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邂逅 4/仇

 窓から強い西陽が差し込むリーヴ家のダイニングキッチン。

 あと数分もすればとっぷりと日も暮れるその前に、ラウラは燭台へ火を灯す。

 

 振り返れば挙動のおかしいラウラを怪訝な表情で眺めているグスタフ。

 眉を八の字にした父親へ対面するように椅子を引きテーブルに着いた。


「んん、……あのね」

 

 ラウラは一度咳払いをしてから、ゆっくりと話し出す。

 倉庫に行ったところから、マリウスとエレーナとの出会い、マリウスが魔物だということ、そして二人をこの家に連れてきた経緯を細かく順番に。

 その過程では倉庫になぜ行ったのか、その理由は濁した。関係がないし恥ずかしいので言わない。


 最初は黙ってラウラの話を聴いていたグスタフも、魔物をこの家に連れ込んだと言われ驚き困惑する。

 やがて全てを話し終えたラウラは、上目遣いにグスタフの様子を伺う。

 そこには難しい顔をしたグスタフが腕組みをして唸っていた。

 ラウラはただ黙ってグスタフの言葉を待つ。

 しばらくしてグスタフが重い口調で話だした。


「病人がいたからというのは分かった。しかし、魔物とは…… 今そいつは?」

「奥さんのエレーネさんを診てもらっている。私の部屋にいるよ。たぶん誰か帰ってきたことは気がついていると思うけど、私が呼びに来るまで部屋の外には出ないようお願いしてある」

「そうか…… しかし、なんでまたこのタイミングなんだ。騎士に追われている盗賊の奴らと関わりないんだろうな?」

「たぶん…… 違うと思う……」

「なぜそう思う?」

「ここに連れてくる前に聞いたの。人を殺したことがあるかって…… 彼は有ると答えたわ」


 ラウラの言葉にグスタフが反応したこと感じとる。

 体に力が入り、怒気のような熱さをグスタフの深い水色の瞳から感じ取れた。


「彼、マリウスさんていうんだけど、私と同じように魔物の世界デーモニアで次元の狭間に飲み込まれて人間の世界に落ちてきたみたい。そしてこの世界でもデーモニアと同じように……、その力を解放して沢山の人を殺め、そして…… 討伐された」

「……しかし」

「うん。半死半生の状態のところをエレーナさんに助けられたの」


 グスタフは静かに立ち上がると、戸棚にしまってあるアルコール度数の高いウイスキーの瓶を取り出し、乱暴にコップに注ぐとそのままグイッと煽った。

 そしてもう一杯コップに注ぐと、ラウラの方を向き、さらに一口喉に流し込んだ。


「ふぅー、それでそんな奴をお前はどうして連れてきたんだ?」

「彼に尋ねたの。これからも人を殺すのかと。でも彼はエレーナさんと出会って十数年、魔物としての力を隠して、人間として生きてきたと。そして、これからもエレーナさんと一緒に人間として生きていきたいと言っていたの」

「それで信用したのか?」

「うん…… 都合の良い嘘かもしれない。私を油断させてるだけかもって思ったよ。……でもね、エレーナさんのマリウスさんを見る目が、そしてマリウスさんのエレーナさんを思いやる目を見たときにね、彼の言っていることが本当に思えたの。それに……」


 ラウラが言いにくそうに言葉を切ったが、グスタフはただ黙って待っている。

 いつの間にか降り出した雨は、横殴りの風に煽られて建物に激しく叩きつけられている。弾けるような鈍い音は、どちらかの言葉を催促しているようであった。

 自分の中で葛藤があったのか、やや詰まるように、その胸の内にあった想いを打ち明ける。


「私は…… この世界に落ちて来て本当に恐ろしかった。力が無くなっていたこともあるんだけど、多くの人が近くにいて…… いつ殺されるかビクビクしてた。それは私たちがいた世界がそうだったから。他者の命をなんの躊躇(ためら)いもなく奪う。それが当たり前の世界だったの。だから不思議だった。なぜ誰も他者を殺さないんだろうと」


 グスタフは、ただ黙って目を閉じて聞いている。


「傷がまだ癒えていなかったとき、お父さんが言ったの。誰もお前を殺しに来るなんてないって。信じられなかった…… でも本当だった。そしてヴィトやアルベルト、ナータン、ベッテル先生にイェシカさん、そして村の人たち。皆に囲まれて、だんだんと理解した。この人間の世界を。そしてこの胸に生まれた今までなかった感情を。だからあの人も私と同じように、この世界で生きることの意味を知った。そして、この感情と同じような暖かさを、マリウスさんの目の中に見た気がしたの」


「……ふん」


「……彼と話をした時、お互いが攻撃をする直前まで魔力を溜めた状態だったの。そうしたら彼の方から力を納めた。あの状況で自分の力を抜くなんて殺してもいいというようなものよ」

「お前! そんな危険なことを――」

「ごめんなさい。でも必要なことだったの」


 グスタフは殺し合い寸前までいったラウラに一喝するつもりが、ラウラの強い眼差しの奥に尋常ではない決意を感じてできなかった。

 思わずコップを口にするが、中身が入っていないことに気がつきウイスキーを注ぐ。

 しばらくコップの中の琥珀色をした液体を転がすように回し、気持ちを落ち着かせる。

 やがて手を止めると、勢いよくウイスキーを煽った。

 アルコールの余韻か、ため息か分からないが、グスタフは大きく息を吐くと、この沈黙を破る。


「それで…… どうするつもりだ?」

「うん、エレーナさんの体調が戻ればすぐに出ていくと思う。私たちもお互いが一緒にいることで危うさを感じているし」

「そうか……、話はわかった。どちらにせよ、そのマリウスって魔物と話さなきゃならんな。連れてきてくれるか」

「お父さん…… ありがとう! ちょっとまってて。呼んでくるから」


 ラウラは終始申し訳なさそうだった顔色が少し明るくなり、軽やかな足取りで自室までマリウス達を呼びにいった。


 程なくして階段を降りる二人の足音、ダイニングキッチンのドアが開かれ、ラウラがマリウスを引き連れて入室する。

 グスタフは椅子に座ったまま、ウイスキーの入ったコップを見つめたままだ。

 部屋に入ってきた二人を見ようとはしていない。

 特に歓迎はしていないといった意思表示であった。


「お父さん、連れてきたよ」

「……ああ、まあ座ってくれ」


 ラウラがグスタフの前の椅子を引きながらマリウスへ着座をすすめ、自分はグスタフの横の椅子に座った。

 椅子に軽く座ったマリウスは、家長であるグスタフへ頭を下げて感謝の礼を伝える。


「この度は娘さんのご好意に甘えてお邪魔させていただいています。マリウス・ブラードと申します」

「ああ、そうかい。連れの方の容態はどうだい?」

「お陰様で落ち着いたようです。今はぐっすりと眠っています」

「ああ、そりゃよか――」


 グスタフはここで初めて顔を上げてマリウスの顔を見ると、先ほどからコップを回していた手がまるで強張るように止まった。

 マリウスを見つめるその顔は、恐ろしいほどに無表情である。


「……マリウスと言ったか? あんた魔物なんだってな」

「はい。私は魔物ですが、妻のエレーナは人間です」

「ああ、それは聞いた…… あんた、こっちの世界に来てどれくらい経つ?」

「……だいたい十七、八年といったところでしょうか」


 グスタフの持つ乳白色の陶製コップがカタカタとテーブルに当たり、その硬質な質感を想像させる高い音が室内に響く。

 ラウラは音がする方を不思議に思いテーブルを見やると、コップが揺れているのはグスタフが震えているからだと気がつく。


「……お父さん?」


 グスタフはラウラに呼ばれても聞こえていないようであった。

 その大きな喉仏がゴクリと何かを飲み込むように大きく上下すると、グスタフはマリウスへの質問を続ける。


「……十七年前、あんたはこの村の近くまで来たことはあるか?」


 マリウスはグスタフの質問の意図をいち早く理解した。

 その表情は暗いものとなり、何かを覚悟したように目を瞑る。

 そして、グスタフの質問に答えた。


「……はい。貴方が想像している通り、十七年前にこの近隣にて厄災を起こした魔物は私で――」


 マリウスが話し終える前に、グスタフはテーブルにその身を乗り上げ、右手に持っていたコップごと渾身の拳をマリウスの顔面に叩きつけた。

 マリウスは後方へ椅子ごと吹き飛び、殴ったグスタフもその勢いでテーブルが倒れ、頭から床に転がる。

 

 室内に響く、砕け、倒れ、激突した轟音。


 その場の空気が固化したように、時が止まったように感じるが、耳には窓を叩く雨音が響く。

 テーブルの上にあった食器類は散乱し、グスタフの腰につけていた工具ベルトから鈍い音をたて道具が散らばった。

 ラウラの用意した来客用カップが床の上を半円状に転がり、やがてその動きを止める。

 

 ――静寂。

 

 ラウラは余りの予想外な父親の行動にただただ驚き、椅子からずり落ち、床にへたり込んでしまう。

 目の前で起こっていることが、まるで別の世界のように感じられて。


「うおおおおおおおおお――‼︎ お前が――‼︎」


 床に転がっていたグスタフが四つん這いになり、部屋が震えるほどの咆哮をあげる。

 それは聴く者の心を握り潰すような、悲痛な痛々しい叫びであった。


 壁に激突して倒れたマリウスは、上半身を壁にもたれかかり鼻から大量の出血をしている。

 顔には殴られた際に砕けたコップの破片で切れたのか、裂傷も見える。

 グスタフの強烈な一発で、意識も朦朧(もうろう)としているようであった。


 獣のようにグスタフは這いずりながらマリウスへ近づくと、その床に寝ている下半身へ馬乗りとなる。

 まるで獲物を前にした野生の熊のように呼吸は荒ぶり、その口からは熱い唸り声を上げている。


「お前が殺したんだ‼︎ お前が――! 呪われた魔物の力でエレオノーラとアイラを殺したんだ! うぁあああああああああー‼︎」

 

 襟首を掴み顔を引き寄せると打つける(ぶつける)ように雷の如き激しい蛮声(ばんせい)で怒鳴った。

 双眸を極限まで見開き、復習の炎で真っ赤に染まった瞳。身体は怒りで打ち震える。

 

 マリウスの頭を壁へ激突させるように突き放すと、馬乗りのままその顔面を殴りつけるグスタフ。

 湧き上がる感情に突き動かされ、悲痛な殺意が全てを支配していた。

 その顔は赤黒く染まり、目も鼻も口も全てが悲しく歪む。その全てがグスタフの心を写していた。


「おま、お前のその赤い目…… 忘れたことなどなかった‼︎ 俺の妻、エレオノーラは本当に心の優しい女だった。いつも自分より俺や皆んなのことを心配をして…… お前なんかに殺されなければならなかった理由などないんだ! お前が起こした爆発にアイラを助けようと身を挺して…… ううう! アイラ、アイラはまだ三歳だったんだ! いつも走り回って元気で明るい子だった! いつも俺の後を追って…… なんで死ななきゃならない。何の罪もない。何であの子の未来を奪った‼︎」


 グスタフは何度も何度も拳を顔面に叩き込むと、両手でマリウスの胸ぐらを掴み上げ、ガンガンと揺さぶ利ながらマリウスに問う。その顔は息がかかるほどの近さだ。

 

 掴み上げた拳には血が滴り、それがグスタフのものかマリウスのものかは分からなかった。

 苦痛の表情を浮かべるマリウス。

 殴られ、後頭部を壁に叩きつけられてもただ黙って目を瞑っている。

 逃げるそぶりは勿論、防御しようともしない。

 それはグスタフの感情すべてを受け入れているように見えた。


 ラウラは、激情に任せてマリウスを殴打するグスタフを目の前にして、声も出せずに固まっていた。

 呆然―― 頭の中が真っ白となり思考が止まる。


(なんでこんなことに…… お父さん…… 私が連れて来なければ……)


 やがてグスタフは嗚咽と涙を垂れ流し、蹲る(うずくまる)と、震えながらブツブツと聞こえない声で呪詛を吐き出した。

 その虚な目の視界の隅では、床に転がっているグスタフ愛用のナタがはっきりと映った。

 身をよじり銀色に光るナタを右手にしっかりと握る。


「お前は――――‼︎」


 蹲っていたグスタフが大きくのけ反り、その右手を大きく振りかぶる。

 父親の凶行を前にしてもラウラは動くことが出来ない。

 ただ双眸を見開き、目尻には涙をためて大きく息を止めた。


「すまなかった……」


 マリウスはグスタフの振り上げられた右手を見上げ自身の死を覚悟する。

 静かに目を閉じ、その時を待つ。

 殺意を満ちた振り上げられた右手。その凶刃がマリウスの首に落とされる瞬間――。


「駄目だ‼︎ オヤジ――――‼︎」


 勢いよくドアが開かれ、ヴィートが飛び込んできた。

 

 鈍く光るナタの切っ先は、急激にその方向を変えてマリウスの鼻先を掠め宙に彷徨う。

 ヴィートがグスタフにタックルするように後ろから羽交い締めをしたことで、グスタフの振り下ろしたナタは寸前のところでマリウスの首には届かなかった。


「オヤジ、何があった⁈ 落ち着いてくれ‼︎ こんなの駄目だ‼︎」

「なにしやがる! 離せ――!」

「オヤジ、落ち着いてくれ!」

「うるせー! ヴィート、離さねぇと許さねぇぞ!」


 ヴィートは思い切り壁を蹴り、なんとかマリウスの上からグスタフを降ろす。

 しかし、暴れるグスタフを体全体で抱きつくように抑えても、グスタフの我を忘れたかのように猛り狂い尋常ではない力で、徐々に拘束していた手が外れ始めてしまう。


「頼むオヤジ! 少しでいいから落ち着いてくれ」

「黙れ! 俺はこの野郎を殺さなきゃいけねぇんだ‼︎」


 ぶん、と大きくグスタフの太い腕が振られるとヴィートの手が弾かれた。

 とうとうヴィートの拘束から解き放たれたグスタフは、マリウスめがけて殺意を走らせる。

 全身の力を凝縮して、その握っているナタをマリウスめがけて振り下ろされる刹那、ヴィートが叫んだ。


「ラウラが見てる‼︎」

 

 ヴィートの言葉にグスタフが反応する。


 まるでスローモーションの魔法をかけられたように、ゆっくりとグスタフはラウラのいる場所へ顔を向ける。その凶刃は未だマリウスへ向かいながら。


「ラウラ⁈」


 グスタフはラウラの膝元からその顔へ視線を向けると、ハッキリとこちらを見ているラウラと目が合う。

 その目に溢れている大粒の涙を止めどなく流すなんとも悲痛な表情を見た瞬間、グスタフの心は悲鳴を上げた。

 それは大きな衝撃となってグスタフの体を駆け巡り力を奪う。

 

 銀色に光る刃は、マリウスから外れ首横の壁を大きく削った。

 部屋が揺れるほどの衝撃を起こして突き刺さったナタは、刀身の半分ほど壁に埋まると、その動きを止めた。

 

 グスタフは一度、天に向かい大きく息を吐き出すと、そのまま項垂れる(うなだれる)ように倒れこむ。


「……ううう、エレオノーラ…… アイラ…… 俺は……」


 室内には、腹の底から絞られるような嗚咽だけが響く。

 グスタフのその声は枯れ果てていた。

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