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間話 天寿を全うするということ2

 老爺との出会いから二十日余がすぎ、二人は雨の日以外は毎日広場のベンチで穏やかな時間を過ごした。

 当初はラウラから話すことは少なく、老爺の話を聞くことが多かったが、次第に少しずつ自分の話をするようになっていた。


「ヴィトがお風呂に入れって煩い……」

「おや? 風呂は嫌いか?」

「……面倒くさい」


 風呂といっても湯を張った浴槽は無く、洗い場で湯を沸かし、湯瓶から必要な分の湯を汲み体を洗う。

 その為、自分が使う分のお湯は自分で溜めなければならず、火を焚き大量の湯を瓶に移すのは結構な重労働だ。

 下宿しているグスタフの職人たちは当番制で行っているが、女性はラウラ一人なので自分で毎回自分でやらなければならなかった。


「ほっほ、確かに面倒じゃな。わしも好きではないわい」

「うん」

「でもな、そのヴィトとやらはお嬢ちゃんのことを想って言っているのじゃぞ」

「……?」

「汚れていると病気になるでな。それに、お嬢ちゃんは別嬪さんじゃろ。綺麗な姿のお嬢ちゃんが好きなんじゃよ」

「好き? 嬉しいってこと?」

「まあ、そんなもんじゃな」

「そう…… 嬉しい……」


 ここでラウラはあることに気が付くと、ちょっと怒ったように口を尖らせる。


「また見えてないのに私のことを別嬪って言った……」

「ほっほ、わしにはちゃーんと見えとるよ。美しい白金色の髪を靡かせた艶やかな美人の姿がの」

「……嘘つき。 帰る」

「ほっほ、気をつけての」

「また明日……」

「ああ、また明日も楽しみじゃわい」


 

 今日もラウラは昼ごはんを食べ終わるとそそくさと宿屋を出て行く。

 その様子を黙って見ている二人。

 珍しく昼食を宿屋で食べていたアルベルトが同じく戻っていたヴィートへ尋ねる。


「ラウラの奴。いつも何処かに出かけてるらしいな」

「うん、広場に行っているらしいよ。そこで話し相手ができたらしい……」

「お! ラウラに相手されなくて寂しいのか?」

「ばか! そんなんじゃねーよ!」

「心配なら仕事終わりに見に行けばいーじゃねぇか」

「心配なんてしてないよ!」


 そう言うとヴィートは残りのパンを口に放り込み、勢いよく水で流し込む。

 そして、残りの仕事を終わらせるために走って現場に向かった。


 

 いつものベンチに座るラウラ。今日もいい天気だ。

 今まで天気なんて気にしたことも無かったのに、老爺と話すとすぐ天気の話になるため、いつの間にか自分でも呟くようになっていた。

 足をブラブラとしてぼーっと老爺が来るのを待つ。


「遅いな…… 今日は来ないのかな。約束したのに」


 ブツブツと文句を言いながら周りを見渡す。

 すると多くの人が老爺の店の周りに集まりだしていた。

 いつもの買い物客とは何か違うようにみえる。

 ラウラはベンチを降りると、何かに導かれるように老爺の店の前まで歩いて行った。


 乾物屋の店先に着くと、いつもと違って商品が外に並べられていないことに気がつく。

 

(いつもは沢山の魚があるのに……)

 

 どうやら店は閉まっているらしい。

 だが、休みだというのに店の周りだけではなく、店の中にも多くの人が居た。

 中を覗くと、時折り泣いている人もいるが、多くの人が穏やかに笑っていた。

 しかし、その表情はどこか寂しげであった。


「おや? もしかしてラウラ…… ちゃんかい?」


 店内を覗き込んでいると奥の方から恰幅(かっぷく)の良い女性が近づきながら話しかけて来た。

 コクリと頷くと、女性は大層喜んでラウラを店の中に引き込んだ。


「あらあらあら、嬉しいね。来てくれたんだね。じいちゃんも喜んでるよ」


 ラウラは手を引かれ店の奥へと連れていかれると、女性の他にも色々な人から声をかけられる。


「おや、その子はどこの子だい?」

「この子が話していたラウラちゃんさ」

「おお、君がそうか」

「本当に別嬪さんだ」

「じいちゃんの妄想じゃ無くて本当にいたんだね」


 ラウラは戸惑いながら黙って女性に手を引かれている。


「最近さ、特に楽しそうにしてたんだよ。美人の友達ができたってね。そりゃあ嬉しそうに話してたもんさ」

「ああ、本当に楽しそうに君のことを話してくれたよ。いい歳して恋でもしたのかと思ったよ」

「しかし君がラウラちゃんか。もっと大きい女性だと思っていたよ」

「ああ、そうだな。綺麗な女性と言ってたからな」


 ラウラは自分の外見が幼くなっていることをもちろん知っているし、この世界では十歳ほどの少女であると認識している。

 老爺もラウラの小さな手や身長を、余り目が見えずとも知っていた筈なのに、子供だとは話していなかったようだ。

 決して大人の女性だとは思ってたはずは無いと疑問が残った。


 連れてこられた店の奥、頑丈そうな台座の上に大きな箱のようなものが乗っかってる。

 ラウラの身長では、中が見えないが箱から花が飛び出しているのは分かる。

 しかし、店の奥まで来ても老爺の姿が見えないため、ラウラは尋ねることにした。


「あの…… おじいちゃんは?」


 他の女性が小さな踏み台をラウラの足元へ置き、登って箱の中を見るように促す。

 言われたまま踏み台へ上がり、箱の中を覗くとそこには老爺が眠っていた。

 理解が追いつかないラウラは、しばらく固まった。

 花で埋め尽くされた棺の中の老爺を見つめて。


「いい笑顔で眠ってるでしょ?」


 先ほどの恰幅(かっぷく)の良い女性が、ラウラに大きく開いた白い百合の花を手渡して老爺の顔を撫でる。


「さあ、じいちゃんにお花をあげておくれ」


 花を手にしたまま固まるラウラへ、見せるように別の男性が老爺の棺に花をおいた。

 真似をするようにラウラも棺の中に花を置くと、『わっ』とその場が明るく賑やかになる。

 棺の縁に手をかけ、恰幅(かっぷく)の良い女性を見やる。

 

「おじいちゃん…… 死んじゃったの?」

「ええ、そうね。天国に召されたわ。ほら見て。何ともいい笑顔しているでしょう?」

「…………」

「じいちゃんの最後に会いに来てくれて、本当にありがとうね」

「何でおじいさんは笑っているの?」

「それはじいさんが天寿を全うしたからよ」

「…………てんじゅ?」

「そうねぇ、天から授かった命をこの世界で目一杯に生き尽くしたのよ。そして、天に召され、先に亡くなったお母さんと会えることを喜んでいるの」

「……そう」


 ラウラの頭の中は、とても混乱していた。死が嬉しい? 分からない。怖いものではない? 分からない……。

 よく分からないが、何故か聞きたくなった事があった。


「おじいさんは幸せだった?」


 恰幅(かっぷく)の良い女性がそれに答える。


「ええ、ええ。そうね。幸せだったと思うわ。私はじいさんの娘なの。そしてここに居るのがじいさんの子供と孫、ひ孫たち。こんなに大勢の家族を作って…… 私たちが小さかった頃はお店も大変だったと思うけど、いつも楽しそうにしていたわ。十分に長生きをして、家族に囲まれて。そしてラウラちゃんと出会えた。幸せだったに違いないわ」


 そう言いながら彼女の目の端には涙が溢れている。しかし、その顔は笑顔であった。



 教会へ行くために棺は男たちに担ぎ上げられ、家族と近親者は店を後にした。

 ラウラはそれを参列しない他の人と一緒に見送る。

 棺が小さくなるに連れて、ラウラの周りから一人また一人といなくなっていった。

 そして、一人となったラウラは、棺が見えなくなっても店の前から動くことはなかった。

 そんなラウラに後ろから声がかかる。


「乾物屋のおじいさん、亡くなったんだね」

「ヴィート……」


 いつの間にか後ろに立っていたヴィートが、棺の消えていった方向を見ながらラウラの肩に手を置く。

 

「知ってるの?」

「いや、話したことはないよ。前にラウラと話しているのを見た事があったんだ」

「そう……」

「いい人だって言うのはよく聞いたよ」

「そう……」


 同じ方向を見ながらしばらく黙っていると、ラウラが口を開いた。


「死ぬことは怖いことだと思っていた。今も怖い…… でもあのお爺さんの顔を見た。私は――」


 首を振り、言いかけそうになった言葉を必死で自分の中に押し込める。


(私は死にたくなかった。だから…… 生きる為に相手を殺した。いっぱい殺した。でも、私に殺された魔物も寿命があった筈だ。私がそれを奪ったんだ)


 今まで襲って来た相手のことなど考えたことも無かった。

 考えてもしょうがないと。

 だが、老爺の死顔を見たラウラは、自分がしてきたことの善悪に挟まれ揺らいでいた。


「胸が…… 苦しい……」


 弱々しい声で呟き俯くラウラ。

 しばらく黙っていたヴィートは、ラウラの手をぎゅっと握る。


「帰ろう。俺たちの家族のところへ」


 いつも賑やかで活気に満ちたロゴスの街。

 多くの人で溢れた大通りを歩きながら、ラウラは人気のない荒野を歩いているように感じていた。

 まるで過去の風景、デーモニアを思い出す。

 ただ一つ違うのは……。

 ラウラの手を引くヴィートの温もり。

 足取りの重いラウラを優しく引っ張るように、前を歩くヴィートの背中をただ黙って見つめていた。

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