邂逅 10/魔物と人間と
グスタフが目覚めて数日が過ぎていった。
ユリアナの献身的な介護のおかげで、未だ続く痛みに顔を歪めることが多いが、右腕しか動かせないグスタフは順調に回復をしている。
ユリアナに助けられず、あのまま崖下に放置されていたのなら二日と保たなかっただろう。
さらに時が経つと、グスタフは上半身を起こせるようにまで回復をする。
ユリアナと過ごす生活は、エレオノーラとアイラが亡くなってから初めて心穏やかに過ごせていた。
時には笑い、グスタフの感情も身体と共に回復していくようであった。
しかし、グスタフの心に巣食う黒い怨念は未だ燻り続け、いつか破裂する時を待っていた。
冬の終わりを告げるような、小春日和の午後。
グスタフは、窓から入ってくる木漏れ日に温かさを感じながら景色を眺めていた。
玄関のドアが開く音で、ユリアナが家に帰ってきたことを感じる。
今日は近くの村へユリアナが作る織物と薬草を売るために午前中から出かけていたのだ。
ユリアナは機織と染物を得意とし、年に数度ほど村へその商品を卸していた。また、山中に住んでいるので、珍しい薬草などを収集し、それも売っているようだ。
交換した金で必要最低限の食料など、例えば塩などの山の中では手に入らない調味料や香辛料を買い込み、この山深い山中で生活をしていた。
しばらくすると紙袋を手に部屋へユリアナが入ってきた。
「おや、起きてたんだね。珍しく甘いものが手に入ったから持ってきたよ」
「おお、ありがたいな。小腹も空いていたところだ」
「じゃあ、お茶を入れてくるから、ちょっと待ってな」
荷物を置くと、ユリアナはいそいそと準備をしてベットの横で二人分のカップに熱いお茶を注ぐ。
グスタフは甘味など暫く口にしたこともなかった。
小麦粉に卵と蜂蜜を練り込んだシンプルなお菓子で、よく修道院で販売しているもの。アイラにせがまれて与えていたものと似ていた。
グスタフはゆっくりとその甘みを堪能すると熱いお茶で流し込んだ。
甘味の持つ幸福感を感じ、しばし余韻に浸る。
「いつも申し訳ない。この礼は必ず――」
「もう何度めだい? 気にすることじゃないと何回言えばいいのかね」
カラカラと笑うユリアナにつられてグスタフも声を出して笑う。
「体の方はどうだい?」
「ああ、だいぶ良くなったと思う。だいぶ一人でも動けるようになってきたよ」
「そうかい。そりゃあ良かった」
「杖があれば少しだけだが歩けたよ」
「へぇー、そりゃ助かる。アンタを取れて運ぶのも大変だからね」
軽口を叩いて笑うユリアナであったが、にこやかな笑顔から一変して真剣な眼差しとなる。
「グスタフ。アンタの追っていた魔物の噂話を聞いてきたよ」
「なんだと⁈ 本当か‼︎」
「ああ、十中八九、アンタの追っていた魔物のことだと思う。聞くかい?」
「当たり前だ! 教えてくれ」
予想していた通りだとユリアナは驚きなどなかったが、この話をするべきか心の中で迷っていた。
時折り笑顔を見せるグスタフであったが、その瞳の奥は未だ仄暗い憎悪の炎がユリアナには見えていたから。
伝えることで、グスタフがどうなるか…… 想像に容易かった。
しかし、事実を伝えなければ、グスタフの心はいつまでも憎悪の炎を燃やし続け、いずれ自分をも燃やし尽くすだろう。
迷いながらもユリアナは、意を決してグスタフに伝えることを選択した。
「……落ち着いてお聞き。アンタの追っていた魔物はある騎士によって討伐されたよ」
「――なんだって⁈」
「又聞きの噂だから詳しくは分からない。ただ、数日前に討伐隊が長らく追っていた魔物を討ち取ったと知らせが各村にあったらしい。この知らせで村人の多くは安堵していたよ」
「……なんてこった…… 俺はなんのために…… せめて奴の死に様を―― そう、奴はどうやってくたばったんだ⁈」
「さっきも言った通り、私には詳しいことは分からない。村の人間もそうさ。ただ世間を騒がしていた魔物を騎士様が討伐したってことだけが、話として伝わったのさ」
「そんなことって……」
グスタフの顔からは血の気が引き、絶望の色が色濃く現れる。
握りしめた拳からは、爪が食い込み血が流れていた。
立てた膝に突っ伏し大粒の涙を流す。無念。
エレオノーラとアイラの仇を討てなかったことの無念で心が音を立てて崩れていく。大の男が人に憚ることなく大声を上げて咽び泣いた。
グスタフはすべてを無くしてしまった。
愛する家族も…… 自分の生きている意味も……。
身を震わし慟哭の声を上げ続けるグスタフにユリアナは、痛々しいほど小さく丸まったグスタフの背中をさすりながら静かに語りかけた。
「そんなに悔しいかい? 自分の手で魔物を殺したかったのかい?」
「…………」
「魔物が憎いかい?」
「……当たり前だ! 俺は魔物が憎い! 全ての魔物が憎い!」
「私もアンタたちが言う魔物なんだよ」
ユリアナの思いがけない一言に、グスタフの息が止まる。
双眸を大きく見開き、ユリアナを見つめる。
彼女が言った言葉の意味を必死に理解しようと努めるが、あまりの衝撃で思考が停止する。
「……何を言っている?」
あまりの動揺で声が震えてしまう。
覗き込むようにユリアナの顔を見ると、とても冗談を言うような表情では無い。
無表情にも見えるその真剣な眼差しに、グスタフは酷く困惑した。
ユリアナは腕を前に出すとその袖口を捲り上げ、人間の肌から変化させた鱗が生えた腕をグスタフに見せる。
それは綺麗な輝きを放つ深い緑色をした鱗で覆われていた。
「だから私もアンタの仇と同じ、この世界とは違う世界から来た魔物ということさ。もっとも力の差は歴然で、私はアンタの仇のような魔人のような力はない。弱い魔物さ」
「……どうして」
「簡単な話さ。魔物が憎くてしょうがない。仇を打ちたいアンタに敵討ちの機会を与えるって話さ」
「……どう言うことだ」
ユリアナは寂しげな笑顔をグスタフに見せると話を続けた。
「アンタはこのままだと心が死んでしまうよ。何か吹っ切るきっかけが必要なんだよ」
「だからって……」
「私はこう見えても三百年ほど、この地で生きててね。まあ色々と棲家を変えて容姿も変化させているがね。人と関わらず、ずっと一人で生きてきた。ただ一人を除いてね。私もそろそろ、そいつの所に行きたいと考えていたのよ」
「話が見えない……」
「かと言って自分では中々死ねなくてね。だからアンタに私を殺してもらおうかと思ってさ。アンタも魔物を殺せて、その心の中に巣食う悪いものを降ろせる。私も晴れて愛した人の所に旅立てるって訳さ。お互いにとって悪い話では無いだろ?」
グスタフは何も言えなくなった。
赤い目をした魔物が憎い! いや魔物全てが憎い! 殺してやりたい!
ただそれだけを考えていた。
エレオノーラとアイラを殺した魔物だけでは無い。そう、魔物は全て人間に仇をなす憎むべき存在であるべきであった。
しかし、魔物であるユリアナに命を助けられ、献身的に介護をしてもらい一緒に生活をしてきた。
もう彼女のことを『魔物』という一括りの存在としては見られない。
彼女は一人の人間、いや一人の魔物であり仇である魔物とは同列ではない、そう違う存在であると。
自分の中に作られていた常識や思い込みにひび割れが生じ、ついにはガラスのように砕けた。
そして心の中は憎悪で満たされていたが、まるで底が抜けた水瓶のように、渦巻いていた黒い憎しみはいつの間に空っぽになっていた。
自分の為に命を投げ出そうとしているユリアナ。
そんなユリアナを魔物だからと殺せるだろうか? いや、そんなことを考えるまでも無い。
「体が治ったら私を殺してくれるかい?」
ユリアナが再度グスタフに提案をする。
しかしグスタフは静かに首を振るのであった。
グスタフにとって人間と魔物の違いなどもうどうでも良くなってしまった。
人間同様、悪人もいれば善人もいる。
善悪があるのが当たり前。そんな当たり前のことに気がつき、自分を恥じた。
そして魔物全てを憎んでいたから、仇の魔物が死んだと聞いてさらなる憎悪を燃やした。
しかし、今はそのような感情が無くなってしまった。
確かに、自分の手で殺せなかった、死際を見ることができなかったことに悔しさはある。だが、先ほどまでの憎悪の感情、それはユリアナのおかげで霧散していたのだった。
それはユリアナがグスタフの心まで助けようとしていることに気がついたから。
「すまないが、それは出来ない。俺が殺したいのは魔物ではなくて、エレオノーラとアイラを殺したただ一人の魔物のみ。他の魔物を殺す理由はない。それに…… 奴が殺されたのなら俺の復讐も果たされたと言うことだ。ユリアナ、貴女のおかげで気がついたよ」
グスタフの言葉を受けて目尻に涙を浮かべるユリアナは深く頭を下げた。
「すまないね。私たち魔物の存在がアンタたちの人生を変えちまった」
「ユリアナ、アンタのせいじゃない。謝らないでくれ。……ただ一つ聞きたい」
「私に答えられることならね」
「なぜ俺のために命を投げるようなことをする? 何か奴と関係があるのか?」
「関係がない…… こともないかもね。私たちはこの人間の世界ではイレギュラーな存在だ。なら、なるべく関わらない方が正解なんだよ。でも私も討伐された魔物も人間と関わっちまった。私も少なからず責任はあるんだよ。それに、さっき言ったことも本当さ。私は長く生きすぎた…… 唯一愛したあの人の元に行きたいってね」
「そうか、だが、それだけでもないだろう?」
「……そうだね。正直に言うよ。アンタが私の愛した人に似てたからさ」
二人は目を合わせるとクスリと笑い合った。
そしてグスタフは窓の外を眺め、まだクスクスと笑っているユリアナに一つの頼み事をする。
「なあ、俺もまだ歩けるまでに時間がかかる。世話してもらっているのに申し訳ないが、その間にアンタたち魔物について教えてくれないか?」
柔らかい春の日差しが差し込む窓から一陣の風が吹き込む。それは青草の香りを運んできた。
振り向いたグスタフの顔は晴れやかに笑っていた。




