始まりの審判 16/理由
「――大人しく死ぬがよい」
空を割り現れた巨大な体躯の男。
法外な登場をした男から浴びせられた強烈な言葉は、デルグレーネの時を止めるのに十分であった。
彼らが現れた場所。
二十メートルほど上空に広がる空間の裂け目は、漆黒の暗闇が広がっている。
バリバリと大樹の枝のように伸ばした亀裂はその動きを止めて、やがて逆再生のように裂け目を修復していく。
四方へ暴れていた電閃も三人を中心に小さな放電を残すだけとなる。
吐きそうになるほど魔力の重圧を感じさせる三人の男女。
その中で先ほどデルグレーネに向かって死ねと言い放った男。
光り輝く両刃斧の切っ尖を微動だにせずピタリとデルグレーネへ向け、深いブルーサファイヤの瞳が威圧する力を放ち続けている。
重量感のある武具を身に纏い、しかしながらその動きは軽快で戦闘には支障はないようだった。
黄金色に彩られたその鎧。反射する日の光がなくとも見事な輝きを放ち、何故かデルグレーネの心を騒つかせる。
その黄金の鎧を纏った大男の横に、知的な雰囲気を感じさせるスラリとした優男。
白い丈の長い上着に、こちらも金の刺繍で何やら文字なような文様が施されており一見すると高位の聖職者のようであった。
その手には七色の宝石が輝く杖を持ち、横を向き談笑している最中も注意深く彼女を伺っているような気配を感じる。纏わりつく気配にデルグレーネは極度の緊張を強いられた。
そして最後に驚くほどの美貌をもった女。
白い修道女のような清楚な服装に相俟って女神が降臨したようであったが…… 些か露出が多く着方も崩していた為に神ということは無いだろう。
何よりも腰に巻いたベルトにはレイピアが二本ぶら下がっていた。
危険な雰囲気を見せる妖美な女性は、先の二人、男性達と目も合わさず、真っ直ぐデルグレーネを直視していた。
その表情は穏やかで慈愛に満ちた笑顔でありながら、背筋にぞくりと寒気を走らせる。
そう、深い蒼色をした瞳の奥に灯る小さな炎がどこか歪んだ狂気を感じさせていたから。
三人がそれぞれ捉えようのない個性を全面に出しているために纏りを欠いてしまうが、紛れもないこの世界で最も力を持つ者達であり、世界の理をも覆せる存在。
尋常ではない力が自然に溢れ出てしまうため、この空間自体が軋んでいた。
その波動をまともに受けているデルグレーネは、何が起きているかは分からないが身体は正直に反応していた。
ブランとの戦う前に感じたプレッシャーとは比べ物にならない事を身体は素直に感じ取り、指ひとつとして動けない。
突如現れた圧倒的な力を持つであろう三人を前に、まるで己の周りにある空気が固定化し、全身を拘束されたようだった。
信じられないほどの重圧が自分だけに向けられている…… それは心臓を鷲掴みにされているような恐怖。
濃密な圧力は体に食い込むほど彼女の体を縛り付け、まともに息をすることもできなかった。
ガタガタと自分が震えていることに気づき、思わず先ほどの戦いで傷を負った腕を庇いながら、もう一方の腕で自分を抱きしめた。
(何を恐れているの…… もしかしたら私を解放してくれる存在かもしれないのに……)
今までのように自分の命を狙って襲ってきた者達とは決して違う、異次元とも呼べる存在。
空間を割り、突如として目の前に現れた者達。
それはこの世の理を変えることのできる力を持つということ。
(そんな法外な者達ならきっと……)
デルグレーネは肺一杯に息を吸い込み、なんとか自分を落ち着かせるように努める。
まだ心臓を掴まれているような重さを感じ、身体は自由には動けないがなんとか思考は冷静さを取り戻した。
「――ふぅ――――っ!」
双眸を閉じ、その薄い胸の中に詰まっていた鉛のように重く硬い空気を一気に吐き出す。
思考はクリアとなり、今やっと求めていた者が現れた不安とも期待とも似た感情が湧き出てきた。
先ほど吐き捨てた恐怖の代わりに胸一杯へ広がるように。
「そう…… 私を殺しに来たの」
美しく長い睫毛をゆっくりと持ち上げ、髪の色と同色の澄んだ瞳を大きく見開く。
動かぬ身体を無理矢理に奮い立たせ、背中に翼を生やすと法外な者達の居る高さまで飛び上がり――。
震える喉の奥から精一杯の声を絞り出した。
「その理由を教えて!」
「ああ、恐怖に引きつったその顔…… 美しいわ」
アフロディアは右手の人差し指でぷっくり妖艶な唇をなぞると、愛しそうに唇を舐める。その相貌は蕩けるように恍惚となっていた。
ふふっと思わず声を洩らして、横にいるフォルセティからの呆れたような視線に気付く。
咳払いをすることで決まりが悪いのを誤魔化し、アフロディアはデルグレーネへ返答をする。
「ん⁈ んー、 理由? 意外ね…… 貴女、殺される理由なんか気にするの?」
「…………」
何も言わず真剣な眼差し、というより悲痛な想いが溢れる双眸を潤ませるデルグレーネ。
その必死さにアフロディアは思わず笑いが出てしまう。
「ふふっ、まあいいわ……。そうね、自分が殺される理由は確かに聞いておきたいわね」
フォルセティ、ザイオンを従えるように一歩前に出ると、アフロディアは自分の胸に手を当てて自己紹介をする。
「その前に、私たちが何者か挨拶していなかったわね。私はアフロディア。そしてこちらに居るのがフォルセティとザイオン。私たち三人はこの世界の秩序と成長を守り管理する者、管理者と呼ばれているわ」
「……管理者⁈」
「そう、管理者」
デルグレーネの視線と疑問に大きく頷き返答をする。
しかし彼女は白金色の髪を小さく何度も振ることで分からないと伝える。
「ん〜、つまり私たち三人がこの世界における最高の権力を持つ裁定者ということね。……私たちの立場は理解してくれたかしら」
「…………」
いきなり理解しろという方が無茶である。
デルグレーネが無言で未だ理解不能ということを告げるが、もうこれ以上の説明はしないらしい。
アフロディアは、蒼く黒い頭髪を妖艶な指使いで後ろへ流すと先を続ける。
「それで、貴女を殺しに来た理由よね…… それは簡単に言えば貴女は調和のバランスを崩す破壊者、この世界の不適合者として処理されるの」
「……世界の不適合者?」
「ええ、貴女がデーモニアにとって終焉を早める危険な存在と判断されたのよ」
「?…………」
「何を言っているのか理解出来ていない様ですね」
小首を傾げて眉を八の字にするデルグレーネへ、アフロディアの説明に補足するべくフォルセティが柔和な笑顔を湛えて話を繋ぐ。
「この世界は創造主により作られた世界なのです。そして世界は三つの境界で分けられた一つの世界。魔世界、死世界、人間界とそれぞれの境界線を超えて輪廻を繰り返し進化していく。そして終焉を迎える……そう何度も繰り返されている世界なのですよ。我々管理者はこの世界を見守り観測しているのです」
優しく丁寧にデルグレーネへ説明する。まるで教師が生徒に授業をしているように。
しかし、いきなり突拍子もない世界の話をされても頭がついていかない。
理解ができず困惑しているデルグレーネにフォルセティは更に詳しく付け加える。
「今あなたが居る世界、このデーモニア。そして先ほど話した他の二つの世界。それぞれの世界は誕生からやがて成熟し、そして終焉を迎えます。……何十回、何百回と誕生と終焉を繰り返す。それは生命の進化を見極め、より良い世界を生むための壮大な実験なのです」
「実験……」
頭の中で鐘が鳴っているようにクラクラする。
何を言っているか全く分からない。いや、言っていることは何となく理解できる。しかし決して納得なとできない……。
先程までの震えは収まり、心の奥底から何か熱いものが沸々と湧き立つ。
フォルセティはデルグレーネが考えられるように間を置いて、ゆっくりと続ける。
「いいですか? 貴女はこのデーモニアか成熟する前に終焉へ導く危険なイレギュラー候補とし観察を続けられてきました。そしてとうとうこの世界を壊す破壊者として認定された為に排除されると言う訳です。我々の実験を邪魔する者として」
フォルセティのあたかも自分が観察していたような物言いにアフロディアは面白くなかったのか、それとも自分が話したかったのか舌打ちをして不満だと態度に示す。
「まあ、貴女を観察していたのは私ではありませんがね」
舌打ちをした主を見ながら苦笑をしつつ付け加えるのを忘れなかった。
「さあ、これで理由は理解したわよね? ――心置きなく死になさい」
フォルセティの話が終わるや否や、アフロディアはずいと前に出る。
さも自分が主役よといわんばかりに両の手を大きく広げ、舞台女優のような大仰とした身振りでデルグレーネへ非情な通告をする。
それは相手役にデルグレーネを選んだということ。
その顔は熱に上気し蕩けるような満面の笑みであった。
デルグレーネは俯き全ての言葉を理解する様に眼を閉じて考える。しかし湧き出る感情は…… 自分でも思いがけないものであった。
「実験の邪魔……? イレギュラーだから……? たまたま……? そんな、そんな勝手な理由でっ⁈」
アフロディアへ声をぶつけるために顔を上げると、大きく黒い影が目の前を覆う。
そこには両刃斧を振り上げたザイオン。一瞬で必殺の間合いまで詰め寄ってきた。
「――ふうぅん!」
凄まじいスピードで振り下ろされた斧は音速を超えて衝撃波を放つ。
身体を捩り両刃斧自体は既の所で躱したが、衝撃波からは逃れることができず背中をざっくりと抉られた。
「⁈――っうう……」
デルグレーネの身体はその衝撃により吹き飛ばされ、頭から勢いよく大地へ落とされた。
地面が目の前に迫る――。
瞬時に取る防御姿勢。
残った魔力を一点に集中し勢いを殺すことで地面への大激突は回避することに成功した。
しかし勢いは完全に殺すことは出来ずに二度三度と地面に打ちつけられ、ゴロゴロと転がる。
肺の奥から短く呻き声が上がる。
「ぐっ! がっ! ううぅ……」
凸凹な大地を派手に転げ回り、うつ伏せの姿勢で止まる。
頬に冷たい土の感触…… 鼻の奥には鉄臭い血の匂い。
衝撃と身体中に走る痛み、頭の中で白い靄がかかったように朦朧とする。
ゾマン、ブランとの連戦で体力は限界に来ていた。
回復するための魔素も管理者を名乗る三人が来たことで取り込めていない。
カラカラになった体力と魔力は、思考さえも鈍くした。
しかし心の奥、本能より警鐘が鳴り響く――。
(痛い……頭が回らない…… でも、ここで動かないと駄目だ……)
ぐっと唇を噛み締めることで意識を引き戻し、なんとか上体を起こす。
ブルブルと震える腿に手を置き必死に立ち上がると、近くに降りてきたザイオンから距離をとった。
「勝手な理由? ……だからどうしたというのだ?」
ザイオンは自信を持って放った一撃を避けられた事に些かの驚きと苛立ちを感じた。だからだろうか、いつもなら話すことなどなく職務のみを遂行する男がデルグレーネに問いかける。
「お前は先程まで蹂躙した者たちの声を聞いたか?」
「っ⁈…………」
ザイオンを睨みつけるが、返す言葉はみつからない。
「そう、同じなのだよ。命を奪う者、奪われる者に違いなどない」
「……そんなの! そんなの知っている!」
「ほお……」
顎をさすりながら二人のやりとりを眺めていたフォルセティが驚いたのか興味を持ったのか、喉の奥から声を漏らした。
「この世界の理を理解している? ……興味深いですね」
フォルセティは先ほどまでより熱を帯びた灰色の瞳を細め、その口角に笑を浮かべてザイオンとデルグレーネのやり取りへ興味深げに視線を投げた。




