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間話 天寿を全うするということ1

 火祭りの日から三ヶ月ほどが経過した初夏を感じさせる日差しの中、ラウラと名付けられた少女は、ロゴスの街をぶらぶらと歩いていた。

 少女が回復して落ち着いたのを見計らうと、ヴィートも仕事へ行くようになったので日中は至って暇であった。

 今日も特に行く当てなく、いつも通り昼食後の散歩がてら街を散策する。


 火祭りの日から程なくして傷が完治した少女デルグレーネは、正式にグスタフと養子縁組を結び、娘ラウラ・リーグとして家族に迎えられた。

 その際、グスタフより魔物であることを一切隠し、普通の人間として生活することをきつく念を押されている。

 行く当てもなく、力も戻っていない今の状態では、従う事が懸命だと納得しての約束であった。


 朝と晩、毎日続けられているヴィートの『授業』により人間の言葉もある程度覚え、読み書きも少しはできるようになった。

 社会的な常識もヴィートが知っている程度は身につけている。

 見た目的に十歳ほどの少女であるが、学習能力の高さから幾分年上の知力を有することとなる。

 この裕福なオルティア王国に住まう人間でも、言葉は話せても読み書きができない者は数多くいる。

 そういった意味では、ずば抜けて高い言語能力を有しているのであった。


 元は魔物であり、特に教育を受けていたわけではないが、生き抜くためには常にあらゆる物を吸収・学習し、進化をしなければならなかった。

 そのため、新しい環境に順応する能力も高く、今では何ら不自由なく暮らしていけている。

 幸か不幸か、凄絶な生き方が人間界へ落ちて来た今となってはとても役に立っていたのだ。


 そんなラウラであったが、新しい生活を楽しんでいるといったことは無く、むしろ戸惑いばかりであった。

 グスタフはぶっきら棒であるが、常に心を砕き先回りするかのように色々と考えてくれる。

 アルベルトやナータンも家族同様に接してくれている。

 そして、ヴィートは何よりもラウラを優先に考え行動してくれていた。

 

 今まで生きて来て、他人と一緒に生活することなんて一度もなかったし、何よりこんなに優しく世話をされたことは無かった。

 どう答えていいのか皆目分からない。


 衣食住も劇的に変わり、衣服は頼んでないのに女の子だからと数着も与えられた。

 ヴィートなど同じ服が三着あるだけなのに。

 屋根付きの部屋に柔らかい布団で寝ることなど無かったラウラにしたら、逆に落ち着かない。

 食事にしても、今までは(ろく)な物を食べてはこなかった。

 生きていく上では魔素を取り込めば、口から食物を取らなくても十分生きていけたし、たまに果実や肉など、気が向いた時に食したくらいである。

 しかし、この人間の世界で毎日出される食事は、今まで食べたことのない調理されたもの。しかも温かく美味だ。

 これだけでもデーモニアにいた時とは天と地ほどの違いを感じている。


 そして、何より今までは隠れるように暮らしていても必ず命を狙う者が現れ、襲われ追い立てられた。

 特に仲間や同族であった訳でもないのに、周りにいた者たちも襲撃に巻き込まれ殺された。

 巻き込まないよう、一人でいる事がほとんどであった。

 しかし、ここでは命を狙われることなど一度もない。

 なので闘うことも殺すこともない。

 こんな日々が続いている。

 

 最初に感じた恐怖はもう無くなっており、しかしながら、漠然とした不安だけは未だ心の奥底に暗い影として染み付いていたのであった。


「どうすれば…… いいのかな……」


 人通りの多い大通りから大きく開けた広場へ入ると、手頃な三人掛けのベンチに座りポツリと呟く。

 ここは火祭りの日にヴィートの背におぶさり演劇を観た場所であった。

 質素な木製ベンチに腰掛けて、あの時のことを思い出すと―― 胸の奥から温かいものがフワフワと湧き上がり何とも言えぬ気持ちにさせられる。


『ねえ、君の名前、ラウラってどうかな?』


 ヴィートが私に言った。

 最初は意味が分からなかったが、どうやら私に名前をつけてくれているらしいと理解した。

 デーモニアではいつしかデルグレーネと呼ばれていたが、それは私が知らないところで勝手につけられた通り名であった。

 だから私の名など本当は無かったのだ。

 

 デルグレーネ。

 その名で呼ばれる時は決まって戦いが始まる。なので、そう呼ばれるのが好きでは無かった。

 そんな名前をヴィートが書き換えてくれた。

 心の底から湧き上がる不思議な感情。

 それはラウラにとって今まで感じたことのない、新しく芽生えた感情であった。


 ラウラという名を与えられ、よく分からない感情で頭は夢現(ゆめうつつ)であったあの時、祭りのメインとなる(やぐら)に火が付けられ、大きな火柱が夜空に立ち昇った。

 天を焼くほどの大きな炎であったが、今まで見た炎では感じたことの無い、とても優しい美しさがそこにはあった。

 豊穣を祈る炎は広場を照らし、熱いくらいに燃え盛っている。

 いや、熱く感じたのはラウラを背負っているヴィートの体温を感じたからかもしれない。

 今もなおラウラの小さな胸には、ヴィートから伝わって来た心音と心地よい温もりを忘れることができなかった。


「私はここで――」

「今日もいい天気だのう。暑いくらいだわい。のう?」


 横からいきなり話しかけられラウラは白金色(プラチナブロンド)の瞳を丸くして声のかけられた方へ勢いよく振り向く。

 いつの間にかラウラの座っていたベンチに、老人が腰掛けていたのだ。

 

 今までのデルグレーネであれば、近づく者を瞬時に察知し、警戒を怠らなかった。

 だがラウラとなった今、『人間』を特別気にすることもなくなっていた。

 街には人が溢れている。気にするだけ疲れてしまうのだ。


「お嬢ちゃんは散歩かい?」


 白髪の腰が曲がった老人の男性。

 浅黒い皮膚には深い皺が刻まれており、彼の人生の長さを物語る。

 ニコニコとして穏やかな雰囲気の好々爺が、杖に両手を乗せて遠くを見ながら更に話しかけて来た。


「わしかい? わしも散歩の途中じゃ。散歩とゆうても、あそこから歩いて来ただけじゃがな」

「…………」

「ほれ、向かいに乾物屋があるじゃろ。あれはわしと婆さんの店じゃ。まあ、今は息子に譲って呑気にしとるがの」

「…………」


 ラウラが一言も返さないのを気にすることなく、穏やかな口調で一人の会話を続ける。

 

「昔はここいらも漁師町での。魚屋や塩問屋が数多くあったもんじゃった。わしのところは取れた魚や貝を干して、乾物にした物を今も昔も売っておる」


 そう言うと老爺は懐から茶色い皮袋を取り出し、魚の干物を摘み上げると口に放り込んだ。


「ほれ、嬢ちゃんも食うてみい。美味いぞ」


 皮袋から新しい干物を取り出すと、ラウラの小さな掌においた。

 それは飴色に輝く小さな魚の干物であった。


「甘く煮た小魚の干物じゃ。ほれ、美味いから食うてみい。食べれば元気も出ぞ。お陰でわしはこの歳でも元気一杯じゃ。ほっほっほ」


 手渡された小魚の干物をじっと見つめるラウラ。

 干物が置かれた掌と旨そうに食べている老爺を交互に見た後、老爺を真似して口の中に干物を放り込んだ。


「……美味しい」

「そうじゃろ、そうじゃろ」


 かかかと満足そうに笑うと、さらに皮袋から新しい干物を取り出しラウラに手渡す。

 それを黙々と食すラウラ。

 気持ちの良い風が広場を通り抜け、穏やかな時間が過ぎていく。

 二人は黙って、広場で遊ぶ子供達や商店で買い物をしている人たちを、ただ眺めていた。


「生きるって…… 生きることの意味って何?」


 突然ラウラが尋ねると、老爺は少し驚いたようであったが笑顔で答えた。


「ほっほっ、何とも難しいことを聞くのう。生きる意味のう。ん〜、意味などわしには分からんよ」


 困ったように渋い顔をしてラウラの相貌を覗き込むが、小さな少女の真剣な眼差しに一転して破顔した。


「妻を愛して、子を成して。精一杯生きて来たわな。生きる意味なんざ考えたこともない、ただ皆が幸せであれば良い。それだけじゃよ」

「……幸せ?」

「そう。わしは皆が笑顔でいることがいちばんの幸せじゃ。もちろん嬢ちゃんもじゃ」

「……私も」

「そうじゃ。中には金持ちになることや、有名になることが意味のある人生などと(ぬか)かす奴がおるが、わしからすれば何とも小さいことよ。地位や金で得られるものなんて空虚でしかない。そこに幸せがなければのう」

「私にはその地位も名誉も分からない。そして幸せってものも……」

「さっき食べた干物、美味かったろう?」

「……うん」

「それが幸せじゃよ」


 自分が幸せという感情を抱いていたことを指摘され驚くラウラ。


「お嬢ちゃんもあるだろう。美味い物を食べた時や人に優しくされた時に嬉しくなる。心が温かくなる時がの」

「…………」

「ちょっとした嬉しさ、楽しさなんかが小さな幸せなんじゃよ」

「……小さな幸せ?」

「そうじゃ。その小さな幸せを一杯集めれば、それが大きな幸せになるものよ。何も難しく考えることはない。何も考えず小さな幸せを目一杯集めてみい。いずれお嬢ちゃんの欲しかった答えが見つかるもんよ」

「……よく分からない」

「分からなくていいんじゃよ。今はまだ……の」

「そう……」


 そう言ってラウラはぴょこんとベンチから立ち上がると、ワンピースの裾をポンポンと軽く両手でなおして振り向いた。

 老爺に別れを告げようと振り返り、あることに気がつく。


「お爺さん、目が見えないの?」

「ん、ああ。あまり良くは見えんのう。歳じゃからな。だが、お嬢ちゃんの綺麗な顔はわかるぞ」


 目が見えないのに分かる筈がないだろうと思ったが、何とも惚けた老爺の人柄に毒気を抜かれ可笑しさだけが残る。

 ヴィートやグスタフとも違うが、どこか似ている優しさに心が惹かれているのが分かった。


「……明日もここに居る?」

「ん、毎日おるよ。このジジイの話し相手になってくれるのか?」

「……また来る」


 明日また来ることを告げると、老人を残してラウラはベンチを後にする。

 いつの間にか陽も傾きかけ、買い物や家路に帰る人で広場の前の通りは賑わいを増していた。

 ラウラは大通りに出ると、後ろを振り返る。

 雑踏の隙間から老爺が膨よかな女性に連れられて家路に着くのをしばらく眺め、自分も家路につくのであった。

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