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訪問者 3/村の守り手1

 酒場でのヴィートとの一悶着から三日後、深夜の山中をラウラは一人歩いていた。

 夏も間近ながら、深い森の奥では寒いほどの冷気が白い霧として地面を覆う。しかし、これは本当に山の冷気だけなのだろうか……。

 周囲に気を張りながら、長雨で出来た泥濘(ぬかるみ)に足を取られぬよう慎重に歩を進めていく。

 樹木が勢いよく葉を広げ鬱蒼(うっそう)と茂る深林は、光を遮られた漆黒の世界。

 虫の音も聞こえず生命の鼓動が止まっているような感覚、冷気と相まって非常に寒々しい。

 

(まるで昔の世界みたい…… 嫌だな……)

 

 目の前に広がる闇の世界は、デーモニアで感じていた無情で救いのない世界を彼女に思い出させる。


 ラウラが〈魔世界/デーモニア〉に落ちて約六年余り、次第に魔力が戻るのを感じていた。

 ここ人間界でも『魔素』は薄いながらも存在しており、それらを身体は無意識に吸収している。

 日常的な食事でも少量の魔素は溜まって行くし、極たまに入るボーナス的な魔素の補給もある。

 そうして枯渇していた魔力量が少量ずつ溜まっていった。

 

 とはいえ、デーモニアとは比ぶべくもない程に溜まる量はごく僅かで、かつての様に魔法を気軽に使えばすぐにまた枯渇してしまう。

 ラウラは日々成長して行くヴィートに合わせて自分の体型も変化させているため、年に幾度も魔力を解放し皆に気が付かれぬよう徐々に以前の姿へ戻していた。

 心の根底にあるヴィートへ本来の姿を見せたいという欲求には気が付かずに。

 中途半端に姿を止め定着させるために少なくない魔力を消費する。なのでいつもガス欠寸前といった具合であった。


 しかし、ここ最近は様子が違ってきている。

 ボーナス的な魔素の補給が頻繁に起こっていたのだ。

 そして今日も深夜の森を歩き――。


 不意に前方から響く、樹の枝が折れた鈍い音。

 ラウラは足を止めると、白金色の双眸を細めて様子を伺う。

 ぬぅっと闇の中でラウラより遥かに巨大な物体が動くのを見受け、同時に感じる『魔素』の気配。


「やっぱり居た……」


 いつも着ているブラウスの七部丈の袖下。瑞々しく白い二の腕から先、肘から指先まで漆黒の鱗で覆っていく。

 鋭利な刃物のように爪を伸ばし、感触を確かめるため腕を振る。鋭い風切り音が響く。

 白磁器ように美しい小さな角が左右二本、白金色の頭髪から顔を除く。

 黒翼こそ出さないが、完全に魔物の姿となるラウラ。

 暗闇の中、向こうも此方のことに気がついたようだ。

 警戒しながら近づく気配に、ラウラは人間の言葉ではない言語で問いかけた。


「ねえ、言葉、分かる?」


    ◇

 

 この〈人間界/オートピア〉でも魔物や精霊などは多数棲息している。

 多くはエネルギーに近い知能や意思を持たない存在であり、そのような脆弱な魔物たちは人に感知されることはない。なので人間社会に影響を与えるような事態は数少ない。

 しかし、古からの言い伝えや伝承には、その凶悪な力や凄惨な事件の記憶が残されていた。

 

 モンスターやアンデッド、レイスなどの肉体を持たない死霊たち、その形態や性質によって様々な呼び名で記されている。

 その中でも、人類を脅かす程の力を持った稀有なる存在―― 厄災級の魔物を『魔人』と称し多くの伝記に記された。

 そして、これに対抗するべく人類もまた対抗手段を古くから備えていた。

 退魔のために聖騎士や魔法士など、各国が国を上げて育成に取り組んでいる。

 しかしながら、その数は非常に少ないために国の中央に集められ、余程の脅威と認定されなければ表に出ることのない、一部の者しか知らない隠された存在であった。

 故に地方都市やその近隣の村などでは、聖騎士などは御伽噺(おとぎばなし)上の『英雄』であり、魔物などは『架空の存在』であり続けている。


 アルサス村の周辺にも、たまに悪戯を働くような微力な魔物は多く存在していた。

 また理由は様々ながら微弱な存在から成長し、人間を襲うまでになる魔物は意外に多いのも事実。

 ヤギや牛などの家畜が、村の中で遊んでいた人の子が、山に入った猟師が行方不明になる。

 こういった事件の大半は熊や狼など野生動物の仕業であるが、その何割かは魔物が関係していた。

 しかし、村人は知る由もない。

 

 そこでラウラは、村の守り手として、そんな魔物たちを狩る。

 村に移り住んだ当初は、自身の魔力を補充する意味合いが強かったが、人間として生きた六年間もの間に村人と関わる事で、その意識は大きく変わっていった。

 アルサスの村人や家畜に危害を与える存在、それはラウラにとって明確な敵となっていた。

 そして、それは自分だけが感知できる。それから彼女がとった行動は至極当然のことであった。

 

 害敵の排除――。

 

 皆の気が付かないうちに、一人で魔物の前に立ち悪意のある脅威と戦っていたのである。

 時には傷つくこともあり、勘づいたグスタフにその行動を止められたこともあった。

 しかし、自分にしか出来ないことと、養父へ心配をかけながらも秘密裏に戦い続けている。


 だが、ここ最近は様相が違ってきた。

 今までは、人や家畜に害をなす程の力を持った魔物は、年に数回しか現れることは無かったのに、ここ二〜三ヶ月では数十倍に増えている。

 しかも段々と魔力の波動が大きく強く―― それに比例し、魔物としての強さが上がっていたのだ。

 理由はわからないが、現在アルサス村の近郊は以前と比較にならないほど危険極まりない。

 それに加え巷で噂になっている野盗。人殺しの集団が潜んでいるかもしれない。

 そんな危険な状態の山中へヴィートたちは自ら進んで行こうというのだ。

 ラウラが思わず大声で制止するのも無理はない。

 そして今夜も強い魔物の気配を感知して、ラウラは単身戦いに赴いていた。


    ◇


「ねえ、言葉、分かる?」


 魔物の世界で使っていた言葉。なるべく刺激しないように声をかける。

 暗い茂みから此方を伺っているような視線を感じる。

 低い唸り声、警戒しているのだろう。ピクリとも動かない。

 もう一度、ラウラは声をかける。


「ねえ、あなたは私の言葉が分か――」

「ゴァララッララララ――」

 

 ラウラの言葉は、雷のような呻き声で塗りつぶされる。

 バキバキと太い枝が折られる音の後、暗闇の中から三メートルを優に超える怪物が姿を現した。

 明らかに魔物であり、人の姿や動物のそれとは違う。

 形容詞し難い『怪物(モンスター)』がラウラへ向かい殺意を撒き散らした。


「ヴゴァルルルルルルルルル――」

「メェェェ――――」

「ウォアオオオオオオオオオオオ――」


 鼓膜が震えるほどの咆哮。数頭の獣が絶叫した。

 けたたましい叫び声が静まり返った森中を揺さぶると、睡眠中の鳥たちは驚嘆(きょうたん)して、止まり木から慌てて飛び立つ。

 遠方では叫び声に呼応するように獣たちが吠えた。

 

 雨上がりの湿った地面を陥没させながら一歩二歩とラウラへ近くと、なぜ威嚇する咆哮が同時にいくつも聞こえたのかが理解できた。

 ラウラの身長より一メートル以上大きい身の丈。しかし人間で言えば頭部がある場所に同じような器官は見られない。

 全身を黒い靄で包まれているようなモンスター。

 横幅も太く幅も広い。まるで洋梨のような体に太く短い手足が生えたようである。

 そして体表を包む黒い靄の中から幾つもの頭部が露出していた。

 牛、ヤギ、羊、鹿、狼、熊、数種の鳥たち。

 さながら動物園のように多様な動物の頭部。

 それら全ては、この世を恨むように憎悪を瞳に宿し歯根を剥き出す。

 口からは涎を垂らし、呪詛のように唸りをあげていた。

 この魔物は、生き物を喰らい、その体内に取り込む種類のものだ。知性は感じられない。


「やはり言葉は理解できないか……」


 今回も言葉が通じないことで落胆する。言葉で分かり合えたなら―― ラウラは好き好んで魔物を殺したい訳ではない。しかし……。

 体表に咲く多数の頭部、これからも家畜を喰らう事だろう。

 人間社会へ間違いなく害を与える魔物だと推測する。……いや、たった今、人類に害する魔物だと断定する。

 

 気が付きたくなかった……。


 無数の頭部の中に明らかな人間の頭部、人面を見つけてしまったのだ。

 恨めしそうな顔の初老の男性は、苦しそうに涙を流しラウラを見上げていた。

 ラウラは己が魔力を解放し、多頭のモンスターへ戦闘態勢を取る。


「ここはあなたが居ていい世界じゃない…… デーモニアに返してあげる――」

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