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絡み合う糸 5/新しい世界

 デルグレーネは管理者との出会い、そして恐怖を思い出し、パニックに陥ってしまった。

 彼女は恐怖でベッドの上で暴れていたが、ベッテル医師によって鎮静剤を投与され、恐慌状態から抜け出すことができた。

 しかし、意識は回復していたものの、薬の作用で頭の中が鈍く感じられて、思考が遅れる。

  どこか意識の外のような感覚でグスタフとベッテルの会話を聞いていた。

 

(大柄な男に押さえつけられ、何か苦い液体を飲まされて……、あのまま殺されるかと思ったけど、どうやら違ったみたい……)

 

 未だ鈍い思考の中にいるデルグレーネは、それでも現状を理解しようと努めていた。

 目を細めて、気配を探る。

 どうやら部屋の中で寝かされているらしい。そして、先ほどからデルグレーネの頭越しに聞き覚えのない言葉が交わされていた。


 暫くして年寄りの方が不意に立ち上がり、そのまま部屋を出て行った。

 残された口髭の生えた屈強な体の男は、それを見送ると暫く黙って扉の方を眺めていたが、こちらへ振り向き横に座り――。

 そして不意に話しかけてきたのだ。


「よお、起きてるんだろ?」

「――⁈」


 驚いたことに、それはデルグレーネにも理解できるデーモニアの言語であった。

 聞き間違いだと思ったが、違うらしい。

 衝撃のあまり鈍っていた思考能力は回復するものの――。

 先ほどまでは理解できない言葉で話していた男がいきなりデルグレーネにも分かる言葉で話しかけて来たことに、驚きのあまり頭が追いついていかない。


「おい、どうなんだ?」

「…………」

 

 髪の色と同色の澄んだ白金色(プラチナブロンド)の瞳を見開き、グスタフへその美しい相貌を向ける。

 グスタフは首を少し傾げて、視線の合った少女へ再度投げかける。

 

「話せねぇのか? それともこれも分からねぇのか?」

「……分かる」

「……そうか、やはりお前は魔物ってことだな」


 喉が張りつき言葉の出にくかったデルグレーネは、掠れるような小声で返事を返す。

 グスタフは鉛色のため息をついてデルグレーネを見つめると、一呼吸置いてから話を続ける。


「お前さんはどうやってここに来たんだ?」

「分からない…… 殺されそうになって…… 空の割れ目に飛び込んで…… 気がついたらここで寝ていた」

「そうか」


 しばらくの沈黙。グスタフは何から話すべきかと思案をする。

 窓からは春の暖かい陽光が差し込み、部屋を明るくし照らしていた。キラキラと見えるのは舞い上がる埃だろうか。

 気が付かなかったが、そろそろ昼時、一段と街中の賑わいが増していた。

 騒がしくも活気のある喧騒を後ろにしてグスタフは口を開く。


「多分だが、お前さんは落っこちて来ちまったんだ。ここ人間の世界にな」

「……人間の世界?」


 デルグレーネは意味が分からず困惑する。

 だが、グスタフは気にすることもなく話を続ける。


「ああ、そうだ。人間の世界だ。お前が元に居た世界でも、俺たちと同じような種族を見た事があるだろう?」

「人間の世界? ……知らない。でもあなた達と同じような種族、エルフたち亜人なら見た事がある」

「そうか。ここはその亜人種が多くいる世界。お前が居た魔物の世界とは別の場所、別の世界だよ」

「別の場所…… 別の世界……」


 グスタフは頷き、デルグレーネが理解するのを待つ。


「……少しだけ聞いた事がある。他の世界から来たって話。でも嘘だと思ってた」

「どんなやつから聞いたんだ?」

「……思い出せない。でも亜人種に近い種族だったと思う」

「そうか。……お前はその亜人種達を殺したのか?」

「……覚えていない。けど亜人種は弱い種族だった。私を殺そうとする者がいたとは思えない」


 グスタフはデルグレーネの返答に違和感を覚え、更に質問をする。


「お前さんを殺そうとする奴はいたのか?」

「……沢山いた。来る日も来る日も私を殺そうと私を探しに来た。だから全て殺した」


 グスタフはデルグレーネに気が付かれぬよう、そっと自分の腰に手を回す。

 腰には仕事で使う工具がベルトにぶら下げられており、その中で愛用している手斧を握った。


「……でも、亜人種達みたいに弱い者は私を襲いに来なかった。だから殺してない……と思う」

「何故殺さなかった?」

「私を殺そうとしないから……」

「お前は襲われることがなければ他者を殺すことをしないのか?」

「……今はそう。だと思う…… 遥か昔から襲われて殺して喰ってきただけ……」


 デルグレーネの言葉を聞き、手斧から握っていた手を解くとグスタフは大きめのため息を吐く。

 表には出していなかったが、グスタフもだいぶ緊張していた。

 ほっと胸をなどおろすと全身が脱力し、抱き抱えるように椅子の背もたれに倒れかかる。

 グスタフの体躯にはいささか心細い貧弱な足をした椅子はギイギイと悲鳴にも似た音を立てた。


「さっきも言ったが、ここは人間の世界だ。お前の見てきた亜人種と同じように弱い者達が多くを占めている」

「……だから?」

「誰もお前を殺しに来るなんてないってことだ。安心しろ」


 デルグレーネは表情を変えることなくグスタフを見上げる。

 いや、眉が少しだけ八の字に下がった。信じてはいないのだろう。


「まあ直ぐには信じられんか。ただな、この世界は弱い者達が協力して必死に生きている。大きな力を持つ者がお互いを喰い合い殺しあう世界じゃないんだよ。だからお前も人間を殺さないと約束してくれないか?」

「……分からない。でも襲われないのなら殺さないと思う」

「そうか。今はそれでいい」


 グスタフはヨッと掛け声を上げて椅子から立ち上がる。


「行くところも当てもないんだろ。先ずは傷を治せ。そしてゆっくりでいいからこの世界を見て感じろ」


 デルグレーネはグスタフに傷を治せと言われて、初めて自分が手当てをされていることに気がついた。


「傷…… 戦いで受けた傷が手当てされている……」

「ヴィトの奴がお前さんを助けたんだ」

「ヴィト?」

「さっきいた男の子だよ。見なかったか?」


 顔をくしゃくしゃにして泣いていた亜人の子供のことを思い出す。


「彼がヴィト…… 私を助けてくれた……」

「ああ、そうだ。お前さんが血だらけで落っこって来たのを最初に見つけた子だ。さっきまで五日間もずっとお前さんの看病をしていたんだぞ。お前さんの命の恩人だ」

「……そう、命を救ってくれたの」

「そうだ。礼を―― と言ったって言葉が通じねぇな。……よし、ヴィトの奴に看病しながら言葉の勉強もさせるように言っておく」


 デルグレーネは目を瞑るとグスタフに告げた。


「とても眠いわ…… でもその前に二つ教えて」

「ああ」

「貴方は種族も違う別の世界の者…… なんでしょ。私たちの言葉を話せるのはどうして?」

「ああ、俺は人間で魔族とは違う世界で生きている。言葉は…… 昔、お前さんみたいな魔族と知り合いになってな。その時に習ったのさ」

「そう。なんで貴方達は私を助けたの?」

「……それが人間てもんだからだ」

「……そう」


 一言だけ残し、デルグレーネは静かに眠りに落ちた。

 多く話し、体力的にも限界が来たようだ。

 ただ、その眠りにつくその表情には、どこか腑に落ちないといった感情が滲み出ていたようにグスタフには感じられた。


    ◇


 デルグレーネが目を覚ましてから十九日目。

 街は『ロゴスの火祭り』当日となり、朝から祭り特有の熱気に包まれた雰囲気が充満していた。

 早朝にも関わらず多くの人々が忙しく、そこかしこと動いている。

 デルグレーネは体を起こし、ベッドのヘッドボードにもたれかかりながら、閉じられた窓の隙間から差し込む朝の日差しと共に聞こえてくる楽しげな街の声をぼんやりと耳にしていた。


「おはよう。気分はどう?」


 コンコンと扉をノックをして入って来たのは、楽しげな笑顔を湛えたヴィート。

 その手には湯が張られ白く湯気の上がるタライと清潔なタオルを持っている。

 朝食の前にデルグレーネの体を拭き、傷口に薬を塗り新しい包帯に交換する事はすでに日課となっていた。

 今では、肩に大きく穿たれた傷以外のほとんどがその跡も分からないほど治癒されている。

 信じられない程の速さで回復する彼女に皆は驚いたが、ベッテル医師の『見た目以上に傷が浅く、幼いから傷の治りが早い』という説明を受けて安心したものだ。


「今日もいい天気だよ。い い 天 気」


 少女の顔を覗き込むようにして、一言づつ区切りながら話しかける。

 少女の顔色を確認したヴィートは、床にタライを下ろし、閉まっていた板の雨戸を開放した。

 続けて窓も外側へ押し開くと、眩しいほどの日差しが朝の爽やかな空気と共に部屋に流れ込んだ。

 その光に照らされたヴィートの笑顔は、より一層輝いて見えた。


 いつもの通り包帯を巻き終わると、ちょっとした語学の勉強を開始する。

 まだ数日かしか経っていないが、少女は少しずつ理解しているようで、皆も驚いている。

 アルベルトが『どこか遠くの場所で奴隷となったが、その前に十分な教育を施されていたのではないか』と憶測の域を出ない話をしたが、彼女の学習能力の高さに何時しかそういうストーリーが出来上がってしまった。

 なので少女は、『酷い奴隷商から逃げて来た異国の少女』から『酷い奴隷商から逃げて来た元は裕福で哀れな異国の少女』とランクアップされ、秘密裏に保護されることとなった。


「凄いなー! 本当に直ぐに覚えていく」


 薄い板に絵と名称が書かれた幼児用の言語習得カードを手に、ヴィートは思わず感嘆の声を漏らすと、嬉しそうに次の問題を選ぶ。

 ちなみにカードは手先の器用なナータンがヴィートを手伝いながら作った自作。

 売っていてもおかしくない出来栄えに、ヴィートも気分良くカードを出す。


「じゃあ、これは何?」

「……うま…… ば しゃ」

「そう正解!じゃあ次は――」


 いつも以上に落ち着きがなくテンションの高いヴィートに、デルグレーネは思わず言葉を挟む。


「ど う?」


 どうした? と不思議そうに小首を傾げて見つめる少女の質問の意味が分かると、ヴィートは照れたように笑いながら頭を掻いた。


「今日はこの街でお祭りがあるんだ。この近辺じゃ一番でかいお祭りがね」

「おま つ り?」

「そう、お祭り! 五穀豊穣を祈願して、広場にある大きな櫓を燃やすんだ。出店もいっぱい出て――」

「……?」

「分からないよな。――そっか、直接見ればいいんだ! 親方に聞いて大丈夫だったら行こう」

「……?」

「あ、もうこんな時間だ。朝飯食べ損なっちゃう。直ぐに持ってくるから待ってて」


 ヴィートは話すだけ話して慌てて扉から出ていく。

 そして少女の食事を手にして直ぐに戻って来た。


「さあ、早くご飯を食べて勉強の続きをしよう。今日は外に出られるかもしれないし」


    ◇


 デルグレーネは戸惑っていた。

 自分の姿が小さくなっていること、魔力が枯渇していること、魔力の補充がままならないこと……。

 それらだけでも十分に異常事態であるが――。

 今まで生きてきた世界とは別の世界に飛ばされたという。こればかりは信じることができなかった。

 グスタフという男と話をし、ここは安全だと、襲われるようなことはないと言われた。

 しかし、そんなことを直ぐに盲信できるほど魔界で生き抜いてきた年月は短く無い。

 いつか自分を狙って魔物が襲ってくると考えていた。

 そして目覚めて三日目の深夜、皆が寝静まった頃にグスタフが一人でデルグレーネの寝室に現れた。


「おい、碌に飯を食ってないみたいじゃねぇか」

「…………」

「ヴィトの奴に対しても威嚇するように拒絶しやがって」

「……殺さないとは言ったけど、言う事を聞くとは言っていない」

「まだ疑ってるのか?」

「…………」


 後ろ手に締めた扉へもたれ掛かり、大きなため息を吐いてグスタフは続けた。


「お前な、殺すなら一番弱っている時に殺すだろ。なんで殺そうとする奴を回復させるバカがいるんだ」

「……何か理由が――」

「ねえよバカ。いいか、明日の朝からしっかりと飯を食え。そしてヴィトの言う通りにしろ」

「なんで――」

「お前は命を救われたんだ。言うことを聞け! それが嫌なら今のうちにとっとと出ていっちまえ」

「…………」

「分かったか?」

「……分かった」


 結局グスタフに押し切られて、次の朝から出される食事を食べることにした。

 しかし、これが彼女の生涯最大の衝撃と言っていいほどの事件となる。

 ヴィートがスープをスプーンで(すく)うと口元へ運ぶ。

 なんの表情を作ることなく、小さく薄紅色の唇を開くと、流し込まれた液体を恐る恐る飲み込む。

 ――雷に打たれたような衝撃。思わず瞳が最大に開いた。

 

(美味しい! 何これ! こんなの今まで食べたことがない!)

 

 余りの衝撃に朝日のように金色に輝く瞳が見開いたまま固まる。

 半開きの口は更なる刺激を求め、大量に唾を溢れさせた。

 もう一口とヴィートがスプーンを口元に近づけると―― 勢いよく食いつく。

 それからはまだ痛みの残る右腕でスプーンを奪い取り、自分でスープを(すす)り、あっという間に完食してしまった。

 実際、普通の病人食なので通常より味も薄く、お世辞にも旨いとは言えない食事。

 しかしながら、デーモニアでは調理された料理など味わったことの無かったデルグレーネにとっては極上のご馳走であった。


 腹も満たされると気も緩む。

 ヴィトという少年が何やら絵の書いたカードを見せながら、同じ言葉を何度も繰り返す。

 ああ、言葉を教えるとか言っていたなと思い出し、最初は無視をしていたが気紛れから相手をすることとなった。

 これもまた教わることなどなかったデルグレーネには、新鮮で楽しいと思える感情が芽生えていた。

 覚えることも楽しくなり、嫌々なふりをしつつも貪欲に学習をしていく。

 何よりも覚えるとヴィートがなんとも言えない笑顔で喜んでいるのが分かり、今まで感じたことのない何か変な感情が湧き起こっていた。


 そして今日も美味しく食事を頬張りつつ、「これでいいのかな?」と考えていた。

だんだんと読んでくださる方が増えてきて嬉しいです!

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