訪問者 4/村の守り手2
月の光も届かない深い森の中。
目の前の大木に手をかけ、こちらを警戒しながらゆっくりと近づく多頭のモンスターが足を止める。その距離五メートル。
ラウラの放つ魔力に畏怖し、『死』を感じ取った多頭のモンスター。威嚇するように吠える。
「ヴゴァルラララララララ――」
怒気を漲らせ、さながら怒り狂った巨象のように目の前の脅威へ突進してきた。
時を同時に大きく地面を蹴り付け、一飛びで迫るモンスターへ肉薄するラウラ。
残像が残るほどのスピード。
爆発的な速さでモンスターをひらりと躱し、美しい手から生える長く鋭い爪を一閃―― 横薙ぎに腕を振るう。
黒く霞んでいる体表を五本の斬撃が走った。
「「「ガッァ――⁈ ウガガガガガ――」」」
けたたましく轟く獣たちの叫び。
大きなダメージを受けた多頭のモンスターは苦し紛れに腕を振るうが、ラウラは軽くバックステップをして軽やかに避ける。
鮮血が舞い、斬られた箇所に浮かぶ鹿と熊の顔が悶絶するように表情を歪める。
数秒もがき苦しむと、やがて水の中に沈むように黒い靄の中に消えた。そして…… 新たな頭部が浮かび上がってきた。
「気持ち悪い…… ――え⁈」
多頭のモンスターの持つ能力に嫌悪感を感じたラウラは顔を歪め―― 新たに浮かんできた頭部にショックを受ける。
明らかに人の、それも子供の頭部。
苦しそうに幼い顔を歪めて涙を流し、唸り声を上げている。
血の涙を流す子供の視線と交差した時、ラウラは固まってしまった。
デーモニアに居た時ならあり得ない。
戦闘中に隙を作るなど絶対にあり得なかった。しかもこんなことで――。
しかし、人と共に生活をした六年間でラウラは変わっていた。
知らずに他者を気遣い、自分以外のにも大事なものができたのだ。
何よりオッレとリータの顔が、涙を流す子供とオーバーラップしてしまった。
「「「グルルァアアアアォオオオオオオオオオ――‼︎」」」
雄叫びを上げ、棒立ちのラウラへ多頭のモンスターの右手が襲う。
先端には狼の頭部が浮かび上がる。
ショックで固まっていたラウラは回避に遅れた。
「くっ……⁈」
大口を開け広げ頬を裂いた狼の牙が動揺している彼女の首元を襲う。
刹那、意識を戻したラウラは身を捩ることで急所を辛うじて避けたが左肩に激痛が走る。
「ぐっ゛あ゛あ゛あ゛あああああ……⁈」
攻撃を喰らってしまった。
避けられた攻撃を受けたことに悔やむが、すぐに切り替える。
追撃を喰らう前に間合いを取ろうと地面を蹴る―― しかし、狼の牙がラウラの細い肩へガッチリと食い込み離さない。
「――っ⁈ 不味い――」
多頭のモンスターは、右手に生やした狼の牙でラウラを捕まえたまま、左腕を大きく振りかぶっていた。頭上に宵闇の中で鈍く光る鋭い熊の鍵爪。
激痛が走る左肩を押さえていた右手を、振り下ろされた鋭利に尖る爪の防御に回すが――。
「ギャッ―― アアアアアアアアアアアァ……」
鍵爪は凄まじい威力を持って眼前に構えた右腕を弾き飛ばし、ラウラの胸に三本の裂傷を走らせる。
山中を切り裂くように響き渡る叫び声。
白金色の髪を振り乱し、相貌を大きく歪ませる。
普段着のブラウン色したブラウスは簡単に切り裂かれ、透き通るように白く形の良い乳房が露わになるが、すぐに鮮やかな紅に染まった。
「くっ…… あ、ああ……」
致命傷にも近い一撃を受けたラウラ。
痛みと衝撃で意識は朦朧となり目が霞む。
多頭のモンスターは、右手を高々と上げて獲物の様子を、数対の瞳であらゆる角度から様子を伺う。
ぐったりと頭を垂らしたラウラに、人の獣の眼がギラリと光る。
鮮血を滴らせてピクリとも動かない獲物を前に「ゲッゲッ」と歓喜の喉を鳴らし、獲物を確かめるようにブラブラと振り回す。
壊れた人形のように弛緩した身体は大きく揺れた。
しばらく遊んでいた多頭のモンスターは、やがて満足したように揺さぶるのを止めた。
そして人間で言うところの胸に当たる部分、黒い靄の下からに横方向へ亀裂が走り、上下に大きく開かれた。どうやら獲物を取り込む口のような器官らしい。
ラウラを一飲み出来そうなほど大きく口を開くと―― 取り込もうと動かしていた手を止めた。
何の前触れもなく現れた魔法陣。
いきなり目の前、極ごく至近距離に。
その魔法陣の後ろで項垂れたままのラウラが、肘と手首の間から折れている右手を突き出していた。
数十対の眼が驚いたように見開かれる。
眼前に展開された直径六十センチ程の青白く輝く魔法陣。
一秒の間に目まぐるしく紋様が変化し暗闇を照らすと、激しい魔力の奔流が風を呼び、樹々をざわめかせた。
「「「ヴガアアアアアァアアアア――」」」
耳を劈く咆哮。
本能的に感じる恐怖からラウラを投げ捨てようとするが―― かちゃりと魔法陣が最後のピースをはめ込み、その変容を終える。
右手を胸の前へ突き出したラウラは魔法を唱えた。
「【フレイム・ニードル】――!!」
直径五センチ、長さ二十センチほどの円錐を底面同士で貼り付けたような形状。
太く鋭利な漆黒のニードル。それが五本、魔法陣前の空中から多頭のモンスター目掛けて放たれた。
鈍い音を立てて五本のニードルは、大口を開けていたモンスターの口内へ突き刺さる。
「「「ゴァ⁈ ギャァアアアアアア――」」」
激しく悲鳴をあげ、後ろへよろめきながらラウラを放り投げ、大木にもたれ掛かり転倒を回避。
大口を閉じるが隙間から大量の血を噴き出し、その黒い靄の下から苦しそうにうめき声をあげた。
……しかし、ダメージを受けておぼつかない脚は、やがて力強く前へ歩き出す。
怒りをぶつけるような、ビリビリと空気を振動させるほどの大咆哮。
耐えた。
ラウラの放った魔法は、多頭のモンスターを一撃で屠ることはできなかったのだ。
投げ捨てられたラウラは勢いよく地面を転がる。
幸いな事に柔らかく湿った大地が激突のショックを吸収してくれていた。
血と泥に塗れボロボロとなった上半身を何とか起こすが、振り子のように揺れている頭部が大きなダメージを物語る。
暗闇の中、湿った大きな足音が迫り来る―― が、立ち上がることは出来なかった。
興奮し、熱いほどの鼻息がラウラの顔を撫でる。
座り込むラウラの目と鼻の先で、瀕死の獲物を見下ろす多頭のモンスター。
もう同じ間違いはしない。
殺してから取り込めばいいと学習をした。
ゆっくりと鍵爪を頭上へ持ち上げ、ラウラのふらふらと動いている頭部へ振り下ろそうとした刹那。
「燃え尽きろ……」
ラウラの言葉は、地面を揺らすほどの鈍い爆発音でかき消された。
それは多頭のモンスターの腹の中から響き、身体は弾けるように膨らむ。まるで割れる寸前の風船だ。
鈍い爆発音続き、膨らみ続けた腹は、ミシミシと音を立てて亀裂が入る。
すぐに限界がきた――。
爆弾が破裂したような耳を聾する炸裂音。
目を眩ませる強烈な閃光で、日中のように周囲が明るく照らされた。
バラバラと肉片を撒き散らしながら多頭のモンスターは下半身だけを残し、青黒い炎に包まれていた。
「あつっ⁈……」
熱波が顔にぶつかり思わず避ける。
泥だらけのラウラは、目の前で燃え上がるモンスターを見上げ、背中から大の字に倒れる。
湿った大地は、闘いで熱った身体をひんやりと冷やしてくれた。
風の吹き抜けるような燃え盛る炎の音に合わせて大きく息を吐いた。
ラウラが放った魔法【フレイム・ニードル】。別名を黒焔針。
太く鋭利な漆黒のニードルは、圧縮・硬質化した超高熱の炎であり、解放すると爆発的に燃え盛る。
打ち出されたニードルは体内に深く突き刺さるため、体表面だけではなく体内をも焼き尽くす凶悪な魔法である。
焔系の魔法を得意としているラウラのオリジナルであった。
今回は全てのニードルをモンスターの体内に打ち込んだため、密閉空間で一気に燃え上がった炎が爆発したのだ。
「危なかった……」
横を向き、ちらりと燃えているモンスターへ視線を移す。
やがてそれは後方へゆっくりと崩れ落ち、赤々と森の闇を照らしていた。
顔を正面へ戻すと鬱蒼と覆いかぶさっていた樹木の枝葉が小さくポッカリと開いていた。モンスターの爆発と炎上で直上に茂っていた樹冠が吹き飛ばされたようだ。
まるく円形に開いた夜空に朧月が顔を出す。
「私は……」
月を見上げながら思わず口から溢れる。
もし自分より強い魔物が村を襲ってきたら…… デーモニアで戦ったような強い魔人がこの地に降り立ったなら……。
ラウラ自身、偶然とはいえデーモニアから人間界へ時空を超えた。
それが自分以外にも起こっても不思議ではない。
ラウラが人間界へ落ちて来た直後にグスタフから『他の魔物と知り合いになった』と聞いていた。
その魔物のことはグスタフが話したがらなかったので、ラウラもそれ以上聞くことがなかったが。
確信している。自分と同じように時空を超えてきた存在を、自分より強い魔物がオートピアにも居る事を。
――私はこのままここに居てもいいのだろうか。
もしも以前のように…… 私を狙って強い魔物が現れるのではないのか。
そしてそれは村の人々を、家族を、ヴィートを巻き込むのではないのかと。
「最近は、こんなことばかり考えてるな……」
気持ちを切り替え、大きく息を吸うとゆっくりと起き上がる。考えるのは後だ。
先ずは傷を治すべく、残った魔力を使う。
回復するイメージを持って体内に魔素を巡らすと左肩、胸の裂傷が治っていく。
傷口が綺麗に塞がり、最初から傷などなかったように。
しかし、右腕の骨折だけは完全には治らなかった。これ以上魔力を使うと、行動に支障が出るほど枯渇してしまうからだ。
開放骨折であったところから骨もある程度つながり、ヒビのはいった状態となっただけでも上出来であった。
身体の各所を確認し終えると、続けて呪文を唱える。
「【マナ・アセンブル】」
多頭のモンスターより流れ出た魔素を集める。
程なくして集められた魔素を抱き抱える様に優しく自身の体内へと取り込む。
取り込んだ魔素で治っていない怪我を治したいところであるが……、やめておく。
また直ぐに他の魔物が現れるかもしてないから。
魔力の少ない状態で、今日のように強い魔物が現れたら勝てないかもしれない。皆を守れないかもしれないと考えて。
痛みを我慢して、今は魔力をためておく事にした。
しかし、これでまたラウラの扱える魔力の総量、キャパシティーが増えた。
今は増えた分だけ直ぐに使ってしまうが、今日のように魔素量が多い魔物を喰らい続ければ以前の力を取り戻すのも遠い未来ではない。
自分にこうして魔力が戻ることを実感すると、先ほどのように色々と心配事が頭を掠めてしまう。
「……ああ、もう」
大きく首を振り、不安な心を振り払う。
もう夜明けが近い。東の空がうっすらと白み始めている事に気がついた。
「早く帰らないと⁈」
無惨に引き裂かれ、血と泥に塗れたブラウスを脱ぐと背中から黒く美しい翼を広げる。
村の朝は早い。
頭上に空いた空間から飛び上がり、まだ暗い空へ紛れて家路を急いだ。




