訪問者 6/襲撃2
焚き火の炎に照らされ、フーゴの前に一人の紳士が立っていた。
線のように双眸を細めた笑顔で、物腰の柔らかい紳士が胸に手を当て黙礼をする。
突然にして唐突。
先ほどまで楽しげに浮かれていた男たちは、何が起こったか理解できずに動きが止まる。
歓喜の熱気に冷や水を浴びせられたよう、声すら出す事もなく固まった。
とりわけ突然現れた男の格好が浮いていたため、異質な雰囲気をより強める。
何処ぞの貴族かと思わせる上質な布地に、煌びやかな刺繍が施さらた上着、一目で滑らかな手触りと分かるタイツのようなボトムを履いている。
それはおおよそ山道を歩くような格好ではない。
ここは深い森の更に奥、貴族を乗せるような馬車が通れる道もない。
それ以前に『何故そこに居る?』ということが兵士たちの一番疑問に思っていることであろう。
いくら酒を飲み出していても警戒は断じて怠っていない。
フーゴを中心として車座となっていた真ん中にどうやって現れたのか。
誰もが横をすり抜けたら気がつくはずである。
それなのにそいつは『突然現れた』のである。
いつの間にか全ての音が消えてた。
風の吹く音も火の粉舞い上がる炎の音も、全てがどっぷりと地中に沈んだように重い空気で満たされる。
誰も声を出さない、いや出せないのだ。
喉の奥に異物を詰め込まれたように何も発することができなかった。
「おや、皆様。これはこれは。ご静観いただきありがとうございます」
謎の紳士が被っていたツバが広めのベレー帽を取ると胸の前におき、恭しく左、右、そして正面へと軽いお辞儀を繰り返し、自己紹介を始める。
「お初にお目にかかります。私の名はアンダーサージと申します。以後お見知りおきを」
己の名前を告げると、再度フーゴへ頭を下げる。
細い目の奥から覗く視線は合ったままである。
口の端が切れそうな程の笑みに、背筋が凍るようで微かな呻き声を上げる。
「う……」
「おや、申し訳ございませんでした」
アンダーサージが指をパチンと鳴らすと、固まっていた全員の口から重い空気が吐き出された。
多くがハアハアと息を切らし肩が上下し、額には脂汗が浮かんでいた。
フーゴがいち早く呼吸を整え、腰からスラリと剣を抜き放つと目の前のアンダーサージと名乗った男に問いかける。
この異常事態にパニックとならず素早く対応できる豪胆さは、さすがは部隊をまとめ上げる隊長である。
「お前は一体何者だ⁈ どっ、どうやって現れやがった⁈」
剣を向け殺気を放ちながら詰問をすると、隊長にならい周りの男たちも各々武器を構え、ジリジリとアンダーサージとの間合いを詰める。
「いえいえ、ちょとした手品ですよ。ご気分を害したのでしたら申し訳ございません」
「答えろ! お前は何者だ?」
「はい。先ほども名乗りましたがアンダーサージという者です。私めは皆様にお願いがございまして、ここまで罷り越した次第です」
アンダーサージの言葉にざわりと男たちが揺らぐ。願い? どういうことだと。
「……あんた、もしかしてローグの者か?」
剣を構えながら副長であるラーシュが問いかける。
先ほど最後の命令があったと隊長から聞いたばかりである。
もしそうであれば、山中に隠れている我々を見つけられることは容易いのではと考えていた。
「ん? ……ああ、その通りでございます」
アンダーサージがラーシュの言葉へ肯定の意を表すと、その場全員の緊張が一気に解けた。
皆、口々に『なんだよ。驚かしやがって』などと軽口を言いながら手にしていた武器をしまう。
フーゴも剣を鞘に納め、アンダーサージに向き直る。
「命令は先ほど届いているが、何か変更でもあったのか?」
「はい、左様でございます。ですがその前に皆様へ労いの品を持参しております。そちらをお持ちしても?」
「ほお? 気が効くじゃねぇか。酒か? 食い物か?」
「ふふふ、いま従僕を呼びますれば。おおーい、フットマン。持ってきなさい」
労いの品と聞いて先ほどまであった緊張感はすでに無くなり、アンダーサージが現れる前のように各々が地面へ座り、酒を手に雑談を始める。
ギシギシと重い音が暗闇の向こう側から聞こえてきた。
やがてそれは車輪が回っている音だと分かる。
一人の陰気な従僕が暗がりから現れ、その手には大きな荷車が引かれていた。
従僕は身長が百五十センチほどの小柄な男。
いや、背骨が弓なりに曲がり、前かがみとなっているため身長が低く見えるだけであった。
顔がほとんど見えないほど下を向いているためによくは分からないが、頭皮や露出した腕の肌艶などからして随分と歳が行っているようである。
しかし、その力は引いている荷車の大きさからかなりのものと推測された。
従僕はアンダーサージの横まで荷車を引いてくると、その場に伏して命令を待つ。
「ご苦労。 さあ、私からの労いの品でございます。どうぞお納めください」
アンダーサージは指を鳴らし合図すると、フットマンと呼ばれていた従僕は荷車にかけてあった大きな布を一気にまくり上げる。
食べ物? 鹿か猪の肉か?
荷台の上に大きく重なる物体が黒いシルエットとなっている。
どうやら大型の獣の肉のようだ。湯気が立っている⁈ 狩り立ての様だが、余りにも生々しく血液が滴って――。
そして誰が一番最初に気がついただろう。
重なる肉塊の中から、見張りの任についていた仲間の顔が覗いていたのを……。
「「「「うわあああーーーー‼︎」」」」
余りの驚きに先ほどまで抑えていた声を張り上げ、喉が裂けるほどの叫び声が伝播していく。
荷台に乗っていたもの―― それは仲間の、見張りに出ていた者たちが殺され、みるも無残に変形した肉の塊であった。
まるで巨人に握りつぶされた様に人としての形は保っておらず、何人かの死体がパズルのように組み合わさり一つの塊になっていた。
余りにも無残な同僚の姿にパニックとなり、腰を抜かす者、その場で吐き出す者がいる中で―― フーゴはアンダーサージを睨みつけた。
「――貴様‼︎ こんなこと…… まさか魔物か⁈」
フーゴは鋭い殺気を放ち、腰から剣を抜く―― いや、抜こうとした……。
「クフフフ、おや…… 身動きが取れませんか?」
先ほどからポツポツと降り出した雨がやがて大きな雨粒となり本降りへと変わっていた。
樹木の葉を、転がる大岩を、湿った大地を叩くように落ちる雨粒の音が地鳴りのように響く。
舞い上がる水飛沫とは別に、何もない空中で切られるように弾け散る滴。
フーゴの周りに張り巡らされた目には見えないほど極細の糸が、雨粒を受けてその美しい文様を表した。
フーゴを中心とした美しい紋様は、蜘蛛の糸のように木々の中に張り巡らされている。
動きが取れないフーゴは、さながら蜘蛛の巣に掛かった哀れな獲物のようであった。
アンダーサージは口角を極限まで、いや、限界を超えて皮膚が破れるほど吊り上げ狂気の笑顔を向けると、上質な上着を貫いて背中から八本の脚を生やす。
それは先端が鋭く尖った節足動物によく似たものであった。
ウネウネと動く各々が意思を持ったように動くその脚は、薄らと体毛が生えその太さは女性の胴体より太い。
その剛脚で茫然自失となり棒立ちに横にいた二名を瞬時に吹き飛ばすと、鋭利な鎌のような脚がフーゴの横にいた三名の上官ラーシュ、クヌード、ケビを切り裂いた。
一瞬にして五名もの仲間が目の前で殺された。
残った者たちは恐怖で更に半狂乱となり、剣を捨てて逃げ出す―― しかし、それが許されることはなく、見えない糸に絡めとられていった。
いくら暴れても踠こうとも逃げることはできない。いや、踠けば踠くほど身動きができなくなる。
喉が破れるほど必死に助けを求めるが、残念ながら彼らの前に現れたのはアンダーサージの従僕であった。
身動きのできない兵たちは、従僕フットマンが引きずるように手にしている棍棒を目にすると絶望に陥り、その顔を蒼ざめさせた。
アンダーサージは恐怖に震えるフーゴに笑いながら近づき、大きく開いた口からモゴモゴと掌に何やら丸い物体を吐き出す。
丸まっていたそれは『キイ!』と鳴いたかと思うと、掌サイズの蜘蛛に変化してモゾモゾと動き出す。
「うううう…… な、何するんだ…… や、やめてくれ――!」
アンダーサージは捕縛され動けないフーゴの眼帯を外すと、ペロリと掌の蜘蛛を舐め、そのまま眼帯を外され露になった眼球へ躊躇なく押し込む。
ぐちゃっとした音とともに押しつぶされた眼球と夥しいほどの血が眼底より滴り落ちるが、激しく降っている雨により洗い流されて行く。
「ギャ――――――‼︎」
「ああああああ〜〜〜〜〜 いい声ですね。もっと鳴いてください」
笑いながら蜘蛛をねじ込むように押し付けると、やがて蜘蛛が隻眼の男の脳を喰らため奥に入っていく。
二度三度の痙攣をしてフーゴは絶命し、その場に崩れ落ちた。
「さあ、私のお願いを聞いてください」
頭の奥から蜘蛛が眼底まで戻ると、丸まり、失った目の代わりにギロリと動く。
まるで眼球に毛が生えたようでかなり不気味であったが、アンダーサージは満足げに頷く。
やがてフーゴは子供が操る人形のよう歪に体をくねらせ、白く水飛沫まう地面の上でアンダーサージに跪いた。




