邂逅 6/エレオノーラとアイラ
十七年前のその日、アルサスの村では秋の収穫時期を迎え、村の中には活気が満ちていた。
「あなたー、もう出ないと仕事に遅れるわよ〜」
キッチンで洗い物をしていたエレオノーラが、愛娘と遊んでいつまで経っても出かけないグスタフへ笑いながら注意をする。
「ん? もうそんな時間か? 時間が経つのは早いな、な〜? アイラ」
「え〜〜〜、お父さん、行っちゃうの? もっと遊ぼうよ〜」
「しょうがないなぁ、じゃあ、もうちょっとだけ……」
「はいはい、馬鹿なこと言ってないで、さっさと仕事に行って頂戴。はい、アルベルトとナータンの分のお弁当よ」
腰を上げないグスタフの前にエレオノーラが三人分の弁当をぶら下げる。
布で包まれた大きな弁当箱を受け取ると、笑いながらエレオノーラの頬にキスをする。
「いつも悪いなエレオノーラ。アイラ、父さん仕事に行かなきゃならん」
「えー、やだやだ」
エレオノーラは駄々をこねるアイラを抱き上げると、優しく笑いかける。
「お父さんを困らせちゃ駄目でしょ。また帰ってきたらいっぱい遊んでもらいなさい。それに今日はベッテル先生のところに行くんだから、アイラも早く用意しなきゃね」
「えっ? 先生のところ行くの? やったー」
「ん? 今日、ロゴスの街へ行くのか?」
「ええ、昨日言ったでしょ。パン屋のサルメおばさんが腰悪くしちゃったから、お薬をもらってこようと思って。……あなたたちー、遊んでて私の話を聞いていなかったわね?」
「んん⁈ そんなことはないぞ。知ってたよな、なあアイラ?」
「うん、知ってたよ!」
「もー、二人して調子いいわね!」
三人で顔を見合わして笑うと、よっこいしょと言いながらグスタフは立ち上がり玄関へ足取り重く歩を進める。
未だ後ろ髪引かれるようにアイラに向かって悲しそうな変顔をしている。
明るい笑顔を咲かせてグスタフの後ろをついてくる二人に、グスタフは思い出したように真剣な表情でエレオノーラへ振り向いた。
「そういえば最近はロゴス周辺で物騒なことが多いようだけど大丈夫か?」
「私も気にはなったけど、乗せてってくれる行商のハーヤネンさんが大丈夫だって言ってたし。なんでも護衛の人を一人多く雇ったって」
「ならいいんだけど。気をつけてくれよ」
「分かってるわ、あなた」
グスタフは手渡された帽子を被ると、エレオノーラとアイラにキスをして家を後にした。
教会の鐘の音が正午を告げると、グスタフたちも昼の休憩に入る。
アルサス村の中心地にほど近い場所で、家の建て替えをしていた。
三年前にグスタフが独立をして、それにアルベルトとナータンもついてきた。いつもの三人。今日の現場も雰囲気よく仕事が進んでいた。
「うーん〜、やっとお昼だ〜。腹へった〜〜〜」
教会の鐘の音に敏感に反応するナータンに、アルベルトは呆れたように顔を歪める。
「お前、さっきの休憩の時にもパン食ってたろ? もう腹減ったのか?」
「あれはおやつだもん〜。飯は飯だよ〜」
「何が違うんだ……」
「ワハハハ、しょうがねぇな。飯にしよう」
大声で笑うグスタフが休憩の号令をかける。待ってましたとナータンがいち早く動き、荷物の中から弁当を持ち出し素早く三人分を並べた。
体の割に小さな目を輝かせ二人の着席を待つナータンに、思わずグスタフとアルベルトは吹き出した。
「相変わらずエレオノーラさんの飯は美味いな」
「うん〜、美味いね〜。量も沢山入れてくれてるし〜」
「アルベルト、そういやヘレナとはどうなんだ?」
「ああ、うん……」
いつになく歯切れが悪いアルベルト。
何処となく心配になったグスタフは、食事の手を下ろして尋ねる。
「どうした? 何かあったか?」
アルベルトは持っていたサンドウィッチをバスケットに戻すと、姿勢を正してグスタフへ向いた。
「実は…… 結婚のオーケーをもらえました‼︎」
深刻そうな顔から、一転、破顔してアルベルトが頭を下げる。
一瞬、場が固まったが、直ぐに驚愕の方が上をいく。
グスタフは唾を飛ばして文句を言い、ナータンは食べる手を止める。
「なんだと⁈ なんで早く言わねぇんだ⁈」
「えー、初耳だよ〜」
やんややんやと囃し立てる二人へ、照れ臭そうに頭を掻いてアルベルトは謝った。
「すいやせん! ちゃんとお知らせしようと思ってたんですが、なんか照れちまって」
「馬鹿野郎。心配したぞ」
「そーだよ〜、てっきりフラれたのかと思った……」
「だははは、すまん! と言うことで、俺はヘレナと一緒になります。これからもよろしくお願いします!」
「おう! しっかりやれや! しかし、めでたいな。今日は祝いだ! 飲むぞ!」
「はい、喜んで!」
「おめでとう〜、アルベルト」
「おう、ありがとうな。しかしこれで、あとはナータンだけだな」
「そうだ、ナータン。誰かいい人はいねぇのか?」
「えー、俺はまだ――」
「ナータンはミルカが好きなんだよな」
ナータンが誤魔化そうとしたが、アルベルトが暴露した。
「――っ⁈ ちょっと〜」
「いいじゃねぇか。なんでもミルカの作る料理が絶品だって褒めてたじゃねぇか」
「それはそうなんだけど〜」
「ほう、そうか! そりゃ良い。確かにミルカは料理上手だっていうし面倒見もいい。歳もナータンにはぴったりだな。よし! 今日の祝いにミルカも呼べ」
「はい、ヘレナに言って一緒に来るように伝えますよ」
「え〜〜〜〜、勝手に決めないでよ〜」
思いがけない楽しい昼食となり、午後の作業も気分良く進めていた。
しかし、作業を開始してすぐに村の中が異様な雰囲気なのを三人は感じとる。
先ほど外から衛士が馬を走らせ村長の家の方に消えてから、村の中が妙にざわついていたのだ。
「どうしたんでしょう?」
「ああ、なんかあったのか」
程なくして村人が早足でグスタフ達の前に現れ、ことの真相を告げた。
「どうした? 何かあったのか?」
「ああ、グスタフさん。大変だよ。今、ロゴスから衛士が来てロゴスの街近郊で魔物が出たってさ」
「なんだと! それで?」
「よく分からないんだが…… なんでも魔物を討伐に来ていた騎士団と戦いになったらしく…… そのおかげで付近は火の海になったらしい」
「なに⁈ それは本当か⁈」
「ああ、確かな情報らしい。今も魔物が逃げる先々で戦いが続いているって。この村にも来るかもしれないから、村人は避難をするようにって早馬が来たんだよ」
呆然と立ち尽くすグスタフにアルベルトが尋ねる。
「親方、どうかしましたか?」
「いるんだ……」
「何がですか?」
「いま、エレオノーラとアイラがロゴスの街に行っているんだ……」
「なんですって!」
極寒の冷気を浴びたように固まり動けないグスタフに変わり、アルベルトとナータンが動く。
「お、俺〜、馬を借りてくるー」
「おうナータン、頼む。親方、二人を迎えに行きましょう!」
視点の定まらないグスタフ。足元もおぼつかないほど動揺していた。
アルベルトは手頃な場所にグスタフを座らせると、自分も馬を借りるためにナータンの後を追った。
魔物が村の近郊で暴れているとの早馬の知らせは、この小さい村を混乱させるのには十分すぎた。
ナータンは対応に慌てている村長を捕まえると事情を話し、尚且つ現場の状況を確認してくるからと村長に頼み込んで二頭の馬を借りてきた。
手早く準備を済ませてグスタフに声をかけるアルベルトは困惑した。
昔から兄のように慕うグスタフが、一度も見せたことのない弱々しい顔をして震えていたのだ。
「しっかりしてください‼︎」
アルベルトが呆然としているグスタフを力ずくで馬に押し上げて、自分の背中に捕まらせると全速力で馬を走らせる。ナータンもそれに続いた。
「親方、しっかりと捕まってください。飛ばしますよ!」
「…………」
「なーに、頭のいいエレオノーラさんのことだ。きっとアイラと一緒にうまく逃げていますよ」
「ん〜、それにハーヤネンの荷馬車で行ってるなら護衛もいるし大丈夫だよ〜」
「……ああ、そうだな」
ロゴスの街へ向かう街道を、馬は矢のように駆け抜けた。
ロゴス方面へ急ぎ向かうのはグスタフ達のみ。
街へ近づくほど、少なくない人間が街から避難するように街道を急いでいた。
商人の馬車に多くの人を積み込み、それに乗れなかった人々は歩いて移動をする。小さな子供を抱えた夫婦、老人の手を引く若者など。
それを横目でエレオノーラ達がいないことを確認しながら先を急ぐ。
およそ三十分が経過し、馬も息が上がり速度も落ちてきた。
馬の限界を感じたアルベルトは、グスタフに許可を取ろうと後ろに顔を向けて声をかける。
「……これ以上の無理をさせちまうと馬が潰れちまいます。少しだけ休ませ――」
「おい! あの煙はなんだ⁈」
グスタフが指差す方向へ首を回して目にしたものは、数カ所から真っ黒く立ち昇る煙。
ロゴスの城壁からそれほど離れていない街道沿いに、その煙はたなびいていた。
アルベルトはナータンに目配せをすると、ナータンも頷く。
「行ってみましょう」
「頼む……」
数分走り、丘を越えると眼下へ広がる光景に絶句した。
見晴らしの良い小高い場所に馬を止め、アルベルトとナータンは馬上にてゴクリと唾を飲み込む。
街道を中心として左右の木々は焼き払われ、地面も焦げたように所々で煙が立ち昇っていた。
その真っ黒な地面には大きく抉れて、何かが爆発したような跡が見える。
そして……、その抉れた地面の周りには、黒い花びらが散らされたように落ちていた。
いや、花びらなどではない。『人間や馬みたいな形の黒焦げとなったもの』が重なり合い、飛び散り、無残にも散乱していたのだ。
木が焼け、土が焼け、肉が焼けたような焦げ臭い匂いが鼻をついた。
「――うぇえ……」
馬から降りたナータンは、目の前の死体の山に昼食の全てをその胃袋から吐き出した。
「……なんてこった。ひでぇあり様だぜ」
アルベルトも吐き気を催しながらゴクリと大きく唾を飲み込むことで逆流してきた物を押さえ込む。
(こりゃあ百や二百は死んじまってるな。逃げようとした一団が巻き込まれちまったか……)
焼け焦げた臭いを嗅がないように肩口に自分の鼻を当てて息をする。
「おい、ナータン。大丈夫か?」
「うぉおぇえ…… ああ、大丈夫…… 親方は?」
ナータンに言われアルベルトはグスタフがいないことに気がつく。
ほんの数秒前まで自分の後ろにいたと思ったのに。
慌てて首を振ると、ふらふらと歩き出したグスタフをすぐ見つけた。
「親方、どこへ――」
アルベルトが大声で叫ぶが、グスタフは意も返さずその歩を進める。
そして地面が焼け焦げた中心へ一歩一歩、川の流れに逆らうように向かう。やがてその歩みは駆け足となり、さらにその場所へ全力で駆け出した。
グスタフが駆け寄った場所、それは焼け爛れて煙が未だ燻っている大きな炭の固まりであった。
アルベルトとナータンもグスタフの後を追い、遅れてその前に着いた。
「親方、一体どうしたんですか?」
「うん、どう――」
グスタフの肩口越しにキラリと光が目に入る。その時、ナータンがあることに気が付く。
「これ…… ハーヤネンの荷馬車じゃ……」
ナータンはそう言うと、震える手でハーヤネンが行商用の荷馬車につけている紋章とハーヤネン商会の文字が書いてあるプレートを指差した。
「なんだって――」
アルベルトは慌てて荷馬車であったものの近くに行き、そのプレートを手にする。
「本当だ、間違いねぇ。ハーヤネンって書いてある……」
グスタフは荷馬車であっただろう大きな炭の塊を前にして、今にも倒れそうであった。
(嫌に頭の中がズキンズキンとしやがる。視界が歪んでよく見えねぇ…… 痛みで頭が回らねぇ…… 俺はいまどこにいるんだ? 目の前のこれはなんだ? 早く家に帰ってアイラを風呂に入れてやらねぇと…… エレオノーラは今日出かけるって言っていたな…… どこに?)
心臓の鼓動がいきなり大きく激しくなる。胸を押さえ、膝をつく。
(エレオノーラとアイラはロゴスの街へハーヤネンの荷馬車に乗って出かけたんだ)
「うぁぁああああああああああああああ――! エレオノーラ――! アイラ――!」
グスタフは膝をついたまま這うように荷馬車であったものまで行くと、まだ燻って赤く燃えている大きな板を持ち上げ後方へ投げる。
幌の部分が焼け落ち骨組みだけとなった荷馬車の一部分が現れた。積荷も大部分が焼かれその原型を留めていなかった。
「親方⁈ まだ燃えてる、素手じゃ怪我を――」
「うるさい‼︎」
アルベルトがグスタフを止めようとその肩を抑えたが、驚くほどの力で体格に勝るアルベルトは吹き飛ばされてしまう。
穴を掘るようにグスタフは一心不乱にその瓦礫に頭を突っ込もと、もぐらの様に炭となった木材や積荷をかき分ける。
グスタフの手は焼けただれ、洋服の一部も焼け焦げていたが、一切構うことなく掘り進める。
やがて湿った感触がその手に伝わった。
どうやら積荷の中に酒樽などがあったのかもしれない。その下の部分はあまり焼けてはいなかった。
恐る恐る上に乗っている大きな半分木炭化した板を退けると―― 大きな麻製の袋の下に人が重なるように倒れていた。
頭の位置にある炭となった木材を優しく払い除けると、煤で汚れてはいたがエレオノーラの綺麗な横顔が現れた。
その顎の下には小さい子供の頭頂部が見える。
我が子を必死に守ろうとしたのだろう。体全体でアイラを庇うように抱きしめていた……。
「あああああああああぁ……、エレオノーラ……」
グスタフはエレオノーラの下半身を抑えている馬車の車軸を持ち上げるが、その重さと、どこかに引っかかっているのか上手く動かない。
先ほどまで立ち尽くしていたアルベルトとナータンが慌ててグスタフの横につき、一緒になって車軸を持ち上げる。
するとその車軸は横にずれあがるように持ち上がり、その重さを地面に預けることとなった。
残った瓦礫を取り除く。
しかし、そこにはあるべき筈のものが無かった……。
無かったもの―― それはエレオノーラの下半身。衝撃か積荷に挟まれてか、無惨にも腰から下が無くなっていた。
ペチペチとエレオノーラの頬を叩いてエレオノーラを起こそうとするグスタフ。
「なんてこった……」
「ああ、神様……」
アルベルトは片手で目を覆い隠し、天に向かって涙を流す。
ナータンは膝から崩れ落ち、首を垂れ嗚咽する。そして不幸に巻き込まれたエレオノーラとアイラのために祈った。
「おい、エレオノーラ。迎えにきたぞ。なんで寝ているんだ。早く家に帰ろう。エレオノーラ……、起きてくれ、エレオノーラーー! アイラ、父さんだぞ⁈ 起きてくれ! エレオノーラ‼︎ アイラ‼︎ 頼むから起きてくれーーーーーーーーーーーー!」
二人を抱きしめるグスタフ。
胸から離し、エレオノーラとアイラの眠っているような顔をそれぞれ見つめると、二人の顔を自分の顔にすり寄せる。
そしてまた自分の胸の中に包み込むように抱きしめ、天を仰ぎどうしょうもないほどの叫びをあげた。
それは神への悲痛な祈りだったのかもしれない。ただただ愛する二人を生き返らせてくれと。




