訪問者 7/騎士来村
明け方に上がった雨の後、前が見えないほどの濃霧が全てを包む。
日も明けやらぬ真っ白な冷気に覆われたアルサスの村は、蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていた。
王都から聖騎士を筆頭とした王宮の騎士団が、この寒村といっていい小さな村に到着したからである。
先頭の王宮騎士団はおよそ二十名ほど。
早朝の朝露の中でも白く輝く白銀の全身鎧と、金と赤で王国の紋章を見事な刺繍が施されたマントを身につけ、騎乗しながら隊列を組み村の門をくぐる。
視線は一点を見つめ、もちろん無駄話をする者などおらず、最後の一人まで統率が取れていた。
その身に纏った鎧や装備品だけではなく、律せられた行動や騎士各々の所作にも美しいと感じさせる。
王宮騎士団の前後には、道案内としてロゴスの騎士と衛兵が続いた。
近隣で一番大きなロゴスの街には、兵士以外にも騎士が就労している。
街の治安を警備する一般的な衛兵である兵士と、爵位を持つ貴族階級の対応や一般兵士では対応できない大きな事件などに赴く、一般兵士より上の階級である騎士が在中している。
騎士は貴族階級の家の者たちが殆どを占めており、一般人の兵士たちとは大きく扱いが違っていた。
その理由として、騎士は首都オルリアンにある養成所を卒業して初めて任命される選ばれた存在だからだ。
養成所に入るための試験は厳しく、多くの若者が幼い頃から修練を積み準備をする。
また合格しても五年間の厳しい養成所生活を経て、晴れて騎士として名乗ることを許される。
騎士となると王国の王宮直属の所属となり、そこから各都市に派遣されることとなる。
なので騎士はエリートであり、もともと身分の高い家の出身であるために、各地方都市では都市長など街の上層部達と同等の階級とされていた。
しかし、その騎士達といえど、これほどの目を引くような装備を許されてはいなかった。
そう、騎士の中でも特別な存在である王宮付きの騎士団。
彼らはいわば騎士のエリート中のエリートであり、必要であれば直接に国王との謁見も許される地位であった。
王宮騎士団に入団を許されるのは、生まれもある程度考慮されるが、一番はその能力である。養成所で素質ありと認められた者のみが候補とされる。
剣術や馬術はもちろん、学術として兵法や政治など知識を兼ね備えてなければならない。
また、魔法学や薬学の基礎も習得するために王宮魔法士へ従事し、騎士と魔法士としてその期間は二つの異なる仕事を同時にこなす激務の中で勉強をしなければならなかった。
このような過酷な環境下では、優秀な者でも一人一人と秤にかけられ落とされる。
そのため王宮騎士団に所属できるのは希望者の二%未満であった。
そんな王直轄の騎士団は、一般人はおろか今回のように彼らに付き従い、一緒に行動しているロゴスの騎士からとっても憧れの存在であった。
先頭の騎士団長と思われる男が馬上から出迎えの者に声をかけ、馬の歩みを止める。
他の騎士もそれにならい馬の歩を止める。
下馬の号令を受けると一斉に馬上から降りると、それを待ち構えていた村人に、手綱を渡してそれぞれの愛馬の世話を頼んだ。
よく見るとその美麗な鎧には昨夜の雨で汚れたのか泥や埃が随分と付着し、騎士たちの表情には疲れと失望の色が滲み出ているのが窺える。
「これはこれは。よくぞおいでくださりました。私はヨーラン・ノシュテットと申します。ここアルサス村の村長をしております」
アルサス村で唯一の宿屋前。
大きく開けた場所は、村のちょうど中央に位置する大通りが交差する箇所である。
笑顔で挨拶をした村長は、緊張と不安、そして多くの指示を出すことで既に疲労困憊だった。
報告を聞いてから短かったのか、長かったのかもう分からなかったが、ようやく目の前に騎士一行が到着した。
深々と頭を下げる村長に対して、騎士団長は馬を村人へ預けると村長と名乗った人物へ向き直る。
「私はニコラウス・フリーデン、王宮騎士団の団長をしている。いや、こんな早朝に申し訳ない」
「いえ! とんでもございません。それで本日はどのようなご用件で……」
「うむ、頼みたいことがある。実は……」
騎士団長は来村の理由を村長に伝え、アルサスでの補給と宿泊を要求した。
村長は断れるはずもなく、早々に承諾をして一緒に話を聞いていた役職たちにそれぞれ指示を出した。
そして村長自身は騎士団長と副官たちを労うために村一番の大きな家屋である村長家、すなわち自分の家へ案内をした。
王宮騎士団は騎士が二十二名と魔法士一名、ロゴス所属の騎士が十名、衛士が二十名の総勢五十名以上の人数となるために、村の宿屋では対応しきれず村役場や集会所を宿舎として提供する。
王宮騎士団長と副団長、魔法士の三名は村長の家で宿泊することとなった。
もちろん対応する人員も足りないので、多くの村人が動員される。
男衆は馬の世話や補給する食材など物資の調達。
女衆と老人や子供たちは各所の掃除や寝床の設営、そして一番重要な食事のが準備を手伝うこととなった。
こうして村始まって以来の珍事に、村人総出で対応するのであった。
◇
早朝の招集は、当然の様にリーグ家にもあった。
いつもならまだ寝ている時間。
叩き起こされたヴィートは寝ぼけていたが「王宮から騎士が来た」と聞いて慌てて着替え、一番最後に勢いよくリビングへ入ってきた。
椅子に座りお茶を飲んでいたグスタフとラウラに「おはよう」と興奮気味に挨拶をする。
オッドアイの瞳をキラキラと輝かせ鼻息も荒いヴィートへ、グスタフが苦笑しながら指示を出す。
「ヴィト。お前が何人か若衆をまとめておけ。騎士からの要望に、いつでも動けるようにしておくんだ。そうだな…… オリヴェルとニーロを連れて村長のところまで行って来い。……いいか、余計なことするんじゃねぇぞ!」
「分かった。行ってくる!」
「ヴィト。朝ごはん。パンだけだけど二人の分も持っていって」
「サンキュー、ラウラ。じゃ行ってきます」
バタンと勢いよく玄関の扉が閉まりヴィートの出ていったことを確認すると、グスタフとラウラは顔を見合わせた。
「……お父さん。どうすればいい?」
「……ずっと家にいるわけにはいかねぇな。なんせ王宮所属の騎士団が村に来たんだから」
「やっぱり普通の騎士と違って、王宮の騎士には魔物を見分けられるのかな? 前に聞いたことがあるよ。それに魔法士もいるって」
「ああ、俺も聞いたことがあるが……」
グスタフは手にしていたお茶を飲み干すと重い声でラウラに告げる。
「とりあえず食事の下拵えなんかの仕事をするようにして、直接会わないようにすることだ。頃合いを見て体調が悪くなったと家に帰ってこい」
「うん、分かった……」
「なるべく早く出ていってくれれば良いんだがな……」
◇
まな板を叩く軽快な包丁の音、野菜を炒める音、外では鶏を絞めた鳴き声、そして戦場のように飛び交う大声――。
宿屋の厨房では、所狭しと宿屋の亭主と六名の女衆が食事の準備に追われていた。
一度に五十人前の食事を作るだけでも大変なのに、騎士の方達の食事だ。下手なものは出せない。
だが豊かでもない寒村では、食材自体も豊富に有る訳ではない。
しかし、自分たちを守ってくれる存在である騎士たち。
更にその雲の上の存在である王宮騎士たちが村に訪れたのだ。
食糧事情が苦しい状況といえども、各家が率先して自宅にある食材を持ち込んで、工夫をしながら早速食事の準備に勤しんでいた。
厨房を取り仕切っているのはナータンの妻、村で随一の料理の腕を持つミルカである。
宿屋の亭主から『こんな村の宿屋の食事では騎士様たちに申し訳ない。出来るだけ美味しい物を召し上がってもらうために協力してくれ』と助けを求められ、誉高いことと二つ返事で了承をしていた。
先ほどからテキパキと指示を出しながらも自分の手は休めない。いつものおっとりしたミルカとは別人のようであった。
「わあ…… ミルカおばさん凄いな……」
戦場と化した厨房にラウラも入室し、何か手伝うことはと周りを窺うとヘレナに声をかけられた。
ヘレナもまた配膳の指揮をしながら食器など盛り付けの準備をしている。
「ああ、ラウラ来てくれたのね。助かるわー。裏の勝手口に食材が積まれてるからミルカのところへ持っていって」
「うん、分かった」
相変わらずラウラは力仕事を頼まれる。
よほど他人からは力が強いと思われているのだろうと内心で苦笑する。
確かに普通にしていても人間と魔物では基本的な能力値が違うので、ふとした時にその力を見せてしまっている。
今は特に気をつけないと非常に不味い事になると心にしっかり留め、山のように積まれた食材をミルカの元まで運ぶ。
「ありがとうラウラ。申し訳ないけど水も汲んで来てもらえる?」
ミルカに次の仕事を頼まれ、笑顔で頷くと水を汲みに外へ出る。
宿屋の裏手に井戸はあるので、運搬や水汲みなどの仕事はありがたい。まず騎士たちと出会すことはないだろうから。
こんな感じなら問題ないなと、少しだけ気分が軽くなる。
大甕に数回目の水を入れていると、少し余裕ができたのか調理を手伝っている女衆から声がかかる。
「あら、ラウラちゃんは若いんだから、こんな裏方じゃなくて騎士様たちのお世話に行けば良いのに」
「そうそう、こんなこと無いんだから行っておきなさいよ」
村人にとって騎士は雲の上の存在である。
更に王宮に出入りができる存在など初めて見る者がほとんどだ。
騎士に見初められればあるいは…… などと都合の良い夢を見て、若い娘たちは騎士の身の回りの世話についている。いや、娘だけではなくその親からしてそんな都合の良い夢を見ていた。
「私は別に良いよ」
「あら、そんなこと言って。もう、貴女は丁度良い年なんだから、チャンスよ!」
「……いや」
「ほらほら、厨房はおばさんたちがやっておくから。行ってきなさいよ」
「ねー。ラウラちゃん本当に綺麗なんだから。ちょっと笑ってやれば騎士様だって落とせるわ」
「いや…… ほんと……」
「ほらほら、行った行った」
動こうとしないラウラに業を煮やして、背中を押して厨房から送り出そうとする。
「えっ? ちょっと本当に待って――」
そんな気はさらさら無いし、そもそも騎士の前に行きたくない。
女衆からにしては、せっかく綺麗で年頃なんだからとお節介を焼きたがる。
悪気のないことは分かっているが、この手の話は毎度のことながらうんざりする。しかも今はタイミングが最悪だ。
そんな地味にピンチに陥っているラウラに救いの手が伸びる。
「ほら、あんたたち! いい加減にしな! 話してないで手を動かして」
ヘレナがラウラのことで盛り上がり、仕事そっちのけとなった女衆を叱りつけのだ。
ラウラはヘレナが光り輝く救世主のように見えたが、それは一瞬だったようだ。
「だいたいラウラには決まった人がいるでしょ。目をつけられたらヴィトも困るわよ」
「――誰がっ⁈……」
ラウラは反射的に言い返しそうになったが必死に堪えた。
言い返したら配膳の仕事などを任される。
罠だ! ヘレナは助けてはくれているが、その分、楽しんでもいる。ミルカも生暖かい目をして笑っていた。
反論したい想いを精一杯我慢して、言いたいことを飲み込むと笑顔でヘレナに頷いて返す。
「ええ〜、そうね。ヴィトが困っちゃうから私は遠慮しておくわ」
その引きつった笑顔を見て、ヘレナは持っていたお盆で顔を隠しながら大いに笑う。
ミルカは明後日の方を向いて激しく肩を上下させている。
女衆が愛の告白のような返答にさらに盛り上がると、当のラウラは耳を真っ赤にしながら厨房から逃げ出した。
「もうここは大丈夫みたいだね! 夜の分の竈門の薪が足りないみたいだから取ってくる」
涙目のラウラは厨房の裏手から飛び出し、脱兎の如く宿屋を後にした。




