訪問者 1/噂話
アルサスの村から望む、青々とした一面の草原。
山裾まで花々が競うように咲き乱れた春が過ぎ行き、束の間の夏がそこまで来ていた。
近ごろは雨が続き、お陰で草木は青々と生茂るが、恵の雨もこう続くと人間にはうんざりである。
この天候のため現場の仕事が出来ないグスタフたち職人達は、連日の休みとなっていた。
時刻はまだ昼を過ぎたばかりであるが、ヴィートは村に一つしかない宿屋の酒場に顔を出す。
少し大きめの木戸を抜けて濡れた帽子を取り、雨粒が浮かぶ服の上を手で払いながら店内を見渡すと、そこにはヴィート達と同じうように、暇を持て余した村人が多く集まっていた。
三十人も入れば満席のホールには素朴なテーブルが並べられ、木の実などの質素なツマミと、酒が注がれた陶製のマグや木製のジョッキを片手に陽気に語り合っている。
陽気に歌う村人越しに視線を送れば、店の左奥のテーブルにいつものメンバーが御多分に洩れず、既に席へ着いて一杯やっていた。
「おう、ご苦労さん。ソイニの爺さんは元気だったか?」
近づくヴィートに気がついたアルベルトが、労いの言葉と共にタオルを投げる。
軽く手を上げてタオルを受け取ると、顔と肩口を拭きながらグスタフの横まで寄り、手にしていた二つある包の内一つをテーブルに置いた。
テーブルにはグスタフ、アルベルト、ナータンが座り、既にほろ酔いである。
「足の調子はだいぶ良いみたいだよ。ただ、この雨だから外には出られないって嘆いていたよ」
「そうか、怪我の治りは良いようだな。上々上々」
グスタフはヴィートの報告を受けると、機嫌良く頷きビールをゴクリと煽った。
ソイニとはグスタフの近くに住む商人で、老いた今となっても現役で商売を続けている。グスタフにとっては、資材の調達などで世話になる重要なパートナーの一人だ。
そのソイニが事故によって怪我を負った。
連日の雨により緩くなった街道が崩れ、それに巻き込まれてしまったのだ。
事故の話を聞いてグスタフ達は、慌てて診療所へ駆けつけ―― 巻き込まれた際に足をしこたま挫いたが、命に別状はなく不幸中の幸いと当の本人は笑っていたので、ほっと胸を撫で下ろしたものだ。
あれから数日が経ったので、グスタフはヴィートに様子を見がてらお見舞いに行かせていたのだった。
「これ、お見舞いのお礼。奥さんが皆さんにって」
「おお〜、ミートパイか〜、美味そうだ」
ヴィートが貰った包みを広げると、早速ナータンが食いついてくる。
いつもはのんびりとしているのに、いざ食べ物に関することになると素早い。
早速ミートパイを嬉しそうに取り分けてると、自分の分をフォークで大きめにすくい上げて口に入れていた。
酒場だが特に持ち込みも問題はなく、昼間は作るのが面倒なので食べたいものがあれば持って来いと言うスタイルである。
今日も各々が家からつまみを持参して集まっていた。
「そうだ、荷運びの料金が上がるってさ。親方に言っておいてくれだってさ」
「……そうか」
先ほどまで柔やかであったグスタフの表情が、一瞬にして渋い顔に変化した。
「まあしょうがないですぜ親方。この長雨と最近噂になっている野盗の集団……」
「ん〜、俺も聞いているよ。最近になってこの近くでもよく出るって〜」
「そいつらのお陰で、いつもより厳重に警備しなきゃならないし。そうすりゃ警備に金がかかるんで当たり前のように運送料にも反映される。地方の村にとっては厳しいですぜ」
「ああ、たまったもんんじゃねぇな。全く、役人の奴らは何をやってんだか……」
大人達が何やら愚痴り出したので、ヴィートはそのテーブルを離れると、その様子を伺っていた若者達から声がかけられた。
「ヴィート! おう、こっちこっち」
ちょっと離れたテーブルからオリヴェルが手を挙げてヴィートを呼ぶと、ヴィートも笑顔でテーブルに着いた。
「雨の中、大変だったね〜。ソイニさん、どうだった〜?」
「ああ、元気だったよ。相変わらずくだらない冗談を言って奥さんに怒られてた。こっちにもミートパイあるよ」
「あはは、ソイニさんらしい」
「元気でよかった…… ミートパイ美味しそう」
テーブルにはオリヴェルの他、ニーロ、ミリヤム、ラウラともう一人落ち着いた雰囲気の女性が座っていた。
「お疲れ様ね、ヴィート。寒くはなかった?」
ヴィートに優しく声をかけ、ジャグというビール用のピッチャーからやや大きめの焼き物のマグにビールを注ぐ。
翡翠のように美しい緑から灰色へグラデーションする瞳を弓形に和らげ酌をする女性は、オリヴェルの婚約者のエステル・ルオナヴァーラ。
歳はオリヴェルより一歳上の二十二歳。
肩口までの緑がかったブロンドの髪をしており、細身のプロポーションと相まって多くの異性を魅了した。
性格も穏やかで包容力がありながら芯もしっかりとしている。
ラウラとミリヤムにとっては優しく頼れる姉的存在であった。
「じゃあ、ヴィトも来たことだし乾杯!」
「「乾杯!」」
いつもはヴィート、オリヴェル、ニーロの男衆だけで飲むのだが、今日はエステルも来るというので、ラウラとミリヤムも参加することになった。
乾杯もそこそこに、ニーロとラウラはミートパイにご執心だ。
ラウラがミートパイをせっせと取り分けると、ニーロが皆に配る。
食事の時はだいたいこのコンビネーション。要は早く自分たちが食べたいだけだ。
「ん〜、美味い〜! お袋のミートパイと違ってこれも美味いな」
「美味しい…… 確かにミルカおばさんのとは少し違う」
「何か隠し味が入ってるね〜」
「うん、でもそれが分からない……」
ラウラとニーロは、ミートパイについて何やら真剣に語り出したようだったので、他の皆は放っておく。
「しっかし、この長雨には参るなー。体も鈍っちまうし、何より稼ぎがないとな」
「そうなんだよなー、現場も中断されちゃって、金が入ってこないからな」
ヴィートとオリヴェルが長雨に恨み節をぶつけていると、ミリヤムが同調するように会話に入ってきた。
「本当よねー。稼ぎがないから、これじゃあ結婚なんかもできないわね」
「お、おい!」
ミリヤムの辛辣な冗談に慌てて突っ込むオリヴェル。しかし、もう一人の当事者のエステルは、のんびりしたものであった。
「あら、私は別に構わないわよ。食べる分には畑でもやればいいし」
エステルの言葉を聞いて、ドヤ顔になるオリヴェルへ顔をしかめるミリヤム。
そして、ため息をつきながらミリヤムがエステルに質問をする。
「何度も聞いてるけどさー、エステル本当にいいの? こんなのと夫婦になるんだよ?」
「おい! 兄貴に向かってこんなのとはなんだ!」
オリヴェルがミリヤムに非難の声を上げるが、皆一様にスルーをする。
「私も気になる……」
ミートパイにご執心であったラウラまで会話に参加してきたので、エステルはくすりと笑い答える。
「もう何度も言っているでしょ? 私はオリヴェルが好きよ。優しいし、私をいつも幸せにしてくれる。結婚するならオリヴェルとだと、ずっと思っていたもの」
「ええー、本当に?」
「本当よ」
「こんないい加減で、チャランポランで頼りない兄貴が?」
「うふふ、その辺は私がしっかりと〆てあげるから大丈夫よ」
エステルの告白に照れながら喜色満面のオリヴェル。しかし最後の一言に笑顔のまま素っ頓狂な声をあげる。
「――え? ちょっ――」
目の奥に冷笑を宿し、黒く微笑むエステルに皆が吹き出し、オリヴェルを除く全員が呵々大笑となる。
「あははは、お腹痛い。兄貴の顔といったら――」
「オリヴェル…… ご愁傷様〜」
「……エステル怖いな」
「流石エステル姉……」
皆にいじられて不貞腐れてしまったオリヴェル。
拗ねた婚約者にエステルは、ジャグからビールを注ぐと耳元で何やら囁いた。
途端にオリヴェルの表情は一変し、上機嫌でビールを煽る。
一部始終を見ていた四人は皆同じことを思う―― 『すでにエステルの手のひらの上で転がされているんだ』ということを。
他愛も無い話で楽しい時間は過ぎ、薄暗い雨雲のせいで分かり辛いが日も傾いてきた。
だいぶ酔いも進んだオリヴェルが、先ほどグスタフのテーブルでされていた会話を思い出す。木の実をひとつ摘んで話題を変えた。
「そういや例の野盗の集団。外国からの流れ者らしいって噂だぜ」
「ふーん、まあ、私たちオルティア王国はこのところ飢饉もないけど、北の方では食糧事情が厳しいって聞くしね。豊かな方に流れて来ても不思議じゃないわね」
「ああ、しかも俺たちの国とローグ王国は仲が良くないってんで、オルティア王国で盗賊を働いて、ローグ王国に逃げ込む。そうすりゃ兵隊は追って来られないからな。その逆もありで」
「いやいや、流石に国境超えは衛兵に見つかるでしょ」
「ん〜、無いとは思うけど…… その衛兵が仲間だったりしてね〜」
ニーロの言葉に皆が黙る。そもそも野盗などここ数年は聞いたこともなかった。
街道が大幅に整備され短縮された移動時間。馬車を使えば道中泊まることが無くなった。夜営などの危険がなくなったのだ。
またオルティア王国としても貿易には力を入れており、特にここロゴス近郊は貿易地の中心として、街道には各所に衛兵の関所が設けられ、盗賊対策には人も資金も多く投入していた。
それが、ここ最近は近隣の村々から聞かれる度重なる野盗の被害情報。
それは一般人であるヴィート達でも感じられるキナ臭い噂として、いつしか城塞都市ロゴス近郊ではまことしやかに語られていった。
「……さっきソイニさんから聞いたけど、ここアルサスに近いトゥルクルクの村はずれでも野盗の被害が出たって」
「おいおい、本当かよヴィト」
「うん、幸い死人は出なかったけど、トゥルクルクからロゴスへ向かう途中の毛皮と食料を積んだ荷馬車隊が襲われて、荷は全て略奪されたって」
「ええー、トゥルクルクの村はアルサスよりロゴスに近いじゃない」
「ちょっと怖いね」
「その話、お父さん達に伝えないでいいの?」
「ああ、親方達はもう知ってるよ。それにアルサスのお偉いさんや、もちろんロゴスの役人達も知ってるさ。俺はあまり言うなよと注意されて聞かされたんだ。他の村人を無闇に怖がらせるなってな」
「……なるほどな。合点がいった」
またしばしの沈黙。それを破ったのはオリヴェルであった。
「なあ、ヴィト、ニーロ。野盗の奴らを俺らで見つけに行かねーか?」
「なに馬鹿なこと言っているのよ! この馬鹿兄貴!」
「うん。ミリヤムの言う通り。危ないことはしないで」
オリヴェルの提案はミリヤムに瞬時に否定され、今回はエステルもミリヤムに賛成し婚約者を嗜めた。
「いやいや、俺も考え無しに言っているんじゃねぇ。トゥルクルクの村はここより村の位置が低いよな。ほら、北の森を突き抜けた崖からちょっと見えるだろ。野盗共がトゥルクルクの村を襲ったなら、ロゴスと反対方向のこちら側に根城を作るに違いねぇ。それを上から偵察しようって話よ。それに野盗を見つけたとなれば報償金がもらえるだろ。稼ぎの無い所にこりゃチャンスだぜ」
腕を組んで黙り考え込むヴィート。ニーロも食べる手を止めて考え込んでいる。
「駄目だよ⁈ そんなことは絶対にしちゃ駄目‼︎」
ホール中に響き渡るラウラの声。
何事かと酒場全体が一瞬静まり返ったが、特段何もないことが分かるとすぐに喧騒に包まれる。
しかし、ヴィートたち一緒のテーブルにいる者は瞠目してラウラを凝視する。
ラウラが声を荒げるなど余りないことなので、皆一様に驚きを隠せなかった。
「ラウラ――」
「やめてヴィト! 自分たちから危ないものに近づいちゃ駄目。それに……とても嫌な予感がする」
ラウラが横に座るヴィートの袖口を掴んで止める。それは頼み込むように必死な懇願であった。
「――ああ、わかったよラウラ。俺たちは危ないことをしないよ」
そう言ってラウラの頭を撫でるとラウラも落ち着いたようで、少し恥ずかしそうにして視線を逸らした。
「あんた達もわかったわね!」
本気で怒っているミリヤムとエステルに念を押されて、オリヴェルとニーロもコクコクと頷き、この話を終える。
だいぶ酔っ払っているアルベルトがヴィート達のテーブルに様子を見にきたが、オリヴィルは慌てて誤魔化すことでなんとかやり過ごした。
グスタフ達も酔いの限界に近かったので本日はお開きとした。
しとしとと未だ降り注ぐ糸雨。
店の扉を開けると雨粒で掘り返された土の匂いで噎せ返りそうになる。
千鳥足のグスタフの後に続いて歩くヴィート。その横顔を気付かれない様に伺いみるラウラは、胸騒ぎのようなものを感じていた。




