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日のあたる場所で 3/決意

 苦しそうな雌牛の鳴き声が深夜の牧場に響いた。

 ヴィートは素早く雌牛の出産準備に取り掛かるが、ラウラの真剣な顔を思い出す。


(ラウラは何をいうつもりだったんだろ……)


 思わずその手を止め思案の穴へ落ちるのを、ハッと気が付き頭を振った。

 今は目の前に集中することで、自分の中にある不安と期待を誤魔化すのであった。


 牛舎の外で火を焚く。

 漆黒の世界の中でパチパチと踊るように飛ぶ火の粉。まるで苛烈な蛍火が舞う幻想的な光景である。

 続けて湯を沸かす準備をしていると、暗闇の中からラウラを先頭に息を切らした老夫婦が姿を現した。

 ラウラがセーデルルンドとその奥方の手を引いて駆けてきたのだ。


「ちょっ――、ラウラちゃん、そんな―― 走らないでも―― 大丈 夫――」


 手を掴まれ、無理やり走らされた老夫婦は膝に手を置いて息を切らす。

 奥方の方は声も出せないように肩を上下させている。


「ばか! セーデルルンドさんの歳を考えろ」

「だって……」


 ヴィートが(たしな)めると肩を窄めて項垂れる。

 そんなラウラをセーデルルンドは整わない息で慰めるように優しく笑った。


「はあ……、まあまあ、ヴィートくん。ラウラちゃんも準備をしよう」


 三人が到着して二十分後、雌牛が今までで一番大きい呻き声を上げると、(せき)を切ったように大量の羊水が流れ出す。破水した。


「――っ⁈」


 ラウラが驚いて後ずさると、セーデルルンドはその背中を優しく支えて、落ち着かせるように教えてくれた。


「まだ破水しただけだよ。これから赤ちゃんの足が出てくる。そうしたら私たちで引っ張ってやるんだ。先ずはお母さんに頑張ってもらわないとだな」


 コクリと頷くと両手を握りしめてラウラは呟く。


「頑張れ、頑張れ」


 苦しそうな雌牛の呻き声が牛舎全体に響くと、いよいよ佳境に入る。

 先ほどより更に大きな鳴き声。

 雌牛の膣から大量の羊水と仔牛の前足がニュッと飛び出してきた。


「それ、ロープを掛けるからヴィートくんとラウラちゃんが引っ張ってくれ」


 セーデルルンドが素早く仔牛の前足にロープを結ぶと、そのロープをヴィートに投げてよこす。

 ヴィートとラウラに仔牛を引っ張るように指示を出すと、自分は仔牛の頭を出そうと膣に手を入れて探っていた。

 セーデルルンドの奥方も慣れたもので、湯を沸かし終えて、大量の布地を用意していた。


「ラウラ、合わせるぞ」

「うん、せーの!」

「よし、もう一回、せーの」


 どこかに引っ掛かっているのかなかなか出てこない。早く頭を出してやらないと死んでしまう。


「もう一度だ、せーの」

「よし! 頭が出たぞ。一気に引いてくれ!」

「了解! いくぞラウラ」

「せーの! キャッ――」


 どさりと仔牛が産道から落ちると、残りの羊水も一緒になって大量に噴出された。仔牛と一緒に転がった二人にも大量に降り注ぐ。


「うわっぷ、ペッ」

「うえぇー」


 反射的に顔にかかった羊水を手で拭うが、その手が汚れているため余計に汚くなる。

 ヴィートとラウラは汚れたお互いの顔を見合って笑いがこみ上げてきた。

 お互いの顔を指差して声を出して笑う。

 これも出産に立ち会った高揚感のためだろう。

 笑い合う二人の横では仔牛の体をペロペロと雌牛が舐めていた。


「生まれたんだね……」

「ああ、やったな」


 セーデルルンドの奥方にお湯で湿らせた布地を貰い、顔を拭きながら仔牛を見守る。

 仔牛は何度も立とうとするが、よろよろと転んでしまう。そして、とうとう座り込んでしまった。


「うーん、……ちょっとまずいな」


 首を傾げながらセーデルルンドが呟くのをラウラは聞き逃さず詰め寄る。


「どういうこと?」

「ん? ああ、自分でしっかり立てないとこいつは生きて行けないんだよ。出産後の最初の乳は仔牛の体を丈夫にするんだ。そいつを自分の力で飲めないことには長くは生きられん。可哀想だが俺たちは手を貸すことはできないんだよ」

「そんな…… せっかく生まれたのに」


 セーデルルンドの言葉は農場主の言葉として正しかった。

 仮に手を貸したところで、そのような仔牛は早死にするケースが多い。農場としては余計な餌代を増やすだけなのだ。

 生き抜くための厳しさを目の当たりにして、ショックを受けたラウラは目に涙を溜める。

 そんな彼女に強い声がかかる。

 

「なんて顔してんだよ。まだあいつらは諦めてないぞ」

 

 肩を落とした彼女の頭をぐしゃぐしゃと無遠慮に撫でるヴィート、泣くのは早いというようにラウラを前に向かす。


 そう、親である雌牛も諦めてはいなかったのだ。

 心配そうに自らの鼻先を使って仔牛を立ち上がらせようとする。

 何度も何度も。

 母牛の力強いサポートを受けて、座り込んでいた仔牛は再び己の足に力を込めた。

 プルプルと震える足で懸命に立ち上がろうともがくが、再びよろける。

 また転んでしまうのかと固唾を飲んで見守る四人の前で―― ついに仔牛は一人で立ち上がった。

 母牛はその力を振り絞り立派に立ち上がった我が子を愛おしそうに舐めて、自分の乳房へ誘導する。

 仔牛は覚束ない足取りで乳房を咥えると、驚くほど勢いよく母乳を飲みだした。

 まるで一口ずつ命の塊を飲み込んでいるように見えた。


    ◇


 白々と明るくなった空は、山間から顔を出した太陽により一気に生命の彩りを写す。

 後始末を終えたヴィートとラウラは一息つくように、湯を沸かした焚火のそばで休んでいた。

 セーデルルンド夫妻はもう一頭の産気づいた雌牛を見るために既にこの場にはいなかったが、奥方はミルクいっぱいの熱い紅茶を淹れてくれていた。

 勢いよく湯気のたつカップを包むように両手で持ち、ちょっとずつ飲み込む。

 熱い紅茶(ミルクティー)が体の芯を温め、今までの緊張と疲れを優しく解してくれるようであった。

 しばらく牛の親子を眺めていると、不意にラウラがヴィートへ体を向ける。


「ねえヴィト」

「ん?」

「さっき途中になった話…… 助けた理由を知りたいって」

「ああ、そうだったな。でも何でそんなに理由なんか知りたかったんだ?」

「……私にも分からない」

「何だそりゃ」


 ハハハと笑うとヴィートは紅茶を一口飲んでラウラの話を待った。


「私はヴィートに助けられる前は、生きることの意味がわからず、ずっと考えていた。本当に苦しくて楽しいことなんて一度もなかった。死ねば楽なんだろうけど、その意味を分からず死ぬのはとても怖くて……」

「今は生きることの意味ってやつを分かったのか?」

「……ううん。よく分からない」


 ヴィートが何かを言いそうにしたが、それを遮ってラウラは続ける。


「――でも! 分からないけど、今は生きているって感じている。意味や理由は分からなくても、自分がここに居て、皆んながいて、ヴィトがいて…… その中で生きているんだって。こんなの感じた事がなかったし、最初は分からなかったけど、これが嬉しい事だって思うの」

「そっか…… よかったなラウラ。 俺もラウラがいてくれて……」


 パチパチと残り火が爆ぜる音だけが二人を包み、その静寂の中でしばらく見つめ合う。

 やがて引き合うように互いの顔が近づいていき――。


「おーい、お前ら結局徹夜したのか?」


 オリヴェルの大声で手に持っていた紅茶をこぼすヴィートと、慌てて立ち上がるラウラ。

 今日の仕事のためにオリヴェルとニーロが丘の上から歩いて向かってきていた。

 二人が泊まった事が気になっていつもより早く来たようだ。


「ん〜? 何してたの〜?」

「な 何にもしてねーよ!」


 ニヤニヤ笑う二人と慌てるヴィートをよそに、ラウラはそそくさと毛布をたたみ帰り支度を済ましていた。


「じゃ、私は帰って寝るからヴィトはお仕事頑張ってね」

「え! マジか……」


 ひらひらと手を振ってラウラは農場を後にする。

 後ろでギャーギャーと煩いのは気にせず歩くが、耳は真っ赤になっていた。


(ねぇヴィト。本当はもう一つ言いたかったんだよ。あなたが連れて行ってくれた火祭りの日。何もかもが初めてで驚いたけど、一番驚いたのは貴方に背負われて感じたヴィトの体温。あの温かさに私は救われたんだと思う。そして貴方は私に名前を付けてくれた。そう、私は生まれ変わった。貴方は私の命を助けただけでなく私の魂までも救ってくれたんだね)


 小高い丘まで上がり後ろを振り返ると、ヴィートが手を振っていた。

 ラウラは手を振り返すと、その決意を口にする。


「だから私はなにがあってもヴィトを守るよ」


 太陽がヴィートの後ろから眩しく顔を覗かせると、ラウラの冷え切った体を優しく温めていった。

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