繋がる因縁 1/家族
深夜の空気に静けさがとっぷりと包み込み、村中の人間が眠りに落ちている頃、リーグ家の一部屋だけは僅かな灯が灯っていた。
温かみのあるぼんやりとした灯火のランプ。動物性の油を燃やすため、微かな獣臭さを感じさせる。
テーブルを挟んで向き合っているラウラとグスタフは、お互いが黙って手の中にあるコップをなんとなく眺めていた。
グスタフは話を終えると、底に少しだけ残る琥珀色したウイスキーを呑み干して、大きく深い吐息を部屋に響かせる。
ラウラもその手にしていたコップをジッと見つめ、ただ黙ってグスタフの独白を聞いているだけであった。
「まあ、そうしてユリアナに魔物の世界のことや簡単な魔物が使う言葉を教えて貰ったって訳だ」
「……お父さんにそんなことがあったなんて…… だから私が落ちてきた時に話せたんだね」
「カタコトだけどな。……魔物の世界も、俺たち人間の世界とそう変わらないんだと感じたよ。ただ、殺し合いが本能だと言われると違うがな。ユリアナは自分のことを力の弱い魔物だといったが、元々争いを好まない種族だったようだ。その生活ぶりは人間の俺たちとそう変わりはなかったさ。魔物だからといって、争いを望む者が多いだけで、全てがそうじゃ無いことは理解したよ。……人間の世界だって、いい奴らの中に混ざって野盗のようなクズもいるしな」
「うん…… でも、だからって私を助けようとは思わない。何故?」
グスタフは静かに笑ってラウラの瞳を見る。
「なんでって? ここまで話してわからねぇか。瀕死のお前をヴィトが担ぎ込んできた。それだけだ」
「……え?」
「だからその時点でお前が魔物だろうが人間だろうが関係なかったって訳だ。死にそうだから助ける。その後のことはその時に考えればいいだけだ」
「でも、危ない……」
「まあそうかもな。ただ、お前の状態を見れば、そこまでの危険はなかったさ。そうして気がついたばかりのラウラに俺は質問をしたよな。その答えを聞いて俺は大丈夫だと思ったんだよ。まあ後は直感て奴だ」
がははと笑うグスタフにラウラは苦笑混じりのため息を吐く。
「いい加減すぎる……」
「でも俺の直感は合ってだろ?」
悪びれないグスタフにラウラは破顔してコクリと頷く。
「ありがとう。お父さん……」
そう言うと手に持っていたコップを置いて、グスタフの手を握り微笑んだ。
柔らかな灯りに照らされたラウラの笑顔、エレオノーラとアイラの笑顔が重なったように見えた。
(――っ⁈ お前ら……)
それは驚きより、まるで魂が解放されたような衝撃を受けた。
グスタフの胸の奥底でジクジクとした膿のように残っていた後悔の残滓を、春一番を感じさせる暖かい突風が何もかもを吹き飛ばしてくれたようであった。
そうしてグスタフもラウラの手を握り返し、深い水色の瞳を弓なりに細め答える。
「ああ、お前が俺の娘で幸せだ…… さあ、もうそろそろ夜明けだが、少しはベットに入って体を休めておけ。明日も朝から手伝いがあるんだろ? 俺ももう少ししたら寝るさ」
ラウラはグスタフの言葉に従うようにグスタフから名残惜しそうに手を離すと、頬におやすみのキスをして部屋を出ていった。
ラウラの後ろ姿を目で追うと、グスタフは椅子に体を預け大きくのけぞり暗い天井を見上げる。
今日はいろいろなことがあった。いや、あり過ぎた。
「寝られるわきゃないか……」
グスタフは頭を冷やそうと家の玄関を開け、夜明け前の薄暗闇の中を歩き出した。
冷たい空気の中、朝露と草木の香りで充満した道を十分ほど歩くと、小川に到着した。
蹲み込んで流れる川の中に手を入れ、大きな両の掌で何度も冷たい水を掬い、まるで頭からかけるようにして顔を洗う。
ずっと興奮して火照りが治らない頭を鎮めるように。
その冷たさに心地よさを感じると、少しだけ熱も引いていくのが分かった。
肺の中の空気を全て吐き出すように深呼吸をすると、手頃な岩に腰掛け川の流れを眺める。
やがて空が白み始めると朝日を待つ静寂の中で、背後にガサリと人の気配を感じてグスタフは振り向いた。
◇
太陽もその全体の姿を現す高さまで昇り、村全体に陽の光が降り注ぐ。
しかし、この時期の早朝に発生する霧のお陰で真っ白なモヤがかかり視界はかなり悪い。そんな中、多数の人と馬のシルエットが一ヶ所に集まっていた。
村の集会所前広場には、既に騎士たちが馬を連れて出発の準備をしていた。早朝だというのに熱気に満ち溢れ、まるで彼らの熱気に当てられて蒸気となった白煙が村中を包み込んでいるようであった。
「オリヴェル、ニーロ。よく来てくれた!」
集会所の入り口で、ソワソワと緊張して居心地が悪そうにしている三人へニコラウスから声がかかる。
肩に手を置かれて話しかけられたオリヴェルとニーロは、側から見ても恥ずかしいほど緊張して上擦った声で挨拶をする。
「「おはようございます!」」
「ああ、おはよう。 ……それと」
ヴィートの方へ顔を向け、和かであるが強い眼差しを向けるニコラウスにヴィートも頭を下げて挨拶をした。
「おはようございます」
「おはようヴィート。しかし君は来て大丈夫なのかい? 妹さんの許しは出たのかな」
あははと照れ臭そうに頬をかきながらニコラウスへ恭順の意を表する。
「はい。今は一刻も早く野盗を退治していただき、平和な日常を取り戻したい。そのために俺なんかが役に立つなら全力で協力したいと思っています。妹も納得してくれています」
「そうか。君達の勇気と献身に感謝と敬意を示そう。隊を代表して礼をいう」
「そんな! お礼なんて――」
豪快に笑いながらヴィートの背中をポンポンと叩き、ヴィートの言葉を遮る。
そして騎士団の方へ向き直ると、整列して待機をしている彼らに号令をかけた。
「勇気ある若者三人が私たちに協力を買って出てくれた。オリヴェル、ニーロそしてヴィートだ。彼らに感謝の意を!」
整列していた騎士団は、抜刀して三人に感謝の礼を取る。一糸乱れぬその動きに感嘆し、自分たちのために騎士団が見せた行動に三人は感動すら覚えた。
「では、三班に小隊を分けて捜索部隊を編成する。本日の目的は野盗一味の捕獲。なるべく殺さぬよう努めよ。また、彼ら三人の身の安全を最優先とする! 騎乗!」
副団長のハンスが騎乗の号令をかけ、朝靄の中、隊列を組みながら村を後にした。
◇
ニコラウスたち騎士団が村を出発して間もなく、ラウラは騎士団が泊まった宿屋へ手伝いに来ていた。
捜索が何日かかるのかは分からず、その間は引き続き村で宿泊することとなるだろうと各家へ連絡があった。
昨日はいきなりの訪問だったので、その場しのぎの対応しかできなかったが、本日からは村として正式に迎え入れるため各家に村長より役割が与えられていたのだ。
リーグ家はヴィートが山中の案内を任されたので、他には特に仕事として振り分けられなかったのだが――。
女手が足りないのは分かっており、同じ境遇のヘレナとミルカも当然のように今日も厨房で朝から働いていた手前、ラウラから手伝いの申し出をしていた。
騎士団が出かけ村にいないということで、ラウラも気兼ねなく手伝いに励めていた。
宿屋で大量の寝具の洗濯を終えて、部屋の掃除をしていたのはそろそろ昼になろうかという時間。
床掃除を終えて、ベットメイキングをしている最中、ラウラの背中に位置する部屋の入り口から声がかかる。
「ねえ貴女。人間…… じゃあないわよね?」
突然の問いかけに固まるラウラ。
鼓膜が破れるほど鼓動が跳ね上がる。
(嘘…… どうして……)
咄嗟に声のする方へ振り返ろうとするが、固まるというのが比喩ではなく本当に体が固まったように動かない。
ベットサイドに片膝を乗せて、シーツのシワを伸ばしていた体勢から指先一つ動かすことが出来なかった。
「ああ、ごめんね。貴女の動きを止めさせて貰っているわ。でも声は出せるでしょ?」
声の主はそう言うと、古びているがラウラが綺麗に拭いた木製の床にコツコツと足音を響かせて、ラウラの視界に入る位置まで歩み寄ってきた。
声の主、それは魔法士のアン=クリスティン・ティレスタムであった。
「あ、何かしようとしたら躊躇なく攻撃するから。そりゃそうよね。なんせ騎士が宿泊している宿屋に魔物が居るんですもの。本来なら問答無用で攻撃されてもおかしくないわ」
ラウラを覗き込むようにアン=クリスティンは、一定の距離を保ちつつ観察を続ける。
「で、その魔物さんがどう言った理由でここに居るのか話せるかしら?」
先ほどより低く威圧感のある声色となり、アン=クリスティンはラウラに迫った。
(なんで――、騎士たちは出かけたんじゃなかったの? いや、そんなことを考えている場合じゃない。私が魔物と見抜かれている…… 逃げる? いえ、この拘束を解くのは難しい。それに逃れたとしても……)
ラウラはパニックに陥りながらも、どうすれば最良の結果となるか思案を巡らせる。
心臓は今まで聞いたことがないくらい爆発するように鼓動を続け、背中には滝のように冷や汗をかいている。
ポタリポタリと取り替えたばかりのシーツにラウラの汗が染み込んでいく。
「あらあら、ダンマリ? それにその大量の汗は何? 何かイケナイことでも考えてたのかしら?」
アン=クリスティンが一歩近寄り、首を傾げながら笑顔を振りまくが、その目は危なく獰猛な光を宿している。
(このままでは……)
ラウラが一番恐れたこと。それはヴィートとグスタフに迷惑がかかること。二人の笑顔が脳裏によぎる。
確率は少ないが、死に物狂いで抗い仮にこの窮地から脱出できたとしても、直ぐにリーグ家の者だと分かるだろう。そうすれば二人とも騎士に捕まり、あらぬ罪を被せられ罰せられるだろう。
それだけはどうしても避けなければならなかった。
「……私の話を聞いてくれますか?」
ラウラは必死に声を絞り出し、アン=クリスティンへ懇願する。
「ええ、もちろん。さっきからそう言っているじゃない」
そう言うと、部屋の奥に備え付けられている質素な机から椅子を引き出しそれに座る。
手にしたキセルへ火を付け、深く一服をするとラウラに話を促した。
「さあ、貴女がここにいる理由。そしてこの村にいる理由を正直に話して頂戴な。安心して。人払いの魔法を使っているから、誰も来ないわ。もちろん、貴女を助ける人もね」
アン=クリスティンの吐き出した真っ白な煙が、開いた窓から入ってきた風に乗りラウラの鼻を擽る。
ラウラは軽く咳き込み、しかし、その甘い香りで落ち着きを取り戻す。
心を落ち着かせるような成分でも入っていたのか定かではないが、ラウラはもう一度大きく息を吸い込み咳込む。
そしてゆっくりと自分が人間界に来てから今までの話をアン=クリスティンに聴かせたのであった。
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