邂逅 3/部屋の思い出
雪解け水の冷たさが残る小川の水、手を悴ませながらラウラとマリウスは汚れ物の洗濯を終えると、二人は大急ぎで倉庫まで足早に戻った。
「戻ったよ、エレーナ」
マリウスが倉庫の扉をくぐりながらエレーナに声をかけるが、すぐに返事はなかった。
違和感を感じて横にいるラウラと目配せを交わすと、急いで倉庫内を駆ける。
「――エレーナ⁈」
テーブルに突っ伏しているエレーナを見つけ、マリウスは思わず叫び声をあげる。
慌てて駆け寄り、ぐったりとした彼女を抱き抱えるた。
エレーナの顔は驚くほど赤く染まり、呼吸も浅かった。額に手を当てて体温を測る。
「ひどい熱だ……」
「……あら、お帰りなさい。ちょっと寝てしまっていたわ。ごめんなさい」
「エレーナ……」
「リーヴさん、休ませていただいてありがとうございました。私はもう大丈夫ですから先を急ぎましょう」
大丈夫なわけがない。
顔は茹だったように赤く、大量の汗が額から首に掛けて滴り落ちている。
高熱のためか、マリウスの手を払い除け立ち上がったエレーナは、ふらつきテーブルに手をついたまま譫言のように呟く。自分は大丈夫だと……。
「無理をしないで」
ラウラもエレーナに駆け寄りその背を支える。
「リーヴさん、申し訳ないが今しばらくこちらで休ませてもらえないだろうか」
先ほど不干渉と約束をした手前、マリウスは申し訳なさそうに懇願する。
ラウラもこれ以上の接触はお互いにとって良いものではないことを感じている。しかし、体調を崩したエレーナを見捨てるような真似もできない。
考えを巡らし、ラウラは一つの決断をする。
「ここでは休ませられない」
ラウラの無慈悲な答えにマリウスが双眸を大きく見開き、すぐに諦めたように笑顔を作る。
「そうですか。それでは――」
マリウスがエレーナの肩を抱いて別れの挨拶をしようとした時に、ラウラは被せるように二人へ告げた。
「ここではベットも無いし、しっかりと休めない。私の家に来てください」
太陽が西へ傾き黄金色に変わりゆく空の下、ラウラはマリウスとエレーナを連れて自宅に帰り、掃除をしていた。
来客用の部屋も有ることには有るのだが、滅多に使っていないのでベットメイキングなどしておらず、二人を今すぐ入れる訳にはいかない。
とりあえず熱が出ているエレーナはラウラの部屋で寝かせることにして、その間に来客用の部屋掃除をすることにしたのだ。
マリウスが手伝うと申し出てくれたが、正直に言って邪魔なので丁重に断りエレーナの様子を見させている。
窓を開け放ち空気の入れ替えをしながら、布団を干し、床にモップ掛けをする。
部屋を何度か往復して、掃除の疲れをふーっと息にして吐き出すと、あらかた綺麗になったなとモップの柄に顎を乗せて部屋を見渡す。
「この部屋…… 昔はよく皆んなが泊まってたな……」
仕事終わりのグスタフがアルベルトやナータンを家に連れて来ては、飲んで騒いでそのまま泊まったり、ロゴスからラウラの様子を診に来たベッテル医師が酒を飲んで帰れないと言い泊まったり。
今思い返せば、皆が私のことを心配して来てくれていたのかな、とラウラは皆の優しさに感謝する。
でも、浮かんでくるのは酒ばかり飲んでる大人たち…… ただ酒が飲みたかっただけかもと先程の感謝を訂正する。
「なんか毎日が賑やかだったような気がする…… そしてヴィトも……」
マリウスから言われた言葉のためか、久しぶりに入った客間のせいか。
いや、そのどちらも合わさって感傷的になり、ふと昔のことをラウラは思い出していた。
◇
ロゴスの街での仕事も終わり、グスタフ一行はアルサスの村へ帰って来た。
季節は夏を超えて、さらに冬間近の晩秋の頃。
ラウラはアルサスへ来るまでのおよそ十ヶ月ほどで人間の言葉と、ヴィートが知り得た知識や常識はほぼ完璧に学習していた。
「ここが俺たちの村アルサスだよ、ラウラ」
「…………人がいない」
「まあ、ロゴスから比べればいないよな。でも他の村もこんなもんだよ」
「……そう」
「やっぱり都会のロゴスの方が良い?」
「……人は少ない方がいい。安心する」
「そっか良かった! 親方ー、ラウラがアルサスの村の方がいいって」
「おーう、そうか。そいつは良かったな」
グスタフがラウラの華奢な両肩に手を添え背中を押して歩いていくと、ある家の前に立たせた。
漆喰で固められた白い壁と、太い木材の焦げ茶色がどこか優しい雰囲気を醸し出している。
玄関の赤い扉と外壁にむき出しとなっているレンガ積みの煙突の赤がアクセントとなった、素朴ながら美しい家屋。
「それで、ここが今日からお前も暮らす家だ」
「……家?」
「そうだ。お前の家だ」
「……私の家」
「ほら、早く入ろう!」
ヴィートが持っていた荷物を投げ出し、ラウラの手を引き駆け出す。
勢いよくドアを開けたヴィートは、大きな声で「ただいま!」と帰ったことを自分が住む家に伝えた。
アルサス村に帰り数日が過ぎラウラも生活に慣れてきた頃、朝食の後に出かけようとするラウラをヴィートが引き止める。
村に来てすぐにグスタフの養女となったことを報告するために村中の家に挨拶をしに行った。
その道中に村の中を案内されて、ラウラは多くのものに興味を持った。
ロゴスという大きな都市にはなかった農場や牧場などがそれだ。
朝食をとると一人で出かけ、興味のあるものを日がな一日眺めたり飽きたら散歩などしていた。
今日は村外れの牧場の方へ行こうと考えていのに、ヴィートから仕事をするように命令されたのだ。
「今日からラウラにも家のことを手伝ってもらう。まずは……、この部屋を掃除しておいて」
「…………」
今までも部屋掃除など手伝わせていたので掃除の仕方がわからないということは無い。
しかし、ラウラは黙ったままだ。
「ほら、ホウキと雑巾。こっちに水を汲んだバケツがあるから使って」
「…………」
「……どうしたんだよ? ほら早く」
「……なんで ……私が? ここは自分の部屋じゃ無い」
仕事を拒否する姿勢のラウラ。
ヴィートはそんな態度のラウラに少し苛ついたが、息を飲むことで怒りを抑え込み諭すように我儘な妹へ説明をする。
「客間だからな。ここはお客さんが来た時に泊まってもらう部屋だよ」
「……そう、私は使わない。私には関係ない」
そう言って部屋を出て行こうとするラウラ。しかし、ヴィートがその手をつかんで引き戻す。
「関係なくないぞ! 今夜泊まるのはベッテル先生だ。ロゴスの街からわざわざラウラを診に来てくれんだよ。ラウラのためにだよ!」
「……私のため?」
「そうだ」
「…………それと掃除がなんの関係が?」
掃除する理由が、ラウラには余りよく理解できないようであった。だがヴィートは根気よく続ける。
「掃除をするのは一つのお返しだ。ベッテル先生は遠いところを時間を掛けてラウラのことを診に来てくれる。そのせめてものお返しとして、先生が泊まる部屋を綺麗にする。掃除は分かりやすく言えばお礼なんだよ。だからこそラウラ自身がお礼として掃除をするんだ」
「…………」
「うーん、つまりは『ありがとう』を掃除という行動で示すということなんだけど……」
「……意味がわからない」
ヴィートも言っていて、なんと説明していいのか分からなくってきた。
ラウラに『人のため』や『人の気持ち』を理解して行動をさせるというのは、まだ早いかもしれない。
なにせ言葉も何も知らない赤子のような状態から十ヶ月ほどしか経っていないのだ。
言葉は話せるようにはなったかもしれないが、その言葉の意味や人の感情など本当に理解しているわけではなかった。
うーん、と腕を組み考えるが良い答えが出てくるわけではなかった。
それはまた今度として、とにかく掃除をさせることにする。
「取り敢えず理由は後回しだ。どちらにせよこの部屋の掃除をしなきゃならないから、ラウラに手伝ってもらう」
「……だから何で?」
「家族だからだ。ラウラはもう俺たち家族の一員なんだから、家の掃除くらい手伝わなきゃ駄目だ。これからは食事の支度や他のことも手伝ってもらうぞ」
「……家族だと手伝うの?」
「そうだよ。家族はみんなで協力してこの家で生活していくんだ。分かったか?」
「家族……」
ラウラは納得した様子では無いが、ヴィートの手からホウキを受け取り部屋の掃除を始めた。
なんとか勢いで掃除させることに成功したなと、ヴィートは自重気味に笑う。
そして明日からは人の気持ちや言葉の裏にある意味なんかも教えないとなと考えていた。
そして当のラウラは、意味もわからず掃除を始めたが、何故か嫌な気分ではなかった。
◇
――思い出に浸っていたラウラは、玄関の開く音で我に返る。
玄関から室内に入ってくるドスドスという重い足音で誰が帰ってきたかはすぐ見当がつく。
「お父さんが帰ってきた……」
初めて会った人間を勝手に家に入れてしまっている。しかも一人は魔物だ。
怒られないか不安になったが、そうグズグズもしていられない。
急いで手に持っていたモップと掃除道具を廊下に一旦置いて、グスタフの元へ急いだ。
ダイニングキッチンで陶器の大甕からコップに水を汲み、喉を鳴らして勢いよく飲んでいるグスタフの背中越しに声をかける。
「お父さん、おかえりなさい。早かったね」
「おおう、ラウラ。帰ってたのか。なんだか雨が降り出しそうな天気になっちまってな。それに今日はみんなも朝早かっただろ。だから今日の仕事はとっとと終わらしちまったんだ ……それよりお前、大丈夫だったか?」
「うん、私は大丈夫なんだけど……」
「ん? そりゃどういうことだ。何かあったのか?」
「えっと、うん。ちょっと困ったことになってて…… えっと――」
要領を得ないラウラにグスタフは訝しみながら、落ち着けと自分の手にしていたコップに水を注ぎ渡す。
ちょうど喉も乾いていたラウラは、一口飲み込むと大きく息を吐き出し、グスタフに言い出す覚悟をした。
「最初から話すね――」
腕を組み、愛娘のおどおどとした態度を不審に思いながらも、ただ黙って話を待つグスタフの瞳は優しさに満ちている。
ラウラはそんなグスタフの気持ちに後押しされて、意を決し全てを語って聞かせた。




