邂逅 2/自分の気持ち
倉庫を出て五分ほど歩くと、小さな小川が流れている沢に出る。
裏山から湧き水が出ており、それが小川となって下流まで流れてきていた。
まだ雪解けの水も合わさり、幅は狭い小川であるが豊富な水量であった。
水はどこまでも透き通っており、夏も目の前たというのに冬の残りを思い出させる凍るような冷たさを持っていた。
ここは来るまでの二人は、終始無言で歩き続けてる。
小川につきラウラが振り返るとマリウスも少し距離をとってその歩みを止めた。
しばらくお互いを見合いながら出方を伺うと、ラウラが先に問いかける。
「マリウスさん、貴方は魔物ですよね?」
マリウスは表情を変えずに、ラウラの目を見返しながら平然と答える。
「そういう貴女も同族だとお見受けします。お互い人間ではない、魔物ということですね」
「やはり気が付きますよね……」
「まあ、最初は人間の娘だと思いましたがね。とてもうまく隠している。ただ貴女がこちらを警戒すればするほど、貴女の中に魔力が高まるのを感じました」
なるほどとラウラが思っていると、マリウスは続ける。
「それで私たちをどうします? 村には騎士団が逗留中だ。私を差し出しますか?」
そんなことはできる筈がない。
マリウスたちが騎士団に捕まればラウラも告発され一緒に捕まってしまうだろう。
ある意味マリウスはラウラに脅しをかけていた。バラせばお前も無事ではないと。
「別に騎士団へ売るような真似はしない……」
「それは良かった。それでは私もここで貴女と会ったことは忘れましょう」
「ええ、そうしてもらえると助かります。 ……でも、その前に確認したいことがある」
「はい? なんでしょう」
「――貴方は人を殺したことはありますか?」
ラウラの言葉をきっかけに、辺り一帯が凍りついたように空気が固定化された。
ラウラは強い殺気をその身へ宿すと注意深くマリウスを伺う。
未だ笑顔のマリウスであるが、その笑顔の下からは黒いオーラが漏れ出した。
「……ええ、殺したことはありますよ。この世界に落ちて来てすぐ、数え切れないほどにね……」
先ほどまでのマリウスとは別人のように歪んだ笑顔を宿し、ラウラに向かい歩を進める。
手の届く距離まで近づくと、その顔をさらにラウラに近づける。
「――だからどうしたというのだ小娘」
デーモニア当時を思わせるような、残忍で歪んだラウラに威嚇をするマリウス。
彼の身体から黒いオーラのようなものが揺らめく。
故郷で感じていた肌をヒリつかせる殺気…… 間違いなくマリウスの言葉通り、数多のものを殺戮してきたもの特有の気配。
しかし、ラウラは怯むことなく詰問するように質問を続ける。
「これからも殺すの? 村の人たちや、あのエレーナという女性も」
「…………」
「貴方がこれからも人を殺すというなら見過ごせない。ましてや村の人間を巻き込むというのなら…… 必ず貴方を止める。たとえそれで私の命がなくなったとしても」
ラウラもマリウスに向かい一歩近づくと、お互いの息が感じられる距離で睨み合う。
ラウラは体内で魔力を練り上げ、返答次第では全てを解放しマリウスへ渾身の攻撃をする準備をする。たとえそれで殺せなくても生じる魔力の波動で騎士たちが魔物の存在に気づきマリウスを葬り去るだろう。
(ヴィート…… ごめんなさい)
覚悟を決めたラウラ。
マリウスが動く。しかしそれはラウラが思っていた行動とは違った。
「殺しませんよ――」
マリウスは身を引き、危害を加える気がないといったように両手を広げて首を振る。
「殺しません。だから落ち着いてください」
先ほどまでの威圧するような気配は霧散し、困ったような笑顔で微笑む。
ラウラはいささか拍子抜けしたが、マリウスがその殺気を収めたことで戦う意志がないことを悟り安堵する。
「私は今、人間としてこの世界で生きています。エレーネと一緒にね。なので無闇に力を使うことも無いし、まして人を襲うようなことはしていません。この村の人たちに手を出すようなことは決してしませんよ」
「そう、良かった……」
「それにしても危ないことをしますね。騎士が近くに、それも感知に優れている魔法士がいるというのに…… ただ、そのお陰で貴女が自分よりもこの村の人たちを大事にしていることが伝わりました。私がエレーネに抱いている気持ちのようにね」
ラウラはマリウスが言った『大事にしている』という言葉に虚を突かれた気がした。
今まで気にしたことはなかった。でもいつしか自分はこの生活を受け入れて大切に思っていたんだと。
なんだか気恥ずかしいけど温かい気持ちが胸の奥底に湧き上がる。
「ああ、なるほど」
マリウスが自分でも気が付かずニヤついているラウラの顔を見て大きく頷き、何かを納得したようなそぶりを見せる。
「何?」
「いや、リーグさん。貴女にも愛している人がこの村にいるのですね。なるほど。そうか、そうか」
「っ! 愛している人なんて――」
ラウラは否定しようと声をあげたが、途中でその声を止める。
死の覚悟を決めた時に思い出した人物。
ヴィート。
彼の笑顔を思うと胸がギュッと締め付けられた。
自分の中にあった何か分からない感情、その輪郭がはっきりと見えたから。
「……そうですね。どうやら私にも愛している人がいたようです」
小川のせせらぎに陽の光が反射して、ラウラの顔は清らかに明るく照らし出されてた。
ラウラはマリウスの双眸にもう一度覗き込むように視線を合わせると、多くを語ることなく何だか少しだけ分かり合った気がしていた。
とはいえ一触即発、極度の緊張感から解き放たれ安堵と共に、どこか気恥ずかしさを感じ話しにくい。
差し違えても守る―― そう死を覚悟して挑んだ相手へ愛しい人への想いを語れば当然か……。
多少ぎこちなさを覚えながら今後のことを話す。
マリウスとはお互いに不干渉とすることを約束した。
何があったとしてもお互いのことは関与しない。それが自分の大事な人を守るためにする最善の選択だからだ。
「さて……、そろそろ帰らないとエレーナが心配してしまいます」
「そうですね。では戻りましょう」
「ああ、その前に洗濯して帰らないと」
マリウスは足元に投げ捨てられていた汚れ物を拾うと、川辺に腰を落とし水面に手を沈めた。
「手伝います」
「すみません、ではお言葉に甘えて。こちらをお願いします」
洗濯を始めたマリウスの横にラウラも腰を落とすと、マリウスから布切れを手渡される。
怪我をしたエレーナの足に巻いていた包帯だろうか。
幅が広く丈夫な生地の包帯は、所々に薬草のシミがついている。
包帯を両手で揉み込むように水中へ落とす。
小川の水は夏前だというのに手を切るような冷たさだ。しかし、そんな冷水で洗濯をしていても、なんだか温かくなるような不思議な感じがしてラウラは小さく微笑む。
暫く黙々と洗濯物をする二人。
お互い話すこともないため薬草の頑固な汚れに集中していると――。
「……リーヴさん、この村で貴女が魔物だということを知っている人は居るのですか?」
染みついた汚れを落とすため力強く揉み込む手を止めることなく、マリウスが尋ねる。
お互い不干渉としたはずだけど…… と思ったが、無言で洗い続けるのもなんだか変な感じだし……と切り替えることとする。
現に話題を提供されて有難い気もした。
「ええ、私を助けてくれて娘として育ててくれているお父さんが知っています。それと……、ロゴスに居るお医者様のベッテル先生。先生は私の治療をしてくれたので。それ以外に他にはいません」
「そうですか」
「えっと、マリウスさんのことをエレーネさんはご存知なのですか?」
「はい。彼女は私が死にかけた時に助けてくれたものですから、その時点で人間ではないことを知られていましたね」
「そうなんですね…… 私はデーモニアからこちらの世界に落ちてきた時、ボロボロで虫の息だったそうです。でもヴィートが助けてくれた……」
「そのヴィートさんは貴女が魔物だということを知らないのですか?」
「……知りません」
「そのヴィートさんというのが…… いえ、すみません」
ラウラが視線を落とし悲しい笑顔をしたことでマリウスはラウラの気持ちを推し量り、続く言葉を飲み込んだ。
そして心からの言葉をラウラに贈る。
「いつか貴女の想いと真実が受け入れられることを願います」




