絡み合う糸 2/ヴィート
「親方〜、第三隊の準備ができたよ〜」
港中ではあちらこちらで怒鳴り声のように荷運びを指示する大声が響く。
活気が溢れすぎて賑やかを通り越し騒然としている中、腹回りのかなり太い男が、おっとりとした口調でグスタフとアルベルトに話しかける。
後ろには荷台に積めるだけ目一杯の建材を乗せた数台の荷馬車が列をなし、出発の号令を待っていた。
「おう。ナータン。ご苦労さん」
アルベルトが赤茶色の髪を揺らし和かに右手を上げて挨拶をする。
その右手の指先は『行け行け』とハンドサインで合図を送っていた。
「……あー、じゃ行ってきまーす」
ナータンと呼ばれた男は、右手のサインにアルベルトが何を意図しているのかを理解して、その場を離れようとそそくさと動こうとする。
しかし、それは叶わなかった。
「おう、ナー、ちょっと待て」
呼び止められたナータンはグスタフを背にし空を見上げて渋い顔をする。嫌な予感しかない。
(しまった〜)
悔いるように頭髪のない綺麗に剃り上げられた頭頂部を二度ほど軽く叩く。そしてグスタフには見せられない顰めっ面から顔の筋肉を無理やり動かして笑顔で振り返る。
「ん〜、なんですか親方?」
「ヴィトの奴がまだ帰ってきてねえんだよ。あの野郎には他の仕事も言いつけたのに」
「あ〜、そうなんだ。じゃあ俺は行――」
「荷物置いたら探してきてくれや」
「えー⁈ 俺は荷物置いたら昼飯を食うんだけど……」
「そんなの後回しだ! あいつは宿屋に行って準備もさせなきゃいかん。いいな!」
グスタフはナータンへ命令すると返事も待たずに二人の目の前から背を向けて歩いていく。
横に近づいてきたアルベルトへ顔を向けると、彼は目を瞑り左右に首を振っている。諦めろと。
「えええー、そんなぁ……」
ナータンはその膨よかな見た目通り、食事に関して人一倍に執着を持っている、いわば食いしん坊である。
ここロゴスは交易が盛んなことから多種多様な食べ物が売られており、小さな村からではその種類は比較にならない。
今日も朝から何を食べようか、それだけを考えて仕事をしてきた。
実際のところ、ナータンは幼いヴィートより街に来ることを楽しみにしていたのだった。
肩を落として、その身体の割に小さな青みがかった瞳をさらに細めるナータン・コンッティネン。
アルベルトより三歳年下で、同じ時期にグスタフに雇われた古参の職人である。
アルベルト同様にアルサス村でグスタフと兄弟のように育った仲で、当然のように一緒に働くこととなる。
身長はグスタフより少し小さい百七十センチだが、体重は百二十四キログラムもある巨漢であった。
おっとりとした性格で、人と話す際も語尾を伸ばす癖があり、余計にのんびりとした印象を与える。
しかしながら仕事ぶりは優秀で、グスタフにとってアルベルトとナータンはまさに両腕と呼べる存在であった。
今でこそ何人も雇われているが最初は三人でずっと仕事をこなしてきた。
なのでこの三人は苦楽を共にしてきた強い絆を感じているため、仕事仲間と言うより家族といった感じである。そして家長の命令は絶対という鉄の掟もあった。
「早く見つけるこったな」
ナータンの肩をポンポンと叩き、アルベルトも仕事を再開するために持ち場へ戻る。
その背中を恨めしそうに眺め、項垂れながら荷馬車へ乗り込むと弱々しい声で号令を出した。
「出発ー、……はあ」
◇
まさか自分のことで兄弟子たちが怒られ、余計な仕事を命令されていたなど露とも知らず、ヴィート・リーグは塩の広場を散策していた。
見る物全て新鮮で親方の言いつけなど遥か彼方に飛んで行ってしまったようだ。
ロゴスへは以前にも何回か来たことがあったが、当時は幼すぎたため一人で歩く事は許されていなかった。
やっと初めて自分の意思で自由に好きな場所へ歩いていける。
特徴的で珍しいオッドアイの瞳をキラキラさせて、楽しくてしょうがないと言わんばかりに鼻歌まじりで広場を闊歩していた。
ヴィートがグスタフの元に来てはや十年が経つ。
妻と愛娘を早くに亡くしていたグスタフが、突然小さな男の子を連れて帰ってきたときはアルベルトとナータンは驚いたものだった。
事情を聞けばロゴスからアルサス村へ通じる街道沿いで野盗に襲われ、両親や従者は惨殺され子供のみがかろうじて生きていたらしい。
嵐の夜の中、三〜四歳ほどの幼子一人が取り残され、その小さな命が尽きかける直前に仕事先から帰る途中のグスタフに発見された。
頭に大きな怪我をしていた幼子を抱き抱え、吹き荒れる暴風の中で医者のいる街まで一心不乱に引き返す。
既に夜の帳が下りた暗闇の中、必死でロゴスに居る知り合いの医師の元へ駆け込んだ。
一週間もの間、睡眠すらまともにとらず付きっきりで看病をした。
そんなグスタフへ答えるように、小さな命の炎は再び燃え上がり、一命を取り留めたのであった。
野盗に襲われ、両親が殺害されて目の前からいなくなってしまった事実は、幼子の心には計り知れないショックであったのだろう。
当時のヴィートは人を見るとガタガタと震え、碌にしゃべることさえ出来ない。アルサスの村に連れ帰っても塞ぎ込んだままであった。
そんな幼子にグスタフは根気よく話しかけ、食事や風呂の世話をし、時には抱き締めて幼子の閉ざしてしまった心を暖かく包み込んだ。
アルベルトとナータンもそんなグスタフに協力を惜しむことなく、進んで幼子の世話をしたものであった。
大人たちの努力と愛情はやがて幼子の閉ざした心を打ち破り、ついに笑顔を幼子にもたらした。
ほどなく行く当てのない幼子は、グスタグの正式な養子となり、ヴィート・リーグという名を与えられてすくすくと育って行く。
ヴィートは物覚えも早く、なにより明るく愛嬌があったので誰にでも可愛がられていた。
特にアルベルトやナータンには自分の子供達と変わらぬ愛情を注がれ、ヴィトという愛称で厳しいながらも分け隔てなく家族として育てらた。
まだまだ少年と言える年頃ではあるが、グスタフたちの仕事を間近で見て育ったために、そこいら辺の職人より腕も良く頭も回った。
そしてこの度、このロゴス大教会の修復作業にも職人として正式に参加を認められ、初めての大仕事に気合も入れて臨んでいたのだが…… やはり子供のヴィートにとってロゴスの街は刺激的すぎた。
「あー、腹へった……、全くどこで遊んでいるんだか」
その大きなお腹をさすりながらナータンはヴィートを探しに広場を歩いていた。
ヴィートの性格を熟知しているナータンは、(きっと好奇心旺盛なヴィトのことだから、露店が多数出ているこの広場にいるに違いない)と予想して探しているものの、なかなか見つからない。
この大きな広場をくまなく歩きまわり、時には人にも聞いてみたが収穫はなし。
見当違いかと諦めて大通りの方へ戻ろうかと思った矢先に、聞き覚えのある少年の声が聞こえてきた。
「おっちゃーん。この荷物はどこに運べばいいの?」
「おお、悪いな。小屋の奥にまとめて置いておいてくれ。箱の隅に色が塗られてるだろ? その種類ごとに分けてくれると助かる」
「あいよー!」
ナータンは思わず目を擦り、自分の目を疑った。似た子だよなと。
確認しようとしたが小屋に入ってしまったので、外で待つ。小屋はどう見ても芝居小屋であり、ヴィートが働いているはずがない。
暫くしても出てこないので、見間違いかと思い歩き始めた時に少年と芝居小屋の役者と思しき数人の男女が外に出てきた。
「結構重かったなー、腰が痛いや」
「ははは。小さいのに力あるな。本当に助かったよ」
「え? 本当? いつも非力や貧弱なんて文句言われてるんだけどな」
「ありがとうね。荷物運びだけじゃなく組み立てまで手伝ってもらっちゃって」
「はい、お芝居の席券よ。ちゃんと見にきてよね」
「やった〜〜〜‼︎ ありがとう!」
天幕をくぐり出てきた少年はやはりヴィートであった。何やら楽しそうに話している。
こちらの気持ちなどお構いなしに、報酬なのか芝居の特別席券をもらって踊るようにくるくると回るヴィート。あまつさえ綺麗な女性に抱きつかれたりもしている。
温厚なナータンも流石に怒りが湧いてきた。
「気も利いて頭もいい。アンタもう一座の子になっちゃいなさいよ」
「そうそう。顔もかわいいし、その珍しい瞳も……」
「――⁈ ちょっと。気にしてたら……」
「…………」
ヴィートのオッドアイを好意的な意味で言ったのだろうが、声に出した女性がハッと口を紡ぐ。
右目が森の色を映した深い湖のような碧色で左目が太陽のように光り輝く金色をしている珍しいオッドアイ。
見る者をうっとりとさせる程の美しさを持っているが、その希少さから忌み嫌われることも少なくはなかった。
そのためヴィートがオッドアイのことで悩んでいるのではと心配されたのだ。
しかしヴィートは笑顔で礼を言った。
「ありがとう。俺もこの目を気に入ってるんだ。親方も天からの授かりものだって褒めてくれるんだ」
ヴィートの明るさにほっと胸を撫で下ろす女芸人に、さらに戯けるようにつづける。
「実はね、この瞳には秘密が――」
出し抜けに視界が揺れ、目の前にバチバチと火花が飛ぶ。
ゴンと鈍い音と共に頭に尋常では無い衝撃があった。
思わず頭を抱えるヴィート。
振り向くと、笑ってはいるが小さい目の奥に怒りがみえるナータンが立っていた。
「イッテェ、なに――、あ、ナータン……」
「あ〜、随分と楽しそうだなヴィト。親方から頼まれたことは終わったのか〜」
ヴィートは雪色した頭に両手を置いたまま石のように固まると、ダラダラと汗を流して顔はみるみる青くなっていく。どうやら自分の仕事を思い出したようだ。
「やっベーーー⁈ 今何時? うわー」
「ん〜、とりあえず一回港に戻りな〜」
「……だよね。でも……」
「ほら! さっさと行け〜」
「わかったよ!」
ナータンの命令で勢いよく走り出したが、何かに気がついたようにピタッと止まると、白く輝く雪色髪を靡かせてくるりと回る。
「一座のみんなー! またね!」
右手がちぎれるくらいの勢いでブンブンと手を降り、お別れの言葉を大声で告げると更に勢いよく走り去って行った。
残された者たちは皆ポカーンと眺めていたが、ナータンの言葉に現実へ引き戻された。
「ウチのヴィートがご迷惑をおかけしました」
「いやいやいや! こちらこそすみませんでした!」
「お仕事できていたのね。悪いことしちゃったわね」
「私たちが荷下ろしで困っていたら手伝うって言ってくれて。本当に助かりました」
深々と頭を下げるナータンに慌ててお礼を言う一座の者たち。
いかにヴィートが役に立ってくれたかをナータンに伝えようと必死に話してくれる。彼らもまた良い人なのだろう。これ以上ヴィートが怒られないようにフォローしてくれているのだ。
「あ〜、ありがとうございます。雇主にも伝えておきますので」
ナータンが意図を理解したとにこやかな笑顔で答えると、一座の面々もほっと胸をなど下ろした。
そしてヴィートが走り去った方向を見てボソリと座長がこぼす。
「いや、本当にいい子だった。まるで太陽のように明るさを振りまく子ですな」
ポリポリと頭髪のない頭をかき、恥ずかしそうにしかし、どこか誇らしげにナータンは答える。
「いやー、……はい〜、ウチの自慢の息子です」
◇
石畳の続く細い路地裏は表通りと比べると極端に人がいなくなる。
その奥まった先には宿屋の勝手口がつながっており、馬をつないでおく馬繋場や厩、洗濯などをするちょっとした場所となっていた。
日も傾きかけ少し肌寒い中、宿屋の勝手口前でヴィートは大量の洗濯物を前に必死で手を動かしていた。
「……まだ痛えな……」
石鹸のついた手で頭頂部を撫でると、そこには大きなタンコブが出来ている。
痛みを紛らわすように摩ってみるがあまり効果はなかった。
「ちくしょー。親方め…… あんなに怒らなくても……」
広場から一目散で港へ帰ったが、待っていたのはカンカンに怒っている親方が一人。
最終便も既に出発した後だった。
腕を組み、仁王立ちで待ち構えるグスタフ。その姿は大人でもたじろぐ程に恐ろしかった。
ヴィートはその姿を見つけると深く深呼吸をする。そして意を決してグスタフの前に肩を落としてすごすごと歩いて行った。
「……遅かったな、ヴィート」
ヴィトではなくヴィートと呼んだ…… 間違い無くめちゃくちゃ怒っている。
怒られ慣れているヴィートは、グスタフの口調でどれほど怒っているのか大体の目安がつく。
静かな口調。そして本名のヴィート。この二つが揃ってしまった。最大級に怒っている状態だ。
目の前が真っ暗になりながらも、一言だけ必死に絞り出す。
「……ごめんなさい……」
ヴィートの下げた雪色した頭へとんでもない衝撃が走る。
夜空に輝く星々のように頭の中で眩い光がチカチカと輝いた。頭が大きく揺らされ、その威力で足元はフラフラだ。
グスタフの大きく固い拳の一撃。
両手で頭頂部を抑え、涙目になりながらグスタフを見る。
そこには先ほどと同じ格好で仁王立ちしているグスタフがいたが、どことなく先ほどよりは怖くはなかった。
「この馬鹿野郎が。一人前の職人として連れてきてやったのに…… まったく」
「すみませんでした……」
「ふん、お前にはもう一度、職人としての心構えを教える必要があるな。今からじっくりと教えてやる。さっさと馬車に乗れ!」
「……はい」
これから聞かされる職人としての心構え。村でも嫌と言うほど聞いてきたが、とにかく長い。そしてちょっとでも聞いていないとゲンコツが飛んでくる死の授業。
ヴィートは死刑執行を待つ罪人のような面持ちで馬車に乗り込んでいった。
その背中にグスタフはちょっとした言葉を投げかける。勿論聞こえないように。
「まあ、言い訳しないのは褒めてやろう」
そして延々とグスタフの職人の心構えという説教が行われ、さらに罰として宿屋にて皆の分の洗濯を一人でやらされることとなったのであった。




