運命に導かれて 11/再会
アルサスの村で一番高い建物、教会の屋根よりラウラたちを見下ろすように立つマリウス。
燃え盛る家々の煙がたなびき何度も彼の姿を隠すが、彼は微動だにせずこちらを静観しているようであった。
「おお! 我が主人! やっと…… やっとお会いできました!」
アンダーサージはマリウスの姿を見出すと、細かった双眸を驚くほど見開き、歓喜に打ち震えた。
手を大きく広げ、何度も何度も首を大きく振りながら全身でその喜びを表す。
まるで留守番をしていた犬が、主人の帰宅に歓喜の興奮で小躍りをしているようであり、無いはずの尻尾が見えるようであった。
マリウスはラウラたちを一瞥すると、教会の屋根よりいくつもの民家の屋根を飛び渡り、最後に羽のようにフワリと地上に降り立った。
辺りを軽く見渡すとアンダーサージの前までゆっくりと歩みを進める。
その姿は威厳に満ち堂々とした、そして他者を威圧する重苦しい空気を纏っていた。
「おおお…… 我が主人…… よくぞご無事で」
マリウスに跪き、頭を垂れる。
アルベルトたち人間のことなど、もう彼の眼中には入ってはいなかった。
今こそこの場から逃げる好機。
しかし、アルベルトは動けずにいる。いや、アルベルトだけではなく、ヘレナ、ミリヤム、エステルの皆が新たな恐怖で竦んでしまっていたのだ。
一方、マリウスと面識のあるグスタフとラウラは、恐怖とは違った衝撃を受けて硬直している。
「久しいな…… いや、初めましてか? 我が身の一部よ。苦労をかけたな」
顔を伏せ、未だ跪いているアンダーサージへ優しく声をかける。
「いいえ、滅相もございません。十七年前に主人様より切り離され、この身に力を蓄えるため三年ほどかかってしまいました。そのため主人様の窮地の際、お役に立つことができず、またここまで時間がかかってしまったこと、心よりお詫び申し上げます」
「よい。……そうだな、私のことをマリウスと呼ぶことを許す。お前の名はあるのか?」
「はは! ありがたき幸せでございます。マリウス様。私のことはなんとお呼びいただいても構いませんが、今はアンダーサージと名乗っております」
「そうか、アンダーサージ。苦労をかけたな」
「……もったいないお言葉」
そう、アンダーサージとマリウスは主従関係であった。
いや、主従関係なのだが厳密に言えば、親子に近い関係性である。
十七年前、猛威を奮っていたヴァンパイヤの討伐に、王国から最高の魔法士と騎士の一団が派遣された。
その騎士団の一員として参加していたニコラウスに、瀕死の状態までに追い込まれたマリウスが自身の体の一部を切り離し、目の前にいた蜘蛛を核とした己の復活のために動く使い魔として造られた魔物がアンダーサージである。
結局マリウスは一命を取り止め、その使命を帯びた使い魔は別人格の魔物アンダーサージとして成長することとなる。
瀕死のマリウスが、人間に対する憎悪と破壊衝動を全て込めて造られた化け物、それがアンダーサージ。故に、純粋で生粋な殺戮者として『死を与えること』に、これ以上ない喜びを愉悦を感じてその本能のままに動く。
そして、自分を生み出した主人に再会することを夢見て、まだ見ぬマリウスの気配を追っていたのだ。
やっと主人に会えた、その喜びからアンダーサージは興奮抑えられぬまま、自分に与えられた使命を果たそうとする。
「さあ、ご自身の力の一部、魔王の力をお取り戻しください! 私が生まれた理由、それはマリウス様にかつての力を取り戻すことです。これで元の巨大な力を持つヴァンパイアの王に…… いや、史上最強の王となる方へ我が身を捧げ――」
跪いているアンダーサージがマリウスに自分を喰らえと両手を広げ、満面の笑顔で訴える。
しかし、それを遮り返答をしたのはマリウスではなく、物見櫓の下で倒れている少女の声であった。
「マリウス⁈ 貴方がなんでここにいる? その魔物は何?」
ラウラの横槍に、先ほどまで湛えていた幼い子供の様な純粋な笑みから、一瞬にして怨嗟を浮かべた形相となる。
信じられないほどの変わりように、ミリヤムたち女性陣は恐怖で体がすくみ小さな声で悲鳴をあげた。
「……キサマ〜、崇高なる会話の途中に――」
ぐるりと顔だけをフクロウのように背中側へ回し、ラウラを睨みつける。
主人との会話に横槍を入れた張本人へ、制裁を加えるため立ち上がろうとするアンダーサージをマリウスが制した。
「よい。お前は動くな」
「――⁈ はは、マリウス様のお心のままに」
今にも飛びつきかねなかったアンダーサージであったが、主人の一言で冷静さを取り戻し頭を垂れて畏まった。
しかし、その怒りが収まることはなく、上目遣いに横槍を入れた少女を睨みつける。
マリウスが跪き屈んでいる下僕の横を通り、横たわりながらも鋭い目つきで睨みつけてくるラウラへ歩み寄る。
十メートルほどの距離まで進むと立ち止まり、何かを言いたげたように口を動かしただ黙って双眸を細めた。
「マリウス! 答えて!」
「…………」
「その魔物と仲間なの? 私たちを騙していたの? 答えなさい!」
「…………ふっ」
張り詰めていた糸が突然切れたように、マリウスの口から息が漏れる。
それは決して謝罪や後悔を感じて出たものではなく、嘲笑そのものであった。
「……テメェ」
不遜な態度のマリウスに、グスタフは怒りを込めて睨みつける。
ラウラを抱きしめる腕には、本人も気が付かないうちに力がこもってしまう。
父に必要以上に強く抱きしめられて、ラウラは思わず顔を顰めることとなる。
アンダーサージから受けた傷に障って激痛が走ったが、おかげで意識は完全に覚醒した。
「……エレーナさんは? 彼女をどうしたの?」
「先ほどから質問ばかりだな。何から答えればよいのやら……」
「ふざけないで!」
馬鹿にしたように鼻で笑うマリウスをピシャリと一喝する。すると、歪んだ笑いを浮かべながらラウラを凝視し、見下すように口を開く。
「ああ、あの女か。我が下僕アンダーサージの気配を感じて、もう逃げ隠れる必要はないと判断したのでな。必要がなくなった。あれは人間社会に溶け込むように利用しただけ、先ほど喰ってやったわ。大した力にもならんけどな」
昨日とはまるで様子の違うマリウスに、二人は困惑し固まる。
いや、それ以上になんと言った? エレーナさんを…… 喰ったと言ったのか?
まじまじとマリウスの顔を覗き込む。
本当に自分達の知るマリウスなのかと。
グスタフの怒りを黙ってその身に刻むように耐え、ひたすら謝っていた彼なのかと……。
しかし、そこには一切の感情も見ることはできず、エレーナへ慈愛すら浮かべていた瞳は一欠片の光も無く真冬の湖のように冷え切っていた。
ラウラは後頭部を殴られたように頭の中が痺れ動けない、目の前の男が何を言ったか理解できないまま。
グスタフは目の前が真っ赤に染まるように頭に血がのぼる。腹の底から煮え返り、あまりの怒りに頭が赤を通り越して真っ白となっていた。
しかし、あまりの怒りからか驚くことに頭は冷静さを取り戻す。
一周回ってというやつかもしれない。
「……テメェ、昨日のしおらしい姿は演技だったってわけか?」
「演技? ああ、貴様には散々殴られたな。少しは溜飲を下げられたか? ……くくくっ」
地獄の底から聞こえてきそうな唸り声をあげるグスタフ。
獰猛な獣が吠える様に、マリウスへその怒りをぶつけた。
「やはり貴様は改心などしていなかったんだな! この野郎…… 俺のことは……まだ良い。ラウラを騙したことが許せねぇんだよ。お前は絶対に殺してやる!」
グスタフの心の奥底から湧き上がる呪詛にも似た叫びに、マリウスはただ黙って見つめている。
やがて興味をなくした様に、踵を返しアンダーサージの元へ歩き出した。
「おい! 待ちやがれ!」
歩き出したマリウスを引き止める様にグスタフが吠える。
様子をただ黙って伺っていたアンダーサージが主人の目配せを合図に、ゆっくりと立ち上がり未だ吠え続けているグスタフへ近づく。
「先ほどから黙って聞いていましたが、貴方たちは我が主人に対して言葉使いがなっていませんね。万死に値します」
糸の様に細かった瞳が大きく開き、その狂気を宿した赤い眼光が二人を貫く。
視線を外すことなく背中を丸めると大きく隆起し、先ほどまで生やしていた蜘蛛の脚よりさらに禍々しい巨大な蜘蛛の足が4本その姿を現した。女性の胴体より1本1本が太く、各々が意思を持った様にウネウネと動いている。
「……やめて」
ミリヤムがこの後に起こるだろう悲劇へか弱い声で反抗をすると、アンダーサージが顔だけをくるりと向け微笑む。
「安心してください。彼女たちの後にすぐ貴方たちも殺してあげますから」
下卑た笑いをミリヤムたちに残して、ラウラとグスタフへ歩を進める。
「誰がお前の好きにさせるか……」
近づくアンダーサージに迎撃の態勢を取ろうとラウラは起き上がろうとするが、それを押しとどめる様にグスタフが力強く抱きしめる。
父親に抱きしめられ、その手を押し戻せないことに、もう力が残っていないことを彼女も悟った。
「大丈夫だ。父さんが守ってやる」
「……ごめんなさい。お父さん、ごめんなさい」
「なんで謝る必要がある。お前は何も悪くない」
先ほどまで感じていた父の手の温もりが全身を包む様に感じられ、ラウラは安心感と堪らないほどの悲しみという矛盾する感覚に陥った。
「お父さん、皆んな…… ヴィト……」
大粒の涙が頬を伝って抱きしめている父の手に落ちる。
グスタフは優しく、その胸に娘の頭を包み込んだ。
「最後の別れはできた様ですね。もう少し取り乱してくれた方が私の好みではあるのですが」
二人の目の前に見下ろす様に立つ。
四本の蜘蛛の足が威嚇するかの様にゆらゆらと二人の眼前へ近づいた後、恐怖を誇示する様に大きく広げる。
アンダーサージのその顔は冷酷な微笑をたたえ、生命を刈り取る楽しみだけ、他には何の感情もない純粋なものであった。
「……なあ、アンダーサージよ」
今まさにこれから殺戮ショーが開演するという時に、突然として主人から声がかかった。
流石にアンダーサージも驚きを隠せず動揺する。
「はっ、はい。なんでしょう? マリウス様」
主人の声に動揺しながら返事をすると、体ごと振り向きその言葉の後を待つ。
「すまんな」
――刹那。
いきなり空中へ放り出されたように、アンダーサージは自分の視線が鉛色の空へ向いていることを不思議に思う。
スローモーションのようにゆっくりと視界が周り景色を変えていく。
自分の意思とは関係なく移り変わる視界の端に、いるはずのない人物が映り、やがてそれは大きく目の前に現れた。
鈍い音と共に地に転がり、今やっと自分がどのような状態かを理解する。
「――――――――――!」
頭だけ転がり落ちたアンダーサージが声にならない声で叫ぶ。
首を切られて頭だけではさすがに魔物といえども声を発する事はできない。
『お前は…… 騎士団長! 何故キサマがここに居る?』
剣を構え追撃の態勢をとっているニコラウスに向かって叫ぶが、唇のみが動くだけで相手には届く事はなかった。




