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訪問者 2/マリウス

 陽の光が感じられない灰色の空、辺りは少しずつ暗闇に包まれつつあるアルサスの村に程近い山中。

 朝から続いていた雨は一時間ほど前から本降りとなり、今では木々に叩きつけられた水飛沫で前が見えない程の土砂降りとなっていた。

 そんな過酷な状況の中、木の枝も張り出し険しい獣道にも似た山道を、手を取りあって歩く二人。

 先を急ぐように進む二人は、雨具と言うべき大きめの外套(がいとう)を着込み、顔を隠すようにフードを目深にかぶっている。

 体格からして女性らしき小柄の方が、激しい雨音に遮られないように、すぐ横にいる相手へ大声を上げた。

 

「雨がだいぶ強くなってきましたね⁈」

「ああ! かなり酷くなってきたな! 暗くなってきたし…… 君は大丈夫かい?」

「はい。私は―― キャッ⁈」

「おっと⁈ ……危ない。足元がぬかるんできている。気をつけて」

「はい。……っ‼︎」

「どうした⁈ ああ……、足を捻ったか…… 私の肩に捕まりなさい」

「すみません……」


 (つまず)いた女を横から抱き抱えるように支える男。その背には、大きな荷物が背負われ、行商人とわかる格好である。

 

 しかしながら、街道からはかなり離れた山道を二人だけで歩いている。

 旅慣れた行商人でも、これはかなり危ない行為であり、通常では考えられない。

 特に夜の森は危険極まりない。

 ましてやこの雨の中、泥濘(ぬかる)みに足を取られて斜面を滑る落ちる危険がある。

 歩いていること自体が自殺行為に近く、また人を襲うような肉食獣は夜行性が多い。

 たった二人では大型の獣や数頭の狼などに狙われればひとたまりもない。


 しかし、そんな状況でも先へ先へと進んでいた二人であったが、この土砂降りの雨の中で女の方が怪我をした。

 流石に行軍を断念せざるをえなかった。


「なに、この雨と暗さだ。どうせ何処かでしのがねばならなかっただろう。――ほら、ちょうどあの切り立った崖に窪みがある。あそこなら雨もしのげるだろう。行こう」

「はい」


 男が支えるように、怪我をした女を抱き抱えながら先を進む。

 肩を組むように脇から持ち上げられ、見上げた横顔に思わず声をかける。


「あなた」

「ん? なんだい?」

「ありがとう……」

「よしてくれよ。さあ濡れた服を乾かして食事にしよう」


 たどり着いた崖の窪みは思いのほか大きく、天井高は百四十センチ位で多少低い感じはするが、奥行き三メートル、幅も四メートルほどあり、二人にとっては十分の広さであり格好の寝床となった。

 以前にも他の誰かがこの場所を寝床として使っていたのだろう。

 奥の壁際に焚き火用だと思われる木の枝が積まれており、火を焚いていた場所も積まれた石がそのまま残っていた。


「ありがたい。これを使わせてもらおう」

「よかったですね」

「ああ、全くだ。私は火を起こすから、エレーナ、君は濡れた服を着替えなさい」

「ええ、そうさせてもらうわ。マウリス、あなたも先に着替えたら?」

「私は大丈夫だよ」


 マリウスと呼ばれた男が背中から大荷物を地面へ置くと、乾いた地面が流れ落ちる多量の水滴を吸収した。

 背嚢(はいのう)から火起こしの道具を取り出し、慣れた手つきで早々と火をつけると薪となる木をくべて炎を大きくする。


「あまり湿気っておらず助かった……」

 

 置いてあった薪が思いのほか乾燥して火のつきやすい状態だった幸運をありがたく思い、更に薪をくべる。

 夏近くとなっても夜はまだ肌寒く、長時間も雨に打たれていたので体の芯まで冷え切っていた。

 

 火起こしを終えたマリウスも外套(がいとう)と濡れた衣服を急いで脱ぎ、紫がかったグレーの髪を乾いた布で拭き水気をとる。

 長身のマリウスは天井の低さに苦戦しながらも乾いた下着に着替えると、先に着替え終わっていたエレーナと焚き火の前で、二人体を寄せて暖を取ることとする。

 すでに周囲は真っ暗な闇に沈み、焚き火の先で照らされた雨粒がカーテンのように降りていた。

 しばらく体を温めてから濡れた衣服を火のそばにかけると、気が抜けて腹の虫が鳴いたエレーナは頬を赤らめる。

 「あら、恥ずかしい」と笑いながら明るい栗色の髪をかき上げ、エレーナも慣れた手つきで食事の用意を始める。

 といっても携帯用に持ち歩いている塩漬けの干し肉を切り分け、鍋に汲んだ雨水を沸騰させるだけであったが。

 干し肉のしょっぱさが疲れた体に染み渡り、お湯が体の芯から温めてくれた。


「ふ〜、温まるわね」

「そうだな。しかし、干し肉ももう無くなるな。他にはなにが残っている?」

「えーと、ナッツにデーツを干したものがちょっとですね」

「そうか。この近くに村があるはずだから何とかなるだろう」


 パチパチと焚き火の音が聞こえる程度に雨は少しずつ弱まってきたが、未だ岩肌へ染み込むように降り続いている。

 明日からの行動など、たわいも無い話をしながらお湯と干し肉で胃袋を満たし、二人はささやかな夕食を楽しんだ。

 暖かさと満腹感にどっと疲れが出たのか、エレーナに急激に眠気が襲う。双眸を細め大きな欠伸。


「ふぁーあ…… あら、ごめんなさい」

「今日も朝から歩き通しだったからね。どれ、薬を塗ってあげるから足をこちらに」


 口に手を当て笑うエレーナ。黄色みがかった茶色い瞳は、まるで向日葵のような虹彩をして見る者を明るくさせる。

 マウリスは優しく笑いながら、先ほどまで背負っていた大きな背嚢(はいのう)から目当てのものを探す――が、その目当ての物が見つからず、カバンの中身をある程度取り出さなければならなかった。

 数分ガサゴソと荷物との格闘を終えて、探していた薬を取り出した時には、周りに色々な薬や薬草が散らばっていた。


「あらあら、露店みたいに商品を並べちゃいましたね」

「ああ、捻挫に効く薬草の箱がずいぶん下に入っていたからね。他に何か悪いところはございますか?」

「いえ、結構ですわ」


 散らばった荷物を見渡し、頭を恥ずかしそうに掻いて戯けて見せるマリウスに、エレーナも合わせて笑い合う。

 さあ、こちらにとマウリスは手招きをしてエレーナへ足を出すように促すと、エレーナは靴を脱ぎ申し訳なさそうにその足を伸ばす。

 マウリスが様子を診ると、右足の足首が赤く腫れ上がっていた。


「……だいぶ腫れているね。痛みはどう?」

「っん⁈ ……捻ると痛いけど歩けないほどでは無いわ。薬草で冷やして包帯で固定すれば大丈夫よ」

「塗るから我慢して。冷たいぞ」

「――っ⁈ ……ありがとう」


 薬を塗り終わると、幅の広い丈夫な包帯でエレーナの足首を固定する。

 黙々と巻いていたマリウスが、その手を止めてぼそっと呟いた。


「……すまないな。こんな思いをさせて……」


 マウリスの謝罪にエレーナは目を丸くして驚くが、すぐに慈しむような柔和な笑顔でクスクスと笑う。


「もう。何度目ですか? 私は貴方といられて幸せなんです。今もこうして優しく怪我の手当てをしてくれてるじゃありませんか」

「いや、これは――」

「もうよしてください。私は貴方についていくと自分自身で決めたのです。もう気にしないでください。そして旅立つ前に言いましたよね。私が邪魔になったらいつでも捨てていってくださいと」

「――邪魔だなんて! そんなことする筈がない!」

「ほら……ね。 私はそう言ってもらえるだけで幸せなんです」


 エレーナは頭を下げて、自分の右足に包帯を巻いているマウリスの頬を両の手で優しく包む。

 やがて無言で包帯を巻いていたマウリスは、その作業を終えると、エレーナを抱き寄せ優しくキスをすした。


「ありがとう」

「私こそ…… ありがとう」


 エレーナはマウリスに抱きしめられると、安心したように目を瞑り、やがて眠りについた。

 そんなエレーナを優しく抱き抱え横たえると、消えそうになっていた焚火に木をくべ、炎を生き返らせる。瞬く間に炎は生き物のように脈動し高く燃え上がった。

 マウリスは立ち昇る炎を見ながら、思い耽るように、その炎の揺らめきをぼんやりと眺める。


「アルサスの村…… できればこの辺りには来たくはなかった……」


 パチパチと爆ぜる炭を長い枝で崩しながら、炎の中に浮かび上がるエレーナとの出会いを思い出していた。


    ◇


「――だっ、丈夫ですか?」


 深い森の中をフラフラと彷徨うマウリスに、一人の女性が呼びかけた。


「……なんだ貴様は?」


 傷ついている彼は、足元がふらつき、痛みに顔を歪める。手頃な樹木に背中を預けて声の主に振り向く。

 右手で押さえている腹からは、血が流れ続けている。

 全身ボロボロで血濡れの男に、声をかけた女性は慄きながらも、さらに震える声を出す。


「……いえ、かなり酷い怪我をしているんじゃ――」

「うるさい! 殺す――」


 マリウスは女性へ威嚇するように大声を出して―― そのまま気絶した。

 

 

 耳元で何か音がし、マリウスはうっすらとその赤い瞳を開ける。

 

「ここは……」


 見たこともない天井、そこへ覗き込むように女の顔が視界の端から現れた。

 

「安心してください。私の家です。貴方は気絶してしまって…… 覚えていますか?」

「……お前は―― ゴホッ……っ」

「あ、お水。お水を飲んで落ち着いてください」


 マリウスの口に水差しを当てがうと、かなり脱水をしていたのか、水分を求めゆっくりではあるが力強く飲み込んだ。

 水を飲みマリウスが一息つくのを待って、彼の口元をタオルで拭いながら女性が話しかけてきた。


「私はエレーナと申します。先日、母も亡くなって一人でこの家に住んでますので、どうぞ気兼ねないよう。何かあれば呼んでください」


 そう言うとそのエレーナと名乗った女性は部屋を出ていった。


(俺は一体…… ああ、そうか。あの聖騎士とクソッタレな魔法を使う奴に殺されかけて……)


 マウリスは少しずつ思い出す。


(そうだ…… 腹に風穴を開けたれて…… 何とか塞いだと思うが……)


 聖騎士につけられた傷を触って確認する。しかし体を動かせば激痛が走るので、あまり確認はできなかった。

 体を動かすことを諦めて、目だけでこの状況を理解しようとこの部屋を観察する。


(ふん…… 随分と見窄(みすぼ)らしい部屋だな。田舎の一軒家といったところか)


 次にマウリスは目を瞑り、自分の体内にある魔素を確認すると驚愕する。


(おいおい…… 殆ど無いじゃないか。これじゃあ傷も治らんし、力も使えんな…… あの女、エレーナと言ったか。あいつを喰らえば……)


 自分の力が無くなっている事実、焦燥感に駆られるマリウス。

 聖騎士たちとの戦いにより、ほぼ全ての力を消失したようだ。

 ならば、回復のために他者から奪うだけ。

 略奪などデーモニアでは当たり前のことであるが、ここはオートピア。それをやり過ぎて危険な奴らに命を狙われることとなったのだ。

 それに……、こんなカツカツの状態で魔素量も少ないたかが人間の女性一人を喰ったところで、何の足しにもならないことに思い至る。


(では利用したほうが得策……か)


 危険もなさそうと判断し、マリウスはエレーナの家でしばらく養生しながら力を取り戻そうと考えた。


 ――数年前にマウリスはデーモニアから落ちてきた。


 デーモニアでは、勝手気ままに生きていたヴァンパイアという魔物である。

 比較的若く、またその若さから好戦的で非常に高位の魔物として君臨していた。

 また彼自身がそうなのか、ヴァンパイアという種族がそうなのか、そのプライドの高さから他の種族とはなじまず、孤高の存在として名を馳せていた。


 ある日、いつもの様に目に付いた魔物を蹂躙していた。

 下等な者どもの悲鳴に愉悦を感じ、殺戮を楽しんでいたその時―― 突如として目の前の空間が裂け、周りの者と一緒に吸い込まれてしまう。

 

 そう、たまたま空間の裂け目に引っ張られ、訳もわからず気がついたら〈人間界/オートピア〉という別の世界にいた。

 

 マリウス以外は耐えることが出来ず、消滅するか死体が数体一緒に落ちてきただけで彼一人だけが瀕死の状態で生還した。

 空間の裂け目から次元を越えるのは体力・魔力が十分あったマリウスでもかなり辛く、ゴッソリと魔力を取られてしまったのだ。

 回復しようにもオートピアでは魔物に一番重要な魔素の量が圧倒的に少なく、かなり苦しい。

 そして今の状態で敵に狙われれば危険だ。なんとか身体を動かし、逃げる様に身を隠した。

 

 ――数ヶ月、息をひそめオートピアを観察し、時には実験をして得た確信と理解。

 全く理の違う世界に落ちてきたのだと。そしてそこに住まう者たちの事を。

 

 この魔力が枯渇した状態でも、周りにいる人間種とは圧倒的に力の差があるということ。そして、人間にも少ないながら魔素を保有していると言うことを。

 なら、話は簡単である。

 マリウスは他者の生命エネルギーを喰らうヴァンパイアである。

 片っ端から人間を襲い、生命エネルギーと一緒に魔素をいただけば良いだけである。

 また、エネルギーを得るため生き血を吸われた人間は大半がその生命を吸い尽くされ絶命するが、時折りレッサーバンパイアとなり、マリウスに付き従うものも誕生した。

 

 最初は慎重にことを進めていた。

 証拠を残さぬよう、町や村から外れた場所で人や商隊を襲っていた。しかし、元からの気性からか人間を侮り油断することとなる。

 

 やがて調子に乗ったマリウスは大きな街を一つ滅ぼすことになる。

 この件を重く見た当時のオルティア王国は、国を挙げてマリウスの討伐を決行することとなった。

 オルティア王国としても今まで魔物の被害がなかった訳でもなく、こういった非常事態に備え、対魔物の準備はしている。

 これはオルティア王国だけではなく、近隣の諸外国も同様に対魔物を想定とした軍事的な備えをしていた。


 マリウス討伐にあたり、王国で最高の魔法士と聖騎士を筆頭とした討伐隊の一団が派遣され、衝突した。

 激しい戦闘が繰り広げられ、それは近隣の村々を巻き込んだ厄災と語り継がれるほどで……。

 そして、とうとう追い詰められたマリウスは、半死半生で何とか逃げ切り、エレーネに発見されたのであった。


 

 バチンと一際大きい音を立てて炭が爆ぜた拍子に、マリウスは現実世界に意識を戻した。

 新しく焚き火へ枝をくべた後、隣で静かな寝息を立てて眠るエレーネへ柔らかな視線を送る。

 助けられてから数年が経つ。エレーネの顔にはシワも目立つようになってきた。歳としては四十を越えたところか。

 少し白髪が混じった栗色の髪を優しく撫でる。


「人間の女など…… 俺を魔物と知って付いてくるなんて…… なんて馬鹿な女だ……」


 エレーネがブルッと身震いをする。少し風も出てきたようだ。

 マリウスは自分の肩にかけていた毛布を取ると、寝息を立てるエレーネへ静かに掛けた。

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