繋がる因縁 4/ヴィートの想い
険しい山道を切り拓きながらニコラウスの隊を先導するヴィートは、今朝のことを思い出していた。
ラウラが薄暗いダイニングルームでグスタフの過去を聞き涙を流していた時、ヴィートもまた一人眠れずにいた。
初めて知ったグスタフの過去。エレオノーラさんとアイラの死因。
グスタフとマリウスという魔物の因縁……。
何よりも、あんなに目を血走らせて獣のように泣き叫ぶグスタフの姿が、脳裏に焼き付いて離れなかった
――自分のしたことは間違ってなかったのか?
マリウスにナタで襲いかかり、グスタフがその本懐を果たそうとしたのを邪魔した。
必死に抱きつき、その凶行を止めた。
しかし、本当にそれが正しかったのだろうか……。
最愛の妻と娘を無残にも殺され、長年恨みを抱いていた仇を目の前にして復讐の機会を奪われた。
グスタフの悔しさ、悲しみは如何程のものだったのだろう。
(親父は止めてくれてありがとうと言ってくれたけど……)
自分がグスタフのように最愛の人を理不尽に殺されたのなら……。
(駄目だ…… 俺なら絶対に許すことができない…… 親父はどうして……)
しかし、ラウラにマリウスが殺害される姿を見せることは、ラウラの心に大きな傷を残すことになる。それだけはしてはいけないと思ったのも事実だ。
ベッドに横たわり、いくら天井を睨みつけても思考はまとまらない。
頭の中でグルグルと答えの出ない問答が続いていく。
よほど長い時間考えていたのか、頭の下で組んでいた腕が痺れてきた。
徐に上半身を起こすと、胡座をかいて月明かりが差し込む窓をぼんやりと眺めていた。
『ガチャリ』
不意に物音がして、虚だった意識を取り戻す。
玄関の扉が開く音に続いて、ジャリジャリと土を踏む音が窓の外に響いた。
(誰かが外に出たのか?)
訝しげに思ったヴィートは、ベッドから降りると窓の外を覗き込む。
目を凝らすと、見覚えのある広い背中が夜明け前の薄暗闇の中を歩いていた。
(親父? こんな時間にどこへ……)
闇の中に溶け込むように進むグスタフの背中に、得も言われぬ不安を感じたヴィートは、少し考えた後、すぐさま後を追いかけた。
グスタフに伝えなければならないことがあった。
そして、聞いてほしいことがあったのだ。
静寂の中、さらさらと水の流れる心地よい音色を奏でる小川の脇。
グスタフは岩に腰掛け、まだうっすらと顔を出している月を見上げていた。
ヴィートがグスタフを見つけ、ゆっくりと近づいていく。
小枝をパキッと踏む音に反応してグスタフが振り返った。
「……おお、ヴィトか。どうした? お前も散歩か?」
笑いながら振り返ったグスタフの表情は、薄暗い中でもよく分かった。
目の奥に悲しさを宿した優しい笑顔だった。
ヴィートは感情が昂り言葉に詰まったが、何とか平静を装う。
「うん。俺も寝付けなくてさ。親父が外に行くのを見て、俺も散歩しようかなって」
「そうか」
ヴィートは立ち止まってしまった足を何とか動かして、グスタフが座る岩の横まで歩を進めると、自分も別の岩に腰掛けた。
しばしの沈黙……。
グスタフはヴィートから目の前の小川へ視線を移し、その流れを眺めている。
ヴィートはそんなグスタフに、どうやって声をかけようかと思案をしていると、グスタフの方から話しかけてきた。
「そういやお前、親方から親父に呼び方を変えたな?」
そこを突っ込むのか! とヴィートは心の中で愚痴をこぼす。
改めて言われると、気恥ずかしさで胸が一杯になる。それも等の本人に。
幸い、薄暗闇の中なので真っ赤になった顔を見られる事はないのが唯一の救いか。
「えっ、まあ…… おかしかったかな?」
「いいや、俺はどっちでも構わん。だが…… お前が親父と呼んでくれて嬉しいのは確かだ」
「嬉しかったんだ……」
「ああ、子供から親父と呼ばれたんだ。嬉しいに決まってる」
「そんなもんか?」
「ああ、そんなもんだ」
ヴィートはグスタフの横顔から、それが本心だと悟る。それと同時に、今までの自分に腹を立てた。
なぜ最初から親父と呼ばなかったのか?
勿論、幼かった頃は父さんと呼んでいたが、自分の出自のことを知ってから呼び方を変えた。
別に距離を置きたかった訳ではないし、グスタフの愛情を疑った事もない。
単純に恥ずかしかったからだ。
恥ずかしかったから、アルベルトたちが呼んでいた親方と呼んだ。
グスタフの心情など考えもせず、そんな自分勝手で幼稚な理由で親父と呼ばなかった自分を恥じた。いつも心の中では親父と呼んでいたのに。
「親父! ごめん!」
ヴィートは腰掛けていた岩から立ち上がると、グスタフに頭を下げた。
「何だ? いきなり?」
困惑するグスタフに、薄暗闇でも白く輝く頭を下げながらヴィートは続けた。
「今までごめん! そして、今日。俺は親父の――」
謝るヴィートの話を遮って、グスタフは遠くを見ながら静かに口を開く。
「なあヴィト。あいつ、マリウスつったか? あの野郎は何で避けようともしなかったんだろうな?」
「――え?」
「あいつは魔物で俺たち人間より遥かに強い。それが殴られても切りつけられそうになっても決して反撃をしなかったし、防ぐこともしなかった」
「…………」
「何でだろうなって。その理由を考えていたんだ」
グスタフの問いにヴィートは押し黙る。
「分からないんだよ。いや、分かりたくないんだ。今更、反省したってエレオノーラとアイラは奴に殺された事実に変わりはない。絶対に許せることではないんだ」
頭を抱えて膝の間に首を垂れるグスタフに、ヴィートは優しく否定をする。
「……でも親父は止まったじゃないか」
「……ああ、お前が止めてくれたからな。ラウラの前で…… 俺は、あと少しで取り返しのつかない間違いを起こすところだった……」
言葉を切り、ヴィートの顔を真正面に捉えると、深々と頭を下げた。
「ありがとうヴィート。お前に俺たちは助けられた。心から礼を言う」
「いや……」
「俺は分かっていたんだ。殴られ続けているあいつは、過去を精算しようとしてるって。自分の死を持って贖罪しようとしているって。変わったんだと分かったよ。でも俺はそれを認めず憎悪の衝動を止められなかった。それをお前が止めてくれたんだ」
「……あのマリウスって人が一言だけ俺に言ったよ。すべて自分のせいだって」
「そうか。そんなことを言っていたのか……」
グスタフはヴィートを背にして薄明かりが差す空を見上げる。
その頬からは一雫の光が落ちた。
空が白み始め、時間が動き出したように鳥や虫の鳴き声がだんだん大きくなっていく。
木々の葉も徐々に色を取り戻し、じきに夜が明ける。
「さあ、帰るとする――」
岩から腰を上げて伸びをしたグスタフが振り返ると、ヴィートが意を決したようは表情で近寄ってきたため、思わず言い淀む。
「親父にお願いしたいことがあるんだ」
「――おおぉ、何だ? 言ってみろ」
真剣な眼差しを向けられたグスタフは、少し戸惑った表情を浮かべた。
ヴィートの幼さの残る顔とは異なり、信念に満ちた一人前の男の面構えに、彼は少し驚いたのだ。
「……俺はラウラを愛している。結婚を許してください!」
突然の愛の告白に、息子から娘への求婚を強請られ驚倒する。
グスタフもそこまで鈍感ではなかった。
ヴィートとラウラ。
二人が惹かれ合っているのは薄々感づいていた。二人が幸せになるためには、自然なことだ。
しかし……。
グスタフは口髭を撫でながら考え込んでいたが、ヴィートはそんな父親の気持ちに気づくことなく話を続けた。
「こんな時にごめん。でも、いま親父に伝えなきゃと思ったんだ」
「何を言って…… お前とラウラは兄妹じゃ――」
「俺とラウラは血が繋がっていないから問題はないでしょ」
「それはそうだが……」
ラウラは人間ではなく魔物だ。
そしてラウラ自身が、ヴィートに魔物であることを知られたくないと頑なに隠している。
グスタフは何度かラウラにヴィートへ打ち明けてはどうかと投げかけていたが、その度に激しく拒否をされていたのだ。
そんなラウラの想いを理解しているグスタフは言葉に詰まっていたが、逆にヴィートから思いがけない言葉が発せられた。
「親父を止めた理由なんだけどさ……、ラウラに見せちゃ駄目だと思ったんだ。魔物を殺す親父の姿を魔物であるラウラに」
「――お前⁈ 何を言って――」
「随分前から俺たちとは違うって知ってたよ。親父とベッテル先生が話していることも聞いたことがある。最初は何を言っているのかわからなかったけど……」
グスタフは余りの驚きに言葉が出てこなかった。
「ロゴスの街で初めて会った時は、何も分からなかった。親父の言う通り、奴隷として連れてこられた女の子。遠い異国で生まれたから何も知らないんだって。でも食べることすら分からないなんて少し変だと思ったよ。アルサスの村に来てからも、度々おかしな事があった。それに親父とベッテル先生が話しているのを聞いて何となく想像はした。そしてラウラが怪我をした時に見たんだ。傷がすぐに治っていくのを。ラウラは周りに誰もいないと思ったみたいだけど、俺は見ていたんだ」
ヴィートは今まで隠していた事実を告白した。
そして一呼吸おいて、まだ固まっているグスタフに告げる。
「最初は戸惑ったよ。でも、ラウラはラウラだった。ぶっきらぼうで無口だけど、思いやりがあって優しいラウラ。困っている人を放っておけない世話好きなラウラ。しっかりしているようでドジだけど頑張り家のラウラ。魔物だろうが人間だろうが関係ない。俺はラウラが好きなんだ」
決意に満ちた眼差しでグスタフを見据えた後、深々と頭を下げた。
「俺はラウラを幸せにしたい。結婚を許してください!」
ヴィートの独白を聞いて、ようやくグスタフも落ち着きを取り戻す。
「そうか…… 知っていたのか……」
ヴィートは肯定の意を示して、更に付け加えた。
「親父は怒るかもしれないけど…… 魔物のマリウスと人間のエレーネさんの関係を見て俺の心は決まったんだ。種族なんて関係ないってね。それに親父の話に出てきたユリアナさんだって魔物だろ。ユリアナさんも人間と愛し合ってたみたいだし」
グスタフはもう何も言うことができなかった。
ヴィートの思いを聞いて、何を言えばいいと言えばいいのだ。
しばらく目を瞑り、やがて観念したように息を吐いた。
「お前の気持ちは分かった。俺からは何も言う事はない。……ただな」
ヴィートはゴクリと唾を飲み込み、次に出てくる言葉を待った。
「決めるのはラウラだ。いい返事がもらえるように頑張れよ」
ヴィートの肩をポンポンと叩き破顔するグスタフに、大きく頷きはっきりと誓った。
「必ず幸せにすることを誓うよ!」
グスタフはヴィートの瞳の奥にある決意を感じ、息子が一人前の男になったことを痛感した。
それは嬉しく、どこか寂しくもあった。
白み始めていた空は一気に明るくなり、陽の光がヴィートの笑顔を輝くように照らした。




