吹き上がる。
爆発した炎はまるで透明な筒に入れられたかのように円柱状となり上下へ伸びた。
通常なら四方に爆散する威力を範囲を固定することで、何十倍にも威力と熱量を高めるラウラの極大魔法である。
まるで巨大なハンマーで殴り付けられるような爆発の威力に押されてアンダーサージは地面に叩きつけられ、さらに高熱の炎がその身を焼いた。
「ギヤァアアアアアアアア――⁈」
肉の焼ける匂いと叫び声が辺りに充満する。
やがて炎の柱が消え失せると、黒焦げになった半死半生のアンダーサージが転がっていた。
黒翼をはためかせ地上に降り立つラウラ。
その眼下で弱々しい呼吸音がヒューヒューと聞こえる。
「デス・フレア・ダウンで滅せないなんて……」
瞬間的には数千度にもなる高熱で体を焼かれた為に筋肉が硬直し固まっているアンダーサージへ近づきながらラウラは独りごちた。
自分の魔力が完全に元に戻ったわけではないことを確信した呟きであった。
箍が外れた事で取り込んだ魔力をそのまま使えている今の状態は一時の借り物であり、以前のように体の奥底から魔力が湧き上がるような感覚はない。
取り込んだ魔素をそのまま消費したに過ぎないと。そしてその使える魔力の残量が少ないことも。
しかし、眼下のアンダーサージを一瞥すると、その心配は不要だとすぐに切り替える。
完全に沈黙し、黒焦げで横たわる。
もうとどめを刺すばかりの仇敵を。