始まりの審判 17/仲間割れ
多くの魔物が黒焦げとなり横たわる、凄絶な戦場跡と化したこの場で三人の管理者とデルグレーネ。
お互いの思惑は他所に事態は進んでいく。
渾身の一撃をかわされたザイオンは、仕留め損ねたデルグレーネを追って地上に降り立った。
背中をざっくりと斬られてフラフラと立ち上がるデルグレーネへ向かい二撃目を放とうとした時、彼女の思わぬ返答にザイオンは虚をつかれたのか動きを止め、眉間に皺を寄せ苦々しくため息を吐いた。
両刃斧を肩に担ぎ上げトントンと首筋を叩きながら悲壮な顔をした少女へ問いかける。
「では貴様の言う勝手な理由とは何なのだ?」
痛みに顔を歪めながらデルグレーネは小さな声で答える。
「……私は必死に生きてきた。……今まで……」
思いの丈を爆発させるかのように顔を上げザイオンを睨み付ける。
「いつも追い立てられていた! いつも敵意を向けられていた! 殺されたくないから殺した! 別に殺すことは何とも思わない。それは相手も同じだと思っていた。でも…… そんな生活に疲れて死にたいと考えた。でも自分では死ぬことが出来ない……」
いつしか目には大粒の涙が溜まり、その大きな白金色の瞳から一筋の雫が落ちた。
「私は―― 殺しを、命を奪うことを楽しんでいる奴等とは違う! 私を殺害標的として命令された奴らとも違う! お前達みたいに都合が悪いからと簡単に排除するような者とは違う! ……私はいつだって抗っただけ」
デルグレーネの魂の訴え。
三人の管理者はそれぞれの思惑を持ちつつ、今はただ黙って彼女の次に繋がる言葉を待つ。
「だから…… そんな私だから…… いつしか私が生きている理由…… 他者を殺してでも生き残ったその先には何があるのか、私は知らなければならないと思った。他の者は持っていて、私だけが持っていない生きることの意味を!」
胸の前で両手を組み、まるで赤子のように背中を丸める。
絹糸のように煌めく髪の毛が顔にかかり表情はわからないが、透明な水滴がボタボタと落ちた。
肩を上下し、やがて聞こえた深く息を吐く音。
少しだけ訪れた静寂―― ザイオンが沈黙を破った。
「……ふん、くだらぬな。もういいだろう?」
肩口に乗せていた両刃斧を握り直し、必殺の構えをとるザイオン。
ゆっくりと間合いを詰めて、無慈悲な斬撃がデルグレーネを襲う刹那――。
「――――なに⁈」
突如として周囲が白い光で包まれ、耳をつん裂くほどの破裂音とビリビリとした振動が大地を走った。
うねる様に閃く雷光。
攻撃に移ろうとしたザイオン目掛けて、思いがけない方向から雷撃が走ったのだった。
いち早く攻撃に気が付き後方へ回避をしなければ…… 下手をすれば直撃してもおかしくはなかった。
「なんの真似だ……」
自分に攻撃を仕掛けてきた元凶に怒気のこもった声と視線を投げかける。
ゆっくりと振り向くその動作には、ザイオンが本気で怒っているであろう、彼の怒りが滲み出ていた。
雷撃を放った張本人はニッコリと薄ら笑いを浮かべ、五メートルほどの高さから見下ろしている。
その手の中には二撃目を撃てるように力を集約して。
「私が話をしている途中だったわよね〜」
アフロディアは笑いながら二撃目の雷撃を放つ。
今度はザイオンとデルグレーネのほぼ中間の大地へ撃ち込む。
地面はたまらず爆発して勢いよく土や礫を舞上げ、着弾地点はその高熱に溶解。
凄まじい爆風は熱波となりデルグレーネを傷付けながら軽々と吹き飛ばす。
それはザイオンにも同様に襲い掛かったが、彼が吹き飛ばされることは無い。
その太い腕で顔を隠し、熱風の中に混じる石飛礫から逃れる。
「――おい⁈ 何の真似だと聞いている‼︎」
仲間からの思いがけない攻撃にザイオンは怒りと苛立ちを含んだ大声を張り上げた。
「私が話をしている途中だったわよね」
先程と同じセリフをもう一度言い放ったアフロディアの表情は相変わらず笑っていたが、その深い蒼黒の瞳だけは冷たく光り、ゾッとするような異質な迫力があった。
ザイオンとアフロディアはお互いの殺気を隠そうともせずに睨み合う。
「ゲホッ……、ゲホ、一体何が……」
勢いよく吹き飛ばされた土埃まみれのデルグレーネは、痛みが走る身体を無理やり起こし状況を確認する。
目の前は濛々と砂塵が舞い上がり、視界悪くあの三人が何をしているか分からない。
ただ、吹き飛ばされたお陰で大男から距離が取れた事は幸運だ。
(一体何が起こったかは分からないけど……)
まるで煙幕を貼ったように目視が困難な状況を好機と捉え、デルグレーネはこの場からの逃走を閃いた。
「今なら……」
後方上空へと振り向きながら飛び上がる。
(このまま距離をとり逃げられれば……いや、攻撃をして――)
この状況から逃れるために高速で思案を巡らす。
しかしその思考も身体も目の前の男により強制停止させられた。
「――っ⁈ いつの間に……」
目の前に現れたフォルセティへ双眸を大きく見開き驚く。
彼は行く手を阻み穏やかな口調でデルグレーネへ語りかける。
「貴女に興味が出てきました」
◇
低く重く垂れ込めていた仄暗い雲からポツリと落ちる雨粒。
やがてそれは大地を叩きつけるような本降りとなる。
まるで空間を割るほどの異次元の力を持つ者たちに空が震えて泣き出したようであった。
地上から飛び上がり、管理者と名乗る者たちからの離脱を試みたデルグレーネであったが、中空十メートル程の高さで緊急停止を余儀なくされて雨粒をその身に受けていた。
「貴女に興味が出てきました。少しお話しでもどうですか?」
フォルセティは灰色の瞳を弓形に細め柔和な笑顔を作る。
自分を見上げる彼女へ優しげに話しかけるその姿は、まさに説教をする聖職者そのものである。
眼前に立ち塞がられたデルグレーネは、攻撃されるものと全身を無意識に硬くする。
しかしフォルセティの穏やかな表情と発せられた思いがけない言葉に思考までも固められた。
(なに⁈ なにを言っているの?)
極度の緊張と思いがけない言葉に混濁する意識。
背中には雨とは違うものが流れる。
ごくりと唾を飲み込むと、自分が随分と浅く荒い呼吸をしていることに気が付いた。
落ち着こうと震える胸で必死に深く吸い込むと、鉛のように重い息を吐き出しながら、デルグレーネは訝しげに目の前の男を警戒しながら嘱目する。
後方には先程から明確な殺意を持って攻撃してきた二人がいる。今は何やら言い争っているが、いつこちらに刃を向けるか気が気でないのだが。
「いえね、先程の貴女の言葉が気になりましてね」
まるでお茶を飲みに来ましたよ、ちょっとお話ししましょうといった気軽さで話しかける。
先程まで発していた押しつぶされるような重圧が今はどこにもない。
状況が理解できず黙ったままのデルグレーネへフォルセティは続ける。
「貴女の言う勝手な理由というのは理解できます」
うんうんと一人で頷き、相手の返答など気にせず話を一人で続ける。
「私は貴女が言った『貴女だけが持っていない生きることの意味』という言葉にとても興味を持ちました。何かに影響を受けたのでしょうか? それを最初に感じた時の感情はどのようなものでしたか? そして、貴女にとってこの世界が何をもたらしているのか? 教えてください!」
立て続けにデルグレーネへお構いなしに問いかける。
一言、また一言と続くたびに彼女へ近づくフォルセティ。
いつの間にか相手の息がかかるまでの距離に顔を近づかせて灰色の瞳を好奇心で煌めかせる。
お構いなしに近づく彼へ思わず仰反るように顔を引き、ほんの少しだけ後方へずれてデルグレーネは呟いた。
「……貴方達が理解できる?」
「ん?」
フォルセティは聞こえなかったのか顔を斜め前に出してデルグレーネに耳を向ける。
そんな戯けた様な態度に敵意と憎悪の込もった視線でフォルセティを睨みつけ、怒鳴るようにぶつける。
「何が理解できるというの!」
先ほどとは比べ物にならない大声。
フォルセティは一瞬だけ瞠目するが、すぐに作り笑いのような表情のない笑みで応える。
「ああ…… ええ、つまりは立場の違いですよ」
「…………」
「貴女方が生きている世界。そこでのルールとして弱肉強食は当たり前。喰らい喰らわれる事が世の習わしとなり日常茶飯事として行われています」
フォルセティは一つ間を置き、些か暗い表情となり続ける。
「てば、私達は? そう、私達はそんな日々を過ごしている貴女達を観察し管理しています。つまり全てにおいて全く違う立場なのです。そんな私達が貴女の心を理解できるかということですが…… それは無理です。ですが、そんな貴女方に干渉すること自体が勝手な理由という貴女のことは理解できます」
言い終わると先程の表情とは微妙に変わり、目を輝かせて質問をする。
「私は貴女の質問に答えました。今度は貴女の番です。さあ教えてください。貴女の中に宿ったものとは? 気になるのですよ!」
一方的に話し終えたフォルセティへ憤怒の感情を乗せて答える。
「……ふざけないで! 分かっていながら、なぜ私を殺しに来た⁈ 先程の大男は同じと言った! 同じと言うならお前らが関わる事など無いはずだ! 私はただ自分の身を守り、降りかかる火の粉を振り払っているだけ。私が他者の命を奪っても尚、生きたいと渇望する理由が知りたいだけなのに……。その理由も知ることなく、お前らの勝手な都合で殺されたくない!」
捲し立てるように言い放つとフォルセティから距離を置き、もうこれ以上は答える気がないと戦闘体制に入ることでその意思を示した。
「ふふっ」
ぞくりと背中に悪寒が走った刹那、甘い笑い声と吐息が首筋にかかる。
デルグレーネの気が付かぬうちにザイオンと言い争いをしていたアフロディアが背後に現れ、まるで恋人にするように肩上から腕をかけて抱きしめられていた。
アフロディアの熱情でくぐもった声が、身動きを封じられたデルグレーネの耳朶を擽る。
「そうよね。貴女の言う通り普通は干渉などしないわ」
話しながらデルグレーネの首から頬へゆっくり指先でなぞると、その後を追うようにじわりと赤い血が滲む。
逃げようと動けば即座に殺される。そんな気配を感じ取り、さらに身体が強張る。
「あら、そんなに緊張しないでいいわよ」
くすくすと笑いながら、しかし抱きしめる力を強めた。
アフロディアの芳しい甘い香りが鼻の奥を擽ぐる。
「でもね、先程フォルセティが話した『勝手な理由』に付け加えるなら、貴女が他とは違い全く異質な存在なのが原因なの」
くすくすと笑いながら先程まで首に回していた右手で背中をさする。
肩甲骨の端辺りで手を止めると、腰にぶら下げていたレイピアを抜きデルグレーネの肩にズブズブと突き立てた。
「……がっ⁈」
デルグレーネの肩を貫通し、白く薄い肩口から飛び出した剣先に流れ出した血が雨と共に滴る。
これはメッセージ。生殺与奪の権利は自分にあると伝えるため。
突き刺した肩とは逆の肩口に顎を乗せて、彼女の体内より突き出した剣先から血が滴る様をうっとりと眺め話しを続ける。
「貴女がこのまま成長すると、過剰な力…… そう貴女には到底扱えない力を得ることとなる。それはデーモニアのみならず他の世界にも影響を及ぼす危険性があるの。……だからそうなる前に貴女を排除するのよ」
アフロディアは至極残念そうに、そして艶っぽい口調で『勝手な理由』の補足をする。
改めての死刑宣告であった。




