運命に導かれて 6/変わり果てた姿
ラウラたち一行は、やがて裏山へ通じる村の出入り口に差し掛かった。
ここを抜ければ山道に入る。
街道と比べ、地元の人間であるラウラたちにとって、隠れながら逃げやすいのは明白だった。
振り返ると村の中心から黒い煙が棚引いて、火災の規模が大きくなっているのがわかる。
時折り聞こえてくる叫び声に、足を止めそうになるのを必死で堪え、心の中で村人の無事を祈りながら直走った。
皆、ここまで来る道すがら倒れていた多くの死体を目にしており、自分たちだけが逃げている罪悪感で心が押しつぶされそうになっていた。
遮二無二走っていると、やがて村の出入り口となる門がはっきりと見えた。
門といっても城塞都市ロゴスのような敵の襲撃を守るように強固に作られた何メートルもある大規模なものでは無く、野生動物が入り込まないように簡素に作られたものだ。
柵の真ん中に左右開閉式の木製扉がついた三メートルにも満たない小さな門である。
通常はほとんど開きっぱなしで、夜になると閉める。
その小ささのため、背の高い荷馬車や大きな荷物を積んでいる時などは、門をくぐれないため横の柵をどかして村内に入るといったお飾りのような門であった。
門に近づくと、その周りに無残にも横たわっている多くの村人の姿があった。
この場所からもアンデッドが入ってきたのだろうか。
村の内へ逃げようとして背中を斬られている死体が多かった。
グスタフたちが修繕の作業をしていたのは、この場所と反対側の村の出入り口近くであったので、挟撃されたと見て間違いがなかった。
「ひでぇことをしやがる……」
息を切らしながらも、グスタフはその怒りを抑えることができず思わず呟いた。
皆んな声を出すことはなかったが、同じ気持ちである。
陰惨な死体を近くで見たミリヤムとエステルは、顔をくしゃくしゃにして泣きながら走っている。
倒れている村人たちに心の中で祈りを捧げながら、その横を走ると門前までたどり着いた。
周りにアンデッドがいないことを確かめると、皆少しほっとしたようであった。
「ふう、ここまで来れば……」
膝に手をついて肩で息をしていたアルベルト。
ふと視線を横へ送ると、門の外でよろよろと足元がおぼつかない村人であろう二人を見つけた。
流れる汗を拭い、目を凝らして見つめる――。
「オッ、オリヴェル! ニーロ!」
堪らず叫んだアルベルトの声に反応したのか、酷くフラフラとしながらその体を向けるオリヴェル。
同じように振り向こうとしたが、その横でドサリとニーロが地面へと倒れた。
アルベルトがいち早く駆け寄り、今にも倒れそうなフラつくオリヴェルを抱き抱え地面に膝をつかせた。
「オリヴェル! おい、大丈夫か? 一体どうしたんだ?」
グスタフたちも二人が生きて帰ってきたことに歓喜して声をかける。
エステルとヘレナは婚約者と息子ということもあり一際大きな声をあげた。
「オリヴェルー! ああ……良かった」
「オリヴェル! ニーロ! 無事だったんだね」
「兄さん! ニーロも! 良かった」
「二人ともよく無事で……」
そしてアルベルトの後を追うように倒れた二人に駆け寄ろうとした時、ラウラが皆を止める様に大きく両手を広げてその前に立ち塞がった。
「行っては駄目! アルベルト、離れて!」
ラウラの行動に一同は一瞬困惑をしたが、ラウラが静止したと同時にアルベルトの叫び声により、その足はピタリと止まった。
「グァアアー⁈ オ、オリヴェル…… お、お前、どうしちまったんだ?」
抱き抱えられていたオリヴェルが、アルベルトの肩口に噛み付いたのだ。
唸り声を上げ獣の様に噛みつくオリヴェル。
噛まれたアルベルトの肩口からは血が吹き出し、すぐにアルベルトの大きな背中を血に染めた。
「こいつは……」
フラフラとラウラの横をすり抜け、呆然とするグスタフにラウラは背後から声をかける。
「オリヴェル、ニーロ…… 二人は…… もう死んでいる。アンデッドになっちゃってる」
信じられない光景…… そしてラウラの言葉に息を飲むヘレナ、ミリヤム、エステル。
グスタフはガクリと膝を折りその場に跪いた。
実の父親を襲っているオリヴェルの顔は、血色のない土色をしており、その目は一切の生気も感じられなかった。
そして、ニーロに至ってはピクリとも動くことはない。
「なんてこった…… なんてこった、なんてこった……」
グスタフが膝を折り、両手を地面につき四つん這いになりながらぶつぶつと呟く。
ラウラを含め女衆は、目の前で起こっていることが信じられず、ただ黙って立ち尽くす。
しかし、襲われているアルベルトだけが、変わり果てたオリヴェルへ声をかけ続けていた。
「オリヴェル! 大丈夫だ! もう大丈夫だ。俺だ! お前の親父のアルベルトだ。しっかりしろ。もう大丈夫だから」
アルベルトはオリヴェルに肩口を噛みちぎられ、血塗れになりながらも必死でオリヴェルを抱きしめ落ち着かせようとしている。
「オリヴェルー! 正気に戻ってくれー!」
アルベルトの悲痛な叫びに呼応して、今まで凍りついていたエステルがラウラの横を通り過ぎ、未だアルベルトを襲い続けているオリヴェルの元へ駆け出す。
「オリヴェル…… 私だよ。エステル。もうそんなことはしないで……」
アルベルトに抱き抱えられて踠いているオリヴェルの顔の前に両膝をつき、優しくその頬を両手で包みながら正気に戻ってと願いを込めて語りかける。
しかし、オリヴェルは頬に添えられたエステルの右掌に食らいつくと、苦しそうに呻き声を上げた。
「ヴァアア……」
「――っ⁈ ……大丈夫。オリヴェル。もう怖いことはないよ」
エステルは掌を噛まれた痛みに顔を歪めたが、直ぐに笑顔を作り、傷を負った手で優しく頬を撫で続ける。
「グゥッ、アー アー オ ウテ ル……」
「そう! 私、エステルだよ。貴方の婚約者のエステル。私と結婚するんでしょ!」
痛みに耐えながらエステルは、その血だらけの手でオリヴェルの後頭部を強く引き寄せ自分の胸へと誘う。
オリヴェルの頭に頬をすり寄せ、きつくきつく抱きしめた。
ヘレナとミリヤムもアルベルトとエステルに抱きしめられているオリヴェルの横に跪き、その上から抱きしめた。我が子を、我が兄を想い泣きながら。
「ヴァア――――――‼︎」
エステルの胸から顔を上げて、皆を振り解く。
父親譲りの赤茶色の髪を振り乱し、身体をよじらせ雄叫びをあげるオリヴェル。やがてアルベルトの手から離れ、膝立ちの状態で皆を見下ろす。
「ヴァッ グッ アア……」
苦しそうに何か言いたげにするオリヴェル。しかし、言葉にはならない。
生気なく焦点も定まっていない視線は中空を彷徨う。
「オリヴェル!」
エステルが今にも倒れそうなオリヴェルを抱きとめると、濁りきったその目尻から一筋の涙が頬を伝う。
「グッ…… ヴァ…… オェ――⁈」
腹の底から苦しそうに吐血した。
ジタジタと流れる血液。一緒にボトリと血の塊がオリヴェルの口から地に落ちた。
オリヴェルの首はカクンと折れ、先ほどまで強張っていた体の力が全て抜け落ち、まるで操り人形の糸が切られた様にだらりと全身が脱力する。
そして、そのままゆっくりと背中から地面に倒れ込むと、ピクリと動くこともなくなってしまった。
「……オリヴェル⁈ ねえ、どうしたの⁈ オリヴェル? オリヴェル――‼︎」
「あああ、オリヴェル……」
「兄さん――」
「おお、オリヴェル‼︎ 死ぬな! オリヴェル……」
エステルが這いながらオリヴェルの元まで行き、その顔をまじまじと見つめる。
目を見開いたままのオリヴェルの顔には、エステルの涙が雨の様に流れ落ちたが、もはや何の反応を見せることもなかった。
呆然と見ていたラウラとグスタフ、未だ動く気配のないニーロの横に跪く。
「ううっ…… ニーロ…… オリヴェル…… どうしてこんなことに」
「…………」
ラウラがニーロの手を取り嗚咽をあげる。
グスタフは、転んだ表紙についたのだろうかニーロの顔に付いた砂を優しく払い、見開いた瞼をそっと閉じた。
オリヴェルとニーロ、家族が目の前で死んだ。それも異常な死に様で。
皆があまりにも大きすぎるショックを受け逃げることも忘れ、ただただ赤子の様に泣いていると、不意に手を叩く音が響き渡った。
――パン、パンパンパンパンパンパン。
この場に最も相応しくない、まるで歌劇を観覧した後に役者を称賛するかの様な乾いた音の拍手。
先ほどまで誰もいなかったはずの場所に忽然と紳士風の男が姿を現し、満面の笑みをたたえて拍手をしていた。
そして続けて聞こえてきた男の声に、この場で悲しみにくれている全員がその耳を疑った。
「いやはや素晴らしい! これは面白いものが観られました」
細く赤い瞳をさらに弓なりにして、貴族のような身なりのいい紳士が満足そうに拍手を送り続ける。
その一音一音が皆の心を抉っていった。




