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日のあたる場所で 2/出産

 太陽も山の陰へ随分と前に隠れ、薄暗い中で急ぎ帰り支度を済ましたヴィートら一行。

 本日の作業終了を報告しに農場主のセーデルルンドの元へ行くと、その農場主がちょうど一頭の牛を引いて母屋に戻ってきたところであった。


「セーデルルンドさん、今日の作業は終わりました。明日には牛舎を完成する予定ですよ」

「おお、ヴィートくん。ご苦労様。明日も頼むよ」

「はい、では――」


 挨拶をして帰ろうとしたが、一緒に付いて来ていたラウラがセーデルルンドに話しかけた。


「あの、その子は? だいぶお腹が大きいけど」

「ああ、ラウラちゃん。この雌牛かい? もうお産が近くてね。今日か明日には子供が生まれそうなんだ。だから母屋の小屋の方に連れてきたのさ」

「やっぱり。子供が生まれるんだ……」

「あれ? いつも出産の時って母屋に連れてきましたっけ?」

「いや、今日は他にもう一頭おなじように出産前の雌牛がいてね。場所も人が足りないから母屋のほうに連れて来たんだよ」

「じゃ、じゃあ私、私手伝います!」


 思いがけないラウラの申し出にセーデルルンドもいささか驚くが、さらに驚いたのがヴィートであった。


「ラウラ、なに言ってんだ?」

「私、見てみたい! 子供が生まれるところ。手伝うからお願いします!」


 ラウラの嘆願に、セーデルルンドは快く返答をした。


「手伝ってくれるのはありがたい! でも良いのかい? 徹夜になるかもしれないよ」

「大丈夫」

「おいちょっと待てって」

「夕飯は温めれば食べられる。ヴィト、お願いやっておいて」


 帰ろうと言うヴィートの言葉にまったく聞く耳を持たないラウラ。

 彼女の中では、雌牛の出産を手伝うことは決定していた。

 どうしたものかと思案していると、帰ってこない二人を心配してオリヴェルとニーロも母屋へやって来た。


「おいおい、どうしたんだよ」

「早く帰ろうよ〜、腹へった……」

「ラウラの奴が牛の出産を手伝うって聞かないんだよ」

「本当かよ?」

「うん。手伝う」


 ラウラの鼻息が聞こえて来そうな勢いの返事に、やれやれとヴィートも諦めた。


「分かった。その代わり俺も一緒に残る。オリヴェル、うちによって親方に事情を説明してくれないか」


 ラウラを一人残すわけにはいかないと、ヴィートも一緒に残り手伝うと宣言した。


    ◇


「うううー、冷えるなぁ」


 小刻みに震えて、自分の二の腕を抱くように小さくなるヴィート。

 夕闇はさらに濃さを増して、寒さが静けさと共に広がっていく。

 先ほどまで空を覆っていた薄い雲は、いつの間にか消えて、大小数多の星屑が夜空を照らしていた。

 母屋の横にある牛舎では、腹がはち切れそうに膨らんだ雌牛が首を立たせて横座に座る。

 ピクピクと周囲を警戒するよう耳を動かし、時折激しく鼻息を鳴らす。吐き出された息が白い。

 悪戯に刺激しないよう小声でラウラはボヤく。

 

「もう。文句ばっかり。だから帰っていいって言ったのに……」

「なに言ってんだよ。お前一人を残して帰ったら親方にどんな目に合わされるか…… それにラウラ一人で残ったら親方が飛んできて連れ戻されてるって」

「……確かに」


 ラウラは少し考えて、ヴィートに同意すると乾いた笑いが出る。

 そう、グスタフはラウラに対して非常に過保護であった。

 過干渉と言って良いほどラウラに関しては、事あるごとに口を出してくる。

 はっきり言ってうるさい。

 最初は監視のためかとラウラは思っていたが、どうやらそれだけでは無いようだと感じると、どうもむず痒くて仕方がなかった。


「えっきしっ!」


 ヴィートが一際大きなくしゃみをすると、落ち着かない様子で座っている雌牛の首が大きく上下する。明らかに警戒している証拠だ。

 鼻を(すす)るヴィートへラウラが鼻紙を手渡すと、遠慮したように鼻をかむ。

 中を見ようとすると「汚い」と怒られたので、牛舎の床掃除をした際に小屋の隅に置かれた古い牧草とゴミの上に投げ捨てた。


「ほら、あの子がびっくりしてる。寒いならもう少しこっちに来なよ」


 ラウラが毛布を持ち上げて側に来るように促す。


「ほら、早く」

「お、おう……」


 なぜか顔を明後日の方に向けたまま遠慮がちに近づき、お互いの体温が感じられる距離に腰を落ち着かせた。

 これから出産を控えた雌牛に気を遣わせないよう、二人は部屋の隅で見守るように座る。

 まだこの季節の夜は寒く底冷えがすることを気遣って、セーデルルンドが用意してくれた防寒用の毛布。

 それぞれ一枚ずつ被っていたが、それでも寒いので二枚を一緒に重ねて包まることにした。


「やっぱり二枚重ねると暖かいね」

「ああ……」

「ほら、もうちょっとくっつかないと隙間ができて寒いでしょ」

「おお……」

「ほら、あったかい」

「うう……」

「なあに? さっきから変な声出して。変なの」


 ヴィートは自分でもよく分からないが緊張をしていた。

 

(オリヴェルのやつが変なことを言うから変に意識しちまうじゃねぇか。いいか、ラウラは妹だ。なにも緊張することはないんだ!)

 

 などと先ほどから自分で自分に言い聞かせて、必死に取り繕うとする。


「こうやって二人でいるのも久しぶりだね」


 ラウラが声を潜めて話しかけてきたので、不意をつかれたヴィートは少し動揺しつつも平静さを取り戻した。

 そして、ここ最近のことを懐かしむようにこちらも声を潜めて返す。

 

「ん? ……ああ、そうだな。いつも賑やかだからな」

「うん、どこへ行ってもみんな居るしね。アルベルトもナータンも家族連れていっつも家に遊びに来るし」

「おかげで俺の部屋なんか、俺の物より他のやつが置いていった物の方が多いぞ」

「ふふ、そうだね」


 雲ひとつない満天の星空の中、牛舎には灯りがないがお互いの表情も見えるほど明るい。

 換気のために設えられた屋根とほど近い窓から差し込む月明かりが、微笑するラウラをより美しく照らしていたため、ヴィートはその横顔に思わず見惚れてしまう。

 しばらく窓越しの月を見上げていたラウラから声がかかり、ヴィートの意識も現実に引き戻された。


「ねえ、前からね、一度聞いてみたかったことがあるの」

「んん? なんだよ改まって」

「うん…… あのね、私が助けて貰った日のこと覚えている?」


 ヴィートがあの日のこと、つまりラウラと初めて出会った日を忘れる筈もなく、今も鮮明に覚えている。

 勿論とすぐに応えそうになったがラウラの惨状を思い出し、ラウラが何を話すのか少し不安に駆られ口ごもる。


「……うん、覚えてるよ」

「そうだよね。ヴィートが見つけてくれたんだもんね」


 うんうんとうなずくラウラの横で、ヴィートは戸惑いを隠せない。

 一体何をラウラは聞きたいのだろうと。


「……なんでヴィトは私を助けたの? ううん。ただ助けるんじゃなくて、ずっと付き添ってくれていたの? お父さんだけじゃなく、アルベルトやナータン、ベッテル先生たちに聞いたよ…… ヴィトが寝ずに必死に看病してくれてたって。だから私は助かったんだって」


 ここまで一息に言うと、ラウラは白金色(プラチナブロンド)に輝く大きな瞳でヴィートの顔を覗き込んで続けた。


「初めて会った血だらけの子供。確かに助けるかもしれない。でもそこまで親身には普通はなれないよ…… ねえ、ヴィト。なんで?」


 ヴィートはいささか肩透かしを喰らったようにカクンと首を傾げる。

 不安に思っていたようなことは無いようだったので、少し気が楽になった。ただ、別の意味で話したくはないと思っていた。


「なんでって…… うーん、普通じゃないか?」

「ううん! 普通じゃないよ。 私もあれから色々と教わって常識も少しはある」


 真っ直ぐ見詰められ、話さないことには終わらないと諦める。

 ラウラは頑固なところもあるので、ヴィートも当時を思い出しながら答えることにした。


「……分かったよ。でもラウラにとっては気分の良い話じゃないかもしれないぞ」

「別に気にしないよ」

「分かった。……最初にラウラを発見した時は本当に驚いた。血だらけでボロボロだったしな」

「うん」

「とにかく助けなきゃと思ったよ。 ……違うな。このままだと死ぬ、死なせちゃダメだと、それだけしか考えられなかったのかな」

「うん」

「親方や皆に助けを求めて、ベッテル先生が来てくれたんだ。そのとき先生に言われたんだよ。死ぬかもしれないと。でも呼び掛ければラウラを呼び戻せるかもしれないってことも」

「そう」

「必死に呼びかけたよ。死ぬんじゃない、生きろって」


 話しながらゴソゴソと荷物を漁る。

 目当ての物、水筒を取り出すと、随分と冷えてしまった水を一口ゴクリと飲み込んだ。


「ラウラも…… 俺が親方に拾われて、引き取られたことを知っているだろ」


 こくりと頷くラウラ。


「俺も同じだったんじゃないかなって…… 事故の現場で拾われて、親方に先生の診療所に運んでもらって死なずに済んだんだ。あの時、血だらけのラウラを見て、息も絶え絶えなラウラと自分をダブらせたんだよ。 ……今思えば俺はラウラのことと言うより、当時の自分を助けたかったんじゃないかと思う」

「…………」

「うん、そうだな。今ならあの時なんであんなに必死だったか理解したよ。ごめんなラウラ」


 ヴィートからの謝罪の言葉を聞くと、かぶっていた毛布を投げ捨て膝立ちになり、語気を強めてヴィートに言い返す。


「ヴィトが謝ることなんてない! 助けてくれたことだけでも感謝してる。どんな理由にしたって私を助けてくれたことには変わらないよ。でも理由が気になって…… 私の方こそ、変なこと聞いてごめん。当時の私は人を助けるってことが理解できなかったの。今は皆んなのお陰で……」


 ラウラの勢いに驚いたヴィートが体ごと向き直すと、そこには間近に彼女の真剣な顔があった。


「私は――」

「モォオオオ〜〜〜〜〜〜」

 

 ラウラの震えるほどの決意を持った声は、雌牛の苦しそうな鳴き声で掻き消される。

 二人は慌てて振り向くと、雌牛が座ったり立ったり忙(せわ)しなく動きだしていた。産気づいた合図だ。


「雌牛がさっきから落ち着きがない。そろそろかも――」

「――⁈ 分かった。私はセーデルルンドさんを呼んでくるから、ヴィトは火を起こして。その子をお願い!」


 ヴィートへ雌牛のことを頼むと月明かりだけの夜道を駆け出した。

 胸の奥で鼓動がうるさい。

 

(私はヴィートに何を言うつもりだったのだろう……)


 自分でも分からず、嬉しさ、不安、希望、心配…… 多くの感情が入り乱れて頭の中はぐちゃぐちゃだ。

 走りながら首を大きく振り、大声で叫ぶ。


「今はそんなこと考えている場合じゃない!」


 口に出して言うことで、ラウラは混乱していた頭を切り替える。

 夜に溶け込むように彼女は全力で走った。

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