繋がる因縁 5/衝撃
「ヴィート。そろそろじゃないか?」
すぐ後ろを歩くニコラウスに耳元で声をかけられ、ヴィートは意識を引き戻された。
慌てて首をぐるりと回して少しブルーの入った薄い白色の髪を靡かせて周囲を確認する。
今まで通ってきた周囲の木々よりも、一際と背の高い杉の木が立ち並んでいる。
少しモヤのように発生している霧は、滝壺からの水しぶきが空気中に漂っているのだろう。
「はい。あと少しで例の滝に近づきます」
「よし。これからは更に慎重に行こう」
「はい」
ニコラウスはヴィートの返事に頷き、後に続く騎士たちへ檄を飛ばす。
「周囲に気を配れ、特に頭上に注意しながら行くぞ」
騎士たちはただ黙って頷き、音を立てることなく、それぞれが適正な距離へと移動する。
見晴らしが良い場所へ出るために、ある一定の距離を取る必要がある。
ゾロゾロと隊列を組んで歩いていては、直ぐに発見される恐れがあるからだ。
特に指示がなくても各々が状況を理解し行動できるのは、訓練の賜物だろう。
二十分ほど慎重に進むと、草木が生い繁り密集した森の中から開けた川沿いに到着した。
ヴィートが足を止めてしゃがみ込むとニコラウスたちは順に集まり、同じように身を屈める。
「ここから先、あそこの滝の脇道に行くまで頭上に遮るものがありません。俺が先行して一人で行きます。野盗たちが見張っていたら動くと思うので、よく様子を伺ってください。しばらくして動きがなければ一人づつ来てください」
「しかしヴィート。君には囮のようなことをさせてしまうが大丈夫か?」
「はい、一緒に付いて行くと決めたときから多少の危険は覚悟しています。……それに」
「ん? それに?」
「いえ、俺一人なら野盗も近くの村人が野草でも摘みに来たのかと思って油断するんじゃないかと思って」
「ん…… 確かにそうなんだがな…… ではすまないがよろしく頼む。……君の勇気に感謝する」
肩に手を置かれてニコラウスから礼を貰うと、鼻息を大きくして頷いた。
騎士団を後に残し、一人で川辺近くまで進むヴィート。この藪を抜ければ川原だ。
低く屈んだ姿勢から、野草取りの村人を装うために姿勢を戻す。
頭を上げると蜘蛛の巣が顔に引っ掛かった。
「うわっ⁈」
思わず口を抑えてもう一度座り込み、キョロキョロと周りを見渡す。
(なんだよ、蜘蛛の巣か…… 脅かすなよ)
普段であれば、蜘蛛の巣に顔をぶつけたほどのことで驚きもしなかったが、今回は緊張していたのだろう。自分の出鼻を折られて、頭が真っ白になった。
そのパニックからか、先ほどまで言い切った勇ましい言葉も忘れ、空間にただただ身を曝していることの恐ろしさに襲われた。
全身が緊張で張り詰め、汗が額から滝のように流れ落ち、鼓動が激しくなる。
周囲を見回し、深呼吸をしながら勇気を出し、川原に踏み出した。
足元の土の湿った感触がなくなり、小石が転がる音が響く。
自分の足音がうるさいくらいに大きく感じ、ますます恐怖に襲われた。
(いきなり矢を打ってくるなんてことはないよな……)
視線を崖上や木の上にチラチラと動かしながら、足はいつでも恐怖で止まるかのようだった。
しかし、ヴィートは唇を噛みしめ、自分を奮い立たせ、一歩一歩と前へ進んだ。
(自然、自然に振る舞わなければ怪しまれる。普段は上を見上げたりしない。顔を上げちゃいけない…… 絶対に無事に帰ってラウラに言うんだ)
ゆっくりと普通通りに歩きながら、気がつくと滝の脇を登る小道にたどり着いていた。
崖の反り返りからは見えない場所まで進むと、ヴィートは一気に足早になり、岩壁に駆け寄って背中を預けた。
恐怖から解放された瞬間。
自分の背中を守られるとは、こんなにも安心感を与えてくれるのだと彼は感じた。
大きく息をついて安堵すると、先ほど自分が藪から出てきた辺りに双眸を向ける。
暫くしてニコラウスは見張りがいないことを確認し、藪から顔を出してヴィートの下に素早く駆けてくる。
彼の移動術は物音を立てず、驚くほど速かった。
他の騎士たちも続き、やがてヴィートたち一行は難所を乗り越えたのである。
「しかし、ここに見張りがいないと言うことは……」
ニコラウスは滝横の小道を上がりながら独りごちた。
林を抜け、小道を登り切ると、開けた場所に出た。
ついに、目的の場所に到着したのだ。
ヴィートは緊張のため息を吐いた。ここが野盗たちのアジトと予想された場所だった。そして、そこには人の気配があった。
気配を察知したニコラウスたちは一旦止まり、抜刀し臨戦体勢へと移行した。
滝横の小道を登るところから、ニコラウスと騎士たちは先行して進んでいた。
もし野盗がいた場合、すぐに戦闘になる可能性を考慮して、ヴィートは一番後ろで一人の騎士に守られていたのだ。
騎士たちから立ち上がる鋭利な刃物のような殺気に、ヴィートは味方であるにも関わらず、背中にゾクリとしたものを感じた。
ニコラウスは手を上げ、待機の合図。騎士たちは固唾を飲んで備える。
緊張感の支配する中、様子を伺っているニコラウスの至極残念そうな声が響いた。
「やはり空振りだったか……」
先ほどまでの殺気を霧散させ、剣を鞘に収めたニコラウスは、その場で呟く。
そして、今までの慎重な足取りから解き放たれたように、大股でズカズカと歩いて行った。
ヴィートは騎士の後に慌ててついて行くと、ニコラウスが歩を進める先には、見慣れた鎧を着た兵が何人も見えた。
そこにはオリヴェルとニーロの顔もあった。
すでに他の二つの部隊は到着しており、周囲の探索も終え、見張りを残して休憩をしていたのだ。
「団長、お疲れ様です!」
ハンスが足早にニコラウスへ駆け寄ると、残念そうに首を振りながら報告をする。
「我々が最初に到着しましたが、もぬけの空でした…… 焚き火跡の様子から二、三日前までここにいたような感じなのですが」
足元の燃え尽きた炭と灰が残っている焼け跡を指し、細く美しい金髪をかきながら恨めしそうに報告をする。
一拍置くと辺りを気にしながらニコラウスへ近づき、他の者に聞こえないよう声色を落とし耳打ちをする。
「やはり内通者の仕業でしょうか?」
「……そうみるべきだろうな。しかしこの場で兵たちを動揺をさせたくない。帰ってから話そう。まずはこの後のことを考えよう」
「……はい、わかりました」
「他に報告はないか?」
ニコラウスの問いにハンスは顔を顰めて言い淀んだ。まるで嫌なものを思い出したように。
「……こちらに来て見ていただきたいものがあります」
そう言うとニコラウスを促すように手を差し出し、その場所へと案内する。
二分も歩かず着いた先は、奥まった窪地にある洞窟前であった。
「これは――⁈」
地面や洞窟の岩、周囲の木々に残る血痕と思われるものが大量にドス黒く浮かび上がっていた。
「雨で薄くはなっているとは思いますが、ここで何かあったことは確かです」
ニコラウスは地面に片膝をつき、ドス黒く変色している岩肌を指でなぞり取ると、目の前まで近づけ観察する。そしてハンスの言葉に頷く。
「確かに最近に付いた血痕の様だな。しかしこの夥しいほどの量はどう言うことだ? ハンス、君が来たときのことを話してくれ」
「我々は団長より一時間ほど前に到着しました。此処の惨状を発見し慎重に周囲を捜索をしましたが、何ら残っていませんでした。……この血痕以外は」
「すると現状のように死体も荷物も残っていなかったということか……」
「はい。異常な光景です」
ふむと顎に手を当て、思案するニコラウス。もう一度、周りを見渡すと一つの確証に至る。
「この場所で何らかの殺戮が行われたのは間違いない。岩や木に残る傷跡は剣などの鋭利な刃物の傷跡だろう。動物の仕業ではない。雨で分からなくなっているが、大勢の人間の足跡が微かに見て取れる。野盗が攫ってきた人たちを此処で殺害したのだろうか…… かなり大量の人間が殺されたな。十人、いや二十人はいただろうか」
しかし、とニコラウスは続ける。
「では死体がないのはどういうことだ? クマや野犬が死体を漁りに来たとしても綺麗すぎる…… 腕の一本も落ちていない…… 死体を持っていった? 何のために……? 血痕以外を綺麗さっぱり運ぶ…… そんな芸当を果たして人間ができるか?」
ニコラウスはハンスに向き直すと真剣な眼差しで告げる。
「ハンス。何が起きているかは分からんが、事は非常にマズイ事態に向かっているかもしれん。敵は野盗…… いやローグ王国だけではないかもしれん。その裏に潜む者…… もしかすると魔物が絡んでいるかもしれんぞ。捜索は中止し、村に戻りアンと合流。対魔物の準備をするぞ」
「了解しました! しかし魔物ですか…… 一体何が目的なんでしょう」
「捕まえて聞いてみるしかないな。皆に気を引き締めるように言っておいてくれ」
「はい。それでは少し休憩してから出立しましょう。我々は大丈夫ですが、ヴィート君は着いたばかりですし」
「ああ、そうだな。ん? そういえば彼らはどこに行ったんだ?」
ニコラウスとハンスは今後の対策を会話しながら、先ほどの休憩場所まで戻ってきていた。
そこでヴィートたち三人の姿が見えないことにニコラウスが気づき、側にいた騎士へ尋ねる。
「先ほどまでおとなしく待っていたのですが、用を足すと言って茂みの中に入っていきました」
「そうか、便所か」
ニコラウスは笑いながら近場の岩に腰を下ろした。
ハンスは先ほどニコラウスから伝えられた命令を他の騎士たちへ伝えるために隊長の元から離れて行った。
(しかし…… 一体どういうことなんだ。今回の任務は腑に落ちないことが多すぎる……)
携帯している水筒を手に取り、ゴクリと飲み込む。
一息つきながら今後の動き方を考えていると、周りの異変に気がついた。
騎士たちが座り込み、中には寝転んでいる者がいる。
規律の厳しい騎士が、そのよう不規律でだらしのない格好をするなどあり得なかった。
どうしたかと声をかけようとした時に、足元を這い上がる小さな物体が目に入る。
「蜘蛛……?」
足元をよく見ると、地面を埋め尽くすように蠢く極々小さな蜘蛛が湧いていた。
その尋常ではない夥しい数に、ニコラウスは敵の襲撃だと悟る。
そして、自分の足から這い上がってくる極小の蜘蛛を払い落としながら辺りを見回す。
「くっ! 蜘蛛の毒にやられたか……」
騎士たちは寝転んでいるのではなく、蜘蛛の毒にやられて倒れ込んでいたのだ。
フラフラと動ける者もいれば、泡を吹いてガクガクと震えて昏睡する者。
嘔吐し蹲る者。
目に見えるほぼ全ての騎士が蜘蛛の毒にやられているようだった。
「普通の蜘蛛じゃない⁈ これは――」
ニコラウスも体に痺れを感じ、視界がグニャリと歪んだ。
しかし、低位ではあるが毒系統への耐性を有していたニコラウスは、意識レベルが低下して昏睡する前に腰の薬入れに常備している毒消し薬を口に投げ込み、何とか意識を保つ。
「はぁああああ――‼︎」
精神を集中し聖なる気を全身に纏うと、足元から這い上がってきていた蜘蛛が嫌がるように離れて行った。
この小さな蜘蛛は、やはり魔物のようだ。
ニコラウスの聖なる気をまともに浴びた蜘蛛は小さく断末魔をあげると、ボロボロと崩れ黒い魔素となり消滅していった。
「魔物の攻撃だ‼︎ 聖なる気を纏え‼︎ 気をしっかり持つんだ‼︎」
ニコラウスは有らん限りの大声で団員たちにゲキを飛ばす。そこへ毒を受けたのか、フラフラと歩くハンスが近寄ってきた。
「――団長! ご無事ですか⁈ これは一体……」
「ハンス! お前も無事か⁈ この小さな蜘蛛は魔物の使い魔だ! 気を付けろ! 本体が来る――」
ニコラウスの言葉を遮るような鈍い音と衝撃が体を揺らすと同時に脇腹へ鋭い痛みが走ったのを覚える。
おもむろに脇腹を見ると、鎧の隙間に短剣が突き刺さっていた。
「……さすが団長ですね。的確な状況判断、瞬時の対応力が突出しています。いや経験の為せるところか……」
ゆっくりと視線を自分の脇腹に突き刺さった短剣から言葉を投げかける相手に移す。
そこには先ほどと変わらない表情をしたハンスが立っていた。
しかし、光を無くした紫の瞳の奥には、凍りつくような冷たさがあった。




