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絡み合う糸 4/献身

 一筋の光もない真なる暗闇の中、デルグレーネの五感は消え去り、身体は精神と混ざり溶けていく。

 空を切り裂くような凄まじいスピードで飛んでいるかのような……、あるいは雄大な大河へ身を任せて浮かんだり沈んだりしているような感覚。

 暑さや寒さはなにも感じない。

 それは悠久の時を過ごしたかのようでありながら、しかし一瞬だったたかのような不思議な感覚。


 デーモニアの戦場にて、突如として目の前に現れた管理者から逃れるために、時空の裂け目へ飛び込んだデルグレーネ。

 彼らが通ってきた裂け目へ勢いよく滑り込んだが、そこは右も左も上も下も感じられない無重力のような漆黒の世界が広がっていた。

 自分が外界から完全に切り離されたことを感じ取ると、時をおかず意識が混濁した。

 それは魔力が枯渇し動く事さえギリギリの状態であった彼女の活動限界からか、はたまた時空の間がそうさせるのか。

 

 暗闇に溶けていく…… 溶かされていく……。

 まるで自分の魂が細かな粒子となり、少しづつ少しづつと散ずる。

 もう感じることも思考することさえもできなくなってきた。

 消える…… 私が消える……。


 全てを放棄して、目蓋をゆっくりとおろす。どうせ見えなのだから。

 漆黒と無音の世界にデルグレーネはどっぷりと飲み込まれ、やがて分解されて溶けていく。


 …………⁈

 

 突然戻ってきた感覚。

 先ほどまで感じることのなかった精神の外殻。

 それは頭と胴体、手足、指を形成し肉体へと変化していく。

 やがて肉体が形取られると、先ほどまで感じることのなかった重さを感じるようになった。いや、尋常では無いほどに重く感じる。

 体全体を押さえつけられて下へ下へと引っ張られるような気持ち悪さ。

 まるで幾千の手が首、胸、腹、腕へ絡みつき、深い沼の底まで引き込まれているようだった。


 ――永遠とも思えた落下が止まる。

 

 不意に左手に熱いものを感じた。二度、三度と熱湯を垂らされているような熱さが手の甲に感じる。

 しかし、不思議とその熱さは優しく包み込むような温かさへ変わる。

 あれ? なにを考えていたんだっけ?

 何か夢を見ていたような気がするが、見ていない気もする。

 何も思い出せないし何も考えられない。

 

 ただただ眠い…… でもこれは?

 

 手の甲に感じた不思議な熱さを確かめるように瞑っていた目蓋を開く。

 染み入るほど眩い光が瞳に焼き付き、軽い目眩を引き起こす。

 眩むような眩しさに双眸を細めて耐えていると、ぼんやりと視界が戻ってきたようだ。

 やがて眼前にキラキラと輝く一筋の糸のようなものが垂れ下がっていることに気がついた。

 

 どこから垂れてるんだろう……。

 

 その白く輝く糸を視線を上げて様子を探るが、眩い光の中で永遠とも思えるほど先まで伸びている。

 どこまで続いているかわ分からない。しかし、その先には不思議と経験した事のない安らぎを感じる。


「――――ろ。――い。――――きろ」


 先ほどまで音一つなかったこの世界で、初めての音が聞こえた。

 音⁈

 いや、これは声?

 何を言っているの?


「――ぬな! 生きろ‼︎」


 聞こえた! 確かに聞こえた!

 私を呼んでいる声が聞こえた!


 爆発が起きたように、今まで聞こえなかった鼓動が飛び跳ねる。

 それはエンジンのように唸りを上げ、全身へエネルギーを運んだ。


 左手が動く。

 考えての行動では無い。何も考えず糸へ手を伸ばしていた。

 掌全体で垂れ下がっている糸を掴むと、糸は意思を持ったように掌から腕まで絡みついてくる。

 糸が十分に巻きつくと、体重の重さなど感じさせることもなく軽々と引っ張り上げられる。

 それは徐々に加速していき、最後には信じられないスピードになって駆け上がっていた。


 眩い真っ白な世界は途中で消えて、まるで万華鏡のように様々な世界が広がった。

 多重となる空や海や大地の風景、様々な人々や魔物たち、動植物の営みの様子が織りなす世界を凄まじいスピードで駆け抜けていく。

 それはあらゆる世界の一部分を切り取り、全く違う場所、全く違う時代を張り合わせたような異様な世界だった。

 しかし、デルグレーネには見事に調和しているように感じられた。

 何故そう感じたのかはわからない。ただただ単純に、心からそう思った。

 

 スピードはさらに加速される。

 幾千の世界は、その姿がぼやけ視認できないほどの速さで通り過ぎていく。

 やがて周囲の景色には色彩がなくなり純白の世界が広がった瞬間、デルグレーネは意識を取り戻した。

 

    ◇


 光を感じ、ゆっくりと目蓋を開けると、見たこともない風景が目に入ってきた。

 双眸を薄く開けたまま意識の覚醒を待つ。

 まだ意識ははっきりとしないが、ここがどうやら室内のようだと感じ取った。

 視界はぼやけており、体を起こそうとするが上手く動かない。

 試しに力を入れて動くと、全身に激痛が走った。

 あまりの痛みに呻きながら、再び静かに双眸を閉じた。

 

(私は…… どうなってるの……)

 

 デルグレーネは意識を取り戻したものの思考は朦朧(もうろう)としており、記憶すらはっきりしていない状態だった。

 まるで強い麻酔でも打たれたような、意識の混濁と虚脱感が襲っていた。


「******。***。****――」


 それにしても先ほどから煩い……。

 耳元で何かを喚かれているようだが、何を言っているか分からない。

 

(頭に響いて痛いから静かにして…… ああ、私を威嚇しているのかな)

 

 威嚇してくる相手を確認するために目蓋を薄く開けると、煩く喚いている声の元へ目線だけ動かした。


「――――***! ****――! ****――!」


(亜人の子供? なんで泣いて――)

 

 薄く開かれた瞳に飛び込んできたのは、顔をかなり近づけて彼女の手を握る少年の姿。

 デルグレーネは、目の前の光景が理解できない。

 

(なんで亜人の子供が泣きながら顔を覗き込んでいるんだろう)

 

 その子は何やら喚いたと思ったら、急に立ち上がって走り去ってしまった。

 

(ああ、殺されるとでも思ったのかな……)

 

 なるほどと自分一人で納得すると、今の状況を整理しようと努める。

 そして、少しずつゆっくりと記憶が蘇る。


(そうだ…… 私は魔物の集団に囲まれて…… 凄く強い人と戦って……)

(その後……)

(天を割って――)


 管理者のことを思い出した途端、頭に掛かっていた(もや)は一気に吹き飛び、意識が完全に覚醒した。


「あいつらが―― 私――を 殺しに――」

 

 殺されかけた記憶がフラッシュバックし、早鐘のように打たれた鼓動は胸を突き破るかのように激しく踊った。

 身体中から嫌な汗が一気に吹き出ると、呼吸もままならなくなる。

 デルグレーネは極度の恐怖を思い出し、パニックに陥ってしまった。


「うああああああああああ――!」


    ◇


 少女を保護して五日目の朝。

 ヴィートは自分の朝食もそこそこに済まし、少女の部屋へと向かう。手には新しい包帯と湯を貼ったタライを持って。

 彼はこの五日間、献身的に少女の看病をしていた。


「今日も目を覚まさないのかな……」

 

 高熱にうなされ、日に日に衰弱していく少女をなんとか助けようと今日も必死に世話をしていた。

 グスタフからも、『仕事はいいから少女の看病をしろ』と言われている。

 だが命令だからではなく、自分の意思でやっている。

 

 傷口の包帯を取り去り、傷薬を塗り込んで、真新しい包帯を巻いた。

 看護師のイェシカに教えて貰った手順、ここ数日でだいぶ手慣れたものだ。

 包帯を取り替え終わると、いつものようにベッドサイドの椅子に腰掛け、吸い飲みで口に水を含ませたり、額に乗せている冷やしたタオルを交換するなど、甲斐甲斐しく看病を続けていた。


 昨日と同じように朝の手当てを終え、窓から入ってくる街中の喧騒を聞きながら少女の寝顔を眺めていると――。

 

(あれ? 顔色が……)

 

 元々白く透き通るような肌色が、今は殊更に青白く蝋人形のように血の気が引いていた。

 よく見るとじんわりと額に汗をかいている。

 暫くすると少女の呼吸は酷く浅く小さくなっていく。

 直感的に危ないと感じたヴィートは、すぐさま食堂まで降りていった。

 グスタフとナータンは一足先に現場へ出たようだったので、まだ食事中にあったアルベルトにベッテル先生を呼んで来てくれるように頼むと、すぐさまベットに戻って少女の小さな手を握って語りかける。


「頑張れ! 死ぬなよ! 生きるんだよ!」

 

 何度も何度も繰り返し少女に語りかける。

 しかし少女の呼吸は更に小さくなり、顔の血の気も完全に引いていって屍人のそれとなる。


「――だめだ! 死んじゃダメだ! 目を覚ませ! 生きろ!」


 いつしかヴィートの目には涙が溢れ、両手で少女の小さな掌を握ると神に祈るように自分の額に押し付ける。

 涙がこぼれ、握った手に流れ落ちていく。


 もうダメだ…… そう思った矢先、ぎゅっと握ったその手を握り返すほんの少しの力を感じた。


「――⁈ そうだ! 頑張れ! 戻ってきてくれ」


 少女の顔を覗きこみながら必死に呼びかける。

 すると少女はヴィートの必死な呼びかけに答えるよう、その目蓋をうっすらと開いた。


 やがてどたどたと大きな足音が少女の浅い呼吸音しかしない室内へ響く。

 床板の軋む音が急いで階段を駆け上がる様を教えてくれる。アルベルトがベッテル先生を呼んで来てくれたに違いない。

 ヴィートは椅子を倒すほど勢いよく立ち上がると、扉を開けて駆けてくる足音の元へ走った。


「先生ー!」

「おお、おはようヴィト。今どんな具合じゃ」


 階段下の廊下で出会すと、足を止めること無くそのまま歩きながら話をする。


「いきなり呼吸が弱くなって……」

「そうか。今は?」

「先生のいった通りずっと話しかけたんだ。死ぬなって…… でももうダメかと思ったら、少しだけ目を開けたんだよ!」

「そうか。よくやったな。ヴィトよ」


 ベッテルはヴィートの頭を荒っぽく撫でると、開いたままの扉をくぐり少女のベットまで足早に歩いていった。

 ヴィートと看護師のイェシカも続き、最後にアルベルトも息を切らせながら大きな鞄を担いで部屋に入った。


 ベッテルは薄く瞼を開けている少女の横に腰掛け、容態を診ようとしたその時、少女は双眸を見開き大声でいきなり叫び出した。


「うああー!ああああああああ――」


「こりゃいかん。イェシカよ、鎮静剤をくれ。アルベルトは、この子を抑えてくれ」

「はい!」

「分かりやした!」


 何かに取り憑かれたように首を振り叫び声を上げる少女、ヴィートは呼吸をするのを忘れるくらい驚き瞠目する。

 美しい白金色(プラチナブロンド)の髪の毛が振り乱れる様を呆然と立ち尽くして。

 ベッテル医師の指示より、すぐさま暴れる少女をアルベルトが優しく押さえつける。

 イェシカは医療器具の入った鞄から鎮静効果のある薬草を煮出した液体をベッテルに手渡した。


「すぐに楽になるでの。我慢してくれ」

 

 暴れる少女の口に無理やり流し込むと、暫くして小さな呻き声を残し眠るように大人しくなった。


「……どうしちゃったんだ」

 

 驚きで固まっていたヴィートが震える声で呟いた。

 大人しくなった少女の胸に聴診器を当てて診察しているベッテルは、ヴィートの方は向かずに答える。

 

「ふむ。ヴィトよ。この娘を見つけた時のことを思い出してみい」

「……」

「理由は何にせよ、あれだけの傷を負ったのじゃ。怖い思いをしたのじゃろうよ」

「そっか……」


 ヴィートは目を瞑り今では静かに寝息を立てる少女をそっと見やると更にベッテルへ問いかけた。


「この娘は助かる?」

「そうだの……」

 

 ベッテルが答えに少し間をおくと、部屋に入って来たグスタフが割り込むようにその先を促す。


「治るんだろ? 先生」

 

 聴診器を耳から外し、かちゃかちゃと診療器具をまとめてイェシカへ渡すと身体ごと入室してきたグスタフへ向き直す。

 暫しグスタフの瞳を覗くと、何か吹っ切ったようにベッテルは答えた。

 

「……ふむ、そうじゃな。傷口も化膿しておらんでな。このまま順調にいけばな」


「そっか! 良かった!」

「おお! 良かったなヴィト」


 さっきまで泣きそうな顔だったヴィートがガラリと明るい笑顔となる。

 黙って事の成り行きをみていたアルベルトも心から安心したように、ガシガシと手荒くヴィートの頭を撫でながら喜んだ。看護師のイェシカも口元を緩め優しく微笑む。


「ヴィトよ。お前が懸命に看病したおかげじゃ。よくやったな」


 ベッテルにも褒められた嬉しそうに頷くヴィート。そんなヴィートを優しく諭す。


「しかし看病でお前もろくに寝てないようじゃな。顔色が悪いわい。ここはワシとグスタフで診ているから腹一杯飯を食って寝てこい」

「えっと……」

 

 チラリとグスタフをみやると口髭を触りながら頷き、ヴィートへ優しくその労をたたえた。

 

「良くやったなヴィト、先生のいう通りにしろ」


    ◇


 ヴィートとアルベルトは食堂へ、イェシカは先に診療所へ返した部屋で、ベットを間にグスタフとベッテルは眠っている少女を覗き込んでいる。

 暫く沈黙が続いたあと、ようやくベッテルが話をきりだした。


「見た目はあどけない少女だがのう……」

「……ああ」

「危険な魔物かもしれん」

「……ああ」

「分かっていて腹を決めたのじゃな」

「先生だって魔物全てが人間に害なす者じゃないことを知ってるだろ」

「勿論じゃ。そして危険な者も知っている」

「じゃあどうしろってんだ! 助かる命も助けず、見殺しにするのか?」

「役人に届け出るという手もある」

「本気で言っているのか? 先生もそれが何を意味するのか知らないわけじゃないだろ」

「……まあの」

「とにかく暫く様子をみるよ。この様子だと暫く動けんだろうし」

「……まあ、分かったわい。まったくお前さんは苦労を背負い込むのう」


 くっくと笑いながらベッテルは立ち上がり廊下へ続く扉へと向かう。


「グスタフ。お前さんの決めたことにワシはもう何も言わんよ。医者として患者を診にくるから安心せい」

「……有難うな、先生」

「礼を言われる筋合いはないわい」


 ベッテルは少女を一瞥したのちに部屋から出て行った。

 グスタフはそんなベッテルの後ろ姿を目で追い、そして軽く頭を下げる。


 ベッテルが出て行って静まりかえった部屋には、少女の小さな呼吸音だけが残る。

 グスタフはベッド横の椅子をひょいと引くと、くるりと前後を入れ替えてドカリとその身を預けた。

 悲鳴のように木の軋む音。

 気にせず椅子の背もたれの上で腕を組むようにして前のめりになる。

 再度訪れる暫しの沈黙。


「よお、起きてるんだろ?」


 その沈黙を破るようにグスタフは寝ている少女へ話しかけた。

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